トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2009/1/11  1:59

知能検査以外のテストでも総合点では今いちだった天才ポアンカレ  『トンデモ一行知識の逆襲』間違い探し編

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.141 ~ P.142
 そもそも、天才というのは常人の思考のワクをはるかに超えた人物をいう
のであって、こんな計算式で算出できるものではない、という意見もある。
 現に、天才数学者であったポアンカレ(天文学者でもあり、物理学者でも
あった)は、先に挙げたビネー式知能テストで極めて悪い点を取った。これ
は、こんな天才だからどれくらい高い知能指数を示すか、と思った人がすでに
著名な数学者になった後のポアンカレにテストを受けてもらった結果だが、
もし、彼が子供のときにこのテストを受けていたら、おそらく低能と見なされ
て、正当な教育を受ける機会を失い、数学者になる道も閉ざされたのでは
ないかといわれている。知能テストは天才を発見するどころか、天才的素養
のある子を埋もれさせてしまう働きをしたかもしれないのである。

冷たい方程式ならゴドウィン、残酷な方程式ならシェクリー」のエントリーで引用した
文章の続きである。「こんな計算式で算出できるものではない」といっているところを
みると、唐沢俊一にとって知能指数とは、一貫して「こんな計算式で算出できるもの
でしかないらしい。知能検査の限界というものはあるにしても、別にそれは結果の数値を
計算式で算出」することが理由で存在するわけではないのだが……。検査の目的や、
何をどう測定するかなどは、唐沢俊一にとってはどうでもよいことらしい。

まあ、とにかく、ここで登場するのはポアンカレ。かなり前に、「ポアンカレ予想の解決は
2006年のこと
」のエントリーで取り上げたこともある数学者のポアンカレである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ・ポアンカレ
>ジュール=アンリ・ポアンカレ(Jules-Henri Poincaré 1854年4月29日 - 1912年7月
>17日)はナンシー生まれのフランスの数学者。数学、数理物理学、天体力学などの
>重要な基本原理を確立し、功績を残した。


……1912 年に死去のポアンカレ相手に、「こんな天才だからどれくらい高い知能指数を
示すか、と思った人がすでに著名な数学者になった後のポアンカレにテストを受けてもらっ
」などということはありえないはずだが。

ビネー自身は、知能の数値化には反対していた。知能指数を結果表示に使用するように
なったのは、1916 年の「スタンフォード・ビネー改訂増補ビネー・シモン知能測定尺度
が最初。ポアンカレの亡くなった 4 年後のことである。

以下、引用の部分が、前のエントリーとだいぶ重複してしまうけど……。

http://kotoba.merrymall.net/yy55_000.html
><出典>読売新聞(2008年2月26日付け) 
><記事>日本の知力(IQは知能のごく一部・遺伝だけで決まらず)
〈略〉
> IQ測定の知能テストは、1905年に仏の心理学者ビネーが子供に発達遅れがない
>か調べるため原型を作った。これが米国に渡り、知能数値化の道具となった。
〈略〉
> しかしビネー自身は、知能を数値化することなど考えていなかったし、自分の作った
>テストは人間の知能を測る絶対のものではないという注意もしていた。ところが、アメリカ
>の心理学者がビネーの注意を無視した。知能テストの結果が陸軍の採用の基準と
>なったり、人種差別の根拠となってしまった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/知能検査
>1905年、アルフレッド・ビネーとテオドール・シモンによって「知能測定尺度(ビネー・
>シモン法)」が作成された。
>19世紀にも、フランシス・ゴルトンらによる知能遺伝論や、キャッテルらによる知能を
>測定しようとする試みはあったが、広く受け入れられる検査法は確立していなかった。
>しかしながら、全員入学の学校制度が普及するにつれ、先天的に学力などで同年齢
>児に追いつけない児童の存在が問題となった。このため、1904年にフランスのパリ
>で、「異常児教育の利点を確実にするための方法を考える委員会」が発足された。
>この委員であったソルボンヌ大学の心理学者アルフレッド・ビネーは、弟子の医師テオ
>ドール・シモンと協力して、1905年に世界初の近代的知能検査を作成した。この時点
>では、まだ知能指数や知能年齢は使われず、発達が遅れているか否かのみを知る
>ものだった(知的水準という用語は使われていた)。ビネーは1908年と1911年にも
>改訂版を出したが、1911年に自他ともに惜しまれながらも死去する。
〈略〉
>1916年にルイス・マディソン・ターマンによって「スタンフォード・ビネー改訂増補ビネー
>・シモン知能測定尺度」が発表された。
>ビネー法は画期的なものだったため、世界各国に輸出されるが、フランス語のままで
>は使えないので、現地で翻訳されて標準化作業がなされた。この一環としてもっとも
>大規模なのが、1916年に1378人(2300人との資料もある)の被験者を対象に標準化
>された、スタンフォード・ビネー法である。これはスタンフォード大学のルイス・マディソ
>ン・ターマンがメリルの協力を得てビネーの1908年版を元に開発したものであるが、
>これの大きな特徴は、シュテルンが提案した知能指数を結果表示に使用していること
>である。〈略〉ビネーは知能検査の対象を主に障害児教育に想定していたが、ターマン
>は主にギフテッド教育や英才児教育に想定していたとされる。
〈略〉
>1955年にウェクスラーによってWAISが発表された。成人向けの知能検査である。


さらに、上の引用にもあるように、1905 年に発表され 1908 年と 1911 年に改訂版が
出された「知能測定尺度(ビネー・シモン法)」は、学業についていけない子どもの存在
が問題視されたことを受けて、子どもの発達遅れを調べるために開発されたものである。
大人の、それも天才を対象にしたテストではない。

1916 年の「スタンフォード・ビネー改訂増補ビネー・シモン知能測定尺度」の方は「英才
児教育に想定
」ともいわれるが、前述したようにこの検査が発表されたのはポアンカレの
死後だし、やはり子ども向けなのには変わりない。成人向けの検査は、1955 年にウェク
スラーによってWAISが発表されるのを待つ必要がある。

何より、唐沢俊一自身が、すぐ前の段落に、「精神年齢を実年齢で割ったものに100を
掛けたもの(比率式)
」は、「年齢が高くなるにつれて知能が鈍化していくことになり、不
合理だ
」と書いていたりするのだが。

ただまあ、「こんな天才だからどれくらい高い知能指数を示すか、と思った人」の存在は
唐沢俊一独自のフィクションとしても、ポアンカレがビネーの知能検査で非常に悪い点を
取ったというのは、興味深い逸話として伝えられている。

『Before the Gates of Excellence』 R. Ochse
http://books.google.com/books?id=F1M4AAAAIAAJ&printsec=frontcover&as_brr=3&hl=ja
> A frequently mentioned example of such a case refers to the illustrious French
> mathematician Henri Poincare , who obtained such a poor score on the Binet
> intelligence test that 'had he been judged as a child instead of the famous
> mathematician he was, he would have been rated by the test as a imbecile' (Bell,
> 1937, p.532). In terms of his life performance it is out of the question that
> Poincare was an imbecile. Apart from being creative, he was a skilled
> mathematician and writer. So, if Poincare was not fooling, his score merely shows
> that the Binet test was unsuitable for assessing an intellect of that calibre.


『Excellence as a Guide To Educational Conversation』 Nel Noddings
http://www.ed.uiuc.edu/EPS/PES-Yearbook/92_docs/Noddings.HTM (翻訳)
> Consider the case of Henri Poincare, the great French mathematician. If he had
> not been recognized as a mathematical genius, he would have been refused
> admission to the Ecole Polytechnique because his score on the drawing test was
> zero, and a zero score on any subtest was eliminatory. While a student at the
> Polytechnique, “Poincare was distinguished,” writes E. T. Bell, “for his brilliance
> in mathematics, his superb incompetence in all physical exercises, including
> gymnastics and military drill, and his utter inability to make drawings that
> resembled anything in heaven or earth.” It is also worth noting that, as a
> mathematician at the height of his powers, he submitted to the new Binet
> intelligence tests and “made such a disgraceful showing that, had he been judged
> as a child instead of the famous mathematician he was, he would have been rated
> ― by the tests ― as an imbecile.”


上記 2 つの資料で引用されている E. T. Bell の書いた言葉が、唐沢俊一の「もし、彼が
子供のときにこのテストを受けていたら、おそらく低能と見なされて、正当な教育を受ける
機会を失い、数学者になる道も閉ざされたのではないか
」のネタ元にもなっていると思わ
れるけど、「天才というのは常人の思考のワクをはるかに超えた人物」だから知能検査で
算出」できないという主張を補強する例として適切かどうかは微妙。理工科大学校の
入学試験のときの製図テスト (0 点だったそうだ) のように、苦手科目の恐ろしい低得点
が、足を引っ張ったという話ではないかと推測されるし。

http://d.hatena.ne.jp/camellia1977/20071024/1193242829
>ポアンカレ博士について、日本大百科全書より。
>1871年理工科大学校(エコール・ポリテクニク)を受験、1科目で0点があったが、彼の
>才能を見込んだ試験官は入学を認めた。75年2番の成績で卒業、ついで鉱山学校に
>入学し、79年鉱山技師となった。この間、時間の許す限り数学の研究を続け、微分方
>程式論に関する論文をパリ大学に提出して学位を得た。


http://www.idaimae-mental.com/archives/79
>20世紀最高の数学者・物理学者の一人、ポアンカレ(彼の手にかかれば、アインシュ
>タインの数学の能力は赤子の手を捻るようなものだった)は入学試験で危なかった
>が、彼の日ごろの実力を知る先生たちに助けられた。


おまけ:
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルフレッド・ビネー
>下着や靴などに性的魅力を感じる事を「フェティシズム」と呼ぶよう提唱し、この用語を
>心理学的な立場から使い始めた(フロイトにも引き継がれる。言葉自体はド・ブロスが
>使い始めた)。





   
 
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