2008/12/17 8:55
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 3 ページ目 資料編 (引用元明記の雑学等も含む)
『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 3 ページ目について。
「『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 2 ページ目」の続き。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 341
「ちょっと映画の登場人物になったようなスリリングな経験」というのは、「場を改めて」
唐沢俊一の Web 日記に書かれた模様。
http://www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
http://s01.megalodon.jp/2008-1215-0224-12/www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
唐沢俊一は、思わせぶりに書いているけど、まあ特に楽しい話でも面白い話でもなかっ
たぜ、と。「カッコよすぎる人生の幕引に、ささやかではあるが手を貸せた」どころか、
後味の悪い葬式の日にしてしまったんじゃないかと思うし。
この唐沢俊一と遺骨のことでもめたのが、多分、本人降臨疑惑の書き込みの中で、
潮健児と「内縁みたいに付き合っていた女性」とかいわれていた人のこと。
http://tondemonai2.web.fc2.com/782.html#readmore
>831 :無名草子さん:2007/11/17(土) 11:02:33
>>>824
>>> 潮さんには内縁みたいに付き合っていた女性がいて、彼女も死後に潮さん
>>> の葬式の仕切りやお金のことであ~だこ~だ言ったらしいよ。
>
>日記にはその話はないみたい。潮さんの「彼女」の話は一応あるかな?
>http://www.tobunken.com/diary/diary20060701000000.html
>>ホテル街の中を通って1時半、渋谷Q-AXシネマ。このホテル街、昔、潮健児さんの
>>彼女がやっていたバーがその先にあって、よく通っていた。当時よりかなり店構え等、
>>派手にはなったか。
遺骨をめぐるトラブルについては、当日はまあ疲労もあり精神的にも普通じゃなかった
ということで仕方なかったのかもしれないけど、後日ちゃんとフォローしたんだろうかと
心配になる。
それはともかく、「雑誌等で、型破りの面白い自伝だ、とお褒めの言葉をいただき」も、
「Yというゴロ」についても、この「スリリングな経験」も、唐沢俊一にとってはすごく重要な
問題だということなんだろうとは推測できるけど、それらのことが、潮健児に興味をもって
「潮健児 自伝」を読むような者が、文庫版あとがきに期待する内容かどうか、読んでて
楽しめる面白い話か、なぜ考えようとしないのかなあとは思う。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 341
「上記の虎ノ門病院」と「上記」になっているのは、パソコン等を使い横書きで原稿を書い
ていたせいだろうと思うけど、縦横はおいておくとして、2 ページも前に出てきた「虎ノ門
病院」を、「上記の」とさらっと書かれても……。
そもそもこの段落は、「『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 1 ページ目」の最後にその
まま続けるか、2 ページ目の第二段落あたりに置いた方が、ずっとわかりやすく、文章
の流れとしてもよかったのではないかと思うのだが。この意味でも、「Yというゴロ」の話
は邪魔。
また、「潮さんも、僕のことを家族のように思ってくれていた」ことの根拠として、「虎ノ門
病院に定期的に入院する際はいつも、保証人に僕の名を使っていた」というのも、ちょっと
微妙な話になるような気がする。前エントリーに引用した唐沢俊一の日記を再度引用
するが、「保証人に僕の名を使っていた」のは、唐沢俊一が「潮健児の所属するプロ
ダクションの代表」だったからで、「家族のように思って」いたからとは限らないのでは
ないかと。
http://www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
>しかし、それは私が潮健児の所属するプロダクションの代表である限り、仕方のない
>ことであった。
唐沢俊一はなぜか、「所属するプロダクションの代表」だったことは、本の中に書いては
いないけど。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 341
潮健児自身は、『星を喰った男』の執筆の動機を、以下のように書いている。
『星を喰った男』 (文庫版) P.19
> そのすばらしい連中の思い出を、何らかの形で残しておきたい、映画が一番活気の
>あった時代の映画人たちの、無茶苦茶な、デタラメな、いいかげんきわまりない、しか
>し元気と熱気にあふれた姿を、みんなが映画を愛していたあのころのことを、若い人
>たちに伝えておきたい。知識としてしかそれを知らない世代に、なんとかあの黄金時
>代の息吹を語っておきたい。そう、この年になってようやく、思うようになりました。それ
>は若山さんが口癖のように言っていたことがどうにか、僕のようなしがない役者にもわ
>かるようになってきたからです。
>「芸というのはな、次の世代に伝えて初めて芸と言えるんじゃ。潮、おまえも後輩に、
>なにかを残しておいてやれよ」
「若い人たち」に伝えたいという潮健児の思いに今ひとつ応えきれなかった理由が、潮
健児の死のショックを引きずったせいだというならいくらでも同情できるのだけど……
次ページでは「心ない一部のファンからあびた」という「唐沢という男は潮健児を私物化
している」との非難を、「思い出の品に触れるのすら、おっくうに思えた」理由としてあげ、
愚痴へと話をシフトさせていく様子は、みっともない。
(4 ページ目と 5 ページ目に続く)
「『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 2 ページ目」の続き。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 341
葬儀に際しても、この本の中でご本人も語っているごとく、ツヤ話とは縁が
切れない人だったため、かなり奇妙な騒ぎがあり、僕自身も、ちょっと映画の
登場人物になったようなスリリングな経験をした。これに関しては近く、場を
改めて書く予定である。
「ちょっと映画の登場人物になったようなスリリングな経験」というのは、「場を改めて」
唐沢俊一の Web 日記に書かれた模様。
http://www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
http://s01.megalodon.jp/2008-1215-0224-12/www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
唐沢俊一は、思わせぶりに書いているけど、まあ特に楽しい話でも面白い話でもなかっ
たぜ、と。「カッコよすぎる人生の幕引に、ささやかではあるが手を貸せた」どころか、
後味の悪い葬式の日にしてしまったんじゃないかと思うし。
この唐沢俊一と遺骨のことでもめたのが、多分、本人降臨疑惑の書き込みの中で、
潮健児と「内縁みたいに付き合っていた女性」とかいわれていた人のこと。
http://tondemonai2.web.fc2.com/782.html#readmore
>831 :無名草子さん:2007/11/17(土) 11:02:33
>>>824
>>> 潮さんには内縁みたいに付き合っていた女性がいて、彼女も死後に潮さん
>>> の葬式の仕切りやお金のことであ~だこ~だ言ったらしいよ。
>
>日記にはその話はないみたい。潮さんの「彼女」の話は一応あるかな?
>http://www.tobunken.com/diary/diary20060701000000.html
>>ホテル街の中を通って1時半、渋谷Q-AXシネマ。このホテル街、昔、潮健児さんの
>>彼女がやっていたバーがその先にあって、よく通っていた。当時よりかなり店構え等、
>>派手にはなったか。
遺骨をめぐるトラブルについては、当日はまあ疲労もあり精神的にも普通じゃなかった
ということで仕方なかったのかもしれないけど、後日ちゃんとフォローしたんだろうかと
心配になる。
それはともかく、「雑誌等で、型破りの面白い自伝だ、とお褒めの言葉をいただき」も、
「Yというゴロ」についても、この「スリリングな経験」も、唐沢俊一にとってはすごく重要な
問題だということなんだろうとは推測できるけど、それらのことが、潮健児に興味をもって
「潮健児 自伝」を読むような者が、文庫版あとがきに期待する内容かどうか、読んでて
楽しめる面白い話か、なぜ考えようとしないのかなあとは思う。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 341
この本の出版を企画してから四年の間、潮さんとは実際の家族以上の
深いおつきあいをさせていただいた。潮さんも、僕のことを家族のように
思ってくれていたようだ。それは、肝臓病に犯されていた潮さんが、上記
の虎ノ門病院に定期的に入院する際はいつも、保証人に僕の名を使って
いたことでもわかると思う。それ故に、潮さんの死病について、もっとも早く
報告を受ける者となったショックは忘れられない。この本を、最初僕は、
しばらく映画界を離れていた潮健児の銀幕カムバック用の花道にするつ
もりだった。それが、潮さんの人生の最後を飾る花道になろうとは……。
それから数ヶ月、僕は担当医の先生の指示で、お弟子さんたちにもこの
ことを隠し続けなければならなかった。そのつらさは、いま思い出しても
呼吸が苦しくなるほどだ。
「上記の虎ノ門病院」と「上記」になっているのは、パソコン等を使い横書きで原稿を書い
ていたせいだろうと思うけど、縦横はおいておくとして、2 ページも前に出てきた「虎ノ門
病院」を、「上記の」とさらっと書かれても……。
そもそもこの段落は、「『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 1 ページ目」の最後にその
まま続けるか、2 ページ目の第二段落あたりに置いた方が、ずっとわかりやすく、文章
の流れとしてもよかったのではないかと思うのだが。この意味でも、「Yというゴロ」の話
は邪魔。
また、「潮さんも、僕のことを家族のように思ってくれていた」ことの根拠として、「虎ノ門
病院に定期的に入院する際はいつも、保証人に僕の名を使っていた」というのも、ちょっと
微妙な話になるような気がする。前エントリーに引用した唐沢俊一の日記を再度引用
するが、「保証人に僕の名を使っていた」のは、唐沢俊一が「潮健児の所属するプロ
ダクションの代表」だったからで、「家族のように思って」いたからとは限らないのでは
ないかと。
http://www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
>しかし、それは私が潮健児の所属するプロダクションの代表である限り、仕方のない
>ことであった。
唐沢俊一はなぜか、「所属するプロダクションの代表」だったことは、本の中に書いては
いないけど。
『星を喰った男』 (文庫版) P. 341
潮さんの死後、あまりに多くのことが僕の一身にふりかかった。その
ため、出版後、もっと潮健児について語るべきときに、僕は気が抜けた
ようになってその責を果たすことができなかった。潮さん関係の資料を
貸してほしいという要請にも、応えられなかったことが何回かある。この
場で、悪意ではなかったことを表明し、あわせてお詫びしたい。あのとき
は、潮健児の思い出の品に触れるのすら、おっくうに思えたのである。
潮健児自身は、『星を喰った男』の執筆の動機を、以下のように書いている。
『星を喰った男』 (文庫版) P.19
> そのすばらしい連中の思い出を、何らかの形で残しておきたい、映画が一番活気の
>あった時代の映画人たちの、無茶苦茶な、デタラメな、いいかげんきわまりない、しか
>し元気と熱気にあふれた姿を、みんなが映画を愛していたあのころのことを、若い人
>たちに伝えておきたい。知識としてしかそれを知らない世代に、なんとかあの黄金時
>代の息吹を語っておきたい。そう、この年になってようやく、思うようになりました。それ
>は若山さんが口癖のように言っていたことがどうにか、僕のようなしがない役者にもわ
>かるようになってきたからです。
>「芸というのはな、次の世代に伝えて初めて芸と言えるんじゃ。潮、おまえも後輩に、
>なにかを残しておいてやれよ」
「若い人たち」に伝えたいという潮健児の思いに今ひとつ応えきれなかった理由が、潮
健児の死のショックを引きずったせいだというならいくらでも同情できるのだけど……
次ページでは「心ない一部のファンからあびた」という「唐沢という男は潮健児を私物化
している」との非難を、「思い出の品に触れるのすら、おっくうに思えた」理由としてあげ、
愚痴へと話をシフトさせていく様子は、みっともない。
(4 ページ目と 5 ページ目に続く)