2009/1/23 3:47
ハゲしく、かつら不向き ←特に意味はない 『トンデモ一行知識の逆襲』間違い探し編
『トンデモ一行知識の逆襲』 P.129
×太陽王と呼ばれるルイ十四世(一六三八~一七一五年)
○ルイ十三世 (一六〇一~一六四三年)
「頭髪が薄くなりだしたのでカツラを用いることに」し、宮廷にかつらを流行させたのは、
ルイ13世といわれている。
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761556114/content.html#s4
>17世紀後期、男性は短くかりこんだ自毛の上に、大きなカールのあるかつらをかぶり
>はじめた。この流行は、フランスのルイ13世が禿(はげ)をかくすためにもちいたのに
>はじまり、つづいてルイ14世は背を高くみせるために、高いかつらをもちいた。
http://portal.souzou.ac.jp/tabid/194/EntryID/1485/Default.aspx
>夕刊には「当時の人びとは水から伝染する疫病を恐れて洗髪を控え、短髪にしてかつ
>らをかぶっていた」とありましたが、そのはじまりについて、ウィキペディアには次のよう
>にありました。
>フランスの宮廷でかつらが流行るようになったのはルイ13世の時代からであった。
>アン王妃の不貞、友人との絶交など精神的ストレスを抱えていたルイ13世は22歳に
>して頭髪の禿げがかなり進行しており、かつらを着用することになった。それを見て気
>まずくなった廷臣達は仕方なく自分達もかつらを被ることとなり、宮廷においてかつら
>の着用が定着していったのである。
上の引用には「ウィキペディアには次のようにありました」と書かれているが、現在の
Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ13世) には、かつらについてのエピソードは
記述されてはいない (http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ14世 の方にもない。ただ、こちら
のルイ14世の肖像画を見ると、「背を高くみせるため」に何となく納得できる頭頂部の
盛り上がり)。
http://www.e-wigs.com/history-of-wigs.html
> The history of wigs in France stretches back to the reign of Louis Xlll who went
> prematurely bald. To disguise his baldness he began wearing elaborate wigs.
> Historical records indicate that the first independent wigmakers' guild was
> created in 1673. The wig now enjoyed the most noble of pedigrees from the
> seventeenth-century French courts of Louis XIII and Louis XIV and it became a
> fashion icon that was integral to the aristocratic world of power and display.
なお、宮廷のかつらのブームは「アンリ三世の御代から」とする資料もあった。
http://www.asthnonclub.com/buntai/2005/09/post_b1b8.html
> ブームとなりはじめるのは、三八歳で暗殺されたフランスのヴァロワ朝最後の王アン
>リ三世の御代から。染髪剤の調合の失敗から大量の脱毛を招いた王は、ハゲ隠しに
>かつらを着用したため、惻隠の情を感じた臣下たちが相次いでまねたことにはじまると
>いわれている。いってみれば「(誰がハゲか)みんなでかぶればわからない」といった論
>理だ。(中略)
〈略〉
>辻原康夫『服飾の歴史をたどる世界地図』河出書房新社2003年
ただまあ、http://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ3世_(フランス王) の肖像画を見るかぎり、
ルイ13世やルイ14世のように「横に垂らしてカールさせる髪型」ではない。
その他参考 URL:
- http://www.piano.or.jp/report2/04ess/20061005_4291.html
ヨーロッパ宮廷でカツラが流行しだしたのは、太陽王と呼ばれるルイ十四
世(一六三八~一七一五年)の頃からである。
彼は頭髪が薄くなりだしたのでカツラを用いることにした。もちろん、そこは
フランス専制君主の代表であるルイ十四世、ただのカツラではなく、王の
威厳をいやますような髪型を考えた。それがあの、横に垂らしてカールさせる
髪型だったわけである。
×太陽王と呼ばれるルイ十四世(一六三八~一七一五年)
○ルイ十三世 (一六〇一~一六四三年)
「頭髪が薄くなりだしたのでカツラを用いることに」し、宮廷にかつらを流行させたのは、
ルイ13世といわれている。
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761556114/content.html#s4
>17世紀後期、男性は短くかりこんだ自毛の上に、大きなカールのあるかつらをかぶり
>はじめた。この流行は、フランスのルイ13世が禿(はげ)をかくすためにもちいたのに
>はじまり、つづいてルイ14世は背を高くみせるために、高いかつらをもちいた。
http://portal.souzou.ac.jp/tabid/194/EntryID/1485/Default.aspx
>夕刊には「当時の人びとは水から伝染する疫病を恐れて洗髪を控え、短髪にしてかつ
>らをかぶっていた」とありましたが、そのはじまりについて、ウィキペディアには次のよう
>にありました。
>フランスの宮廷でかつらが流行るようになったのはルイ13世の時代からであった。
>アン王妃の不貞、友人との絶交など精神的ストレスを抱えていたルイ13世は22歳に
>して頭髪の禿げがかなり進行しており、かつらを着用することになった。それを見て気
>まずくなった廷臣達は仕方なく自分達もかつらを被ることとなり、宮廷においてかつら
>の着用が定着していったのである。
上の引用には「ウィキペディアには次のようにありました」と書かれているが、現在の
Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ13世) には、かつらについてのエピソードは
記述されてはいない (http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ14世 の方にもない。ただ、こちら
のルイ14世の肖像画を見ると、「背を高くみせるため」に何となく納得できる頭頂部の
盛り上がり)。
http://www.e-wigs.com/history-of-wigs.html
> The history of wigs in France stretches back to the reign of Louis Xlll who went
> prematurely bald. To disguise his baldness he began wearing elaborate wigs.
> Historical records indicate that the first independent wigmakers' guild was
> created in 1673. The wig now enjoyed the most noble of pedigrees from the
> seventeenth-century French courts of Louis XIII and Louis XIV and it became a
> fashion icon that was integral to the aristocratic world of power and display.
なお、宮廷のかつらのブームは「アンリ三世の御代から」とする資料もあった。
http://www.asthnonclub.com/buntai/2005/09/post_b1b8.html
> ブームとなりはじめるのは、三八歳で暗殺されたフランスのヴァロワ朝最後の王アン
>リ三世の御代から。染髪剤の調合の失敗から大量の脱毛を招いた王は、ハゲ隠しに
>かつらを着用したため、惻隠の情を感じた臣下たちが相次いでまねたことにはじまると
>いわれている。いってみれば「(誰がハゲか)みんなでかぶればわからない」といった論
>理だ。(中略)
〈略〉
>辻原康夫『服飾の歴史をたどる世界地図』河出書房新社2003年
ただまあ、http://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ3世_(フランス王) の肖像画を見るかぎり、
ルイ13世やルイ14世のように「横に垂らしてカールさせる髪型」ではない。
その他参考 URL:
- http://www.piano.or.jp/report2/04ess/20061005_4291.html