トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/7/10  9:08

「昭和三十年代の子どもたち」にしていればよかったかもの貸本屋  その他の雑学本 間違い探し編

『まんがの逆襲』 P.5
僕のような昭和三十年代生まれの子供たちにとって、 貸本屋さんは
手軽に利用できる最高の娯楽機関であった。

貸本屋の隆盛は「1960年代初頭まで」で、昭和 35 年頃には衰退して図書館や雑誌に
置き換えられていった。「昭和三十年代生まれ」が「手軽に利用できる最高の娯楽機関
というのは時期がずれている。昭和 30 年代生まれが本や漫画を読み始めるのは、昭和
40 年代に入ってからだし。

2ちゃんねるのスレには、唐沢俊一と同い年 (1958 年、昭和 33 年生まれ) の人に話を
聞いたが、やはり雑誌を買ったり図書館を利用していたとの証言あり。さらに、「昭和三十
年代生まれ
」となると、昭和 30 年代後半、1960 年以降に生まれた者も含まれる。この
年代にとっては、貸本屋はもう身近な存在ではなかったと断言できる。

唐沢俊一の育った北海道では事情が特殊だったのか、80 年代にさだまさしの雨やどり
(「時空も歪ますトンデモ 80 年代で論破したんだと」参照) と同様、自分語りの中にさえも
時代認識の変な記述を混じらせる癖が出たものかは不明。

http://ja.wikipedia.org/wiki/貸本屋
>貸本の店は大衆娯楽小説や少年漫画などの単行本、成年・少年・婦人雑誌などを
>提供する場として1960年代初頭まで日本全国にあふれていた。1940年代末からは
>漫画を中心に貸本の店専用書籍も刊行され、『墓場鬼太郎』(『ゲゲゲの鬼太郎』の
>原型的作品)などを生んだ。1950年代後半からは図書館の充実、図書全般の発行
>部数の増加、出版社が販売する雑誌の主軸が月刊誌から児童や庶民でも安価に購入
>できる週刊誌へ移行した事などにより、一部の店舗が一般書店に転向したほかは急速
>に減少、現在貸本の店は極めて少数、かつ小規模で経営する店舗が存在するのみと
>なっている。


http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1215619596/728
>728 :無名草子さん:2008/07/09(水) 14:55:29
>唐沢俊一の時代認識の変な部分というのは以前から指摘されているし
>自分語りの中ですら80年に喫茶店でさだまさしの「雨やどり」を聞くような
>おかしな事になっているんだが『まんがの逆襲』の中には
>P5
>>僕のような昭和三十年代生まれの子供たちにとって、
>>貸本屋さんは手軽に利用できる最高の娯楽機関であった。

>とか書かれてるんだけど、昭和33年生まれのイトコに聞いた所
>横浜周辺では自分の子供の頃すでに貸本屋は廃れていて
>もっぱら雑誌を読んでいた。との事。(唐沢と同い年)
>貸本屋が全盛だったのは1950年代で、1960年代に入ると衰退していったらしいので
>昭和30年生まれ(1955年~)が漫画本を読むようになった頃は
>最高の娯楽機関じゃなくなっていたんじゃないかと思うのだが。
>唐沢は昭和33年、1958年生まれなので漫画を読み始めたのは
>もう昭和40年代だったんじゃないかと。

>北海道という地域では文化が10年遅れていたのならしょうがないけど。


追記: 「1955 年、昭和 30 年生まれ」と誤記していたのを訂正。



2008/9/19  1:28

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

こんにちは (_ _)。別のコメントにも書きましたが、当ブログは、以前
のエントリについてのコメントも大歓迎でやっていますです。

東京下町の貸本屋さんというのも、風情がありそうでうらやましい。

『光る風』や、ひばり書房あたりのコミックスは、実家に転がって
いたり、1970 年代後半以降自分で買うようになったりしていたの
ですが、外見は普通のコミックスでした。貸本専門漫画として出され
ていた本は、また違う感じのでしょうか。

ひばり書房の方は確か黒の背表紙だったかなと思ってググってみた
ら、黒枠という言い方をしているみたいだったり。
http://www.cna.ne.jp/%7Ekuroneko/newpage528.html
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%D2%A4%D0%A4%EA%BD%
F1%CB%BC?kid=184074

2008/9/18  20:45

投稿者:み

今更のコメントですが昭和38年東京下町生まれ、小学生の頃貸本屋利用していました。
貸本専門漫画…は残っていたような記憶がうっすらとあります。
山上たつひこの光る風や小室孝太郎のワーストはここで借りました。面白いけど自分では買わない漫画を置くって事で生き延びようとしていたのかもしれませんね。

2008/7/26  11:21

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

コメントありがとうございます。

唐沢俊一の文章については「最高の娯楽機関」なんて書かなかったら
よかったのに――ですが、貸本屋さんの利用のされ方や当時の雰囲気
については興味をそそられるものがあります。お話を聞いていると、
私にとっての駄菓子屋さんに感じが似ているかな、とか。

昭和40年代の貸本屋さんには、やはり好美のぼるとかのコミックスが
置いてあったんでしょうか。なぜかその手の本は何冊か実家にころ
がっていたのを読んでいた覚えがあるので、主な購入先は一般家庭に
シフトしていった頃だったのかも。

2008/7/25  13:55

投稿者:toshiotoko

 私は昭和35年、埼玉県生まれです。
 小学生当時(昭和42年~48年)近所に貸本屋はありました。平屋の木造の古い建物で、スマートボールのゲーム機(もちろん手動式)が店内にあったことを覚えています。店のおやじさんは、かなり年配でした。
 私の周囲には、もうテレビ、雑誌(学研の雑誌など)、図書館といった文化・娯楽の機会はふんだんにあって、貸本屋「だけ」が娯楽の場という訳では決してなかったです。ただ貸本屋の何ともいえない不思議な雰囲気(よそには無い漫画や本が置いてある)には惹かれるものがありました。その懐かしい貸本屋も私が中学を卒業する頃(昭和50年)には、無くなっていました。

2008/7/11  1:27

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

情報ありがとうございます。(_ _)
思っていたより残っていたものなのですねー貸本屋。
私はお二人の中間くらいに生まれていますが、近所にはありません
でした。

まあ「昭和三十年代生まれの子供たちにとって、 貸本屋さんは手軽に
利用できる最高の娯楽機関」をガセ扱いする理由は、近所になかった
というだけでなく、もし当時貸本屋がメジャーな存在だったのなら、
見ていたテレビ、読んでいた「小学○年生」「科学」「学習」あたりで
もっと存在を認識していたはず、というのがあります。

小学生の頃を思い起こすと、『墓場の鬼太郎』が貸本屋の漫画だった
というのは何かで読んでいて知識としてあったけれど、リアルタイム
な存在ではなかったのですよね。

ところで、当の唐沢俊一も、他の本で貸本屋の思い出とか書いていた
っけ?という疑問が。自分語りの多い『奇人怪人偏愛記』とかにも
載っていなかったような……。

2008/7/11  1:10

投稿者:トポ

でも
>貸本屋さんは手軽に利用できる最高の娯楽機関であった。
では無かったと思う。
1960年代中期には週刊漫画やテレビが家庭に入っていたので。
自分は昭和36年愛知県生まれだが、なんとなく小学校低学年の頃に貸本屋があったのを記憶している程度。
でも、本は普通に学校の図書館とか利用して読んでいたし、娯楽の中心はテレビだったけどなあ

2008/7/10  18:51

投稿者:隼

唐沢氏を擁護する訳では無いですが僕は昭和41年生まれですが小学生の頃貸本屋を利用していました。僕は九州の福岡ですがまだ細々とあったのでは無いでしょうか。

   
 
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