トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/3/29  14:32

時空も歪ますトンデモ 80 年代で論破したんだと  その他の雑学本 間違い探し編

『国際おたく大学』 P.27 [集中講義] エヴァ現象
彼が自分のことを80年代世代の典型をもって任じていることは先に述べた。
それを論破したこともまた述べたが、

引用の順が前後するが、伊藤氏の「それを論破した」とかいう文章は、これ↓のことらしい。

『国際おたく大学』 P.23 [集中講義] エヴァ現象
(ガンダムならガンダムのことだけ話すオタクと相いれないのは) YMOを
体験した80年代世代の特長です、と訴えたときには、次のようなメールで
返事をした。

「僕は根っこが60年代特撮とアニメで、そのあとヤマトに出会ってオタク的な
取組みを意識した人間だけど、ヤマトと同時にニューミュージックにも出会っ
ている。さだまさしや井上陽水が日本の音楽シーンに与えた影響を語れと
言わ れれば一時間でも二時間でも、自分の体験に即したことだけでも語る
ことができる。80年代、札幌の喫茶店で僕らはヤマトやスター・ウォーズ、
ペリー・ローダンの話をしながら、店に流れる雨やどりを聞いていた。けど、
その両者と同時になんクリもあったし、ウッディ・アレンの映画がオシャレ
だったし、ピンクレディも窓際のトットちゃんもビニ本ブームもタッチもETも積木
くずしもあった。なめネコとか、消えてしまったものを入れればもっとだが、
少なくとも上記のものをネグった80年代は僕は認めない。

1958 年生の唐沢俊一は、1980 年には 21 歳か 22 歳。一浪して入った青山学院大学に
通ったり、雑誌『ぴあ』の読者投稿欄でガンダム論争したりしていたはずのその頃 [1] に、
札幌の喫茶店」で、1977 年にヒットしたさだまさしの「雨やどり」を聞きながら、「ヤマトや
スター・ウォーズ、ペリー・ローダンの話
」をしていたというのである。

1977 年といえば、最初の「スター・ウォーズ」 (エピソードIV) が公開された年でもあり、
唐沢俊一が札幌で「宇宙戦艦ヤマト」のファンクラブを運営していたという年でもあるから、
ある意味辻褄は合う。絶対に 80 年代の話じゃないけど。「その両者と同時になんクリも
あった
」はずも絶対にないけど (田中康夫の『なんとなく、クリスタル』は、1980年の発表)。

さらに、「上記のものをネグった80年代は僕は認めない」には、「雨やどり」や「ヤマト」だけ
でなく、「ピンクレディ」も入っている。1981 年のピンク・レディー解散は、キャンディーズの
解散 (1978 年) や山口百恵の引退 (1980 年) ほど世間の記憶に残るものではないが。
ピンク・レディーは、1976 から 1978 年あたりまでが主な活動時期。1980 年にはアメリカ
進出していたため、日本ではあまり見かけなくなっていた。

ウッディ・アレンもまあ、1970 年代後半の方がしっくりくる。

まあ青山学院大学に通っていながらニュートラ、ディスコ、カフェバーを完全スルーして、
ベストヒット USA もオールナイターズも「ネグった80年代」というのもある意味感動的だし、
とにかく唐沢俊一の「80年代」とは、1970 年代後半から 1980 年代前半を対象とする
トンデモ 80 年代であるため、80 年代後半のバブル期絶頂の頃の風俗への言及もない。

で、最初の引用に戻るけど、「それを論破した」って、ここまでトンデモな 80 年代を語った
後で、自分は世代論が嫌いとか、串間努さんはえらいとか、黒沢初期作品のキラキラした
新しさとか語っても説得力がないんだが。唐沢俊一自身が、悪い意味で時空を超越して
しまっているせいで。

2ちゃんのスレの投稿 (Read More 参照) にあった一覧表をもとに、つくってみたもの↓

1977年:さだまさし「雨やどり」が大ヒット。
1977年:テレビ放映版を再編集した劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開。
     唐沢俊一は札幌で「宇宙戦艦ヤマト」のファンクラブを運営。
1977年:「スター・ウォーズ」の第一作 (エピソードIV) が公開。
1977年:ピンク・レディーの「カルメン '77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」が大ヒット。
1978年:ピンク・レディーの「UFO」が日本レコード大賞、「サウスポー」が日本歌謡大賞。
1979年:「機動戦士ガンダム」の TV 放映開始。
1979年:ピンク・レディーの「Kiss in the dark」。ピンク・レディーは活動拠点を米国に移し
     日本での露出は減る。
1980年:なんクリ(田中康夫の『なんとなく、クリスタル』 発表)
1980年:雑誌『ぴあ』の読者投稿欄でガンダム論争開始。唐沢俊一も積極的に参加。
1980年:「なめ猫」グッズの発売。(唐沢俊一の文章にある「なめネコ」は間違い)
1981年:ピンク・レディー解散
1981年:黒柳徹子の自伝エッセイ『窓ぎわのトットちゃん』が講談社から出版。
1981年:南伸坊のエッセイ『さる業界の人々』。ブーム時のビニ本業界の様子が描かれ
     ている。
1982年:スピルバーグの映画『E.T.』 が公開。
1982年:『積木くずし 親と子の二百日戦争』桐原書店から出版。実話が基の穂積隆信に
     よる自伝。翌 1983 年にテレビドラマ化されてブームになった。

[1] http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/21.html
唐沢俊一 まとめwiki - 経歴・年譜

その他、参考 URL:
- http://ja.wikipedia.org/wiki/さだまさし
- http://ja.wikipedia.org/wiki/スター・ウォーズ
- http://ja.wikipedia.org/wiki/宇宙戦艦ヤマト
- http://ja.wikipedia.org/wiki/なんとなくクリスタル
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ピンク・レディー
- http://ja.wikipedia.org/wiki/窓際のトットちゃん
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ビニ本
- http://ja.wikipedia.org/wiki/E.T.
- http://ja.wikipedia.org/wiki/積木くずし
- http://ja.wikipedia.org/wiki/なめ猫

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1206236626/337-

337 :無名草子さん:2008/03/25(火) 09:30:13
http://gazoubbs.com/geinou/img/1204984567/24.jpg
これの左下の「少なくとも上記のものをネグった80年代は僕は認めない」って……。
「店に流れる雨やどりを聞いていた」だの「ピンクレディ」だのって何?
「雨やどり」やピンクレディや「ペリー・ローダン」や「ヤマト」が必須なら、
唐沢に認められるw 80年代の語り部なんて、世の中にほとんどいないぞきっと。

UFO本のタモリの芸とかUFO特番についてもそうだったけど、唐沢って、
70年代後半と80年代の区別がついていなくないか?

342 :無名草子さん:2008/03/25(火) 09:46:56
>>337
少なくとも「雨やどり」「ピンクレディ」は70年代だろ

>80年代、札幌の喫茶店で
と唐沢は書いているが、80年には東京だったんじゃないのか?
ウッディ・アレンのおしゃれな映画は70年代が最高潮だった気もする
80年代90年代も作り続けているけど


343 :無名草子さん:2008/03/25(火) 09:47:07
http://gazoubbs.com/geinou/img/1204984567/24.jpg
>80年代、札幌の喫茶店で僕らはヤマトや
>スター・ウォーズ、ペリー・ローダンの話を
>しながら店に流れる雨やどりを聞いていた。

「80年代、札幌の喫茶店」って、1958年あたりの生まれじゃなかったっけ唐沢。
それで一浪して青学に入ったとしたら、80年代は渋谷・青山近辺の喫茶店にいないと……。
卒業云々以前に、本当に青学に合格して通っていたのか?と疑問に思えてくる。

347 :無名草子さん:2008/03/25(火) 10:19:52
http://gazoubbs.com/geinou/img/1204984567/26.jpg
>彼が自分のことを80年代世代の典型をもって任じていることは先に述べた。
>それを論破したこともまた述べたが、

雨やどりとピンクレディーがマストアイテムのトンデモ80年代で論破か。
このスレに飛来する擁護ちゃんもそうだけど、頭の弱いキチガイのいう「論破」って、
本当にわけがわからない。

348 :無名草子さん:2008/03/25(火) 10:39:37
論破した、という夢を見たんじゃね。夢と現実の区別がつかなくなってるんだなきっと

725 :無名草子さん:2008/03/27(木) 09:37:29
唐沢の認識のおかしさはデタラメだな

>僕は根っこが60年代特撮とアニメで、そのあとヤマトに出逢ってオタク的な取
>り組みを意識した人間だけど、ヤマトと同時にニューミュージックにも出会っ
>ている。さだまさしや井上陽水が日本の音楽シーンに与えた影響を語れと言わ
>れれば一時間でも二時間でも、自分の体験に即したことだけでも語ることがで
>きる。80年代、札幌の喫茶店で僕らはヤマトやスター・ウォーズ、ペリー・ロ
>ーダンの話をしながら、店に流れる雨やどりを聞いていた。けど、その両者と
>同時になんクリもあったし、ウッディ・アレンの映画がオシャレだったし、ピ
>ンクレディも窓際のトットちゃんもビニ本ブームもタッチもETも積木くずしも
>あった。なめネコとか、消えてしまったものを入れればもっとだが、少なくと
>も上記のものをねぐった80年代は僕は認めない。

「1980年に札幌の喫茶店」というのが唐沢の経歴からするとオカシイが
1977年:さだまさし「雨やどり」
1977年:宇宙戦艦ヤマト、編集版映画が公開
1980年:なんクリ(なんとなくクリスタル)
1981年:ピンクレディ解散(1979年の「Kiss in the daek」がギリギリ一般に知られた曲)
1981年:窓際のトットちゃん
1981年:ビニ本ブーム
1982年:ET(正しくは「E.T.」)
1982年:積木くずし(実際のブームは翌年)
1980年:なめネコ(正しくは「なめ猫」)


726 :無名草子さん:2008/03/27(木) 09:37:39
>「お前の本より、俺の方が売れている」と書く。

そもそも、これの真偽からして怪しいわけだが。
多くの本がせいぜい1万部の唐沢俊一先生だし。

727 :無名草子さん:2008/03/27(木) 09:45:30
>>725
だいたい、いくら男でヲタクだからといって、
青学に通っていて、ニュートラ、ハマトラ、アメカジをネグるw 80年代って。
マイケル・ジャクソンもマドンナも出てこない。

728 :無名草子さん:2008/03/27(木) 09:53:43
1980年なら
竹の子族、テクノ、ウォークマンでしょ


729 :無名草子さん:2008/03/27(木) 10:00:02
俺の場合1980年当時を語るのならYMOは欠かせない
あと、THE MANZAI、インベーダー(これは79年頃か?)、ノーパン喫茶かな?


730 :無名草子さん:2008/03/27(木) 10:04:04
唐沢が語る
「さだまさしや井上陽水が日本の音楽シーンに与えた影響」
を聞いてみたいな。
次はBSの「ニューミュージック全集」みたいな企画へ出演して下さい

741 :無名草子さん:2008/03/27(木) 11:39:19
>>730
井上陽水はまだ分かる。

だが、さだまさしは・・・

1979年の『関白宣言』で大ブレイク。だが、直後に「軟弱」「ダサい」というイメージが浸透。
80年代は、大ヒットを飛ばす一方で、ダサい音楽の代名詞として、さんざんネタにされていた。
聴いていると恥ずかしい音楽の筆頭だった。
「さだが好き」とは言えず、人前では周囲と同調してバカにしながら、隠れて聴いていた連中も
存在したようだ。

だが、当時さだのヒットを支えていた層の大部分は、普段歌謡曲かニューミュージック(それも、
ポップス系ではなく、四畳半フォークの流れにある系統)しか聴かないような人達ではなかったか?
自分の好きな曲が「ダサい」と言われているとは夢にも知らず聴いていたように思う。

さだに影響を受けたアーティストは存在するだろうが、さだの音楽がポピュラーミュージック界
全体に大きな影響を及ぼしたとは、とても思えないんだが・・・?



   
 
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