トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2009/1/17  23:45

声にあこがれていた牟田悌三も早々に一線を退いたことにする  その他の雑学本 間違い探し編

「裏モノ日記」 2009年 01月 09日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20090109085322.html
牟田悌三死去の報。
80歳。……これは地味に私にとって衝撃かもしれない。
子供の頃、最も最初にその声にあこがれた人であった。
〈略〉
最初に耳についた声はアニメ『空飛ぶロッキーくん』のナレーション
だったか、ここでのあやしげな雑学をふりまきながらの日本語版
オリジナルナレーションが絶品だった。いや、今でもときおり、
「うん、これはあのときの牟田悌三で行こう」
という感じで声を調整することがよくある。
〈略〉
その後、一線は退いたものの、ふと気がつくと『金八先生』の
杉田かおるの父役とか、大河ドラマ『元禄繚乱』での堀部弥兵衛
だとか、ちょくちょくは変わらず顔を見せていたし、ラジオでの
税金相談だとか、この人の声はコンスタントに耳にしていた。

http://s03.megalodon.jp/2009-0117-2104-25/www.tobunken.com/diary/diary20090109085322.html

×『空飛ぶロッキーくん』 ○『空飛ぶロッキー君』

牟田悌三がナレーションをしていたかどうかは確認できなかったけど、アニメの日本版
タイトルは、『空飛ぶロッキーくん』ではなくて『空飛ぶロッキー君』。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=240471
>ロッキー&ブルウィンクル<未>(2000)
>日本でも大人気のアカデミー賞受賞男優ロバート・デ・ニーロが製作・主演した、アニメ
>と実写の合成映画。1959年から1971年にかけてアメリカで放映された当時の人気ア
>ニメ『ロッキー&ブルウィンクル・ショー』(日本版タイトル『空飛ぶロッキー君』)の主役
>コンビが約30年ぶりに復活して大活躍する。


http://taiga.hp.infoseek.co.jp/keijibanrog46.html
> エクスポマン様やORION様、WIZ様が前に書かれていた『ロッキー君とゆかいな
>仲間』という番組は、日本では1961年にNHKで日曜日の夕方5時45分から15分
>枠の中で放送されていたのが最初のようです。それ以降は民放局が放送していた
>ようなので放送時期や邦題に混乱が見られます。エクスポマン様が書かれた『空飛ぶ
>ロッキー君』もその1つでして、アニメかどうか内容は不明なのですが、1969年に
>『ブルウィンクル・ショー』という30分番組が放送されていたという情報もあります。
>私が最後に見た時は『ちょびひげボリス』という、悪役の名前が題名になっているもの
>でした。


まあ、この日の唐沢俊一の日記で一番酷いのは、「一線は退いたものの」と思うけど。
生涯現役で俳優の仕事をしていた牟田悌三に失礼なだけでなく、『金八先生』で杉田
かおるの父役をした (1980 年) のを「一線は退いた」その後としているのは、立派な
ガセとしてカウントできるし、タチの悪いデマともいってよい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/牟田悌三
>1970年代の子供向けドラマ『ケンちゃんシリーズ』の父親役が有名。温厚な人柄が
>全国の視聴者の人気を集めた。
>その一方、『3年B組金八先生』第1シリーズでの杉田かおる演じる浅井雪乃の父・正
>太役では鬼父ぶりを演じるなど硬軟自在の幅広い演技力の持ち主でもある。70年代
>から80年代にかけての刑事ドラマでは鬼気迫る犯人役を演じることも少なくなかった。


http://talent.yahoo.co.jp/talent/33/m93-3252.html
>代表作品
>ホームラン教室 (テレビ)(1960)
>ケンちゃんシリーズ (テレビ)(1971)
>大地の子 (テレビ)(1995)
>元禄繚乱 (テレビ)(1999)


http://ja.wikipedia.org/wiki/牟田悌三
>スポーツケンちゃん(1978年 - 1979年)
>3年B組金八先生(1979年 - 1980年、TBS) - 浅井正太


ふと思ったのだけど、牟田悌三の代表作はケンちゃんシリーズという認識のもと、それが
終了した後のことは、「一線は退いた」後の出来事のように書いてよいと唐沢俊一は思っ
たのでは……いや、それではあまりにおバカすぎるので、まさかとは思うけど。

その他、石ノ森章太郎や星新一のときもそうだったけど、唐沢俊一は亡くなった人の晩年
を無理矢理不遇だったかのように書くのが得意 (これは後で別にやりたい) とか、小さく
聞き取りにくい声でしか話せないくせに (これには同意。唐沢俊一が話しているときだけ
ボリュームを上げる必要があることも)、「『うん、これはあのときの牟田悌三で行こう』
という感じで声を調整
」もないだろうとかいう批判は、Read More に収録した2ちゃんねる
のスレへの書き込みを参照のこと。






http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1230653357/434-

434 :無名草子さん:2009/01/13(火) 00:44:47
http://www.tobunken.com/diary/diary20090109085322.html
>その後、一線は退いたものの、ふと気がつくと『金八先生』の
>杉田かおるの父役とか、大河ドラマ『元禄繚乱』での堀部弥兵衛
>だとか、ちょくちょくは変わらず顔を見せていたし、ラジオでの
>税金相談だとか、この人の声はコンスタントに耳にしていた。

この「一線は退いたものの」って、すげー気になるんですけど。
唐沢俊一って、亡くなった人の話をするときに、晩年はちょっと振るわなかった
みたいな書き方をすることが、とても多い。
石ノ森章太郎とか星新一とかのときも、そうだった。
それも本当に晩年が不遇だったからそう書くというより、粗捜しに近い感じで。

435 :無名草子さん:2009/01/13(火) 00:46:38
>>434
無礼千万。本人は全く悪気がなさそうなのも又ね。

437 :無名草子さん:2009/01/13(火) 04:54:55
>唐沢俊一って、亡くなった人の話をするときに、晩年はちょっと振るわなかった
>みたいな書き方をすることが、とても多い。
>石ノ森章太郎とか星新一とかのときも、そうだった。

石森に関してだけは真実だろ。

438 :無名草子さん:2009/01/13(火) 06:03:46
星新一もじゃないw
町山も星が死んだとたんにの悪口言ってるよね感じ悪い。

439 :無名草子さん:2009/01/13(火) 06:39:42
若くして死んだとか、ゲーテみたいに晩年にも代表作を書いたような人を
除けば、「晩年がちょっと振るわない」ってのはむしろ普通ではないか?

441 :無名草子さん:2009/01/13(火) 07:12:03
晩年が振るわないって、
年齢を考えたら仕事をセーブしていたとか
悠々自適の生活をしていたとか
そう考えるのが当然なんじゃないの?

なんか晩年が振るわないって
食い詰めて苦労したみたいな印象なんですが。

さて我らがカラサー先生の晩年は振るっているんでしょうか?

442 :無名草子さん:2009/01/13(火) 07:38:46
「一線は退いた」と「晩年はふるわない」じゃ意味が違うんじゃないか。
前者は自主的に仕事を減らした、後者は仕事が来ないって感じのような。

443 :無名草子さん:2009/01/13(火) 07:58:55
>>442
「一線は退いた」は現役引退とか二軍落ちのイメージじゃね?
「自主的に仕事を減らした」にしても、
「『金八先生』の杉田かおるの父役とか」やっていた時期の話に
しちゃっているんで、かなり変。

444 :無名草子さん:2009/01/13(火) 08:20:34
>>440
2000年は千年紀(ミレニアム)の始まりだが、21世紀の始まりではない。
だからその見出しは間違っていない。

445 :無名草子さん:2009/01/13(火) 08:25:20
>>437
唐沢俊一の書き方は、何か晩年はダメだったということにしたくて
無理にダダこねているような書き方なんだよね。
『マンガ日本経済入門』が何百万部売れていようが、ハウツーもの
だから格落ちみたいなものだと言い張ったり、
『ホテル』の週刊連載があっても、インタビューを受けていた若い子が
『ホテル』は知っていても009シリーズは知らなかったとか
言うだけだったり。
そんな無理に貶すほど、石ノ森章太郎に恨みでもあったんだろうか。


446 :無名草子さん:2009/01/13(火) 08:38:30
恨みなどなくても、妬むのは可能だからな

447 :無名草子さん:2009/01/13(火) 08:40:26
スポーツ選手とかなら「一線は退いた」とか書いても
単なる事実で貶し言葉にならないだろうけど……
俳優さんで、現役バリバリであちこち出演していた人に
言う言葉じゃないと思うが。
こんな無神経さでよくやっていけるよなあと思うが、
考えてみたら、あんまりやっていけてないか。
唐沢俊一のように無神経ではない他人の書いたものを
コピペしてしのいでいた面もあるのかな。

448 :無名草子さん:2009/01/13(火) 08:55:29
>>445
大御所をバカにするのは、才能の無い人の典型的な鬱憤晴らしの手段ですよ。
そして現在の唐沢は「若い連中は何も知らない」にシフトしている。
もっとも唐沢は自分自身が若かった時は「廻りの連中は何も知らない」という主旨だった。

この人は典型的な「俺以外全部馬鹿」を実践している人だよ。

449 :無名草子さん:2009/01/13(火) 09:09:27
http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW1.0/column1-1.html
> その星新一は、十年前からもう小説の執筆をやめていた。千篇のショート・ショートを
>一生の間に書く、と言っていたのが案外早くその千篇に達してしまい、それで“もうやめた”と
>執筆をやめ、また『進化した猿たち』でおなじみのひとコママンガのコレクションも“もう
>飽きた”といってやめてしまう。それを聞いたとき、星新一らしい淡白さだ、と思って笑った
>ものだが、その頃からもう、執着ということに体が耐え切れなくなっていたのではなかったか。
>それから聞くうわさが、どれも「眠り病にかかったらしい」「ずっと寝たきりで、頭がはっきり
>するのは一日数時間のものらしい」「ちょっと驚くくらい老けた」「起居もままならぬ容態
>らしい」などというものばかりで、聞いていて痛々しい限りだった。古い星ファンの志水一夫
>氏から亡くなった知らせを聞いたとき、むしろ、これで救われたか、という感じがしたくらい
>だった。

何かこれだと、最後の十年間、何も執筆せずに眠り病にかかっていたかのような書きぶり。
星新一に関しては、唐沢俊一にしては、かなり褒めている方なんだけどね。

452 :無名草子さん:2009/01/13(火) 09:33:21
>むしろ、これで救われたか、

なんか、赤塚不二夫の時を彷彿とさせるね。
死んでよかったみたいな感じ。

作品を作り続ける作者が偉いワケじゃない
その作者の人生は別にあるんだから。
唐沢みたいに代表作もなく、それによって印税が発生する事もないヤツは
常に自転車操業で働き続けなければいけないという強迫観念に追われているのかもしれないが。

469 :無名草子さん:2009/01/13(火) 20:13:20
石ノ森氏は晩年はマンガ家からプロデューサー業に移行したと考えれば、振るわなかったわけではない。
マンガ家としても仕事をしていなかったということはなく、『ホテル』についてはもう本人は描いていなかったと思うが、
『サイボーグ009』は最期まで描きつづけていたはず。
完結には至らなかったけど。

472 :無名草子さん:2009/01/13(火) 21:02:45
>>437
自分で描いた中公版「漫画日本の歴史」の第1巻なんて最高の出来だったけどね。

473 :無名草子さん:2009/01/13(火) 23:58:30
赤塚に関しては長谷邦夫が色々言ってるからそれでイメージ悪くなった人もいる

474 :無名草子さん:2009/01/14(水) 00:16:04
>>469
そなの? 『ホテル』も石ノ森章太郎本人が描いていたものとばかり……。
亡くなってから、連載どうなるのかなと読んでみたら、
頑張っているけど絵柄が微妙に違っているなと思ったのは、
単なる先入観による気のせいだったのか。

475 :無名草子さん:2009/01/14(水) 00:19:07
星新一に関しては、晩年はとんでもない境地を切り開こうとしていたとか言う人もいるけど、
『どんぐり民話館』とか『つねならぬ話』とか読んでも全然ピンと来ないから
俺、あんまり唐沢のことを言えないわ。

476 :無名草子さん:2009/01/14(水) 00:45:22
そりゃ、世の中の殆どの人はだんだん衰えていくもんだから、晩年は衰えたと言えば
大体はそうなんだろうが。殆どの人に当てはまる事を、追悼文に敢えて書く意味が解
らないよ。

死ぬ間際まで、創作ペースも質も全く衰えなかったというんなら、特筆すべきとは思う
けどね。

495 :無名草子さん:2009/01/14(水) 14:46:29
唐沢の日記にあった
>その後、一線は退いたものの、ふと気がつくと『金八先生』の
>杉田かおるの父役とか、大河ドラマ『元禄繚乱』での堀部弥兵衛
>だとか、ちょくちょくは変わらず顔を見せていたし、ラジオでの
>税金相談だとか、この人の声はコンスタントに耳にしていた。

に激しく腹がたった。
唐沢によると牟田悌三は
『金八先生』の杉田かおるの父役をやった1979年の段階で
一線を退いていたとか言っているのか?
てめえが、ろくにテレビドラマ見ていないからの無知じゃねえのか?

しかも
>「うん、これはあのときの牟田悌三で行こう」
>という感じで声を調整することがよくある。
とかいう部分
なに?この半可通にも満たない馬鹿がなにほざいてんだよ。
てめえ、しゃべりの基礎のキの字も出来てないやつが
適当な事言ってるんじゃねえよ。マジに腹たった。

てめえが出演した自主制作映画「Pマン」とかいうダサイのでのセリフ
あれなんか、発生がダメすぎて何をしゃべっているか聞き取れない。
こいつろくな死に方しねえよ。

496 :無名草子さん:2009/01/14(水) 14:54:56
>>495
「牟田梯三の声や喋り方が好きだった。
 時々自分でもこっそりマネしてみたことがある」
とか書けばいいのにね。
昔から不審なんだが、この人、自分の喋りにものすごく自信があるよね。
「そこらの芸人よりも達者」とかエッセイによく書いてあった気がする。

497 :無名草子さん:2009/01/14(水) 15:12:19
唐沢って自分に喋りの才能があると勘違いしているよね。
おそらく12日の落語会でもプロが驚愕して大絶賛だったんだろうけど
「牟田梯三のマネ」どころではなく「あのときの牟田悌三」だからねぇ
牟田悌三がプロとして仕事によってニュアンスを変えた物を
そのまま楽にマネ出来る能力があるらしい。
凄いな。
おそらく第一線で活躍しているプロでもそんなマネできないんじゃないかな?

もしかして、色々な漫画家のタッチを模写してパロディが書ける
弟と同じような能力があると思っているんだろうか?
しばらく仕事を休んで、自分を見つめたほうがいいんじゃないの?

498 :無名草子さん:2009/01/14(水) 15:29:35
出来るわけがないことを言うても詮無い

503 :無名草子さん:2009/01/14(水) 19:01:53
>>497
>色々な漫画家のタッチを模写してパロディが書ける
>弟

ソレダ!!


504 :無名草子さん:2009/01/14(水) 20:29:07
>>496
>そこらの芸人よりも達者

昔、広小路亭で話を聞いたことがあるけど、上手い下手以前に、
このひと声が小さくて、何を言っているのかわからなかった。
素人のしゃべり方だから、マイクがないと声が通らない。
このときは落語じゃなかったけどね。(2002.7 大人のおもちゃ寄席)

どうでもいいことだけど、このときオレの前の席にいたのが睦月影郎だった。



2009/1/18  10:32

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

どうもです (_ _)
「ホームラン教室」というとこれでしょうか↓
https://talent-schedule.jp/Drama_423

ここの番組表にも載っていたり↓
http://hneck.web.fc2.com/tv36.htm
>「ホームラン教室」(34/10~38/3)大川ベーカリーのトオル君
>(小柳徹)(♪ツーダン・満塁~)


>それが2004年のこと、言うまでもなくバリバリの現役でいらっしゃ
>いました。

https://talent-schedule.jp/%e7%89%9f%e7%94%b0%e6%82%8c%
e4%b8%89
にも Wikipedia の方にも、2007 年の「医龍 (2)」や 2008 年の
「帽子」が載っているくらいですしねえ。

2009/1/18  8:06

投稿者:藤岡真

『牟田悌三のあなたのための税金相談』というTBSラジオ番組の担当営業部の部長をしておりました。同局の『秋山ちえ子の談話室』に次ぐ長寿番組で、1000回記念の時には、花を贈り、ささやかですが局内の喫茶室で一緒にお茶を飲みました。スタッフもお得意先(国税庁)の担当者も若い方ばかりだったので、わたしが率先してお話して60年代のNHKドラマ「ホームラン教室」の話題で盛り上がりました。牟田さんは主人公の父親役で出ていました。それが2004年のこと、言うまでもなくバリバリの現役でいらっしゃいました。

   
 
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