2008/12/16 2:35
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 2 ページ目 資料編 (引用元明記の雑学等も含む)
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 2 ページ目について。
「『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 1 ページ目」の続き。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 340
この早川書房の文庫版が出版されたのが 1996 年。前年の 1995 年に、『トンデモ本の
世界』が出版されている。つまり、この時点で既に「山本弘氏」は、同じと学会で活動す
る身内といえる人間だったはずなのだが、「おっしゃってくれた」に「そう思っていただけた
なら」と、なぜか敬語。
いや山本弘に敬語を使うだけならよいんだけど、そのすぐ前の段落では、「若山さんや
鶴田さんの待つあの世」とか、若山富三郎にも鶴田浩二にも敬語なしだったりするんだ
けど。潮健児にも敬語なし。
本文の潮健児の言葉には、次のようなものがあるため、余計に気になる。
『星を喰った男』 (文庫版) P.271
>ただ、これは役者の名誉のために言っておきたい。〈略〉基本的なところで映画や芝居
>の世界というのは上下の規律とか礼儀とかには本当にきびしいんです。〈略〉
> だから逆に、そういうことでしくじったやつの話というのも尾ひれをつけてひろまって
>しまうんですね……
まあ、「文庫版読者の皆様へ」でもそうなんだけど、この本の中の唐沢俊一の文章に
は、なぜか映画や芝居の話がほとんど出てこない。その世界の住人に対する気配り
など、このときの唐沢俊一にとってはどうでもよかったのかもしれない。
おまけとして、盗作&ニフつながりの、田口ランディによる気色悪い敬語の使い方例↓
http://oliinkai.hypermart.net/randay-b.shtml
> 中央公論新社にお勤めになっている知人のご厚意で、毎号「婦人公論」という雑誌
>を送っていただいている。
>「知らないなら知らない方がいいわよ」と電話の友人がおっしゃる。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 340
「はないだろう。」の部分だけは、次の P.341 にかかる。
それにしても、「Yというゴロ」について怒り頂点なのはいいとして (?)、潮さんについて
「ここでは書き切れないほどのエピソードがある」といっておいて、最初に語るエピソード
がこれというのも……。
で、この部分については、「『星を喰った男』の著者が唐沢俊一というのは文庫版の嘘だ
としか」のエントリーの方に、以下のように書いた。
>「どうも潮健児は原稿用紙に自伝を執筆してたんじゃないのか?」と2ちゃんねるに
>書き込んだ人がいるが (Read More 参照)、「文庫版あとがき」には「Yというゴロ(心霊
>家と名乗っていまでもときどきTV等に出ている)が、出版権を僕から横取りしようとして、
>潮さんの耳にむちゃくちゃなデマを吹き込み、すんでのところで潮さんがそれを信じ、
>原稿をYに渡してしまうところだった」とも書かれている。別人に渡す原稿があったと
>いうことは、唐沢俊一のいう「メモ」は原稿とよんでもさしつかえないものだったという
>ことではないか。
さらに、この「Yというゴロ」は、『唐沢俊一のカルト王』 で「ゴロ」だの「札付きのワル」
だの罵倒されている「Y」という人物と思われる。彼について唐沢俊一はこう書いている。
『唐沢俊一のカルト王』 P.48
> そのうち、僕の事務所にいたタレントを引き抜きにかかり、あげく、そのタレントが
>書いていた本の原稿をだましとり、出版詐欺をやらかそうとたくらんで大騒ぎとなった。
そして、潮健児が、「僕の事務所にいたタレント」であったということは、唐沢俊一の Web
日記に書かれている。
http://www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
>しかし、それは私が潮健児の所属するプロダクションの代表である限り、仕方のない
>ことであった。
他に原稿を書いていたタレントがいたというのでもあれば別だが、「そのタレント」はまあ
潮健児と考えてよいだろう。そしてYがだましとろうとしていたのが「そのタレントが書いて
いた本の原稿」。やはり潮健児は『星を喰った男』の「原稿」を「書いていた」と。
……もしかして、こういうのを語るにおちるとか、墓穴を掘るとかいうのだろうか。
(3 ページ目に続く)
「『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 1 ページ目」の続き。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 340
まさに、映画俳優潮健児は、その六十八年の人生という長い主演映画に
エンドマークを出すにあたり、自伝を残し、記念パーティで駆けつけてくれた
岡田茂氏はじめ、友人・知人への最後のあいさつを立派にこなし、すべての
ことをキチンとやり終えた後、若山さんや鶴田さんの待つあの世へと、大急ぎ
で旅立っていったのだった。あまりに見事なフィナーレである。
SF作家で特撮ヒーローマニアの山本弘氏がパソコン通信のホームパーティ
で、潮さんの死のことについて触れ、
「それにしてもかっこよすぎる人生だったと思う」
とおっしゃってくれた。真にそう思っていただけたなら、そのカッコよすぎる
人生の幕引に、ささやかではあるが手を貸せたものとして、これにまさる喜び
はない。
この早川書房の文庫版が出版されたのが 1996 年。前年の 1995 年に、『トンデモ本の
世界』が出版されている。つまり、この時点で既に「山本弘氏」は、同じと学会で活動す
る身内といえる人間だったはずなのだが、「おっしゃってくれた」に「そう思っていただけた
なら」と、なぜか敬語。
いや山本弘に敬語を使うだけならよいんだけど、そのすぐ前の段落では、「若山さんや
鶴田さんの待つあの世」とか、若山富三郎にも鶴田浩二にも敬語なしだったりするんだ
けど。潮健児にも敬語なし。
本文の潮健児の言葉には、次のようなものがあるため、余計に気になる。
『星を喰った男』 (文庫版) P.271
>ただ、これは役者の名誉のために言っておきたい。〈略〉基本的なところで映画や芝居
>の世界というのは上下の規律とか礼儀とかには本当にきびしいんです。〈略〉
> だから逆に、そういうことでしくじったやつの話というのも尾ひれをつけてひろまって
>しまうんですね……
まあ、「文庫版読者の皆様へ」でもそうなんだけど、この本の中の唐沢俊一の文章に
は、なぜか映画や芝居の話がほとんど出てこない。その世界の住人に対する気配り
など、このときの唐沢俊一にとってはどうでもよかったのかもしれない。
おまけとして、盗作&ニフつながりの、田口ランディによる気色悪い敬語の使い方例↓
http://oliinkai.hypermart.net/randay-b.shtml
> 中央公論新社にお勤めになっている知人のご厚意で、毎号「婦人公論」という雑誌
>を送っていただいている。
>「知らないなら知らない方がいいわよ」と電話の友人がおっしゃる。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 340
潮さんとの出会い、そして別れについては、ここでは書き切れないほどの
エピソードがある。特に、単行本出版のときには、潮さんにつきまとっていた
Yというゴロ(心霊家と名乗っていまでもときどきTV等に出ている)が、出版
権を僕から横取りしようとして、潮さんの耳にむちゃくちゃなデマを吹き込み、
すんでのところで潮さんがそれを信じ、原稿をYに渡してしまうところだった。
このときはギリギリのまぎわでYのインチキがばれ、無事原稿も僕の手元に
残った。後で潮さんは苦笑いしながら、
「本当に、僕は人を見る目がありませんな」
とボヤいていたが、逆に言えば、最後まで世間知らずというか、オトナの
小賢しさを身につけず、いわゆる“役者子供”を地で行っていた人だった。
ああいう人はもう、二度と出ることはないだろう。
「はないだろう。」の部分だけは、次の P.341 にかかる。
それにしても、「Yというゴロ」について怒り頂点なのはいいとして (?)、潮さんについて
「ここでは書き切れないほどのエピソードがある」といっておいて、最初に語るエピソード
がこれというのも……。
で、この部分については、「『星を喰った男』の著者が唐沢俊一というのは文庫版の嘘だ
としか」のエントリーの方に、以下のように書いた。
>「どうも潮健児は原稿用紙に自伝を執筆してたんじゃないのか?」と2ちゃんねるに
>書き込んだ人がいるが (Read More 参照)、「文庫版あとがき」には「Yというゴロ(心霊
>家と名乗っていまでもときどきTV等に出ている)が、出版権を僕から横取りしようとして、
>潮さんの耳にむちゃくちゃなデマを吹き込み、すんでのところで潮さんがそれを信じ、
>原稿をYに渡してしまうところだった」とも書かれている。別人に渡す原稿があったと
>いうことは、唐沢俊一のいう「メモ」は原稿とよんでもさしつかえないものだったという
>ことではないか。
さらに、この「Yというゴロ」は、『唐沢俊一のカルト王』 で「ゴロ」だの「札付きのワル」
だの罵倒されている「Y」という人物と思われる。彼について唐沢俊一はこう書いている。
『唐沢俊一のカルト王』 P.48
> そのうち、僕の事務所にいたタレントを引き抜きにかかり、あげく、そのタレントが
>書いていた本の原稿をだましとり、出版詐欺をやらかそうとたくらんで大騒ぎとなった。
そして、潮健児が、「僕の事務所にいたタレント」であったということは、唐沢俊一の Web
日記に書かれている。
http://www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
>しかし、それは私が潮健児の所属するプロダクションの代表である限り、仕方のない
>ことであった。
他に原稿を書いていたタレントがいたというのでもあれば別だが、「そのタレント」はまあ
潮健児と考えてよいだろう。そしてYがだましとろうとしていたのが「そのタレントが書いて
いた本の原稿」。やはり潮健児は『星を喰った男』の「原稿」を「書いていた」と。
……もしかして、こういうのを語るにおちるとか、墓穴を掘るとかいうのだろうか。
(3 ページ目に続く)