トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/12/17  21:27

星を喰った男を食い物にした男、唐沢俊一  資料編 (引用元明記の雑学等も含む)

『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 4 ページ目と 5 ページ目について。

『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 3 ページ目」の続き。

『星を喰った男』 (文庫版) P. 342
それには、あまりに潮健児と僕が密着していた故だろう、心ない一部
のファンたちからあびた、
「唐沢という男は潮健児を私物化している」
 という非難の声も一因となっている。古くたちのファンにとって、突然脇
から出てきて、潮さんのスケジュールを牛耳る僕の姿は、確かに、さぞ
憎々しげに映ったことだと思う。しかし、私物化と言うが、では、山ほど
いる熱烈なファンたちのうち、いったい誰が、自腹を切ってまで潮健児の
晩年を看取ろうとしてくれたろう? 潮健児の名を利用しようというYの
ようなゴロから、潮さんを守るには、私物化的な形で囲い込むしか方法
がなかったのである。

「それには、あまりに潮健児と僕が」は前ページから。唐沢俊一は、「潮さん関係の資料
を貸してほしいという要請にも、応えられなかったことが何回かある
」ことを「お詫びした
」といったかと思ったら、「潮健児の思い出の品に触れるのすら、おっくうに思えた
その「一因」が、「唐沢という男は潮健児を私物化している」と非難の声をあげた「心ない
一部のファン
」にあると言い出す。……何だか、本当に「お詫びしたい」気持ちがあって
書いたものなのかすら、疑問に思えてくる。
http://tondemonai2.web.fc2.com/809.html

で、彼らファンたちに「私物化している」と非難された原因を、唐沢俊一は「突然脇から
出てきて、潮さんのスケジュールを牛耳る僕の姿
」が「憎々しげに映った」からだろうとも
書いている。だが、この「文庫版あとがき」には書かれていないが、唐沢俊一が「潮健児
の所属するプロダクションの代表
」であることは、「熱烈なファン」ならば周知のことでは
なかったのだろうか。以下、以前のエントリーからの繰り返しの引用になるが↓

http://www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
>しかし、それは私が潮健児の所属するプロダクションの代表である限り、仕方のない
>ことであった。


その唐沢俊一が「潮さんのスケジュールを牛耳る」ことを怒り非難するファンがそんなに
いたのだろうか。いたとすれば、よほど仕切り方に問題があったのでは。

そして、唐沢俊一は、「しかし、私物化と言うが、では、山ほどいる熱烈なファンたちの
うち、いったい誰が、自腹を切ってまで潮健児の晩年を看取ろうとしてくれたろう?
」と、
逆ギレして開き直る。

さて、この「自腹を切ってまで」の内実は、「熱烈なファンたち」の一人としての唐沢俊一
が自腹を切ったというのか、それとも「潮健児の所属するプロダクションの代表」としての
唐沢俊一が会社の経費を使ったというのか。後者だとすれば、ファンに対して「自腹を
切ってまで
」とすごむのは筋違いだろう。前者だとしても、では自腹を切れば、私物化
しようが何しようが勝手だというのか――という問題は残る。

また、前のページで「この本を、最初僕は、しばらく映画界を離れていた潮健児の銀幕
カムバック用の花道にするつもりだった
」とも唐沢俊一は書いていて、これから考えると、
唐沢俊一だって別に「自腹を切ってまで潮健児の晩年を看取ろう」とは思っていなかった
はず。

さらに、唐沢商会の『脳天気教養図鑑』には、次のようなことが書かれている。

『脳天気教養図鑑』 P.142
>俊一「……このショッカー怪人の鳴き声に由来するハナシを始めとする潮氏の、東映
>全盛期の撮影所のウラ話バカ話のおもしれーのなんのって 私ゃそのうち聞き書き
>で本にしようと思うぞ」
>俊一「地獄大使大いに語る」てえタイトルはどうだ」 (書き文字)
>俊一「ガロの読者で出版関係のひと この企画買って頂戴」
>なをき「そーか、こーゆうコンタンがあったのか」 (書き文字)


つまり、まあ、「自腹を切ってまで」 (それにしても恩着せがましい言い方だなあ) が
本当だとしても、それは唐沢俊一が潮健児を家族同然に思っていたこと、潮健児の
もっとも熱烈なファンであったことを意味するとは限らない。芸能プロ社長または物書き
としてのビジネス上の利益を考慮した欲得づくの出費だったと考える余地は充分すぎる
ほどあって、自腹を切ったうんぬんは特に威張れることでもないし、唐沢俊一の言動を
正当化するカードとしては弱過ぎ。

何もこのために、晩年の潮健児には金銭的な援助が必要だったかのように宣伝する
必要もなかったろうになあとも思う。


『星を喰った男』 (文庫版) P. 342
 ……グチになってしまった。しかし、そんなトラブルも含め、潮健児という
希有な俳優の自伝をまとめる手伝いができたことは、僕の物書き人生の
中で、まことに幸福なことだった、と思う。まとめていて、これほど楽しい本
もちょっとなかった。若い僕らの世代が、経験しようとしてもできないことを、
潮さんの目で見、耳で聞くかのように、バーチャルで体験できたのである。
その楽しさが読者の皆さんに少しでも伝わってくれていれば、編著者として
これに勝る喜びはない。

唐沢俊一のしたことは「自伝をまとめる手伝い」だったのに、「唐沢俊一編著」ということ
にして文庫版を出版
し、ここでも「編著者として」などというのかと。

……それにしても、「その楽しさが読者の皆さんに少しでも伝わってくれていれば、編著
者としてこれに勝る喜びはない
」というのは、普通の後書きに書かれているのならば、
何のこともないマトモな言葉だけど、この唐沢俊一による「文庫版あとがき」の中で目に
すると、何だか意外で、ある意味新鮮ですらある。

その楽しさ」についての話なんて、この後書きのどこに書かれていたっけ……楽しい話
は本文に書かれているからよしとするのか、いやそれとも、これから楽しい話を始めよう
とするのか。まあ、後者の期待は肩すかしに終わるわけだけど。


『星を喰った男』 (文庫版) P. 342 ~ P.343
 自伝の編著者という立場を離れて、潮さんといっしょに過ごすことが好き
だったのは、当時、決して恵まれていたとはいえない生活の中で、しかも
病に体を犯されながらも、潮さんが常に明るく、未来を夢見ていたからだった
ろう。自伝を残そうという人間にありがちな、過去だけを振り返って生きている
消極性は、潮さんにはまったくなかった。あの姿勢こそが、潮さんの僕に遺し
てくれたものだったと思う。
「俳優として、僕は大きな運には縁がなかったけど、小さな運には結局、
人生の最後まで見放されていない、そんな気がするんです」
 亡くなる一ヵ月ほど前の、この言葉が今も忘れられない。

潮健児と親交が深い者でなくても書けそうな、通り一遍のことしか書いていない淡白さ
は、出版ゴロのYとか、「潮さんを私物化している」と唐沢俊一を非難したファンたちとか
を罵倒しているときの呪詛に満ちた文章とは、迫力も文章量も大違いである。


『星を喰った男』 (文庫版) P. 343
 単行本出版の際に本当に尽力してくださった株式会社バンダイ出版部
(当時)の皆さん、文庫化に際してお世話になった早川書房編集部に改め
てお礼を申し上げる。
 なお、脇役俳優の自伝の書名としてこれ以上のものはない、と思われる
『星を喰った男』というタイトルは、本文中にも登場する潮さんのお弟子さん、
戸田信太郎氏のアイデアであることを付記して、併せて感謝する。

お礼を述べるのはよいけど、対象は出版関係の人たちのみ。ここにも書いたけど、この
時期の唐沢俊一は、出版関係にしか気持ちがいっていなくて、映画や芝居の関係者は
どうでもよかったのかなあと思う。

単行本の潮健児自身の「あとがき」の後に「潮さんのこと」という文章を寄せ、文庫本に
収録の対談にも参加している平山亨の名前もない。「エピローグ」には、若山富三郎の
葬儀で潮が京本政樹と出会い、その京本政樹に後日電話でビデオの出演を依頼された
という話も書かれているが、彼の名前も唐沢俊一の後書きには登場しない。潮健児の
弟子の「戸田信太郎氏」だけは、タイトルのアイデアを出したせいか例外のようだけど。
( 京本政樹については http://tondemonai2.web.fc2.com/782.html も参照のこと)

それはそれとして、『星を喰った男』というのは唐沢俊一以外の人がつけたものというの
には、何となく納得。唐沢俊一につけさせていたら、前述の『脳天気教養図鑑』に書かれ
ていたような、「地獄大使大いに語る」といったレベルのタイトルになっていたのだろう。

タイトルですら自分のアイデアでない『星を喰った男』という本を、文庫化するにあたって
自分の著書として出した唐沢俊一という男。これは、星を喰った男を食い物にした男と
でもいうべきなんだろうか。


で、これで唐沢俊一による「文庫版あとがき」は終わるけれど、この文庫版のひどさを
語るのには、単行本になくて文庫本で追加された記述についてだけでは足りなくて、
バンダイから出た単行本にあって文庫本で削除された記述についてもふれる必要が
ある。それについては別エントリーで



   
 
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