トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/7/23  4:34

ものごころ ついたとたんに 力道山  その他の雑学本 間違い探し編

『とても変なまんが』 P.117
筆者は彼(註;力道山)が死んだときは五歳だったが
〈略〉
今の若い世代にいくら話しても、力道山というキャラクターが当時の日本人にとって
どれほど強烈なカリスマ性を持っていたか、キチンと説明するのはむずかしい。
あの当時の日本人にとって、力道山はミスター・ニッポン、われらの誇りだった。

いくら話しても、〈略〉キチンと説明するのはむずかしい」とは、日本語として変な気が。
いくら説明しても、〈略〉キチンと納得させるのはむずかしい」といいたかったのだろうか。

どちらにしても、力道山が亡くなった 1963 年の時点で、1958 年生まれの唐沢俊一は、
本人も書いている通り 5 歳にしかなっていなかった。「今の若い世代」に「いくら話しても
説明するのはむずかしい」というより、そもそも説明する立場にいない。

ちなみに、2ちゃんねるのスレでのこのネタ関連のやり取り (Read More 参照) で言及
された、「貸本文化を『自分たち世代にとって最高の娯楽だった』とか書いていたよね」は
『昭和三十年代の子どもたち』にしていればよかったかもの貸本屋」のエントリに、
1980 年に『雨やどり』の人だから」は「時空も歪ますトンデモ 80 年代で論破したんだと
のエントリに書いた件。

どの件も単なる歴史上の事実としてではなく、唐沢俊一の実体験とリンクさせて語られて
いることなのに、起こったことを実際より 3 ~ 4 年ほど前か後にずらさないと計算がうまく
合わないというのが、すごいと思う。




http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1215619596/689-

689 :無名草子さん:2008/07/20(日) 21:14:19
前後するが同じく力道山ネタ。
『とても変なまんが』P117

>筆者は彼(註;力道山)が死んだときは五歳だったが
            ~ 略 ~
>今の若い世代にいくら話しても、力道山というキャラクターが当時の日本人にとって
>どれほど強烈なカリスマ性を持っていたか、キチンと説明するのはむずかしい。
>あの当時の日本人にとって、力道山はミスター・ニッポン、われらの誇りだった。

やっと物心ついたとき力道山が死んでしまったのだから、力道山の全盛を知るはずもなく
「カリスマ性」「われらの誇り」なんて言葉は総て後付け。たとえリアルタイムで見たとしても
それは子供の感想でしかない。

873 :無名草子さん:2008/07/22(火) 00:32:21
>>689
>>>あの当時の日本人にとって、力道山はミスター・ニッポン、われらの誇りだった。

考え過ぎかも知れないけど、1954 年生まれの人が思い出として語っているので、
1955 年生まれの自分もオッケーだと思った、とか?

http://www5f.biglobe.ne.jp/%7Edaddy8/y/77/77k.htm
> しょうがなくて親父は僕を肩車してくれる。その時、突然、まわりの人たちからウォーッと
>いう歓声があがしました。でも何が起こっているのか、画面が遠いのでよく見えない。

> 多分、力道山の空手チョップが悪役の外人レスラーに炸裂していたんでしょうね!

> この当時の力道山・・・もうとにかく、押しも押されぬ日本のヒーローでした。その必殺技が
>空手チョップ。ジャイアント馬場のジャイアント・チョップは師匠直伝です。

>また、太平洋戦争でアメリカに敗北した日本人が、金髪悪役レスラーを正攻法のみで撃破すると
>いうストーリーも、日本人が溜飲を下げるには、もってこいのシナリオでした。(←まるで、
>予定調和の「水戸黄門」! 日本人はこういうストーリーに弱いのでしょうね。)

> でも、素顔の力道山は、酒癖が悪く、リング以外でもよく暴れて空手チョップを振るっていた
>そうです。その悲しい末期も、多分どこかで、そうした恨みをかっていたせいかも知れません。

> それにも関わらず、力道山の思い出は、今も僕達の心に強烈なインパクトを持って存在し続け
>ます。戦い敗れた日本人の夢を体現した世紀のヒーロー力道山! その存在は、永久に忘れ去ら
>れることは無いでしょう。

875 :無名草子さん:2008/07/22(火) 00:42:51
>>873
唐沢は1958年5月22日生まれだよ。

876 :無名草子さん:2008/07/22(火) 00:43:42
1958年生まれの唐沢にとって「われらの誇りだった」のかなぁ
力道山は1963年、唐沢が5歳の時に亡くなっているのだが....。

この人は近年は、年寄り側に立って「近頃の若い者は」と書きたがるし
「昔は良かった」が主の論調なのだが、先日の貸本文化を
「自分たち世代にとって最高の娯楽だった」とか書いていたよね。
以前の本では、自分の子供の頃は漫画雑誌とテレビが娯楽だったと書いていたのに。
※週刊少年サンデー&マガジンは1959年創刊なので、唐沢が物心付いた時には
存在していた。


878 :無名草子さん:2008/07/22(火) 00:50:51
>>857
そうだ、ボケてたわ、スマソ。<1958年

ただまあ 1980 年に「雨やどり」の人だから、3~4年のズレは気にしない、とか?

880 :無名草子さん:2008/07/22(火) 00:59:12
>>876
力道山とかテレビネタならばまだ、後年になってからの再放送や特番などで
あれこれやっていたのを観ていたことによる錯覚、という好意的な解釈もできるけど(無理か)
貸本については謎だね。唐沢の実家の近辺に貸本屋が残っていたにしては、

>以前の本では、自分の子供の頃は漫画雑誌とテレビが娯楽だったと書いていたのに。

と、辻褄が合わないし。

これ、ネット上などから他人の思い出話をパクリまくっているせいで、唐沢本人も
わけがわからなくなっているのでは。田口ランディのエッセイパクリと同じで。
(計算が不得意な人間でなければ、自分の年代でこれがアリ、これがナシと
辻褄を合わせることができるんだろうけど、頭の弱い盗作屋は、それに失敗する)。



   
 
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