トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/7/10  0:24

なかったことにされてしまった数多のあだ名  その他の雑学本 間違い探し編

『キッチュワールド案内』 P.98
日本においては古くは小碓の皇子が日本建(ヤマトタケル)と名乗ったり、
厩戸皇子が訴訟裁定に優れてよく人の意見を聞き分けたところから豊聡耳
(とよとみみ)とあだ名されたという例はあるものの、英雄・豪傑にこういう
あだ名をつける風習はあまり定着せず、戦国時代においてもせいぜいが
伊達政宗の“独眼龍”、斉藤道三の“毒蝮”などが残っているくらいだ。
徳川家康の“狸親父”というのもこれに入るか。三人が三人とも、権謀術数
を用いた梟雄として歴史に名を残しているところを見ると、日本人の感性に
は、あだ名はその人物の悪い性質を指すもの、という受け取られ方を主に
されていたらしい。

×日本建 ○倭建 または 日本武
ד毒蝮” ○“美濃の蝮”

ヤマトタケルノミコトの表記は、『古事記』では「倭建命」、『日本書紀』では「日本武尊
とのこと[1][2]だから、ヤマトタケルに漢字をあてなら、「倭建」か「日本武」だろう。
また、ヤマトタケルというのは、討伐した相手から死に際にゆずられた名前であるから、
ここで言及されている「あだ名をつける風習」についての例として適切かどうかは疑問。

斎藤道三のあだ名は「美濃の蝮」[3]。2ちゃんねるのスレの書き込みには「石井伊吉と
間違えるな、とまずは突っ込み
」とあるが (Read More 参照)、「毒蝮三太夫」の本名が
石井伊吉[4]。

そして、「あだ名をつける風習はあまり定着せず」「戦国時代においてもせいぜいが
伊達政宗、斉藤道三、徳川家康の 3 人くらいだというのは理解に苦しむガセビアとしか。
織田信長の「うつけ」、豊臣秀吉の「猿」、武田信玄の「甲斐の虎」などの、誰もが知る例
までも無視してしまっている。

あだ名が現在まで伝わっている戦国時代の武将は、3 人くらいでは到底おさまらない。
2ちゃんねるのスレにも多数書き込まれているし (これも Read More 参照)、[5] の
http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Ekazu310/adana.htm にも何十名と列挙されている。
また、これらを見れば、「あだ名はその人物の悪い性質を指すもの」でないこともわかる。
いや、唐沢俊一のあげた例の中だけでも、“独眼龍”は「悪い性質を指すもの」に該当
しないのだが……。

さらに、「権謀術数を用いた梟雄」とあるが、「梟雄」の意味は「残忍で強い人」[6]。
徳川家康は、特に残忍さで「歴史に名を残している」わけではないと思う。

[1] - http://ja.wikipedia.org/wiki/ヤマトタケル
>誅伐された弟建は死に臨み、その武勇を嘆賞し、自らをヤマトヲグナと名乗る小碓命に
>譲って倭建(ヤマトタケル)の号を献じた(『日本書紀』では熊襲の首長が川上梟帥
>〈タケル〉一人とされている点と、台詞が『古事記』より、天皇家に従属的な点を除け
>ば、ほぼ同じである。 ヤマトタケルノミコトは日本武尊と表記される)。


[2] - http://www.amazon.co.jp/dp/4003000420
>日本書紀〈2〉 (岩波文庫) (文庫)
>内容(「BOOK」データベースより)
>「天皇の曰はく、『烟気、国に満てり。百姓、自づからに富めるか』とのたまふ」(仁徳
>天皇七年四月)。任那・新羅の抗争、日本武尊・神功皇后の熊襲征伐、新羅出兵など、
>「巻第六 垂仁天皇」から「巻第十三 允恭天皇・安康天皇」までを収録。


[3] - http://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤道三
>「美濃の蝮」の異名を持ち、

[4] - http://www14.big.or.jp/%7Ehosoya/who/to/dokumamushi-sandayu.htm
>氏名 毒蝮三太夫 (ドクマムシ・サンダユウ)
>本名(旧姓名) 石井伊吉


[5] - http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Ekazu310/adana.htm
>ともかく、今も昔も「異名・あだ名」ってのは普遍のものらしい。戦国武将には「かっちょ
>いい」異名・あだ名の武将が多いので、「あいうえお順」に集めてみました。


[6] - http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=梟雄&dtype=0&stype=1&dname=0ss
>きょうゆう[けう―] 0 【▼梟雄】
>残忍で強い人。


追記 : コメント欄の指摘を受けて、「越後の虎」を「甲斐の虎」に訂正。
上杉謙信の「越後の龍」と「越後の虎」、武田信玄の「甲斐の虎」と「甲斐の龍」、
どれもあだ名としてあるようだけど、信玄の虎のイメージが一番強い気がするので、
本文中には「甲斐の虎」のみをあげておいた。



http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1214482730/584-

584 :無名草子さん:2008/07/07(月) 13:57:17
『キッチュワールド案内』 P98

>戦国時代においてもせいぜいが伊達政宗の“独眼龍”、斉藤道三の“独蝮”などが残っているくらいだ。


 斉藤道三は「美濃の蝮」。石井伊吉と間違えるな、とまずは突っ込み、しかし、なんといい加減な文章だろう。
羽柴秀吉の「猿面冠者」をはじめとして戦国武将には様々な異名があった。
津軽為信→津軽の梟雄、笹森勘解由→鬼勘解由、北信景→南部の光り武者
安東愛季→斗星の北天に在るにさも似たり、安東尋季→東海将軍、松前慶広→狄の千島の屋形
戸沢盛安→夜叉九郎、羽川義植→盗賊大名、伊達忠宗→守成の賢君
片倉重長→鬼の小十郎、後藤信康→黄後藤、最上義光→羽州の狐、鮭延秀綱→乞食大将
大宝寺義氏→悪屋形、佐竹義重→鬼義重、真壁氏幹→鬼真壁、梅津憲忠→佐竹の黄鬼
滑川通雪→槍の滑川、里見義弘→万年君、正木時茂→槍大膳、土岐為頼→万喜少粥
水谷正村→退かず蟠龍、長野業正→上州の黄斑、小幡信貞→上州の朱武者
 きりがない……。

585 :無名草子さん:2008/07/07(月) 14:06:10
>>584
有名どころだけ…

長尾景虎→越後の虎、武田信玄→甲斐の虎、秋山信友→武田の猛牛、保科正俊→槍弾正
今川義元→東海一の弓取り、渡辺守綱→槍の半蔵 、織田信秀→尾張の虎 、織田信長→戦尾張の(大)うつけ
明智光秀→きんか頭、柴田勝家→掛かれ柴田、前田利家→傾奇者、石田三成→はんさん者 、山内一豊→猪右衛門
福島正則→竹の矢市松 、加藤清正→鬼将軍、
 つか「異名」持たない戦国武将なんていないんじゃないか。


586 :無名草子さん:2008/07/07(月) 14:26:53
>>584
ひでえなこりゃ。
小説どころか、横山光輝の戦国ものの漫画も読んでないのか?
というか世代的に戦国詳しくねえのかよw

588 :無名草子さん:2008/07/07(月) 14:41:32
>>584
>戦国時代においてもせいぜいが伊達政宗の“独眼龍”、斉藤道三の“独蝮”などが残っているくらいだ。

↑ここの前の文章はどうなってるの?

590 :無名草子さん:2008/07/07(月) 14:57:03
>>586
前後も含めた文章。
『キッチュワールド案内』P98

>日本においては古くは小碓の皇子が日本建(ヤマトタケル)と名乗ったり、
>厩戸皇子が訴訟裁定に優れてよく人の意見を聞き分けたところから豊聡耳
>(とよとみみ)とあだ名されたという例はあるものの、英雄・豪傑にこういう
>あだ名をつける風習はあまり定着せず、戦国時代においても
>せいぜいが伊達政宗の“独眼龍”、斉藤道三の“毒蝮”などが残っているくらいだ。
>徳川家康の“狸親父”というのもこれに入るか。三人が三人とも、権謀術数を用いた
>梟雄として歴史に名を残しているところを見ると、日本人の感性には、あだ名はその人物の
>悪い性質を指すもの、という受け取られ方を主にされていたらしい。

 厩戸皇子にはは豊聡耳、上宮王、『上宮聖徳法王帝説』での厩戸豊聰耳聖徳法王、上宮聖徳法王、
万葉集巻三の上宮聖徳皇子の異名がある。むろん聖徳太子も。

>あだ名はその人物の悪い性質を指すもの

「独眼龍」が、そうなのか?

591 :無名草子さん:2008/07/07(月) 15:04:23
「隻眼」という意味の障害者だという事をあだ名にする事が悪い性質って思いたいんでしょ。

597 :無名草子さん:2008/07/07(月) 15:35:37
>>590
>日本においては古くは小碓の皇子が日本建(ヤマトタケル)と名乗ったり、
(略)
>という例はあるものの、英雄・豪傑にこういうあだ名をつける風習はあまり定着せず、

ヤマトタケルってあだ名か?


599 :無名草子さん:2008/07/07(月) 15:41:10
>>590
>ヤマトタケル
これは敵方からつけられたあだ名をそのまま名乗ったんじゃなかったっけ

816 :無名草子さん:2008/07/09(水) 22:31:43
>>584
>古くは小碓の皇子が日本建(ヤマトタケル)と名乗ったり

漢字をあてるなら、「倭建」か「日本武」では。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%83%a4%e3%83%9e%e3%83%88%e3%82%bf%e3%82%b1%e3%83%ab
>誅伐された弟建は死に臨み、その武勇を嘆賞し、自らをヤマトヲグナと名乗る小碓命に譲って
>倭建(ヤマトタケル)の号を献じた(『日本書紀』では熊襲の首長が川上梟帥〈タケル〉一人と
>されている点と、台詞が『古事記』より、天皇家に従属的な点を除けば、ほぼ同じである。
>ヤマトタケルノミコトは日本武尊と表記される)。

「"日本建" ヤマトタケル」でググると、ヤマトタケルは「日本建」と書いてあるページも
10 件くらいあるようで、微妙だけど。



2008/10/13  0:58

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

ご指摘ありがとうございます。「甲斐の虎」に訂正しました。

# 「誰もが知る例」と書いておきながら、これは恥ずかしい……。
# 本当に失礼しました。(_ _);

2008/10/13  0:13

投稿者:ホロ

>武田信玄の「越後の虎」
これは「甲斐の虎」ですね。
「越後の龍」が上杉謙信。

   
 
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