トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/3/9  2:52

アンニュイで地下ルートな美少年だってさ  『トンデモ一行知識の世界』間違い探し編

『トンデモ一行知識の世界』 P.136
 ギリシアの中でも、特に同性愛の盛んだったのはクレタ島であった。
〈略〉
 十九世紀末、この光景のまぼろしに魅せられた貴族がいた。その名を
フォン・グローデン男爵。プロシア貴族だった彼は クレタ島に土地を買って
優雅な別荘を建て、そこで趣味の写真撮影(当時としては最先端の趣味)
に没頭したが、彼がもっとも好んだのは、古代の神殿跡などにたたずむ、
ギリシアの神々の扮装をした美少年だった。
〈略〉
 全裸の上にローブなどをまとったり、また月桂樹の冠をかぶったりして、
アンニュイなポーズをとる少年たちのその写真は、男爵の死後、まとめ
られて本になったが、エロ写真として長いこと発禁状態にあった。しかし、
それ故にこの写真群は幻の少年愛写真として話題になり、地下ルートで
ひそかに愛好され続けていた。一般の書店で売られるようになったのは
つい最近のことである。

×クレタ ○シチリア (のタオルミナ)

どうして、ヴィルヘルム・フォン・グローデン男爵ではなく「フォン・グローデン男爵」と
表記しているのか、「一般の書店で売られるようになった」と書いておいて、写真集の
名前『 Taormina 』を伏せているのかは不明。写真の大部分が焼却されたこともスルー。

シチリアに移住したのは病気療養のためだそうで、写真を撮るようになったのも移住後、
従兄弟の影響を受けてとのことだが、唐沢俊一の文章だと、最初から狙って移住したか
のように読めてしまう気が。

http://ja.wikipedia.org/wiki/少年愛写真集
>古代ギリシアの崇拝者で、男色家でもあったヴィルヘルム・フォン・グローデン男爵
>(Baron Wilhelm von Gloeden)が、シチリアの少年をモデルとして撮影した多数の
>「少年愛写真」が著名である。フォン・グローデンは、少年の衣装や道具を工夫して、
>古代ギリシアかローマ時代を想起させる情景を造り出した。全裸の少年の写真もあり、
>3,000枚近い数のものがあったが、ファシスト党の擡頭で、大部分は焼却された。
>フォン・グローデンは、シチリアのタオルミナで写真を多く撮影した。『 Taormina 』と
>題された写真集が出版されている。


http://www.gallery-naruyama.com/exibition/gloden.html
>十九世紀半ばドイツはバルト海沿岸のウィスマルに生まれたウィルヘルム・フォン・
>グローデン男爵は、病気療養のために移住したシチリアで性愛の古代ギリシアを
>発見し、のちに贈られたカメラによって熱心に記録する。


http://saburo.sarm.net/artcolctyonn/artcollkusyonn.html
>1870年代病気療養のためイタリアのタオルミナに移住。従兄弟の写真家の影響を
>うけ島の少年達の写真を撮るようになる。1931年死亡。
>1944年ドイツ軍のシシリア占領のおり、多くの写真は処分されたが、隠されていて
>僅かに残されたネガにより今私たちは彼の愛した少年たちの写真を見ることができる.



追記 (関連ガセビアと他人の翻訳パクリのネタ) :
「ギリシア彫刻のように」も他人の翻訳からのパクリ
ロラン・バルトの言葉を正確に引用していないので要注意
ロラン・バルトも何だかいろいろ大変だ



   
 
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