トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/11/4  0:01

座敷童子の宿は緑風荘というそうだ  本以外の媒体 間違い探し編

『マジかもミステリーツアー』 2008.11.2 (日本テレビで放送)
青田典子がレポートする岩手県「座敷童」の VTR 後(番組開始 1時間 20分ぐらいの所)
船越英一郎「座敷童は子供には見えるんだって、でも大人になると見えなく
なってしまうんだよって」
唐沢俊一「それはねえ世界中の妖精のお話に付き物のゴニョゴニョ、ピータ
ーパンとかね。ですからようするに座敷童が去るとその家が不幸になるとか
いうのもですね、別に座敷童が幸不幸を司っているって事じゃなくて、人間が
純粋な心を失っちゃいけませんよ。純粋なその信ずる心を失った時に、え~
幸せっていうのは去っていくのかもしれないなっていうゴニョゴニョ(本当に
この人は語尾が聞き取れない)」

つまり、「純粋なその信ずる心」があれば、妖精さんも見れるし、座敷童だって見れると。
いや、座敷童というもの自体、純粋な心の象徴みたいなもので、これを失うと幸せだって
去っていってしまうと。その家のものが座敷童の姿を見ることができないということと、
座敷童が去ってしまっていて家にはいないというのは、通常は同一視されないのだが。

多くの人が座敷童ときいて真っ先に連想しそうな、その家を富み栄えさせるものという
要素は、すっぱり無視。子どもには見えるんだってという相手の話を受け、時折人間の
子どもと遊んだりする、いたずら好きな子どもの神様 (妖怪) という面を強調するわけでも
ない。ひたすら純粋な心の大切さと、それによって得られる幸せ (必ずしも現世利益的な
ものではない?) を説くというのは、悪い意味で独創的に過ぎるだろう。柳田國男も折口
信夫も宮沢賢治も華麗にスルーしてしまっているし。

以前に倖田來未が「羊水腐る」発言をしたとき、唐沢俊一は、「一切の汚れを排除した
キレイな自分を追求すること
」を「ピュア信仰」という彼の造語で表現し、その信仰をもつ
ものを「ピュア信者」と呼んだ (「水も唐沢俊一も答えなんか知っちゃいない」を参照)。
しかし、実は唐沢俊一本人こそが、ピュア信仰のピュア信者だったというオチ……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/座敷童子
>一般的には、赤面垂髪の5、6歳くらいの小童(童子のことも童女のこともある)で、豪
>家や旧家の奥座敷におり、その存在が家の趨勢に関ると言われるため、これを手厚く
>取り扱い、毎日膳を供える家もある。座敷または蔵に住む神と言われる[3]。座敷童子
>は悪戯好きで、夜になると客人の布団の上にまたがったり枕を返したりするが、見たも
>のには幸運が訪れるといわれる。〈略〉押さえようとすると相撲が強くて歯が立たない、
>子供の目には見えて一緒に遊んだりもする[3]。
〈略〉
>柳田國男によればザシキワラシの起源を仏教の守護霊として「高僧が護法童子を天
>より呼んだのと同じく」民間巫女の守護霊にあたり、若葉の魂の清新さを尊重する信
>仰へとつながり、この神を子供を家屋等の守護者とする習俗に関係があると見て、神
>意を人間に伝えるため家の守護霊としてのワラシ信仰へとつながったとみている。
>〈略〉柳田以降の民俗学でも、オクナイ様との繋がりや竜宮童子など異界から訪れる
>童子との関連などが論じられている[5]。
>民俗学者・折口信夫はオクナイサマ、静岡の座敷坊主、徳島のアカシャグマ、沖縄の
>キジムナー、壱岐のガアタロなどの例を引いて、外の土地のある家のために働きに来
>る忠実な精霊がいて、いなくなると家が衰えると言う型の話と見た。そして座敷童子が
>庭に降りない点に注目し、かつての芸能が庭・座敷・舞台とに分けられていたことと関
>連づけて考えている[3]。


http://wiki.livedoor.jp/ebatan4/d/%BA%C2%C9%DF%C6%B8%BB%D2
>東北地方に伝わる子供の妖怪。居つくと福が訪れると言われ、また出て行くとその家
>は落ちぶれるとも言われる。現実にも座敷童子を見たと言う人は多く、特にみちのくの
>ある旅館では出会っていい事があった人がお礼を送ってくるので有名。その中には漫
>画家のつのだじろうもおり、座敷童子が現われる場所にはしっかり彼のイラストが置か
>れている。
>水木妖怪だけでなく多くの作品が書かれており、それは怪奇作家とは限らない。民族
>学者の柳田国男、宮沢賢治や筒井康隆も題材にしている。少年少女ドラマシリーズの
>「ユタと不思議な仲間達」もこの座敷童子の話である。





http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1225599380/120-

120 :無名草子さん:2008/11/03(月) 10:45:58
『マジかもミステリーツアー』2008.11.2(日本テレビで放送)その2
南キャン山里亮太が紹介する「京都お手軽ミステリー」のVTR後(番組開始55分ぐらいの所)
唐沢「元々京都ってのは石文化が、石畳とかぁあと石庭であるとか石の地蔵様であるとか、石文化
 があるんですよね。あの京都っていうのは日本で最大の、当時ね、とにかく日本史上始まって
 以来の都市計画で造られた街なんで、中国の街を、洛陽という街をそのまま模しているわけなん
 ですけど、そのために大量の石が必要になって、ちかくの山々、それと全国各地から石が集めら
 れたわけです。そのために石にまつわる伝説、それか石にまつわるなにかミステリーというのが
 沢山あって、というかそもそも京都の人ってのはミステリー好きなんですよ」

青田典子がレポートする岩手県「座敷童」のVTR後(番組開始1時間20分ぐらいの所)
船越英一郎「座敷童は子供には見えるんだって、でも大人になると見えなくなってしまうんだよって」
唐沢俊一「それはねえ世界中の妖精のお話に付き物のゴニョゴニョ、ピーターパンとかね。
 ですからようするに座敷童が去るとその家が不幸になるとかいうのもですね、別に座敷童が
 幸不幸を司っているって事じゃなくて、人間が純粋な心を失っちゃいけませんよ。純粋なそ
 の信ずる心を失った時に、え~幸せっていうのは去っていくのかもしれないなっていうゴニョ
 ゴニョ(本当にこの人は語尾が聞き取れない)」


122 :無名草子さん:2008/11/03(月) 11:05:12
>>119
>唐沢「河童のミイラって実は全国に色々あるんですけどね、博物館なんかにも祀られているわけで。

寺とかにあるものならまだしも、博物館で河童のミイラを祀っているというのはないだろうに。

>なんらかの生物だったことは間違いない、それの中に本当の河童があるかも知れない。

? この番組って、河童のミイラはツギハギで製作された説って全然やってないの?

>別に座敷童が幸不幸を司っているって事じゃなくて、人間が純粋な心を失っちゃいけませんよ。

あんまり聞かない説のような。それも悪い意味で。



2008/11/5  7:46

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

六部殺しとかは京極夏彦もやってましたですね。

> 唐沢氏はその方面の雑学とか教養はないんでしょうかね

そういえば、座敷童についての雑学を、他の本などで披露しているの
を見たことはなかったような。それにしたって、座敷童をネタにしま
すよくらいは、事前に番組関係者から知らされたりしないものかと、
不思議に思うのですが。天然ボケ系の若手アイドルの女の子が話すん
だったら可愛いかもってなことを、蘊蓄をいう役のはずの 50 のオジ
さんが語るのは怖過ぎというか……。

唐沢俊一が得意そうな実話怪談モノの系統では、座敷童イコール幼く
して死んだ子どもの幽霊というパターンも多いんですけどね。

2008/11/4  22:20

投稿者:個人投資家

>別に座敷童が 幸不幸を司っているって事じゃなくて、人間が純粋な心を失っちゃいけませんよ。純粋なそ
 の信ずる心を失った時に、

 うーっむ。
 奇跡や超常現象を物理的に無理矢理説明を付けたためにかえってトンデモになった大槻教授のようですね。

 座敷わらしはその家の守護をしていることぐらい、民俗学の本をちょっとひっくり返せばわかるのに。
 犬神筋とか六部殺しとか、ある家が栄えてまた落ちぶれるのを説明するための民俗学上のメカニズムは、色々あるんですけどねえ。
 唐沢氏はその方面の雑学とか教養はないんでしょうかね

   
 
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