2008/10/2 1:50
人たちはすべてが冗談なんだと思っていた 『トンデモ一行知識の逆襲』間違い探し編
『トンデモ一行知識の逆襲』 P.154
「論文」……?
『トンデモ一行知識の逆襲』 P.159
ここでも「論文」である。いやまあ論文がすべて、「学術的な研究の結果などを述べた
文章」である必要はないのだけれど、それにしても何だか論文らしくない内容のような。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=論文&stype=1&dtype=0
>ろん‐ぶん【論文】
>1 論議する文。筋道を立てて述べた文。
>2 学術的な研究の結果などを述べた文章。「博士―」
実は、この『虫屋のよろこび』という本は、Amazon の紹介には「雑話集」と書かれている。
また、『虫屋のよろこび』のあとがきによると、アメリカ職業昆虫学者部会が百周年記念
事業で刊行した「一般向け昆虫書」。これを論文と言い張るには、ちょっと無理がある。
http://www.amazon.co.jp/dp/4582537138
>内容(「MARC」データベースより)
>アメリカ昆虫学会百周年記念に著名な学者が寄せた虫に関する面白い話。野外調査の
>ドタバタ劇から昆虫の出てくる映画の総まくりまで、虫につかれた人間たちの雑話集。
『虫屋のよろこび』 「監訳者あとがき」P.345
>一九六九年、ESAのなかにアメリカ職業昆虫学者部会(ARPE)が設けられた。
> 一九八八年、ARPEの理事会は、ESA(ここでは旧AAEE)の百周年記念事業と
>して、一般向け昆虫書の刊行を議決した。この企画はその後、停滞していたが、
>ARPEのチェサピーク支部により実行にうつされ、本書が発刊されるにいたった。
>そのねらいは、昆虫の多様な世界と人間とのかかわりあいの一端に触れるとともに、
>昆虫学者の仕事に理解を深め、青少年には昆虫学が挑戦する価値のある職業の
>対象となることをアピールすることにある(原著「まえがき」より)。
で、上記のこともふまえて、唐沢俊一による「映画の中の節足動物」の紹介を読むと、
唐沢俊一という人はギャグをギャグとして認識するのが不得意なのではないかという
疑念が、ますますふくらんでくるのである。
『トンデモ一行知識の逆襲』 P.156 ~ P.157
×理性的な人 ○「理性的」な人
×J・W・マーチンス ○ジェームズ・W・マーチンズ または J・W・マーチンズ
ד科学者” ○「科学者」
唐沢俊一はどうしても、執筆者の昆虫学者のことを、専門分野ではともかく映画評論に
ついては無知で、ツボをはずしまくっている天然さんということにしたかったようである。
繰り返される「論文」との記述も、それを強化するためのものだったのだろうか。
しかし、前述のように、『虫屋のよろこび』は一般向けに書かれた本である。そして唐沢
俊一の言い草は、一般の人にも昆虫に興味をもってもらうために面白おかしい記述を
工夫した、執筆者の努力を否定するものである。
それに、専門分野が別にありながら、「昆虫の出てくる映画の総まくり」というマニアック
な映画リストを作ってしまう人たちがいるってことも、感心するポイントじゃないかと思う
んだけど。陰謀論を唱えるトンデモさんであるかのように貶す前に。
個人的には、この本はアシモフの科学エッセイに感じが似ているかなと思った。何も、
浮世離れした学者が天然ボケを連発という図式に無理矢理あてはめなくても、充分に
面白いし、笑える本だと思う。
ある意味関連エントリー (と学会には、ギャグをギャグとして認識しないヒトが意外に多い?) :
・と学会バッヂは、ともだち互助委員会の印
追記 : 今になって、とても疑わしく思えてきているのが、平凡社のスタッフが唐沢俊一に
質問したというこれ↓
>「唐沢さんならおわかりと思ったんですけど、日本映画で“巨大化された四本足のフン
>コロガシがゴジラと戦う”という映画、なんだかご存じないですか」
『虫屋のよろこび』 P.329 では、
>一九七六年 〈略〉 『ゴジラ対メガロ (Godzilla vs. Megalon)』 (日本、一九七三)―巨大
>で擬人化された四足獣のフンコロガシ
原著にも書かれている、あちらで公開されたときの題名が「Godzilla vs. Megalon」。
- http://en.wikipedia.org/wiki/Godzilla_vs._Megalon
なのに、「日本映画で“巨大化された四本足のフンコロガシがゴジラと戦う”という映画」
とだけいって質問するかなあ。ゴジラ vs. メガロンとかいう題で公開されたそうなんです
けど――とか何とか言い添えそうなものだけど。
一九九五年、平凡社から『虫屋のよろこび』という本が出ている(ジーン・
アダムス編、小西正泰監訳)。
〈略〉
なかでも極めつけは巻末の、映画学のコーナーだろう。「映画の中の
節足動物」と名付けられたこの章は、昆虫を扱った教育映画のことでも
論じているのかと思いきや、ハリウッドのホラー映画やパニック映画に
おいて表現された昆虫の役割について、という無茶苦茶に脳天気な
論文なのである。
「論文」……?
『トンデモ一行知識の逆襲』 P.159
実はこの論文を翻訳するにあたって、平凡社のスタッフから、私のところに
電話がありました。
「唐沢さんならおわかりと思ったんですけど、日本映画で“巨大化された
四本足のフンコロガシがゴジラと戦う”という映画、なんだかご存じない
ですか」
「フンコロガシ? ……ああ、それならたぶん『ゴジラ対メガロ』でしょう。
でもあれ、フンコロガシなんですか、アメリカじゃ」
ここでも「論文」である。いやまあ論文がすべて、「学術的な研究の結果などを述べた
文章」である必要はないのだけれど、それにしても何だか論文らしくない内容のような。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=論文&stype=1&dtype=0
>ろん‐ぶん【論文】
>1 論議する文。筋道を立てて述べた文。
>2 学術的な研究の結果などを述べた文章。「博士―」
実は、この『虫屋のよろこび』という本は、Amazon の紹介には「雑話集」と書かれている。
また、『虫屋のよろこび』のあとがきによると、アメリカ職業昆虫学者部会が百周年記念
事業で刊行した「一般向け昆虫書」。これを論文と言い張るには、ちょっと無理がある。
http://www.amazon.co.jp/dp/4582537138
>内容(「MARC」データベースより)
>アメリカ昆虫学会百周年記念に著名な学者が寄せた虫に関する面白い話。野外調査の
>ドタバタ劇から昆虫の出てくる映画の総まくりまで、虫につかれた人間たちの雑話集。
『虫屋のよろこび』 「監訳者あとがき」P.345
>一九六九年、ESAのなかにアメリカ職業昆虫学者部会(ARPE)が設けられた。
> 一九八八年、ARPEの理事会は、ESA(ここでは旧AAEE)の百周年記念事業と
>して、一般向け昆虫書の刊行を議決した。この企画はその後、停滞していたが、
>ARPEのチェサピーク支部により実行にうつされ、本書が発刊されるにいたった。
>そのねらいは、昆虫の多様な世界と人間とのかかわりあいの一端に触れるとともに、
>昆虫学者の仕事に理解を深め、青少年には昆虫学が挑戦する価値のある職業の
>対象となることをアピールすることにある(原著「まえがき」より)。
で、上記のこともふまえて、唐沢俊一による「映画の中の節足動物」の紹介を読むと、
唐沢俊一という人はギャグをギャグとして認識するのが不得意なのではないかという
疑念が、ますますふくらんでくるのである。
『トンデモ一行知識の逆襲』 P.156 ~ P.157
とにかく、本職の昆虫学者(この本の執筆メンバーは全員がARPE・
アメリカ職業昆虫学者部会のメンバーである)が、大真面目にハリウッド
の巨大昆虫映画を評論しているのである。そのツボのはずし方は天然で、
とても『映画秘宝』のライターたちの及ぶところではない。
(映画の中の節足動物は)理性的な人にはすべからく嘲笑されるような
明白に愚鈍なイメージを表している。昆虫学者(あるいは一般的な“科学
者”)は、通常、現実離れしているとか変わり者とか、精神病者、あるいは、
少なくとも無能で間抜けな人間として表されている。科学的努力が完全に
肯定的な見方で示されている例は節足動物映画の中には一例も見られ
ないし、多くの場合、科学や科学的方法が間違って示されている。
この事実に対し、筆者(J・W・マーチンス)は、
登場人物が一般大衆の代弁者として語っているのだろうか。それとも
映画製作者が、彼らを通して観客に影響を与えるようにと語りかけている
のだろうか?
と、節足動物及び昆虫学者のイメージを悪くする映画会社の陰謀を暗に
匂わせたりして、とにかく大笑いできる論文になっている。
×理性的な人 ○「理性的」な人
×J・W・マーチンス ○ジェームズ・W・マーチンズ または J・W・マーチンズ
ד科学者” ○「科学者」
唐沢俊一はどうしても、執筆者の昆虫学者のことを、専門分野ではともかく映画評論に
ついては無知で、ツボをはずしまくっている天然さんということにしたかったようである。
繰り返される「論文」との記述も、それを強化するためのものだったのだろうか。
しかし、前述のように、『虫屋のよろこび』は一般向けに書かれた本である。そして唐沢
俊一の言い草は、一般の人にも昆虫に興味をもってもらうために面白おかしい記述を
工夫した、執筆者の努力を否定するものである。
それに、専門分野が別にありながら、「昆虫の出てくる映画の総まくり」というマニアック
な映画リストを作ってしまう人たちがいるってことも、感心するポイントじゃないかと思う
んだけど。陰謀論を唱えるトンデモさんであるかのように貶す前に。
個人的には、この本はアシモフの科学エッセイに感じが似ているかなと思った。何も、
浮世離れした学者が天然ボケを連発という図式に無理矢理あてはめなくても、充分に
面白いし、笑える本だと思う。
ある意味関連エントリー (と学会には、ギャグをギャグとして認識しないヒトが意外に多い?) :
・と学会バッヂは、ともだち互助委員会の印
追記 : 今になって、とても疑わしく思えてきているのが、平凡社のスタッフが唐沢俊一に
質問したというこれ↓
>「唐沢さんならおわかりと思ったんですけど、日本映画で“巨大化された四本足のフン
>コロガシがゴジラと戦う”という映画、なんだかご存じないですか」
『虫屋のよろこび』 P.329 では、
>一九七六年 〈略〉 『ゴジラ対メガロ (Godzilla vs. Megalon)』 (日本、一九七三)―巨大
>で擬人化された四足獣のフンコロガシ
原著にも書かれている、あちらで公開されたときの題名が「Godzilla vs. Megalon」。
- http://en.wikipedia.org/wiki/Godzilla_vs._Megalon
なのに、「日本映画で“巨大化された四本足のフンコロガシがゴジラと戦う”という映画」
とだけいって質問するかなあ。ゴジラ vs. メガロンとかいう題で公開されたそうなんです
けど――とか何とか言い添えそうなものだけど。
2008/10/5 1:05
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
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2008/10/4 13:55
投稿者:岡田K一
なるほど!
たしか、呉智英が「すべからくをよく誤用するものたち」としてあげた中に、唐十郎も入っていたと思います。
澁澤は、状況劇場の芝居をよく見に行ったり、「犬狼都市」が芝居化されたりと、唐とは交流があったわけですから・・。
「彼が元凶」と冷たいことを言わず、もっと早めに指摘してあげればよかったのに・・。とも思いますね。
たしか、呉智英が「すべからくをよく誤用するものたち」としてあげた中に、唐十郎も入っていたと思います。
澁澤は、状況劇場の芝居をよく見に行ったり、「犬狼都市」が芝居化されたりと、唐とは交流があったわけですから・・。
「彼が元凶」と冷たいことを言わず、もっと早めに指摘してあげればよかったのに・・。とも思いますね。
2008/10/3 21:53
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
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せっかくなので、さらに話を逸らして、澁澤の『太陽王と月の王』
より (P.152 ~ P.153)。下記の文章の初出は 1980 年。
> ところで、つらつら考えると、この奇怪な「すべからく」を流行
>せしめた元凶ともいうべき人物は、あの状況劇場の唐十郎ではない
>だろうか。どうも私には、そんな気がしてくるのである。
> そこで、御苦労さまにも唐十郎の評論集をひっぱり出してきて、
>しらべてみると、はたして私の予感は的中、彼はいたるところで
>「すべからく」をふんだんに使っているではないか。いわく、
>「すべからく生きている今日の人間が……」
>「すべからく呪われた民だという発想から……」
> これほどまでに自分勝手な、既成の意味を無視した、めちゃく
>ちゃな言葉の使い方をみると、やっぱり唐十郎は一種の天才なのか
>な、という気がしてくるほどである。これはおう、完全な言葉の破
>壊という以外にはいいようがないだろう。いや、破壊というよりも
>ネオロジスム(新造語)かな。
> ここで私が、中学校の漢文の先生よろしく、「すべからく」とい
>う言葉の正しい語義ならびに用法を説明するのは、いかにも野暮っ
>たい所業のようで、どうも気がすすまない。しかしここまで書いて
>しまった以上、やらないわけにはいかないだろう。まあ先刻承知の
>方は、どうかお笑いください。
> 「すべからく」はもともと漢文の訓読から出た語で、漢文では須
>と書くのである。須田町の須である。必須の須である。
> 必須科目というのは、選択科目とちがって、どうしても学習しな
>ければならない科目なのだ。すべからく学習すべき科目のことだ。
>「すべからく」という言葉は、こういう場合に用いるのである。
>「百尺竿頭すべからく進歩すべし、十万世界是れ全身」という有名
>な言葉がある。「すべからく……」ときたら、そのあとは「……べ
>し」で結ばなければいけないのである。よろしいですか、みなさ
>ん。ここは大事なところですから、よく聞いてくださいよ。
より (P.152 ~ P.153)。下記の文章の初出は 1980 年。
> ところで、つらつら考えると、この奇怪な「すべからく」を流行
>せしめた元凶ともいうべき人物は、あの状況劇場の唐十郎ではない
>だろうか。どうも私には、そんな気がしてくるのである。
> そこで、御苦労さまにも唐十郎の評論集をひっぱり出してきて、
>しらべてみると、はたして私の予感は的中、彼はいたるところで
>「すべからく」をふんだんに使っているではないか。いわく、
>「すべからく生きている今日の人間が……」
>「すべからく呪われた民だという発想から……」
> これほどまでに自分勝手な、既成の意味を無視した、めちゃく
>ちゃな言葉の使い方をみると、やっぱり唐十郎は一種の天才なのか
>な、という気がしてくるほどである。これはおう、完全な言葉の破
>壊という以外にはいいようがないだろう。いや、破壊というよりも
>ネオロジスム(新造語)かな。
> ここで私が、中学校の漢文の先生よろしく、「すべからく」とい
>う言葉の正しい語義ならびに用法を説明するのは、いかにも野暮っ
>たい所業のようで、どうも気がすすまない。しかしここまで書いて
>しまった以上、やらないわけにはいかないだろう。まあ先刻承知の
>方は、どうかお笑いください。
> 「すべからく」はもともと漢文の訓読から出た語で、漢文では須
>と書くのである。須田町の須である。必須の須である。
> 必須科目というのは、選択科目とちがって、どうしても学習しな
>ければならない科目なのだ。すべからく学習すべき科目のことだ。
>「すべからく」という言葉は、こういう場合に用いるのである。
>「百尺竿頭すべからく進歩すべし、十万世界是れ全身」という有名
>な言葉がある。「すべからく……」ときたら、そのあとは「……べ
>し」で結ばなければいけないのである。よろしいですか、みなさ
>ん。ここは大事なところですから、よく聞いてくださいよ。
2008/10/3 20:55
投稿者:岡田K一
話がそれますが・・。
粗忽亭さんが引用された、以下の言葉、非常に興味
深かったです・・。
> 呉智英などという人たちは
> 「今の私を構成している要素」
呉智英の本をちゃんと読んでいれば、「生半可な
知識で、適当なことをいうのは、ろくなことがない」
ということが、重々、わかりそうな、もので
すが・・。
呉智英の「普通の人のしらないような知識をよく知
っていて、それで他人の無知を攻撃する」という方法
だけに、憧れちゃったんでしょうか?
>まろというのは“麿”“麻呂”から来ているのだ
>と思うが
>こういうことを言うのも何だが、“まろ”は“
>まら(摩羅。男性器)”が語源であり、男児を表
>す呼称である。
というのが、唐沢的には「呉智英の影響」なので
しょうかねえ・・。
粗忽亭さんが引用された、以下の言葉、非常に興味
深かったです・・。
> 呉智英などという人たちは
> 「今の私を構成している要素」
呉智英の本をちゃんと読んでいれば、「生半可な
知識で、適当なことをいうのは、ろくなことがない」
ということが、重々、わかりそうな、もので
すが・・。
呉智英の「普通の人のしらないような知識をよく知
っていて、それで他人の無知を攻撃する」という方法
だけに、憧れちゃったんでしょうか?
>まろというのは“麿”“麻呂”から来ているのだ
>と思うが
>こういうことを言うのも何だが、“まろ”は“
>まら(摩羅。男性器)”が語源であり、男児を表
>す呼称である。
というのが、唐沢的には「呉智英の影響」なので
しょうかねえ・・。
2008/10/3 14:38
投稿者:粗忽亭主人
あ、引用でしたか。失礼しました。勘ちがいしていました。
『トンデモ一行知識の逆襲』は出た当時に買ったんですが、中身の記憶がさっぱり残ってなくて。ひょっとしたら、買っただけで、ほとんど読まなかったのかもしれません。
おさわがせしました。
『トンデモ一行知識の逆襲』は出た当時に買ったんですが、中身の記憶がさっぱり残ってなくて。ひょっとしたら、買っただけで、ほとんど読まなかったのかもしれません。
おさわがせしました。
2008/10/3 1:55
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
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>岡田K一さん >金平糖さん
ちょっとググってましたが、メガロはカブトムシというのは公式設定
なのかどうかは、よくわかりませんでした。
Amazon のレビュー欄には、いろいろと熱い書き込みが多く、
「スカラベちっく」と書いている人もいました。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000228U6W
>当のメガロも公開が終わるまで、カブトではなくゴッキーと思って
>いた私(恥
>よくみるとスカラベちっくなとこもあったりなかったり。
>末期的な作品です。メガロがいけない。だいたい昆虫怪獣が当たっ
>たためしがない。それでソフビを作ったけれどもちっとも売れな
>かった。逆にプレミアがついて高値が
で、岡田さんのいう「『こいつは馬鹿だ』と、見下げている」です
が、単純に「あ、こいつ、変なこと書いている。馬鹿だ」というので
見下げているのではなくて、学者先生より頭のよい自分をアピールし
たくて、可能なかぎり相手をバカっぽく見せようとする努力のような
ものを感じます。
まあ東氏に対してネチネチと、「文章が下手だ」とかからんだエピ
ソードを思い出してしまうからというのもあるですけど。
http://www.hirokiazuma.com/texts/karasawa.html
>唐沢俊一氏の「悪口」について
>東浩紀氏の悪口はあまり言いたくない。“またか”と思われるからだ
>が、それにしても東氏ファンに聞きたい。今日の書評もそうだった
>が、彼、文章があまりに下手すぎないか?
>悪文ならまだよろしい。単なる幼稚な文章なのである。ウソだと思
>うなら、同じ書評欄の他の評者の文章と比較してみるといい。
ちょっとググってましたが、メガロはカブトムシというのは公式設定
なのかどうかは、よくわかりませんでした。
Amazon のレビュー欄には、いろいろと熱い書き込みが多く、
「スカラベちっく」と書いている人もいました。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000228U6W
>当のメガロも公開が終わるまで、カブトではなくゴッキーと思って
>いた私(恥
>よくみるとスカラベちっくなとこもあったりなかったり。
>末期的な作品です。メガロがいけない。だいたい昆虫怪獣が当たっ
>たためしがない。それでソフビを作ったけれどもちっとも売れな
>かった。逆にプレミアがついて高値が
で、岡田さんのいう「『こいつは馬鹿だ』と、見下げている」です
が、単純に「あ、こいつ、変なこと書いている。馬鹿だ」というので
見下げているのではなくて、学者先生より頭のよい自分をアピールし
たくて、可能なかぎり相手をバカっぽく見せようとする努力のような
ものを感じます。
まあ東氏に対してネチネチと、「文章が下手だ」とかからんだエピ
ソードを思い出してしまうからというのもあるですけど。
http://www.hirokiazuma.com/texts/karasawa.html
>唐沢俊一氏の「悪口」について
>東浩紀氏の悪口はあまり言いたくない。“またか”と思われるからだ
>が、それにしても東氏ファンに聞きたい。今日の書評もそうだった
>が、彼、文章があまりに下手すぎないか?
>悪文ならまだよろしい。単なる幼稚な文章なのである。ウソだと思
>うなら、同じ書評欄の他の評者の文章と比較してみるといい。
2008/10/3 1:23
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
http://tondemonai2.web.fc2.com/
>粗忽亭主人さん。
「すべからく」については「おっ」と思ったしツッコミたかったので
すが、これは『虫屋のよろこび』からの引用部分なので……。本文中
で 2 箇所×とつけたのは、原文を勝手に変更しているところ。「すべ
からく」は原文ママの部分です。
ここの引用では、「映画会社の陰謀を暗に匂わせたりして」とか書い
ている部分の切り取り方について、ちょっと気になっています。『虫
屋のよろこび』の中の、元の文章は以下の通り。↓
>脚注マークがついているものは例外を示しているが、節足動物は一
>般に危険や死といった脅迫的で不吉なイメージ、神経質な人には不
>快で衝撃的なイメージ、「理性的」な人にはすべからく嘲笑される
>ような明白に愚鈍なイメージを表している。昆虫学者(あるいは一
>般的な「科学者」)は、通常、現実離れしているとか変わり者と
>か、精神病者、あるいは、少なくとも無能で間抜けな人間として表
>されている。科学的努力が完全に肯定的な見方で示されている例は
>節足動物映画の中には一例も見られないし、多くの場合、科学や科
>学的方法が間違って示されている。ブラスタイン(一九五八年)に
>よれば、「映画は科学について民衆が抱いている隠れた憶測を秘か
>に組み込む」のである。しかし登場人物が一般大衆の代弁者として
>語っているのだろうか。それとも映画製作者が、彼らを通して観客
>に影響を与えるようにと語りかけているのだろうか?
「登場人物が」から「語りかけているのだろうか」の部分は、確かに
本にもそう書かれているのですが、何だかできるだけ頭の悪いトンデ
モさんぽく見せようとする引用のしかたではないかという気が……。
「すべからく」については「おっ」と思ったしツッコミたかったので
すが、これは『虫屋のよろこび』からの引用部分なので……。本文中
で 2 箇所×とつけたのは、原文を勝手に変更しているところ。「すべ
からく」は原文ママの部分です。
ここの引用では、「映画会社の陰謀を暗に匂わせたりして」とか書い
ている部分の切り取り方について、ちょっと気になっています。『虫
屋のよろこび』の中の、元の文章は以下の通り。↓
>脚注マークがついているものは例外を示しているが、節足動物は一
>般に危険や死といった脅迫的で不吉なイメージ、神経質な人には不
>快で衝撃的なイメージ、「理性的」な人にはすべからく嘲笑される
>ような明白に愚鈍なイメージを表している。昆虫学者(あるいは一
>般的な「科学者」)は、通常、現実離れしているとか変わり者と
>か、精神病者、あるいは、少なくとも無能で間抜けな人間として表
>されている。科学的努力が完全に肯定的な見方で示されている例は
>節足動物映画の中には一例も見られないし、多くの場合、科学や科
>学的方法が間違って示されている。ブラスタイン(一九五八年)に
>よれば、「映画は科学について民衆が抱いている隠れた憶測を秘か
>に組み込む」のである。しかし登場人物が一般大衆の代弁者として
>語っているのだろうか。それとも映画製作者が、彼らを通して観客
>に影響を与えるようにと語りかけているのだろうか?
「登場人物が」から「語りかけているのだろうか」の部分は、確かに
本にもそう書かれているのですが、何だかできるだけ頭の悪いトンデ
モさんぽく見せようとする引用のしかたではないかという気が……。
2008/10/3 0:56
投稿者:金平糖
メガロは明確なモデルがあるとは言えないわけで
別にふんころがしでも問題ないと思うんだけどね
角が特徴的なんでカブト虫っぽいと言われるけど
カブトっぽいとは言いがたい、顔の作りはセミっぽいし
全体的にスカラベっぽいとも思える
なによりスカラベは創造神ケプリの象徴だし、太陽神として扱われたり
レムリア人の末裔の尖兵として登場するにはもってこい
怪しい遺跡や古代文明のなんたらかに登場する虫としては
一番のはまり役なわけで
ふんころがしと言われたら「なるほどそうか」となりそうなもんだが
唐沢先生はそういう方面の知識がなぜかないみたいなんですよね
別にふんころがしでも問題ないと思うんだけどね
角が特徴的なんでカブト虫っぽいと言われるけど
カブトっぽいとは言いがたい、顔の作りはセミっぽいし
全体的にスカラベっぽいとも思える
なによりスカラベは創造神ケプリの象徴だし、太陽神として扱われたり
レムリア人の末裔の尖兵として登場するにはもってこい
怪しい遺跡や古代文明のなんたらかに登場する虫としては
一番のはまり役なわけで
ふんころがしと言われたら「なるほどそうか」となりそうなもんだが
唐沢先生はそういう方面の知識がなぜかないみたいなんですよね
2008/10/2 23:21
投稿者:岡田K一
メガロをフンコロガシと間違えた時点で、「こいつは馬鹿だ」と、見下げているのではないでしょうか。
たいした間違いでもないのに・・・。
たいした間違いでもないのに・・・。
2008/10/2 13:25
投稿者:粗忽亭主人
http://sokotsutei.txt-nifty.com/
http://sokotsutei.txt-nifty.com/
コネタではありますが、他人の文章をへただと批判できるぐらい文章に自信をもっている唐沢さんですが、引用文中におなじみの「すべからく」の誤用がありますね。これ、呉智英さんの十八番のネタなのになあ。
> 呉智英などという人たちは
> 「今の私を構成している要素」
(2005年2月10日の「裏モノ日記」より)
という割には身についていないというのは、あいかわらずですね。
> 呉智英などという人たちは
> 「今の私を構成している要素」
(2005年2月10日の「裏モノ日記」より)
という割には身についていないというのは、あいかわらずですね。
×これはおう
○これはもう
です。すみません。(汗
>もっと早めに指摘してあげればよかったのに・・。
そうですねえ。ただ、前回あえて長文引用してみた理由のひとつに、
「破壊というよりもネオロジスム(新造語)かな」「正しい語義なら
びに用法を説明するのは、いかにも野暮ったい所業のようで」「先刻
承知の方は、どうかお笑いください」といった記述が混じっていると
いうことがあります。
呉智英の方の本は手元にないので、何回か読んだ彼の週刊誌連載での
文章の記憶をもとにいってしまいますが、上にあげたようなことは、
呉智英は滅多に書かないのでは。
澁澤も「すべからく」の誤用にはかなり不快感を表明はしているので
すが、「ネオロジスム(新造語)かな」「野暮ったい所業」とかいっ
た気持ちが、「早めに指摘」をストップさせていたのではないかと勝
手に想像したりしています。