トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/10/29  8:15

何か無理矢理オタク/裏モノにされているような<黄遵憲  その他の雑学本 間違い探し編

『唐沢俊一のB級裏モノ探偵団』 P.3
外交官であった黄遵憲氏は、後に清国政府から、サンフランシスコ総領事
になるよう懇請されたが、それを断わり、日本研究に二年の間、心血を注
いだのである。この、採算を度外視した打ち込み方こそ、まさにオタク的と
いわずして何というか。

黄遵憲 (こうじゅんけん) は、「サンフランシスコ総領事になるよう懇請されたが、それを
断わ
」ったりしなかった。日本に約 4 年滞在した後で、サンフランシスコ総領事になって
いる。3 年後に帰国して、「外交官として再度着任」することをうながされても固辞したと
いう話と混同しているのだろう。

そして、黄遵憲はアメリカから帰国した年に『日本雑事詩』を発表。2 年経った 1887 年
頃に『日本国志』を完成させたという。研究というと日本滞在期間も含むのではないかと
考えると「日本研究に二年の間」という表現は微妙かも。

1877 年 - 日本に赴任。
1879 年 - 日本滞在 3 年目。「『日本国志』の執筆を思い立った」という。
1882 年 - サンフランシスコ総領事に転任。
1885 年 - 帰国。『日本雑事詩』刊行。
1887 年 - 『日本国志』完成。

で、2ちゃんねるのスレへの書き込みでも指摘されているけど (下の方に引用)、「採算を
度外視した
」というのは意味不明。なぜ採算?

http://ja.wikipedia.org/wiki/黄遵憲
>黄遵憲は到着してからおよそ4年間日本に滞在し、政府要人との折衝や情報収集に
>奔走した。
〈略〉
>1882年 (光緒 8年)、サンフランシスコ総領事へと転任し、日本を離れた。
〈略〉
>3年後黄遵憲は一旦帰国し、『日本国志』(にほんこくし)の完成に専念した。そのため
>張蔭桓(ちょういんかん)や張之洞(ちょうしどう)が外交官として再度着任するよう促し
>ても固辞したという。その10月には『日本国志』編纂の副産物ともいうべき『日本雑事
>詩』(にほんざつじし)を『日本国志』に先んじて刊行している。『日本国志』は1887年頃
>に完成し李鴻章らに提出されたが、光緒帝(こうちょてい)の師翁同和(おうどうわ)や
>総理衙門章京であった袁昶(えんちょう)など一部の人々に評価されるにとどまり大き
>な反響は無かった。


http://www011.upp.so-net.ne.jp/hu-xi/sgcw/ribenguozhi.html
>黄遵憲が『日本国志』の執筆を思い立ったのは、来日三年目の一八七九年頃といわ
>れ、それからアメリカに赴任し、さらにその職務を終えて故郷に帰った一八八七年に
>なって、ようやく書き終えることができた。途中、日本の地を離れることになっても、著
>述への意欲が衰えることはなく、むしろこの書のことは常に心にかかっていたという。


http://jdzg.exblog.jp/1860592/
> 「時務報」が「事務報」となっている類の誤記はさておき,日清修好条規の締結を
>1877年としているのは,あまりに粗雑な歴史認識といわざるを得ない。案ずるに,初
>代公使何如璋一行の赴任年と混同したのだろうが,日中友好の先達として,文中黄
>遵憲が特筆大書されるだけに,単なるミスではすまない問題性が潜んでいるように感
>じられる。
> たしかに,黄遵憲は日本人の生活風俗を愛して『日本雑事詩』を書き,またすぐれた
>日本研究書『日本国志』を著した。しかし,黄遵憲の日本滞在は,いわゆる朝鮮問題
>をめぐる列強の確執が次第に表面化する時期に当たっており,何如璋が琉球処分に
>対して対日強硬策を唱え,また朝鮮をめぐる綱引きを行うための理論武装の書として,
>黄遵憲に『朝鮮策略』を書かせた経緯はよく知られている。


http://www5a.biglobe.ne.jp/%7Eshici/fusang15.htm
>※日本雜事詩:日本のことを謳いあげた詩集。日本歴史に主題を取ったものが多く、独特
>の風格を備えている。全作品数は二百首ばかり。各首毎に本人の長文の附記がある叮
>嚀で、おもしろいものとなっている。


http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1224589375/581
>581 :無名草子さん:2008/10/28(火) 07:42:53
>『唐沢俊一のB級裏モノ探偵団』P.3

>>外交官であった黄遵憲氏は、後に清国政府から、サンフランシスコ総領事になるよう懇請されたが、
>>それを断わり、日本研究に二年の間、心血を注いだのである。この、採算を度外視した打ち込み方こそ、
>>まさにオタク的といわずして何というか。

>まえがきで唐沢は、近世詩界三傑の一人といわれた外交官黄遵憲をオタクの元祖と決め付ける。
>それは、黄遵憲に『日本雑事詩』という著作があるので、雑事に興味を持っていたからという
>理由らしい。日本の雑事に没頭するあまり“日本オタク”となり、サンフランシスコ総領事の
>地位も辞退したと話を進める。

>黄遵憲は1882年、サンフランシスコ総領事へと転任し、日本を離れている。人事異動であって、
>>懇請されもしなければ断わりもしていない。「採算を度外視」という言葉も滅茶苦茶。





   
 
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