トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
旧 URL は、http://diary.aol.com/yzuc9ww/816.html
文字列の一括置換をかけた都合上、旧ブログのコメント欄および2ちゃんねるのスレからの引用の中の URL も全部新 URL に置き換わっていますことを、あらかじめご了承ください
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/ で続きの Blog をやっています
   
 

2008/12/25  4:28

「唐沢俊一編著」なんてことにした、あなたの方がゴロなのでは  資料編 (引用元明記の雑学等も含む)

『星を喰った男』 (文庫版) P. 340
 潮さんとの出会い、そして別れについては、ここでは書き切れないほどの
エピソードがある。特に、単行本出版のときには、潮さんにつきまとっていた
Yというゴロ(心霊家と名乗っていまでもときどきTV等に出ている)が、出版権
を僕から横取りしようとして、潮さんの耳にむちゃくちゃなデマを吹き込み、
すんでのところで潮さんがそれを信じ、原稿をYに渡してしまうところだった。
このときはギリギリのまぎわでYのインチキがばれ、無事原稿も僕の手元に
残った。

『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 2 ページ目のこれが、いったい何年のできごと
なのか、潮健児が唐沢俊一に、「ここまで僕の気持ちをわかって文章にしてくれたの
なら、もうこれからは何も言わず、一切おまかせします。唐沢さんの書く言葉は、間違い
なく僕の言葉だ
」といったというその前か後かがわからない――というのは、「唐沢俊一
と潮健児の過ごした平成の 2 年間と数ヶ月について
」のエントリーに書いた。

で、まあ、「Yというゴロ」の話は、『唐沢俊一のカルト王』にも出てくる。

『唐沢俊一のカルト王』 P.48
 そのうち、僕の事務所にいたタレントを引き抜きにかかり、あげく、その
タレントが書いていた本の原稿をだましとり、出版詐欺をやらかそうとたく
らんで大騒ぎとなった。

そのタレントが書いていた本の原稿をだましとり」ということは、潮健児は普通に原稿を
書いていたのではないかというのは、別のエントリーに書いたのでおいといて。

この『唐沢俊一のカルト王』 の本に書いてある他の話をもう少し拾ってみると……。

『唐沢俊一のカルト王』 P.35
 さて、ではそんなどうしようもない連中に、どうして僕が関わっていったの
か? 事の起こりは二年前、伯父のやっていた芸能プロダクションを、僕が
伯父の病気引退を機に引き継いだことによる。
 引き継ぐといっても、伯父がそれまでやってきていたように地方での落語
会のプロデュースだけをやっていればいい時代はとうの昔に終わっていた。
そこで僕が考えたのがなんと占い師のプロデュースであった。

同書の「初出一覧」を見ると、この文章を含む「あなたの知らない心霊ゴロのトンデモな
い生態!」は 1993 年 9 月の宝島ムックに掲載されたもの。これによると、唐沢俊一が
「伯父」 (Web 日記などでは「叔父」になっていることも) のオノプロを引き継いだのは、
1991 年中頃か。

で、この『唐沢俊一のカルト王』によると、「心霊や占いの仕事」目当てに、「さまざまな
自薦他薦のオカルト人間が僕の元に集まってきた
」 (P.36) そうだ。そこで個性あふれる
女占い師のN女史や、そのブレーンのOという男と出会い、そのOがYという男を連れて
きたという。

『唐沢俊一のカルト王』 P.46
 そして最後にOはYという、これまた心霊業界でも札付きのワルを引っ
張ってきて、彼の人脈を利用して資金を調達することを考え、逆に彼に
利用されひどい目にあったらしかった。このYに関してもOは最初はえらい
持ち上げようで、
「Yって人の金脈と人脈にはすごいものがあるんですよ。いい扱いをしない
と、あの人は暴走族上がりだから、バイクで唐沢さんを取り巻きますよ」
 と例の十八番でオドシをかけてきたことがある。


『唐沢俊一のカルト王』 P.47
 そして、Oの連れてきたこのYが最後に僕の前に現れたゴロである。
 このヤローに至ってはお話にも何にもならない完全なワルであり、自分は
電通やラジオ関西に大きなルートがあると称してはいろんな人間(たいてい、
タレント志望の若い占い師)から寸借詐欺をやっていた。

潮健児による「はじめに」に「ほとんど丸一年の時間をかけて何とか脱稿いたしました」、
バンダイの単行本の方の唐沢俊一の 「編集・構成を終えて」には「潮健児さんの本を
出す出すと宣言してから、早くも丸二年が過ぎてしまった
」 (P.344) とあるが、

1. 1991 年の中頃に、潮健児が『星を喰った男』の執筆開始
2. 1992 年の中頃に、潮健児が『星を喰った男』を脱稿
3. 1993 年の中頃 (9 月) にバンダイから『星を喰った男』の出版
4. その後 1993 年のうちに唐沢俊一はオノプロを閉じる

のうち、2. と 3. の間に、Yという人が潮健児に出版を持ちかけたのではないかと段々と
思われてきた。

前述のN女史やOという男の後に「最後に僕の前に現れた」のがYとなると、1. と 2. の
間では早すぎるような気がするし、2. の後なら「原稿をYに渡してしまうところだった」と
いうのも辻褄があう。脱稿後ならば原稿を渡せるだろうし、執筆途中ならともかく、脱稿後
に何ヵ月も待たされていた (結果的には 1 年) なら、それはすぐに出版できるという話に
乗る気にもなるだろうと思われるからだ。……あくまで推測でしかないけど。


推測ついでに、これはまるで唐沢俊一本人が書いたか、情報の発信源が唐沢俊一か
――のように思った文章を 2 つ。ひとつは、唐沢俊一はじめ、と学会員との深い交流が
噂されている『噂の真相』での覆面座談会の文章。

『噂の眞相』 94年4月号
特集7「有名人やメディアが持ち上げるインチキ占い師の"正体"を暴く!」
>D 私も一人知ってるよ。山上智っていう業界ゴロ。もともと暴走族上がりの不良で、
>占いに興味をもったのも、シンナー中毒でトリップしたときの体験がきっかけ、という
>笑えるヤツ。まず、昔仮面ライダーなんかに出てた潮健児に取り入って、そのルート
>で清川虹子、京本政樹に近づいていったんだけど、清川虹子の息子の葬式のときに
>は、ここぞとばかりにマメに働いていたけどね。一度京本に会っただけで、周りの人間
>には「いやあ、京本はすっかり俺になついちゃって、会いたければいつでも言ってよ」
>だって(笑)。結局京本にはあんまり相手にされなかったみたいだけど。


イニシャルYで、「インチキ占い師」ということは心霊ゴロともいえそうで、「暴走族上がり
というのが『唐沢俊一のカルト王』の記述と同じで、「潮健児に取り入って」で。

もうひとつは http://tondemonai2.web.fc2.com/782.html に引用した、2ちゃんねるの
書き込み。唐沢俊一本人によるものかと思われている

644 :無名草子さん:2007/11/14(水) 18:42:10
>問題人物Y(オカルト業界で悪逆非道だったそうな)が潮氏に近づいてきて
> 「本の企画をYさんに頼めば電通出版というところから出してくれるらしい」
> と言いだした事があり、唐沢が「それはありえない話だ」と言いだし、潮氏と
>の間がギクシャクした事もあったらしいね(唐沢談だけど)。

>その事もあって、本の出版が一年ぐらい伸びてしまい、その間に潮氏の体調が
>思わしくなくなり、出版後にサイン会を日本各地で行う話も流れてしまい、
>本の出版記念パーティの翌日に亡くなったとの事。


電通出版とか、Yのせいで出版が 1 年延びたとか、全国をサイン会で回る予定だったと
かは、『星を喰った男』や唐沢俊一の日記には書かれていない。しかし、『唐沢俊一の
カルト王』によると、Yは電通とコネがあったと自称していたという。そのYが、電通出版
ならすぐに出してくれるという話を持ちかけたとしているところが何だか興味深い。

追記: 「『トンデモ創世記2000』で唐沢俊一の語る『星を喰った男』とY」のエントリーに
『トンデモ創世記2000』の中の記述 (「電通出版」についてを含む) 関連を掲載。



2008/12/28  2:18

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

(続き)
もちろん、塩澤快浩氏が担当だった可能性もあるし、塩澤快浩氏でも
阿部毅氏でもない人が担当していた可能性もなくはないのですが。

ただ、1990 年代に唐沢俊一を大プッシュしていたのは、阿部毅氏か
塩澤快浩氏――当時の地位からすると阿部毅氏かな、後に編集長に
なったあ塩澤快浩氏も社内での発言力は強そうで、ある程度無茶を
通せたかも――などと想像しています。

参考:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B1%F6%DF%B7%B2%F7%B9%C0
>塩澤快浩
>しおざわよしひろ(読書)
>編集者。1968年長野県生まれ。
>早川書房・『SFマガジン』編集長。手がけた本に神林長平『グッ
>ド・ラック』、菅浩江『永遠の森』『五人姉妹』、田中啓文『銀河
>帝国の弘法も筆の誤り』などがある。

>新シリーズ〈ハヤカワSFシリーズ Jコレクション〉を立ち上げ


http://www.ltokyo.com/ohmori/970806.html
>狂乱西葛西日記97年7月31日~8月6日
>【7月31日(木)】
〈略〉
> 6時半、早川にちょっと顔出してから、JR神田駅前の印度屋で
>吉永宴会。デザイナーの吉永和哉(a.k.a岩郷重力ほか)関係者が飲
>む会なので通称・吉永宴会なんだけど、吉永が主賓というわけでも
>ない。謎。当初は早川書房SFパート系中心だったこの会も、早川
>現役勢力は衰退中。十人以上集まった段階で、「九月以降も早川書
>房社員である人」は阿部毅SFマガジン前編集長ひとりだけだった
>もんなあ。
> この日記にも何度か登場したはずのK野佐知(SF文庫担当)と
>K藤景子(FT文庫担当)が8月で退社しちゃうし、デュエリスト
>だったH野(女)も関連会社に出向。今日は来てないけど元SFマ
>ガジン編集部だったUくんはCUTに移籍だし(Rockin' Onの契約
>社員になるんだけど、給料は増えるらしい(笑))。

2008/12/28  1:59

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081226/1230314859

これに続いて、「『育毛通』にまつわる疑惑。」

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081227/1230359628

もあわせて、興味深く拝見させていただきました。

で、推測の域を出ないので、こちらに書かせていただきますが、当時
の早川書房での唐沢俊一の担当編集者は、

http://www.ltokyo.com/ohmori/sfphoto.html
>●阿部毅さん(SFマガジン編集長)

ではないかと思っています。
(ちなみに、大森望氏のこのページには「●唐沢俊一さん」の名前も)。

『キッチュワールド案内』の前書き (P.13) によると、この単行本の元
になったのは、SF マガジンに 1999 年から 2001 年まで連載されて
いた『妄想通』。「雑誌連載時の担当をしてくれた塩澤快浩氏、単行
本でご苦労された阿部毅氏」と書かれています。

それよりも前に唐沢俊一は、SF マガジンに「とても変なまんが」を
1995 年 2 月号から 1998 年 12 月号まで連載していて、ここから
「取捨選択」したという単行本『とても変なまんが』を、やはり早川
書房から単行本として出しています。
http://tondemonai2.web.fc2.com/787.html#comment

で、『とても変なまんが』の P.185 には、

> 最後になったが、連載時の担当と単行本化の両方を受けもってく
>れた早川書房の阿部毅氏に感謝します。

と書いてあります。

早川書房から文庫版『星を喰った男』が出たのが 1996 年なので、
この文庫版の担当も阿部毅氏だった可能性がかなり高いのではないか
と。

2008/12/27  3:11

投稿者:kensyouhan

『星を喰った男』の検証をしました。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081226/1230314859
そちらの検証をだいぶ参考にさせていただきました。ありがとうございます。
一応自分も早川に電話をかけたり、「唐沢俊一ビブリオグラフィ」を調べてみたりしました。

   
 
HOME

 

 

inserted by FC2 system