トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
旧 URL は、http://diary.aol.com/yzuc9ww/417.html
文字列の一括置換をかけた都合上、旧ブログのコメント欄および2ちゃんねるのスレからの引用の中の URL も全部新 URL に置き換わっていますことを、あらかじめご了承ください
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/ で続きの Blog をやっています
   
 

2008/5/10  12:18

「ギリシア彫刻のように」も他人の翻訳からのパクリ  『トンデモ一行知識の世界』パクリ探し編

『トンデモ一行知識の世界』の P.137 ~ P.138
 自らも同性愛者だった哲学者のロラン・バルトはこのグローデン男爵の
モデルたちが嫌いだったようで、彼らのことを
「ひからびた昆虫の青光りする腹の部分のような、暗く沈んだ視線を放つ、
田舎の悪ガキども」
 と、ひどいことを言っている。しかしそれでもやはり、グローデン男爵の
写真は気にいっていたのだろう。
「とはいえ、見ていて楽しくないわけではない」
 と、本音ももらしている。インテリというのは素直でないものだ。
「神話の崇高なソフトイメージは、写真というリアリズムと衝突する。この
“衝突”という言葉には、見ている我われの驚きと喜びがひとつになって
含まれている。この写真の中のかわいらしいギリシアの神々(日に焼けた
肌がすでにそれっぽくない)のうす汚れた大きい手には不格好に爪が
生え、足もすりきれてしかも汚れている。
 その丸見えの、皮をかむったペニスはふくらんでおり、ギリシアの彫像
のように、さきの尖った小さな形に様式化されていない。
 わかるのはそれだけだ。つまり、男爵の撮った写真は、神話的であると
同時に解剖学的なのだ」
 ……いかにも、本物の同性愛を実践した経験のある者の意見と言えよう。

「」で囲んだ、ロラン・バルトの言葉して紹介している部分は、書名や翻訳者名といった
引用元はいっさい示されていない。では唐沢俊一本人が訳したものかというと、実は
先行した西野嘉章訳の文章があり、上で引用した唐沢俊一のものはそれと酷似。

『GS・たのしい知識 vol.2 特集 POLYSEXUAL~複数の性』 P.274~275
『フォン・グローデン男爵』ロラン・バルト 訳:西野嘉章
> 〈略〉 乾涸びた昆虫の青光りする胸のような暗く沈んだ視線を放つ、田舎の悪タレ
>ども(御存命の方がおりましたら、御勘弁下さい。悪気はございません)の日焼けした
>体とのチグハグぶりが、見ていて楽しくないというわけではないのだ。
>〈略〉
>かくして神話の崇高なるソフトなトーン全体は、写真のレアリスムとの衝突 collision
>(われわれの驚愕ぶり、またおそらくわれわれの歓喜ぶりを理解してもらうには、この
>言葉を使わなければならないのだ)に突入する。なぜなら、このようにして考え出された
>一枚の写真、それは、何もかもが見える映像、序列のない、《秩序》(古典的大原則)
>のない細部の寄せ集めでないとしたら、一体何なのだろうか。これらのかわいらしい
>ギリシアの神々(浅黒い膚がすでに異議を唱えている)のうす汚れたゴツイ手には
>不格好に爪がはえ、足もすりきれて汚い。丸見えの包皮は膨らんでおり、〔ギリシア
>彫刻のようには〕様式化されていない。つまり、先の尖った小さな形にはなっていない、
>割礼は受けていない、わかるのはそれだけだ。つまるところ男爵の写真は崇高である
>と同時に解剖学的なのである。

(※ 引用部分 2 節目の「何もかもが見える」の部分は、原文では傍点付き)

下の方に引用する、英訳版 (写真集『Taormina』の解説文) とロラン・バルト『美術論集』の
沢崎浩平訳も比較対象として列挙するが、訳語の選択を含め表現は翻訳者により異なる
であろう (実際に沢崎訳では別の表現となっている) 箇所が、唐沢の文章では西野訳と
ほぼ同じである。

西野訳「乾涸びた昆虫の青光りする胸のような暗く沈んだ視線を放つ、田舎の悪タレども
唐沢版「ひからびた昆虫の青光りする腹の部分のような、暗く沈んだ視線を放つ、 田舎の
悪ガキども
」 (※ 「腹」は原文ママ)
英訳版「little peasant gigolos' dark bodies 〈略〉 wearing expressions as heavy as the
blue from luminous corselets of burned insects.

沢崎訳「焼け焦げた昆虫の胸の光沢ある青にも似て、暗く、重たい眼をした、農村出の
囲われ男


西野訳「かわいらしいギリシアの神々
唐沢版「かわいらしいギリシアの神々
英訳版「little Greek gods
沢崎訳「小柄なギリシャの神々

また、西野訳の中の訳注「〔ギリシア彫刻のようには〕」が、唐沢の文章では「ギリシアの
彫像のように
」と本文にそのまま埋め込まれている。誰の翻訳を参考にさせていただいた
との一言もないままに、である。

西野訳「丸見えの包皮は膨らんでおり、〔ギリシア彫刻のようには〕様式化されていない。
つまり、先の尖った小さな形にはなっていない、割礼は受けていない、わかるのはそれ
だけだ。

唐沢版「その丸見えの、皮をかむったペニスはふくらんでおり、ギリシアの彫像のように、
さきの尖った小さな形に様式化されていない。
」 (※ 「ペニス」は原文ママ)
英訳版「and swollen, clearly visible foreskins, which are unstylized, that is, not
slenderized and tapered: our attention is drawn to the fact these figures are clearly
uncircumcised.

沢崎訳「はっきりと見える包皮はふくらんでおり、もはや様式化されていない。小さく、
ほっそりとしていない。割礼を受けていないからである。こういうことしか見えない。


さらに、上の西野訳の「わかるのはそれだけだ」 (沢崎訳では「こういうことしか見えない」)
は、唐沢版でも「わかるのはそれだけだ」なのだが、西野訳では「丸見えの」で始まる文の
一部であるそれを、唐沢はその前にわざわざ改行と字下げを挿入して次の段落に移動
させているため、他の訳文と比べて「それ」のさす範囲が広いように読者に思わせる。

本来の意味と違えてしまっているが字面はほぼそのままというのは、以下の箇所も同様。

西野訳「見ていて楽しくないというわけではないのだ。
唐沢版「見ていて楽しくないわけではない
英訳版「a delicious contradiction of
沢崎訳「矛盾は快いのである。


写真集『Taormina』の解説文
> It hardly matters ─ the result is a delicious contradiction of all the literary
> baggage from a Greek version of Antiquity, peopled with little peasant gigolos'
> dark bodies (if any of von Gloeden's models are still living, I beg their pardon;
> this is not intended as an insult) wearing expressions as heavy as the blue from
> luminous corselets of burned insects.
>〈略〉
> The sublime soft focus of legend collides (this word is necessary to describe our
> astonishment and also, perhaps, our joy) with photographic realism, because what
> is a photograph thus conceived, if not an image where everything is seen, a
> collection of details without hierarchy and without the Classical concept of unity.
> These little Greek gods (already a contradiction because of their dark color)
> have peasants' hands, somewhat dirty, with large, misshapen nails; hardened feet,
> not very clean; and swollen, clearly visible foreskins, which are unstylized, that is,
> not slenderized and tapered: our attention is drawn to the fact these figures are
> clearly uncircumcised. The baron's photographs are at the same time sublime and
> anatomical.


ロラン・バルト『美術論集』(沢崎浩平訳 みすず書房)『ヴィルヘルム・フォン・グローデン』
>にもかかわらず、このようなギリシャ版文学的「古代」一式と、焼け焦げた昆虫の胸の
>光沢ある青にも似て、暗く、重たい眼をした、農村出の囲われ男 (まだ存在するなら、
>お許し頂きたい。これは蔑称ではない)の黒い身体との矛盾は快いのである。
>〈略〉
>伝説の崇高なぼかしは、こうして、写真のレアリスムと全面的に衝突する(われわれの
>驚愕と、おそらく、われわれの歓喜とを説明するために、この衝突という語が必要なの
>だ)。というのは、このように考えられた写真は、あらゆるものが見える映像でないとした
>ら、上下関係のない、《秩序》(古典主義の大原則)のない細部の集まりでないとしたら、
>何者でもないからである。だから、これら小柄なギリシャの神々(すでにその黒い肌に
>よって矛盾している)の足は、太い爪をよく切っていないし、少し汚れており、田舎者風
>である。足はあまり清潔でなく、すり切れている。はっきりと見える包皮はふくらんで
>おり、もはや様式化されていない。小さく、ほっそりとしていない。割礼を受けていない
>からである。こういうことしか見えない。男爵の写真は崇高であると同時に、解剖学的な
>のである。


なお、2ちゃんねるのスレでの検証の過程は、長くなるが Read More を参照のこと。
誤訳レベルに改竄されている個所についての指摘は、別エントリでやる予定。

グローデン男爵が写真を撮ったのは、唐沢俊一のいうクレタ島ではなくてシチリアの
タオルミナという話も別にあるので、そちらは「アンニュイで地下ルートな美少年だってさ
を参照のこと。写真のモデルの少年たちも地元のシチリアで調達したそうだ。

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1208837414/798-

798 :無名草子さん:2008/05/04(日) 14:25:05
『トンデモ一行知識の世界』の P.137 ~ P.138
 --------------
 自らも同性愛者だった哲学者のロラン・バルトはこのグローデン男爵の
モデルたちが嫌いだったようで、彼らのことを
「ひからびた昆虫の青光りする腹の部分のような、暗く沈んだ視線を放つ、
田舎の悪ガキども」
 と、ひどいことを言っている。しかしそれでもやはり、グローデン男爵の
写真は気にいっていたのだろう。
「とはいえ、見ていて楽しくないわけではない」
 と、本音ももらしている。インテリというのは素直でないものだ。
「神話の崇高なソフトイメージは、写真というリアリズムと衝突する。この
“衝突”という言葉には、見ている我われの驚きと喜びがひとつになって
含まれている。この写真の中のかわいらしいギリシャの神々(日に焼けた
肌がすでにそれっぽくない)のうす汚れた大きい手には不格好に爪が
生え、足もすりきれてしかも汚れている。
 その丸見えの、皮をかむったペニスはふくらんでおり、ギリシアの彫像
のように、さきの尖った小さな形に様式化されていない。
 わかるのはそれだけだ。つまり、男爵の撮った写真は、神話的であると
同時に解剖学的なのだ」
 ……いかにも、本物の同性愛を実践した経験のある者の意見と言えよう。
 --------------
「」で囲まれたロラン・バルトの言葉なんだけど、これは雑誌からの引用なのか、唐沢が独自に
訳したものなのか。前者なら引用元明記をサボっているのはマズいというか盗用の可能性ありだし、
後者なら、誤訳探しも楽しそうなんだけど。

799 :無名草子さん:2008/05/04(日) 14:28:25
>>798 続き

http://d.hatena.ne.jp/dzogchen/20050807
>GS・たのしい知識 vol.2 特集 POLYSEXUAL~複数の性
> 【書誌データ】発行日:1984年11月15日編集人:浅田彰+伊藤俊治+四方田犬彦
>発行所:冬樹社
>ロラン・バルト(西野嘉章訳) フォン・グローデン男爵

http://academy2.2ch.net/whis/kako/1003/10033/1003327281.html
>426 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/07/22 00:09
>>>416
>日本語で検索してもほとんど何もなかったから「Gloeden Barthes」で調べたら
http://www.google.com/search?num=30&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Gloeden%81@Barthes&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=
>で写真集はグローデン写真、バルト解説でいまだに売ってる.
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0942642430/criticismcomA/102-1223758-4697728

まあ唐沢俊一の場合、他の人の訳を見ながら、それを恐ろしく劣化コピーしてから発表
というワザを持っていることは、『倫敦千夜一夜』の件で実証済みなんで、そちらの
可能性もある。
http://tondemonai2.web.fc2.com/322.html


802 :無名草子さん:2008/05/04(日) 19:50:47
>>798 の元の文章 (ロラン・バルトが書いた) と思われるもの。

http://themalebeauty.blogspot.com/2007/06/wilhelm-von-gloeden.html
>"He mixes nudity and truth, natural phenomena and essence. These little Greek
>gods have peasants' hands, hardened feet... clearly visible foreskins which are
>unstylized, that is, not slenderized and tapered: our attention is drawn to the fact
>that they are clearly uncircumcised. The baron's photographs are at the same time
>sublime and anatomical" (Roland Barthes).

いやまあ、「(日に焼けた肌がすでにそれっぽくない)」あたりは怪しいなあと思ってたけど。
「わかるのはそれだけだ。つまり、」ってのも何コレ?なような。

803 :無名草子さん:2008/05/04(日) 21:41:21
『GS・たのしい知識 vol.2 特集 POLYSEXUAL~複数の性』は、
部屋のどこかにあるはずなんだけどな・・・
「皮をかむったペニスはふくらんでおり」というフレーズは読んだ記憶がある。

804 :無名草子さん:2008/05/04(日) 21:49:55
>>803
うーん、「ふくらんでおり」というのも、ちょい誤訳っぽい気がするんだけど。
何かこれだと勃起しているみたいで。先細りしていないということを言いたかった
のかもしれないけど、余計なこと付けたしして失敗というパターンでは。

「うす汚れた大きい手には不格好に爪が生え」も書き足し過ぎな気がするんだわ。
直訳の「農民の手」程度ならともかく、爪の形までわかる写真てのはそんなにないような。
「足もすりきれてしかも汚れている」も同様。

まあ画集を買うのが一番かもしれないけど、すでにネット上で見れる写真だけで
お腹いっぱいになってきているし、なあ。

- http://www.geocities.com/WestHollywood/Castro/7935/personaggi/arcady.html
- http://andrejkoymasky.com/liv/glo/glo03.html
- http://andrejkoymasky.com/liv/glo/glo02.html
- http://themalebeauty.blogspot.com/2007/06/wilhelm-von-gloeden.html


805 :803:2008/05/04(日) 22:44:36
>>804
写真集は持ってるよ。
ネット上で観られる画像は、ちょっと粗めだね。
「ペニスはふくらんでおり」「うす汚れた大きい手には不格好に爪が生え、
足もすりきれてしかも汚れている。」「日に焼けた」といった形容は妥当
だと思う。もっとも、モデルが特にうす汚いというより、普通の少年達
なんだけどね。顔は悪くないけど。
少年としては年齢も高めで(モデルの中には幼い子供も中性的な容姿の子も
僅かながらいるけど)リアル少年愛者の眼から見れば、期待するものが過剰
なだけじゃないかな?

806 :無名草子さん:2008/05/04(日) 22:53:55
唐沢は外国語読めないよ。
このスレでそれを揶揄されて、あわててブログに「今、洋書を読んでいる」と書いて見栄を張ったものの、
それがどんな本か書名や著者名すらも書けなかったからな。

809 :無名草子さん:2008/05/04(日) 23:27:32
>>805
うーんと、原文にない形容まで付け加え過ぎな気がしたんだけど。
読者に親切に意訳しましたーという範疇を超えているような。
>>802 が原文だとすると、だけど。

それと、「神話の崇高なソフトイメージ」あたりは何か意味不明だし、
「悪ガキども」「それっぽくない」とかは下品というかくだけ過ぎた口調だし、
誰かまともな人が翻訳したのを忠実に書き写したという感じがしないんだよね……。

810 :805:2008/05/05(月) 00:20:54
>>809
写真集の巻頭にロラン・バルトの文章は掲載されてるけどね。
引用しようにも、該当しそうな箇所だけでも入力が大変だなorz
田舎の悪ガキども」にあたるのは、「Little peasant gigolos」がそれかな?

811 :810:2008/05/05(月) 00:57:44
おーっと!
本棚の奥に手を突っ込んでみたら『GS vol.2』発見!
該当箇所引用するから、ちょっと待っててね。

812 :無名草子さん:2008/05/05(月) 01:04:57
>>810
あ、該当する文章があるということが確実ならば、
真面目に購入を検討するですわ。
……精神的にちょっとキツそうだけど。

815 :無名草子さん:2008/05/05(月) 01:41:09
『GS・たのしい知識 vol.2 特集 POLYSEXUAL~複数の性』
p.274~275掲載
『フォン・グローデン男爵』ロラン・バルト 訳:西野嘉章

 (略) 乾涸びた昆虫の青光りする胸のような暗く沈んだ視線を放つ、
田舎の悪タレども(御存命の方がおりましたら、御勘弁下さい。悪気は
ございません)の日焼けした体とのチグハグぶりが、見ていて楽しくない
というわけではないのだ。

かくして神話の崇高なるソフトなトーン全体は、写真のレアリスムとの
衝突collision(われわれの驚愕ぶり、またおそらくわれわれの歓喜ぶり
を理解してもらうには、この言葉を使わなければならないのだ)に突入
する。なぜなら、このようにして考え出された一枚の写真、それは、
何もかもが見える映像、序列のない、《秩序》(古典的大原則)のない
細部の寄せ集めでないとしたら、一体何なのだろうか。これらのかわい
らしいギリシアの神々(浅黒い膚がすでに異議を唱えている)のうす
汚れたゴツイ手には不格好に爪がはえ、足もすりきれて汚い。丸見えの
包皮は膨らんでおり、〔ギリシア彫刻のようには〕様式化されていない。
つまり、先の尖った小さな形にはなっていない、割礼は受けていない、
わかるのはそれだけだ。つまるところ男爵の写真は崇高であると同時に
解剖学的なのである。

(※ 引用部分2節目第5行の「何もかもが見える」の部分には、原文では
傍点が付けられている)
写真集掲載の英文(原文は仏文だろうが)も、要望があれば引用する
つもり。さすがに今晩はしんどいので、日を改めて。

817 :無名草子さん:2008/05/05(月) 01:49:39
ちょっと訂正orz

引用部分2節目第3~4行
× に突入する。なぜなら、
○ に突入する、なぜなら、

818 :無名草子さん:2008/05/05(月) 02:00:49
>>815
うわ、ありがと。
やっぱり >>798 はパクリ+劣化コピーだなあ、これは。
で、「哲学者のロラン・バルトはこのグローデン男爵のモデルたちが嫌いだったようで」
というのはもう、ガセにカウントしてもよさそうな。

819 :815:2008/05/05(月) 02:21:02
ロラン・バルトは引用箇所の前で、グローデンの過剰なまでの神話的な
演出について触れ、しかし彼は「それをアフリカ的肉体でいっぱいにする」
と書いてるんだよね。
で、「多分正しいのは彼の方だ、古代風のドレープはアラブ人たちの間
にしかはっきり見られないと、画家ドラクロワも言っていた」(訳:西野
嘉章)と続けている。
続く引用箇所で(略)とした部分は、「ともかく、ギリシア版古代の
こうした文学むき七つ道具一揃いと、」となっている。

820 :無名草子さん:2008/05/05(月) 02:30:30
>>819
文学向き七つ道具というのは、ここら辺の話かしら。(ハズしていたらごめん)

>Roland Barthes is quite correct in observing that von Gloeden has taken "the antique
>codex, hyperbolized it, applied it in inspissate layer (ephebi, shepherds, ivy, palm
>branches, olive trees, grape vines, togas, columns, stone slabs), but, (the first distortion)
>he mixes the antique symbols, lumps together the Greek vegetation cult, Roman figurine
> sculptures, and the 'classical nude' which stems from the Ecole des Beaux Arts."'

823 :819:2008/05/05(月) 02:58:55
>>820
それで合ってるよ。
ロラン・バルトは、それを「手垢まみれの神話」(worn-out legend)と
表現している。

824 :無名草子さん:2008/05/05(月) 04:54:18
>>818
>やっぱり >>798 はパクリ+劣化コピーだなあ、これは。

同じ原文を訳して参考にした(引用した)のなら似通っているのは当然なので
「パクリ+劣化コピー」というためには、なにか根拠が必要。
ここまでの洗い出しを見てもなぜ「パクリ+劣化コピー」といえるのかわからんので
解説頼む。

唐沢が原文を読んだはずはない or 独力で訳せるはずがない、というのが根拠なら、
唐沢の語学力のなさを示す傍証を添える必要がある。
(唐沢がバルトを原文で読んだとは思えないし、このスレ内では「唐沢は語学が全然ダメ」
というのはすでに共通認識化していると思うが、パクリ事例としてカウントするなら慎重にいきたい。)

825 :818じゃなくて823だけど:2008/05/05(月) 05:32:59
>>824
日本語とは表現も語順も違う言語を別々の人が訳して、こんなに似通った文になるわけが
ないと思うよ。
「乾涸びた昆虫の青光りする胸のような暗く沈んだ視線を放つ…」の部分だけでも、別の
人が訳せば、かなり違った日本語表現になるはず。

似ている部分だけでなく、違っている部分も問題。
唐沢の文は、西野訳を原型に、適当に言い回し等を改変したものとしか思えないんだが。
(つまり、例の件と同じ手法w)

まあ、近いうちに英文(西野氏の文はフランス語からの訳だろうが)も引用してあげる
から、じっくり検証してもらおうか。

826 :無名草子さん:2008/05/05(月) 06:01:40
>>825
それはまったく独自に訳した場合でしょう。
先行訳を参考にするのは反則でもパクリでもないので、似ているだけでパクリというのは危険だよ。

(書評対象さえまともに読まずに書評を書く唐沢が、わざわざ英文か仏文からバルトを訳出して
一行知識を書いたとはとうてい思えないが。)

827 :無名草子さん:2008/05/05(月) 06:14:11
>>826
両者を比較すると「先行訳を参考」なんてレベルじゃないと思うが。
西野氏との訳と違う部分で、唐沢が英文か仏文にあたっていないから劣化したと
思われる箇所もあるんだが、もう少しちゃんと検証してみないと。

連休に入って調子にのりすぎたか、パソコンに向かっているうちに夜が明けて
しまった。
そろそろ寝ることにしよう。続きはまた今夜あたり・・・


828 :無名草子さん:2008/05/05(月) 06:16:35
訂正orz

× 西野氏との訳と違う部分で
○ 西野氏の訳と違う部分で

829 :827:2008/05/05(月) 06:58:45
寝る前に、もう一つだけ。
仮に唐沢が西野訳を参考にしつつ新たに訳したと言うなら、参考にさせていただいた旨
明記すべき。
あるいは、あれだけ似通った文章になった以上、自力で訳せなかったことを認め、
出典を明記した上で、素直に西野訳そのままの引用に切り替えるべき。
引用の要件を満たしていれば、まったく問題はないはずだ。
漫棚さんとの件といい、唐沢は他人の苦心の成果に対する最低限の敬意という
ものが完全に欠けている。

830 :無名草子さん:2008/05/05(月) 08:00:22
>>829
>仮に唐沢が西野訳を参考にしつつ新たに訳したと言うなら、参考にさせていただいた旨
>明記すべき。

唐沢が、「西野訳を参考にしつつ新たに訳した」と言うとは思えないが。

831 :無名草子さん:2008/05/05(月) 11:00:43
話を振っておきながら先に寝てしまった。スマソ。

>>829 に付け加えることはあまりないけど、>>826

>先行訳を参考にするのは反則でもパクリでもないので、似ているだけでパクリというのは危険だよ。

「先行訳を参考」にしたものが、その先行した文章と酷似しているにもかかわらず、
先行訳について何も触れないというのは立派なパクリでしょう。
それはパクリじゃない OK だ、ということにしてしまうと、他人の翻訳を部分的に
変更しただけ(それも、唐沢俊一が漫棚通信のコラムを盗用したときのアレと同程度の
ちょっとした変更)のものを、自分がいちから訳したものであるかのように発表しても
かまわないということになる。

832 :無名草子さん:2008/05/05(月) 11:58:43
漫棚通信からのパクリ、六〇年代のハルマゲドンからのパクリ、塩サバ通信からのパクリ
等々は、
被害者の文と唐沢の文を2つ並べるだけで酷似ぶりがわかる。これだけ酷似していれば
偶然とはいえないパクリだろうともいえる。
しかし翻訳の場合はもう一手間必要でしょう。
パクリというためには原文と参考用に機械翻訳的な直訳も添えて、別人が訳したらここまで同じ翻訳文に
なるはずがない、ということを示さないと。

いま出ている分だけでもパクリ臭ぷんぷんしてるけどね。
例えば、仮に唐沢が英文を訳したとすると「sublime」をどういう根拠で「神話的」にしますか?とか。
ただ、そういうツッコミは仏文が出てきてからのがいいよね。
焦る必要はない。

833 :無名草子さん:2008/05/05(月) 12:22:22
ああ、別に焦っているつもりはないし、原文を待ちましょうというのに
異を唱えるつもりもないです。

ちょっと危惧していたのは、同じ文章の翻訳だから似ているのは当然、
先行訳を参考にするのは皆やっていることでパクリじゃない、って
話になったらイヤかなあと。

漫棚通信からの盗用のときも、唐沢俊一本人および擁護ちゃんが、
同じ本のあらすじ紹介だから似ていて当然、似ているからって
パクリとは言えないみたいな方向で、頑張っていた時期もあったしね。

834 :無名草子さん:2008/05/05(月) 12:30:38
>>832
>原文と参考用に機械翻訳的な直訳も添えて

ちなみに、>>802 を機械翻訳にかけると、こうなる。
-------
彼は裸、真実、自然現象、および本質を混ぜます。 これらの小さいギリシャ神には、農民の手が
あります、硬くなった足… 明確に非様式化される目に見える包皮であり、それは細長くされて、
先細りするのではなく、います: 私たちの留意はそれらが明確に「非-割礼を施」されるという
事実に引きつけられます。 男爵の写真は、同じ時間の崇高さにあって、解剖学的です。
-------

871 :829:2008/05/05(月) 22:14:06
英文引用の前に

>>798の唐沢の文を読むと、ロラン・バルトはグローデン作品を(同性愛的嗜好
から)内心気に入りつつモデルの容貌に不満を漏らし、後から言い訳をしながら
評価の意を示していることになっているが・・・

最初に引用されている「田舎の悪ガキども」云々は、「文学むき七つ道具一揃い」
との対比にこそ意味があるのに、唐沢はその部分は完全に無視している。
また、続く唐沢による引用(神話の崇高なソフトイメージは…)では、最初の引用
箇所との間の文章が、あっさりスルーされているが、スルーされた部分こそが、
このバルトの文章の主題に関わる重要な部分なのだ。そこには、

>その上、フォン・グローデンの写真は、演出(ポーズと設定)の面で《芸術的》
>なのであって、けっして技術的な面でそうだというわけではない(ソフトな
>トーンも念入りな照明もほとんどない)。肉体がそこにある、ただそれだけだ。
>そしてその中で裸体性と真実、現象と実体が融合し合っている。(訳:西野嘉章)

と書かれている(一部引用)。

バルトの興味の中心は、グローデン作品における過剰なまでの神話的舞台設定と
俗悪とも言える現実的肉体とのちぐはぐさであり(バルトはh師屍ologies=ごった
煮と呼んでいる)、それが生み出す怪物的な魅力だ。それは文章全体を通して一貫
している。
どうも唐沢は、三島由紀夫のエッセイの件(これも検証の途中だが)についても言え
ることだが、文章を断片的にしか読めず、結果的に「前後の文の繋がりを見落とす」
「作品の主題を読み解けない」で終わるという傾向があるように思えるのだが。

872 :無名草子さん:2008/05/05(月) 22:17:01
>>871
くどい

873 :無名草子さん:2008/05/05(月) 22:23:12
>>872
妨害乙w

874 :871:2008/05/05(月) 22:31:07
あ・・・やっぱり文字化けした。
>>871で「h師屍ologies」となっているのは、原文では「heterologies」で、
但しすべての「e」にアキュートアクセントが付いている。

885 :無名草子さん:2008/05/06(火) 00:18:35
さあ、ロラン・バルトの文章の英文版を引用させてもらう。
あくまで唐沢による引用の該当箇所のみ。
但し、変なところで文章を切ると意味が通らなくなるので、前後の文が余分に
くっついている箇所もある。
一応、校正はしたつもりだが・・・

It hardly matters ─ the result is a delicious contradiction of all
the literary baggage from a Greek version of Antiquity, peopled
with little peasant gigolos' dark bodies (if any of von Gloeden's
models are still living, I beg their pardon; this is not intended as
an insult) wearing expressions as heavy as the blue from luminous
corselets of burned insects.

The sublime soft focus of legend collides (this word is necessary
to describe our astonishment and also, perhaps, our joy) with
photographic realism, because what is a photograph thus conceived,
if not an image where everything is seen, a collection of details
without hierarchy and without the Classical concept of unity. These
little Greek gods (already a contradiction because of their dark color)
have peasants' hands, somewhat dirty, with large, misshapen nails;
hardened feet, not very clean; and swollen, clearly visible foreskins,
which are unstylized, that is, not slenderized and tapered: our
attention is drawn to the fact these figures are clearly uncircumcised.
The baron's photographs are at the same time sublime and anatomical.

886 :無名草子さん:2008/05/06(火) 00:46:11
>>885 乙!

888 :無名草子さん:2008/05/06(火) 00:51:59
とりあえず、>>885 を excite 翻訳にかけると、こうなる。
-------
それはほとんど重要ではありません。─ 結果は燃えた昆虫の発光しているコー
スレットから青と同じくらい重い表現を着ながら小さい農民のジゴロの暗い身体
(フォンGloedenのモデルのどれかがまだ生きているなら、私は彼らの許しを請い
ます; これは侮辱として意図しない)で満たされたAntiquityのギリシアのバージ
ョンからのすべての文学手荷物の美味しい矛盾です。

伝説の高尚な柔らかい焦点は写真リアリズムに衝突します(この単語が私たちの驚き
と恐らくまた、私たちの喜びについて説明するのに必要です)、その結果、写真であ
ることは想像しました、すべてが見られるイメージでないなら、階層構造のはない
統一のClassical概念のない詳細の収集。 これらの小さいギリシャ神(彼らの暗い色
による既に矛盾)には、農民の手があります、いくらか汚いです、大きくて、歪な釘
で。
硬くなった足で、非常に清潔でない。 そして、膨らんで、明確に目に見える包皮で
あり、それは細長くされて、先細りするのではなく、います:(包皮は非様式化され
ます)。 私たちの留意はこれらの数字が明確に「非-割礼を施」されるという事実に
引きつけられます。
男爵の写真は、同じ時間の崇高さにあって、解剖学的です。

891 :885:2008/05/06(火) 02:05:44
さすがに今晩は早めに寝かせてもらうが、現時点で気付いている
点(未整理and間違っているかも?)を少しだけ書いてみる。

「衝突」という言葉に続く()内の説明が唐沢の文では、()で
括らずに「この “衝突”という言葉には、見ている我われの驚きと
喜びがひとつになって含まれている」と表現している。これは、
西野訳との違いを出すために、無理に改変したものではないか?

「わかるのはそれだけだ」という語は、写真のモデル達が割礼を
施されていないという事実を指すものと思われるが、(もう少し
よく読んでみないと断言はできないが)それが唐沢には読めて
おらず、「丸見えの包皮は」「割礼は受けていない」(西野訳)を
「皮をかむったペニスは」にまとめてしまったのではないか?
そのため、「わかるのはそれだけだ」が意味不明になってしまって
いる。

英文には(おそらく仏文にも)「包皮」という言葉は出てくるが
唐沢の書いている「ペニス」という言葉は出てこない。

892 :無名草子さん:2008/05/06(火) 02:44:37
もう来なくていいけど。

893 :無名草子さん:2008/05/06(火) 03:02:57
>>892
おまえが来るな!

894 :無名草子さん:2008/05/06(火) 03:18:51
>>888 をベースにした素人の直訳風。
一段落目の最後は自信がない。「なぜなら」以降はもっと自信がない。
-------
それはほとんど重要ではありません。─ 結果は、燃えた昆虫の胸甲が反射する青と同じ
くらい重い表情を見せる、小さな農民のジゴロの色黒の身体 (フォン・グローデンのモデル
で存命の方がいるなら、私は彼らにお詫びします。これは侮辱を意図したものではないの
です) で満たされた、古代のギリシア版からのすべての文学の手荷物の、非常に快い
矛盾です。

神話の崇高なソフトフォーカスは写真のリアリズムに衝突 (この単語は私たちの驚き、
そして、おそらく私たちの歓喜をも説明するのに必要です) します。なぜなら、このように
して発想された写真は、すべてを見ることができる画像でなければ、階層もなく古典的
な統一の概念もない細部の集合だからです。
これらの小さいギリシャ神 (彼らの色黒さのために既に矛盾) のもつ農民の手は、
いくらか汚れていて、大きく、爪の形はいびつです。 硬くなっている足は、非常に清潔とは
言えません。そして、膨らんでいて、はっきりと目に見える包皮は、様式化されていません。
細長くもなっていないし、先細りした形にもなっていないのです。私たちの注意は、これら
の形は、明らかに割礼を施されていないという事実に引きつけられます。
男爵の写真は、崇高であると同時に解剖学的なのです。

895 :無名草子さん:2008/05/06(火) 03:36:34
まあ、>>798 の前半の要約はデタラメと言ってよいでしょう。
(if any of von Gloeden's models are still living, I beg their pardon; this is not intended
as an insult) の部分を意図してすっ飛ばしているんだから、捏造とも言える。
little peasant gigolos' dark bodies とかはちょっとヒドい言い方かもしれないが、
「ロラン・バルトはこのグローデン男爵のモデルたちが嫌いだったようで、」は違うだろと思うし、

>しかしそれでもやはり、グローデン男爵の
>写真は気にいっていたのだろう。
>「とはいえ、見ていて楽しくないわけではない」
> と、本音ももらしている。インテリというのは素直でないものだ。

って別にロラン・バルトはツンデレな文章を書いていないぞと。

896 :無名草子さん:2008/05/06(火) 04:05:59
>>891
"that is, not slenderized and tapered: our attention is drawn to the fact these
figures are clearly uncircumcised. " の部分を、>>815 の西野訳では
「つまり、先の尖った小さな形にはなっていない、割礼は受けていない、
わかるのはそれだけだ。」にしているのよね?
「わかるのはそれだけだ。」の前は読点であって句点でない。「つまり~それだけだ。」
までは 1 つの文。

>>798 に引用した唐沢の文章では、「わかるのはそれだけだ。」で段落を変えている。
(改行が入って 1 文字字下げなのは、原文の通り)。
なので、「それ」のさす範囲が、何だか「神話の~」以降全体をさすようにも思える。


結構腹が立ったのは、>>815 の西野訳にある「〔ギリシア彫刻のようには〕」って、
これ訳注じゃないか。これをいただいて、地の文に紛れ込ませているのが >>798。

> その丸見えの、皮をかむったペニスはふくらんでおり、ギリシアの彫像
>のように、さきの尖った小さな形に様式化されていない。

こういうパクリ方をしておいて、西野訳を参考にしたという事実をふせるんだからなあ。
もっとも、「皮をかむったペニスはふくらんでおり」とか誤訳レベルに改悪してもいるから、
名前を出されたらかえって迷惑という可能性もあるが。


897 :無名草子さん:2008/05/06(火) 04:46:15
>>896
>こういうパクリ方をしておいて、西野訳を参考にしたという事実をふせるんだからなあ。

パクリか否かの検証を進めているのかと思っていたのだが
一晩で「パクリ」と結論が出ていたようで。
「西野訳を参考にした」というのはスレ住人の推測・仮定であって
まだ「事実」ではないのだと思っていた。
さかのぼっても見当たらないので、どこで「パクリ」と結論が出て、
どこで「西野訳を参考にしたという事実」が確定したのかレス番号を教えてほしい。

898 :無名草子さん:2008/05/06(火) 06:44:37
>>897
横レス失礼
ですから>>896氏が検証した結果、得た結論なのです
>>896の第三パラグラフ

>結構腹が立ったのは、>>815 の西野訳にある「〔ギリシア彫刻のようには〕」って、
>これ訳注じゃないか。これをいただいて、地の文に紛れ込ませているのが >>798。

これが決定的証拠、ということで御理解いただけますね

899 :無名草子さん:2008/05/06(火) 07:07:30
なんか面倒くさい話になっている

900 :無名草子さん:2008/05/06(火) 07:19:09
いきなり訳注と言われても。
話についていけん。

902 :無名草子さん:2008/05/06(火) 11:14:05
素人訳だけど、“the result is a delicious contradiction”は
「結果的に非常に楽しいものになっていることは否定できない」とも
訳せるね。
唐沢が、

>「とはいえ、見ていて楽しくないわけではない」
>と、本音ももらしている。インテリというのは素直でないものだ。

と書いているのは、訳文の雰囲気から受けた印象じゃないかな?
それに、バルトが「見ていて楽しくないわけではない」と言っているのは
「ギリシア版古代のこうした文学むき七つ道具一揃い(西野訳)」と
モデルの肉体(西野訳:田舎の悪タレども)とのギャップについて。
一旦モデルの容姿を酷評しておいて、後から言い訳がましく評価できる
要素を挙げているわけではないのだ。

910 :無名草子さん:2008/05/06(火) 12:53:42
>>900
>>885 のロラン・バルトの文章の英文版
> These little Greek gods (already a contradiction because of their dark color)
> have peasants' hands, somewhat dirty, with large, misshapen nails;
> hardened feet, not very clean; and swollen, clearly visible foreskins,
> which are unstylized, that is, not slenderized and tapered: our
> attention is drawn to the fact these figures are clearly uncircumcised.

>>815 の西野訳
>これらのかわいらしいギリシアの神々(浅黒い膚がすでに異議を唱えている)の
>うす汚れたゴツイ手には不格好に爪がはえ、足もすりきれて汚い。丸見えの
>包皮は膨らんでおり、〔ギリシア彫刻のようには〕様式化されていない。
>つまり、先の尖った小さな形にはなっていない、割礼は受けていない、
>わかるのはそれだけだ。

>>798 の唐沢の文章 (『トンデモ一行知識の世界』の P.138)
>この写真の中のかわいらしいギリシャの神々(日に焼けた肌がすでにそれっぽくない)
>のうす汚れた大きい手には不格好に爪が生え、足もすりきれてしかも汚れている。
> その丸見えの、皮をかむったペニスはふくらんでおり、ギリシアの彫像のように、
>さきの尖った小さな形に様式化されていない。
> わかるのはそれだけだ。

>>894 の自動翻訳をベースにした直訳風 (by 素人)
>これらの小さいギリシャ神 (彼らの色黒さのために既に矛盾) のもつ農民の手は、
>いくらか汚れていて、大きく、爪の形はいびつです。 硬くなっている足は、非常に清潔
>とは言えません。そして、膨らんでいて、はっきりと目に見える包皮は、様式化されて
>いません。細長くもなっていないし、先細りした形にもなっていないのです。私たちの
>注意は、これらの形は、明らかに割礼を施されていないという事実に引きつけられます。

912 :無名草子さん:2008/05/06(火) 12:54:35
>>910 続き
>>815 の西野訳にある、「〔ギリシア彫刻のようには〕」は原文にはない、訳者による注
だろうということ。だから 〔〕 で囲っているんだと思う。親切な訳注だと思うから取り入れる
のはよいことだと思うけど、西野嘉章氏の翻訳を参考にしましたの一言もなく、それをやる
ってことが……。さらに唐沢は、バルトの元の文章に存在していたかのように改悪しているし。

916 :無名草子さん:2008/05/06(火) 13:46:43
>>895
>の部分を意図してすっ飛ばしているんだから、

意図的というより、文意が理解できてないから「そこが抜けると意味が
通らなくなるのに」といった部分を平気で無視するんじゃないかなあ?
最初の引用の後、重要な文章をスルーして「この写真の中のかわいらしい
ギリシャの神々~」の引用に進むのも、ロラン・バルトの写真論の本質
よりも、モデルの外見の直接描写に目をとられているからかも。
もっとも、唐沢は『トンデモ一行知識の世界』でバルトの写真論そのもの
について語りたいわけじゃないだろうが。

928 :無名草子さん:2008/05/06(火) 16:45:01
西野訳の、唐沢によって分断されてしまった部分を復元しておこう。

>ともかく、ギリシア版古代の こうした文学むき七つ道具一揃いと、乾涸びた
>昆虫の青光りする胸のような暗く沈んだ視線を放つ、 田舎の悪タレども
>(御存命の方がおりましたら、御勘弁下さい。悪気は ございません)の
>日焼けした体とのチグハグぶりが、見ていて楽しくないというわけでは
>ないのだ。

ロラン・バルトは上記引用箇所の前に、>>820にあるような「文学むき七つ
道具」とモデルの肉体とのギャップについて言及し、しかしそのギャップは
「見ていて楽しいものであることは否定できない」と言っているのだ。
唐沢の言う「と、本音ももらしている。インテリというのは素直でないものだ」
からは、同性愛者の立場から関心を示しつつ後から遠回しに支持しているように
読める。誤読というものだろう。

934 :無名草子さん:2008/05/06(火) 18:18:54
『トンデモ一行知識の世界』 P.138
-------
 そういえば、我われも、マンガなどの中の美少年のイメージばかりを追って
いると、毛ズネもニキビもある現実の美少年にちょっと違和感を感じる。しかし、
そこから一歩進むと、今度は、そういう、いかにも人間らしい部分を美少年な
のに持っている、ということが、むちゃくちゃなセックス・アピールになったり
する。バルトはグローデン男爵のモデルの少年たちに、そのような感触を感
じたのではあるまいか。
-------
他人様の翻訳のパクリと劣化コピーやガセで綴った美少年写真集についてだが、
一番トンデモないのは、このまとめの文章かもしれないや。
「マンガなどの中の美少年のイメージ」を追うのも、現実の美少年の「毛ズネもニキビ」も
「むちゃくちゃなセックス・アピール」とのたまうのも勝手だが、それを「我われも」を
主語として語るのは止めろw いやマジで結構気持ち悪いんですけど、この「我われ」。

948 :無名草子さん:2008/05/06(火) 23:36:39
ロラン・バルトの著作って、結構ちくま学芸文庫にはいってるんだな。
この、フォン・グローデンについて書かれた文章も、どれかに収録されてないだろうか?
西野氏の訳とは別の訳だと、どんななんだろう?
(まあ、比較するまでもなく唐沢のパクリの事実は明らかだが)

それから「裏モノ日記」で唐沢は、バルトの日本論をトンデモ扱いしているけど、
実際に読んでみるとどうだろう?
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480083074/

950 :無名草子さん:2008/05/06(火) 23:44:09
>>948
> (まあ、比較するまでもなく唐沢のパクリの事実は明らかだが)
検証するまでもなく、ってやっぱり検証はした方がいいんじゃないでしょうか?
超能力で分かるとしたらごめんなさい。

952 :無名草子さん:2008/05/06(火) 23:54:32
>>948
>(まあ、比較するまでもなく唐沢のパクリの事実は明らかだが)

そうかなあ・・・
原文(英文)には無い西野訳の訳注部分が唐沢の「引用」の中にある、
というのは大きな根拠になるが、他にはパクリの証拠といえるものはなにも出てないのでは?
訳注の一点だけでもう検証は必要ない、パクリ断定というのは危なっかしい。

953 :無名草子さん:2008/05/07(水) 00:03:01
>>952
>他にはパクリの証拠といえるものはなにも出てないのでは?
過去の書き込みを読めば、結構出てるのでは?

グローデンについての文章が収録されている可能性があるものとしては
バルトの遺作にあたる『明るい部屋―写真につい ての覚書』あたりか?

↓直接関係ないが参考までに、松岡正剛氏の語るロラン・バルト
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0714.html

954 :無名草子さん:2008/05/07(水) 00:12:14
>>952
訳注の一点だけではないよ。>>910 などで訳文を並べただけでは不足というなら、
また後で箇条書き形式にでもして列挙するけど、まあ >>910 の中だけでも
「足もすりきれて汚い」「わかるのはそれだけだ」の一致という問題もある。

hardened feet は直訳すれば「硬化した足」「たくましい足」とかで、誰が訳しても
「すりきれた足」にはならないはず。our attention is drawn to the fact あたりが
「わかるのはそれだけだ」になるかというのも同様。


後は、唐沢の「ひからびた昆虫の青光りする腹の部分のような、暗く沈んだ視線を放つ」(>>798) と
西の訳の「乾涸びた昆虫の青光りする胸のような暗く沈んだ視線を放つ」だな。
wearing expressions as heavy as the blue from luminous corselets of burned insects. の
の wearing expressions as heavy as the blue は、誰が訳しても「暗く沈んだ視線を放つ」に
なるようなもんではないはず。直訳というか、辞書を引き引き訳したら「重い表情を見せる」
あたり。wearing expressions が常に「視線を放つ」になるかよ、って話で。

955 :無名草子さん:2008/05/07(水) 00:15:53
>>950
「検証するまでもなく」と書いたのは、別の訳文と比較するまでもないってこと。
唐沢の文と西野氏の訳文との比較は上の方でもやっているし、更に検証を進めるのもいいだろう。
また、別の訳文との比較(別の訳文が存在すればだが)も興味深いことでもあるし、
試みる価値については否定しない。

956 :無名草子さん:2008/05/07(水) 00:17:34
>>954の
>誰が訳しても 「すりきれた足」にはならないはず。

は紛らわしいすねスマソ。

誰が訳しても 「すりきれた足」にはなるものではないはず。

と言いたかったです。
実は翻訳のプロの人らにとっては慣用句というなら別だけど。
(なのに辞書に載っていないというのは、あんまなさそうと思っているが)。

957 :無名草子さん:2008/05/07(水) 00:28:33
バルトの原文はフランス語だということは一応念頭に置いたほうがいいけどね。仏文のテキストが発見できても、ここに書き込むと激しく文字化けするけど。

958 :無名草子さん:2008/05/07(水) 00:38:21
西野訳とは別の翻訳があって、それこそが唐沢のパクリ元で一字一句完全に同じ!

なんて可能性もあるわけで。


959 :無名草子さん:2008/05/07(水) 00:43:25
>>958
その場合、その「西野訳とは別の翻訳」が西野訳をパクったんだろうから
あんまり問題ない。
引用元を書かなかった唐沢俊一が、パクったのは西野訳じゃないやいと
後から言い募っても、パクリはパクリで自業自得ということで。

960 :無名草子さん:2008/05/07(水) 01:01:26
>>959
別の翻訳を西野訳がパクっていた、ということも考えられるね。

その場合も「唐沢はパクリ」という結論部分は不変だが、
ここで展開された西野訳に関する検討は全部いらない子だったってことになるw

961 :無名草子さん:2008/05/07(水) 01:08:32
>>960
>全部いらない子だったってことになる

ならないならない。その「別の翻訳」と唐沢の文章の酷似ぶりは、
上の検討で指摘されたようなものとほぼ同様になるだろうから。


963 :無名草子さん:2008/05/07(水) 01:56:58
>>960
西野訳と別の翻訳があり、それと唐沢の文が完全同一なら結論は違ったものになる。
パクリではなく不適切な引用(引用である旨も引用元も明示していない)ということに。

漫棚通信や「六〇年代のハルマゲドン」のケースは、こまごまと文章を改変していたので
引用のつもりが引用元表示をうっかり入れ忘れたという言い訳ができなかったが
(それでも唐沢は「引用ミス」と言い張っていたが)、
一字一句同じ訳文があるなら、引用元表示を入れ忘れたと言い訳する余地は残る。
まあ、そんな訳文が存在するとはとても思えないけどね。

964 :無名草子さん:2008/05/07(水) 02:00:49
>>960
>別の翻訳を西野訳がパクっていた、ということも考えられるね。

そんな悪質なパクリが、そこらじゅうにゴロゴロしてるとは思えんが。
唐沢のパクリが酷すぎて、感覚が麻痺してるなw

966 :無名草子さん:2008/05/07(水) 02:08:59
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/people/faculty_nishino.html
↑西野嘉章氏 略歴

ああ・・・『装釘考』も、この人の著書だったか!
あけは、いい本だったな。

967 :966:2008/05/07(水) 02:12:29
訂正(´・ω・`)

× あけは、いい本だったな。
○ あれは、いい本だったな。

968 :無名草子さん:2008/05/07(水) 02:20:54
Wikipedia:西野嘉章
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E5%98%89%E7%AB%A0

>西野 嘉章(にしの よしあき、1952年1月 - )は、文化財科学、博物館工学、
>美術史を専攻する学者、東京大学総合研究博物館教授。

>1979年東大文学部美術史専攻卒業、1982年同大学院博士課程中退、1984年
>弘前大学専任講師、1986年助教授、1993年「十五世紀プロヴァンス絵画研究
>祭壇画の図像プログラムをめぐる一試論」で東京大学文学博士。1994年渋沢・
>クローデル賞受賞、東大総合研究資料館助教授、1996年総合研究博物館と改称、
>1998年教授。

969 :無名草子さん:2008/05/07(水) 02:48:39
>>963
言いたいことはわかるが、

>一字一句同じ訳文があるなら、引用元表示を入れ忘れたと言い訳する余地は残る。

そもそも、それだとしても、言い訳にはならないんだよね。
一字一句同じ場合でも、パクリはパクリで、盗用は盗用。

漫棚通信からのパクリで「引用元表示を入れ忘れたと言い訳」した唐沢の言葉は
嘘だったというのは部分的な改竄ありってことで判明しているけど、
「引用元表示を入れ忘れた」がじゃあ本当だったら、言い訳として成立してたのかよ
って問題とはまた別。

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1210096847/
24 :無名草子さん:2008/05/07(水) 22:49:41
前スレで予告した、ロラン・バルト『美術論集』(沢崎浩平訳 みすず書房
1986年・第1刷発行)より、『ヴィルヘルム・フォン・グローデン』の
一部を引用。
沢崎浩平氏(故人)は、ロラン・バルトの翻訳では有名な人らしい。

最初は『トンデモ一行知識の世界』中の該当部分のみ引用しようと思ったが、
省いてしまっては意味が通らなくなりそうな箇所は多めに追加しておいた。

>にもかかわらず、このようなギリシャ版文学的「古代」一式と、焼け焦げた
>昆虫の胸の光沢ある青にも似て、暗く、重たい眼をした、農村出の囲われ男
>(まだ存在するなら、お許し頂きたい。これは蔑称ではない)の黒い身体との
>矛盾は快いのである。

 (略)

>しかも、フォン・グローデンの写真が《芸術的》であるのは、演出(ポーズ、
>背景)によるのであって、撮影技術によるのでは全然ない。ぼかしや凝った
>照明はほとんどない。身体があるのみだ。彼においては、裸身と真実、現象と
>本質が入り混じっている。男爵の写真は冷酷なジャンルに属する。(続く)

※上記最終行の「冷酷な」には、原文では傍点が付く

25 :24:2008/05/07(水) 22:50:41
>(続き)伝説の崇高なぼかしは、こうして、写真のレアリスムと全面的に衝突
>する(われわれの驚愕と、おそらく、われわれの歓喜とを説明するために、この
>衝突という語が必要なのだ)。というのは、このように考えられた写真は、
>あらゆるものが見える映像でないとしたら、上下関係のない、《秩序》(古典
>主義の大原則)のない細部の集まりでないとしたら、何者でもないからである。
>だから、これら小柄なギリシャの神々(すでにその黒い肌によって矛盾している)
>の足は、太い爪をよく切っていないし、少し汚れており、田舎者風である。
>足はあまり清潔でなく、すり切れている。はっきりと見える包皮はふくらんで
>おり、もはや様式化されていない。小さく、ほっそりとしていない。割礼を
>受けていないからである。こういうことしか見えない。男爵の写真は崇高である
>と同時に、解剖学的なのである。

※4行目の「あらゆるものが見える」には、原文では傍点が付く

26 :24・25:2008/05/07(水) 23:10:21
西野訳で“gigolos”を「悪タレども」と訳していることに違和感を感じていたが、
フランス語の「ジゴロ」は、「ヒモ」「若いつばめ」だけでなく、「不良」という
意味合いで使われることもあるそう。
http://zokugo-dict.com/12si/jigolo.htm

原文のニュアンスにより近くなるよう意訳をしているようだ。
(日本語の「彼は○○の太鼓持ちだ」を英語に直訳しても欧米人には通じないのと
同じだろう)
沢崎訳の「囲われ男」は直訳に近いが、「ジゴロ」「ヒモ」としなかったのは言葉の
ニュアンスに幅を持たせたかったのかもしれない。

27 :無名草子さん:2008/05/08(木) 01:19:18
>>26 乙です。
>フランス語の「ジゴロ」は、「ヒモ」「若いつばめ」だけでなく、「不良」という
>意味合いで使われることもあるそう。

へえ。でも、何か、沢崎訳の「囲われ男」の方が好きだなあ。
お貴族様の趣味で、金貰ってヌードモデルになっているという先入観があるせいか。

28 :26:2008/05/08(木) 01:41:14
↓読点を入れた方がよかったね。
 どうでもいいことだけどw

× 原文のニュアンスにより近くなるよう意訳をしているようだ。

○ 原文のニュアンスに、より近くなるよう意訳をしているようだ。



   
 
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