トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/8/23  16:08

山田風太郎の『銀河忍法帖』はとても面白いんだけど  『トンデモ一行知識の世界』パクリ探し編

『トンデモ一行知識の世界』 P.150
 彼の発明した拷問器具はいまでもスペインの王立博物館に展示されて
いるが、その中には、“魔女のくつばみ”と呼ばれる、鉄製の仮面もある。
見かけはただの仮面ではあるが、その裏面(顔につく面)には口の部分に、
男性の性器の形をした棒が突き出ている。これをかぶせられた魔女、いや、
魔女の疑いをかけられた女性は、口の中にこの鉄製のペニスが突っ込まれ、
舌とのどを押さえつけられる。したがって、いくら拷問を受けても、悲鳴ひとつ
あげることができない。そして、この、悲鳴をあげないということが魔女である
という証拠となったのだからひどいものである。

山田風太郎『銀河忍法帖』 (講談社ノベルス) P.223
> 「この仮面の内側には、見るがよい、まるい棒がつき出しておる。――ふふ、男根の
>かたちをしておるが――仮面をつければその棒が口に入って舌を押えつける。”魔女
>のくつばみ”というものじゃ。いかなる責め苦にあわされようと、わめき声一つたてら
>れぬ」


“魔女のくつばみ”と呼ばれる、鉄製の仮面」は実在しない――というのは、「聖職者が
わざわざ男根の形のものがついた仮面を用意するかね?
」のエントリに書いた。聖職者が
魔女の拷問のために用意した道具の一部が、「男性の性器の形」に加工されていたと
いうのはありそうにない。性的な興奮を求めて拷問にハゲんだ聖職者の存在を否定する
気はないが、ただの棒で用が済むところをわざとそんな形状にして、不用意に欲望の
証拠を残した者がいたという事実は伝えられていない。

山田風太郎の小説『銀河忍法帖』の該当部分は、戦国時代の日本の城内で密かに
実行されていた拷問についてなので、誰はばかることなく趣味に走って、棒状の部分を
男根の形にするのも自由。フィクションなのだし。


『トンデモ一行知識の世界』 P.150
 また、西洋梨をふたつに割って、ねじで留めたような、“ペリカン”と
呼ばれる器具もあった。 これは、囚人の口に入れてねじを調節すると、
次第に開いて、口を開いたままの形で固定される器具である。 さらに
ねじを巻けば、口が裂けるまで開かせることも可能だったが、そこまで
開くことはめったになかった。……しかし、それは慈悲の心のためでは
(もちろん)ない。そうやって開けた口から大量の水を流し込む方が
もっと有効な拷問方法だったからである。

山田風太郎『銀河忍法帖』 (講談社ノベルス) P.224
> それから、こんどは鉄の西洋梨みたいなものをとった。
> 「閉じればこのようなかたちをしておるが、口におし込んでここのねじをひねると、
>それは開いて、同時に口も開かせる。顎の裂けるまで開かせるが、それ以外に罪人
>を仰のかせて、上から腹のはち切れるまで水を注ぐのに便じゃ。称して”ペリカン”
>という。――」


西洋梨の形の拷問道具は存在していたが医療器具の“ペリカン”とは別物という話は、
以前「西洋梨なら ペリカンよりも まずは Pope (?)」のエントリに書いた。

西洋梨をふたつに割って」というのは、『銀河忍法帖』の記述にもないので、唐沢俊一
オリジナルのガセビアなのだろう。"The Pope's Pears"、ローマ法王の梨という名をもつ
拷問道具は、「ふたつ」ではなく、縦に 3 つまたは 4 つに割ったような形に開く。
ペリカンからの類推で付加してしまった分だろうか。


『トンデモ一行知識の世界』 P.150 ~ P.151
また、桃のような形をして、すっぽりと頭の上からかぶせる、鉄製の兜も
あった。この兜は内部が二重になっており、音がよく反響するつくりに
なっている。そのため、かぶせておいて、外側から鉄の棒で軽く叩いた
だけで、中の囚人には鼓膜がやぶれ、気が狂うほどの大音響となって
聞えるのである。

山田風太郎『銀河忍法帖』 (講談社ノベルス) P.225
> 「これは大きな鉄の桃のようじゃが、兜(かぶと)じゃ。これをかぶせて、上から槌で
>たたく。かるくたたくだけで、歯もことごとく抜けおちんばかりの震動を与える」


鉄の桃の兜の拷問道具というのは見つからないという話は、「うるさい鉄の桃じゃなくて
熱した鉄の三位一体 Trinity
」のエントリに書いた通り。

そもそも、山田風太郎の小説のこの場面に出てくる拷問道具は、「おそらく異国の拷問具
の模倣であろう
」とはされているが、完全に忠実な再現という設定ではない。鉄の処女に
ついてなどは、アレンジを加えていることを作中の人物が明言している。異端審問に言及
しているが、そこにある拷問道具が皆、スペインの異端審問に使われたものを元にして
いるといっているわけでもない。

山田風太郎『銀河忍法帖』 (講談社ノベルス) P.223
> 「やはり異端審問にも、斬ったり、突いたり、吊したり、焼いたりする。中には車裂き
>などというやつもある。そのような拷問が大半といっていい。しかし、わしも算法も、血を
>見たり、臓腑を見たりするのは感覚的にあまり好きでない。――思えばキリシタンの坊
>主ども、坊主のくせに無神経なやつらじゃ。――拷問の要諦は、苦痛の持続性が大で
>あって、傷等の痕跡を残さぬことにある。それに、芸術味が加わればますます可なり
>じゃ」


山田風太郎『銀河忍法帖』 (講談社ノベルス) P.226
> 長安発明の、というが、おそらく異国の拷問具の模倣であろう。それにしても、人間
>とは、人間を苦しめるために何たる奇抜にして恐るべきからくりを考え出すものであろ
>う。またそれにしても、血を見るのはきらいだ、とはいうものの、かかるからくりをこれ
>だけおびただしく営々として作り出し、いま得意の講義調でじっくりと解説する長安も、
>つくづくと世にも異常な人物といわなければならぬ。


実際にあった拷問道具の記述ならば、小説と記述が一致しても何ら不思議ではないが、
実在していない (実在していたとしても、調べてもなかなか見つからない)、または、実際
のものとは異なる拷問道具――作家が自由に想像の翼を広げて書いた拷問道具が、
唐沢俊一の雑学本にほぼそのまま、それもスペインのトルケマダが発明したものと書か
れているとは奇妙なことである。

しかも、前述の「西洋梨をふたつに割って」のように、小説には書かれていないガセビア
を、ご丁寧に混入してくれていたり、小説では「仮面の内側」という記述が、唐沢俊一の
手にかかると「裏面(顔につく面)」に、ぎこちなく劣化コピーされる様子も興味深い。

参考ガセビア:
忍法帖シリーズは陰陽座もやってますね
久生十蘭の小説だけでチベットを語る?



   
 
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