トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/12/20  18:26

唐沢俊一と潮健児の過ごした平成の 2 年間と数ヶ月について  資料編 (引用元明記の雑学等も含む)

潮の芸名が潮健児となった 1991 年 (平成元年) 以降の、唐沢俊一と潮健児の活動に
ついて、本や著作やネット上の資料を元にまとめたもの。

……あまりまとまっていないけど。

唐沢俊一が文庫版『星を喰った男』で、HAMACON のあったのは 1993 年とかやって
くれていたおかげで、ちょっと疲れることに。文庫本の出版された 1996 年の時点では、
つい最近のできごとだったはずなのに。

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1991 年 (平成 3 年)

・唐沢俊一が潮健児に人形劇の出演依頼。当時入院していた潮健児を唐沢俊一が
 見舞い、偶然居合わせた平山亨とも出会う。このときの唐沢俊一は、潮健児とも
 平山亨とも初対面だった模様 [1]。(ただし、唐沢俊一の依頼したという人形劇にあたる
 仕事は、『星を喰った男』 巻末の「潮健児出演作品年譜」 [2] には存在しない)。

 きっかけは唐沢俊一の叔父の「伯父の小野栄一」が「渋谷のバーで潮健児さんと一緒
 になったという話を聞いて
」 [3] だそうで、潮健児は小野栄一のプロダクションには所属
 していたわけではない模様。また、この時点では唐沢俊一は小野栄一の手伝い [3]。
 つまり、唐沢俊一はまだ芸能プロの代表にはなっていない。

・唐沢俊一が潮健児の話が面白いので聞き書きで本を出したい、どこかでこの企画を
 買ってくれないかと 1991 年 4 月号のガロで告知 [1]。

・潮健児は舞台『首輪のない犬』に出演。金子光伸 (「悪魔くん」の主人公役) が毎日
 のように車で送り迎えしていたという [4]。(『星を喰った男』によると、金子光伸は、
 『ジャイアント・ロボ』の主役をつとめた後、役者を辞めた。10 年後に仮面ライダーの
 主役にという話も出たが、当時日商岩井につとめていた彼の役者復帰は、両親の反対
 により断念。さらにその 10 年後、入院した潮健児を見舞いにきて 20 年ぶりに再会。
 独立したツアーコンダクターとして羽振りのよい生活をしているようだったとのこと [5])。

 また、この芝居の出演俳優は、演出家に「潮さんはもう長くないぞ…」と聞かされていた
 そうだ [6]。
 『星を喰った男』の「文庫版あとがき」に唐沢俊一が書いた、「潮さんの死病について、
 もっとも早く報告を受ける者となった
」「それから数ヶ月、僕は担当医の先生の指示で、
 お弟子さんたちにもこのことを隠し続けなければならなかった
」 [7] は事実と異なる
 可能性が非常に高い。

・この頃の潮健児の名刺には「オフィス・105」の文字が [8][9]。
 (唐沢俊一の叔父のプロダクションは「オノプロ」とのこと [10] で、それとは違う)。

・潮健児は舞台『ちょんまげコメディー・泣くんじゃあねェ!』にも出演 [2]。

・唐沢俊一の Web 日記 (2003 年) によると、この 1991 年の末には、潮健児のマネー
 ジャーという立場で、特撮ファンクラブの飲み会に初参加 [11]。

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1992 年 (平成 4 年)

・この年の 4 月に若山富三郎が死去 [12]。その通夜で潮健児と京本政樹が出会い、
 後日電話で京本政樹が潮健児に出演依頼 [13]。
 (なお、若山の死より前に、潮健児は『星を喰った男』の執筆を開始していた [14])。

・京本政樹監督の『髑髏戦士ザ・スカル・ソルジャー』に潮健児が出演。「メフィスト」の
 ような格好で [6]、シルクハットをかぶって [15] 出演している。

 唐沢俊一の Web 日記 (2007 年) によると、『髑髏戦士ザ・スカル・ソルジャー』の撮影
 のときには潮健児のマネージャーとして参加 [16]。2002 年の日記によると、そのとき
 京本政樹にも親しく話しかけられていたというが、唐沢俊一がそれを「どうも、彼は私の
 ルートを使って、この作品をマスコ ミに宣伝させようと踏んでいるらしかった
」と解釈 [17]
 するにいたった理由は不明。

・この年の 8 月に日本 SF 大会のハマコン (HAMACON) が開催。
 文庫版『星を喰った男』によると、この大会では、『地獄大使ショー』のイベント、『髑髏
 戦士ザ・スカル・ソルジャー』の特別上映会、潮健児キャラクター特別展示ブースがあっ
 た [18]。

 唐沢俊一の Web 日記 (2001 年) によると、当時唐沢俊一の会社 (オノプロ) の社員が
 潮健児の付き人をしていて、彼が地獄大使ショーでXライダーを演じたそうだ [21]。

 なお、『星を喰った男』文庫版では、ハマコン (HAMACON) は翌年 1993 年の開催と
 いうことになっているが [18]、まあ SF 大会の本家に HAMACON (横浜) は 1992 年、
 DAICON (大阪) は 1993 年と書かれている [19] し、ハマコンは 1992 年ということで
 よいのだろう。

 唐沢俊一の 2000 年の Web 日記 [20] にも「九二年」と書かれていたりする。しかし、
 こちらは潮健児さんの対談相手が京本政樹になっているという問題が。まさか文庫版
 『星を喰った男』に収録されている、潮健児と平山亨の対談がすべて幻だったわけでは
 あるまいが。

・唐沢俊一の Web 日記 (2003 年) によると、この年か翌年に「オノプロ」を、叔父の小野
 栄一から引き継ぎ [10]、代表となる。(「九二年」と書かれた日記はあるので [20] 1992
 年と考えてよいのかもしれない)。

 唐沢俊一がインタビューでいっていた、潮健児に「事務所の顧問という形で顧問料を
 お支払い
」するようになった という [3] のも、この頃からか。

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1993 年 (平成 5 年)

・潮健児は島宏監督のビデオ『米百俵』 に出演 [2]。

・潮健児はソニーレコードCDドラマ『ゼンラマン』 (伊集院光)にも出演 [2]。

・この年の 9 月に潮健児著『星を喰った男』がバンダイより出版。

 9 月 17 日に、この本の出版パーティーが開催。唐沢俊一の Web 日記 (2000 年) に
 よると、主治医の「出席すれば死ぬかもしれません、それでも出ますか?」という言葉
 を押し切っての出席だったという [22]。

 また、唐沢俊一の Web 日記 (2000 年) には、当時は実家の土地のことで潮健児は
 弟と裁判中で、その弟の弁護士もパーティーの楽屋を訪れたとのことだが、「潮さん
 有利の結果が出る矢先
」なのに、なぜ「向こうの弁護士さんが」「明らかに満足気な
 表情
」を浮かべていたとしている [23] のかは不明。

・出版パーティの翌々日、9 月 19 日に潮健児死去 [24]。

・9 月 20 日に仮通夜が行われ、潮健児死亡がその死因 (肝硬変) とともに報じられた。
 仮通夜の列席者は、清川虹子、京本政樹など [25]。

・9 月 23 日には潮健児の通夜。清川虹子、菅原文太、京本政樹をはじめ映画界など
 から 300 人が列席。『星を喰った男』と、故鶴田浩二さんの写真、故若山富三郎から
 ゆずりうけた法被が棺に納められた [26]。

・9 月 24 日には潮健児の葬儀。喪主は弟の久夫 [25]。告別式には京本政樹ら 200 人
 が参列。潮健児のファンクラブの人たちはショッカーの扮装で、「イーッ」というショッカー
 の掛け声とともに右手を上げ見送った。[27]

・潮健児の葬儀の委員長は、出版記念パーティーの発起人でもあった清川虹子 [28]。
 (清川虹子は、単行本『星を喰った男』の冒頭に、「推薦の言葉」もよせている)。

 唐沢俊一の Web 日記 (2001 年) によると、潮健児が亡くなったのを町会長に知らせ
 にいったら、ちょうど祭りの日で「イッパイ機嫌になっているところ」だったので「イヤな
 顔をされた
」という [29]。

 また、唐沢俊一は、潮健児と親しかった女性と葬儀の終わった後の飲み会でトラブル。
 相手が機嫌を損ねて出て行った隙に、潮健児の遺骨を自宅に移動。蒼白となったその
 女性に頼まれても、彼女の連れの賀川雪絵に「冷血漢!」と誹られても、潮健児の遺骨
 を拝みにいきたいというのを許そうとしなかった [30]。

・唐沢俊一がオノプロを閉じたのは、この年 1993 年のようだ [31]。

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1996 年 (平成 8 年)

・この年の 6 月に『星を喰った男―名脇役・潮健児が語る昭和映画史』 (ハヤカワ文庫
 JA) が「唐沢俊一編著」 の形で出版。

 (「文庫版読者の皆様へ」についてはここ、「文庫版あとがき」については、ここここ
 ここここ、文庫版で削除されていることについてはここを参照のこと)。


[1] - 『脳天気教養図鑑』 P.140 (初出は「月刊ガロ1991年4月号」)
>俊一「……で、その!「ブラウン管の怪人」と私はあろうことか先日お仕事をごいっしょ
>してしまったのだあああっ」〈略〉
>……ある人形劇で、人形にまじって出演するキザな紳士の役でご出演を願ったので
>ある。
>私が演出しているのだ (書き文字)
>俊一「脚本を手に梶ヶ谷の病院まで出演を依頼しに行ったのよ(その頃、お体を悪く
>して入院されていたのである)〈略〉
>潮健児「看護婦さんにはナイショね」 潮氏はさしいれのアンミツ食べておられた


[2] - 『星を喰った男』 (単行本) 巻末の「潮健児出演作品年譜」
>平成元年 (潮 健児に改名)
>☆テレビゲスト『思い切りテレビ夏休み怪奇劇場』
>☆ビデオ『蒼き風の伝説』
>☆舞台『酒鬼の詩』 (シアターアップル)
>平成2年
>☆テレビゲスト『獄門島』『火曜ミステリー劇場』『第一生命ホームヘルパー劇場』
>平成3年
>☆舞台『首輪のない犬』 (武蔵野芸能劇場) 『ちょんまげコメディー・泣くんじゃあねェ!』
>  (アートシアター新宿・なべ雄作,めだちけん一)
>☆ビデオ『厚生年金の受け取り方』
>平成4年
>☆KSSドラマ『髑髏戦士ザ・スカル・ソルジャー』 京本政樹監督
>平成5年
>☆ビデオ『米百俵』 島 宏監督
>☆ソニーレコードCDドラマ『ゼンラマン』 (伊集院光)


[3] - http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/05/15/karasawa/004.html
>「伯父の小野栄一が『そっくりショー』の司会などをしていたタレントなんですけれども、
>芸能プロダクションもやっていて、それを手伝ってまして……」
〈略〉
>「その伯父から、渋谷のバーで潮健児さんと一緒になったという話を聞いて、ちょうど
>ショーの仕事があったので、ぜひ潮さんに出ていただきたいと。そのとき、潮さんが
>入院してらっしゃるというので、お見舞いがてらお願いに行ったんですよ」
〈略〉
>「これは今だから言えることなんですが、そういったご縁もあって、晩年の潮さんにうち
>の事務所の顧問という形で顧問料をお支払いしたり……」
>――『星を喰った男』という本の出版にご協力なさったりも……。
>「それを当時、平山さんが唯一知ってくださっていて、『ありがとうな、潮ちゃんの最期
>看取ってくれてな』とおっしゃっていただいて


[4] - http://taiga.hp.infoseek.co.jp/anser17.html
>この話を裏付けるため、「首輪の無い犬」に出演していた女優に電話してみました。
>彼女の話では、当時金子さんも打上げに参加されて、お話も聞けたそうです。金子さ
>んが亡くなられたことに驚きながらも、こんな話をしてくれました…「悪魔くん、あの日
>に限らず毎日のように潮さんを送り迎えしていたよ」…と。やはり、一時的な復縁じゃ
>なかったのですね…。「旅行代理店に勤めてるんだけど、時々は役者もやっているっ
>て言ってた」…と。


[5] - 『星を喰った男』 (単行本) P.305 ~ P.306
> 彼はそのあと、同じ平山部長のプロデュースで『ジャイアント・ロボ』の主役をやって、
>それで役者を辞めちゃったんです。それから十年くらいして、新しい仮面ライダーの
>主役をやってもらおうと平山さんが声をかけて、本人もやる気になっていたみたいなん
>だけど、今度は両親から反対されて(だって、日商岩井に就職していたんだから無理も
>ないですけれどね)それきりだったみたいです。……で、数年前、僕がちょっと体を悪く
>して入院しているときに、突然見舞いにやってきたんですよ。ハンサムな好青年がいき
>なり目の前に現れて、
>「潮さん、僕、わかりますか」
>って言うんですね。二十年ぶりくらいですよ。最初はまったくわからなかったけれど、
>どこかに美少年の面影が残っていて、
>「ひょっとして……光っちゃんか?」
>って……。もう、いきなりメフィストと悪魔くんの関係に戻ってしまいましてねえ。その
>ころはもう会社を辞めてツアーコンダクターを個人でやっていたんだけど、いい車持っ
>て、世界を回って、カッコいい生活をしているみたいでねえ。わが子が成功したように
>うれしかったですね。長いこと役者やっていると、こういう嬉しいこともあるんです。


[6] - http://taiga.hp.infoseek.co.jp/anser17.html
>いや、本当の最後は『髑髏戦士スカルソルジャー』(タイトル間違っていたらごめんな
>さいです)ですね。「潮」さんが「メフィスト」のような格好で出演しているのですが、ラス
>トの方で「金子光伸」さんもワンカット出ているのですよ、ご存知でしたか?…。この頃
>には、「潮さんはもう長くないぞ…」と、前途の芝居の演出家より聞かされておりました
>から、「潮」さんの死はそれ程ショックも無く受け入れられたのですが、「金子」さんまで
>が、その後間もなく逝ってしまわれたなんて…。


[7] - 『星を喰った男』 (文庫版) P. 341
>潮さんも、僕のことを家族のように思ってくれていたようだ。それは、肝臓病に犯されて
>いた潮さんが、上記の虎ノ門病院に定期的に入院する際はいつも、保証人に僕の名
>を使っていたことでもわかると思う。それ故に、潮さんの死病について、もっとも早く報
>告を受ける者となったショックは忘れられない。この本を、最初僕は、しばらく映画界を
>離れていた潮健児の銀幕カムバック用の花道にするつもりだった。それが、潮さんの
>人生の最後を飾る花道になろうとは……。それから数ヶ月、僕は担当医の先生の指
>示で、お弟子さんたちにもこのことを隠し続けなければならなかった。


[8] - http://www.geocities.jp/tokusatsuhero/soldiers_plus_rider.html
>※古川緑波一座、空気座、劇団アバンギャルド 新劇ショー、東宝芸能部、太泉スタ
>ジオ、東映東京撮影所、東企画、オフィス105での所属歴あり。※潮健志、潮健磁の
>芸名で活動あり


[9] - http://taiga.hp.infoseek.co.jp/anser17.html
>そうそう、潮さんから頂いた名刺が見つかったので送ります。≪以上、「へろきゃっと」
>さんからのご返信メ~ル原文より~一部省略…≫


[10] - http://www.tobunken.com/diary/diary20030504000000.html
>朝刊に宮崎尚志氏死去の報。〈略〉私にとっては小野栄一の親友として、オノプロ時
>代から、私の代になってもいろいろおつきあいのあった人だった。
> 舞台での小野の仕事で何度も脇についたことがあるし、私が社長を引き継いだ頃、
>お仕事の話も持ちかけていただいたことがあるが、当時(平成四~五年ころ)、宮崎氏
>は自作オペラのプロデュースに凝っておられ、お笑い芸人のプロデュースでかつかつ
>な弱小プロダクションとしては、話があまりにも雄大というか遠大というか、〈略〉

http://s01.megalodon.jp/2008-1220-1202-35/www.tobunken.com/diary/diary20030504000000.html

[11] - http://www.tobunken.com/diary/diary20031012000000.html
>私は春風亭昇輔くんを誘って、高田馬場で日東新聞(特撮ファンクラブGの会誌)20
>周年記念の会に出席
〈略〉
>「……潮さんが“おもしろい会があるんで、ちょっとつきあってくれませんか”と私に言っ
>てきて、初めてこの会にお邪魔したのが12年前、1991年の暮のことでした。そのと
>きは、だから潮健児のマネージャーという立場だったわけですね。

http://s01.megalodon.jp/2008-1220-1442-10/www.tobunken.com/diary/diary20031012000000.html

[12] - http://ja.wikipedia.org/wiki/若山富三郎
>若山 富三郎(わかやま とみさぶろう、1929年9月1日 - 1992年4月2日)は、日本の
>映画俳優。


[13] -『星を喰った男』 (単行本) P.333 から P.334
> ……前日、通夜のとき、フッと、目の前に座っている、若い、端正な顔立ちの俳優
>さんの姿が目にとまったのです。若いのに似ず、キチンと姿勢をくずさずに正座して、
>若山さんの遺影の方を見つめています。どこかで覚えのある顔だな、若い俳優さん
>には最近、ほとんど面識がないんだけれど……と記憶をさぐっていくうちに
>「そうだ彼は僕のファンなんだっけ」
>と思い至りました。京本政樹さんだったんです。
> テレビに映画に活躍中の彼は、また大変な仮面ライダーのファンを標榜しており、
>以前から、
>「京本くんが潮さんの大ファンで、潮さんに会いたい、どこかで会えないか、っていつも
>言っているんですよ。今度撮影所かどこかで会ったら、声かけてやってください」
> と言われていたのを思い出したんです。こんな席で、とは思いましたが、この機会を
>逃したらあいさつもできなくなるかもしれません。天性のお調子者の僕です、あのさな
>か、彼の前に、手をついて
>「初めてお目にかかります、地獄大使の潮でございます……」
> と言いました。京本さんの目が大きく見開かれて、
>「あっ、あの潮さん……本当に。ああ」
>と、今までの端正な二枚目が急に、いつもファンクラブで会う仮面ライダーファンたちと
>同じ、かわいい顔つきになりました。
〈略〉
> そんなことが昨日、あったのでした。
> そして、今、受話器のむこうで熱をこめて、
>「僕、実はいまヒーロー物のビデオを撮ってるんです! それで、その中の大事な役
>を、ぜひ潮さんにやっていただきたくて……前からお願いにあがろうと思っていたんで
>すが、まさかあんなところでお会いできるなんて思ってもいなかったもので、矢も盾も
>たまらずお電話差し上げたんですよ……」


[14] - 『星を喰った男』 (単行本) P.32 ~ P.33
>そして慣れないペンを執って、あのこと、このことを思い出しては書きつけていっていた
>その最中の、親父さんの突然の死だったんです。
> ……一番に読んでもらいたかった人がもうこの世にいない。
>「そうそう、こんなことがあったわなア」
>と、この本が出たら、親父さんと一夜、語り明かそうと思っていたのに。また、こんな
>ことまで書いてしまって、親父さんに怒られやしないかしら、という心配も、もう杞憂に
>なってしまった……心にポッカリと大きな穴が空いてしまった状態で、いま僕はあらた
>めて筆を起こそうと思っています。恥かく義理かく人情かく、“三カク”マークの東映
>の、東京撮影所に集っていた有名無名の映画狂たちの群像を……。


[15] - http://tondemonai2.web.fc2.com/811.html#comment (投稿者:四海鏡さん)
>そう言えば、潮さんの遺作は、京本政樹さんが監督・主演・制作総指揮をとったVシネ
>マ作品「ザ・スカルソルジャー」な訳ですが、潮さんの起用は京本さんの強い希望であ
>り、潮さんも喜んで撮影に加わっていた、という話を耳にした事があります。潮さんが
>演じた主役である京本さんの執事の姿は、メフィストを思い起こさせるシルクハットを
>被っており、これも京本さんのこだわりだったとか。
>そういう話を聞くと、京本さんが潮さんの葬儀でメフィストの帽子を…という噂も、別に
>本人達にしてみれば不思議な事ではないんじゃないかな、などと思ってしまうのです
>が。潮さんと京本さんの、こういった俳優同士だからこその関係に「潮さんを守るには、
>私物化的な形で囲い込むしか方法がなかった」という表現を使ってまで潮さんとの親
>密さをアピールしていた唐沢氏が、嫉妬のような感情を抱いても不思議ではないかな、
>などという邪推はしてしまいます。


[16] - http://www.tobunken.com/diary/diary20070503214419.html
>京本政樹監督・主演のVシネマ『髑髏戦士スカルソルジャー』という作品に潮健児の
>マネージャーとして参加したという話は以前、日記に書いた。
http://www.tobunken.com/diary/diary20020725000000.html

http://s04.megalodon.jp/2008-1220-1534-08/www.tobunken.com/diary/diary20070503214419.html

[17] - http://www.tobunken.com/diary/diary20020725000000.html
>ハマコンにゲストで来た京本政樹のことに触れていて、ちょっとニヤリとする。これも
>どうしようもない想い出だが、あのとき、彼をゲストに呼んだのは私なのであった。……
>あの年の春、京本氏は自分の監督・主演ビデオである『髑髏戦士スカルソルジャー』
>を撮っていて、潮さんが京本氏の扮する主人公の従者という大役で出ずっぱりだった
>こともあり、私も毎日、撮影現場に出かけていた。単に潮さんの健康状態を気遣って
>の様子見だったが、いつのまにか京本氏がやけにこちらに親しく話しかけてくるように
>なり、どうも、彼は私のルートを使って、この作品をマスコ ミに宣伝させようと踏んでい
>るらしかった。


[18] - 『星を喰った男』 (文庫本) P.319
> ここに採録した対談は、一九九三年八月、横浜において開催された日本SF大会
>(HAMACON)会場で、唐沢俊一と唐沢なをきの司会のもと、行われたものである。
>この大会は前日に『地獄大使ショー』のイベントがあり、また、対談後に潮さんが出演
>されたビデオ作品『スカル・ソルジャー』の特別上映会があり、潮健児キャラクター特別
>展示ブースあり、と、まるで潮さんのための大会といった感じがあった。


[19] - http://www.sf-fan.gr.jp/jsfcon/list.html
>1993年  32  DAICON 6  大阪
>1992年  31  HAMACON  横浜


[20] - http://www.tobunken.com/diary/diary20000805000000.html
>九二年に、同じ開場で開催されたHAMACONのときは、まだ“と学会”もなく(この
>とき企画で行われた日本トンデモ本大賞受賞式の大当たりで、その夜、中華街でメシ
>を食いながら発作的に発足の運びとなった)、私は潮健児のトークショーや、内田春菊
>との対談などをやったSF寄席の企画で飛び回っていた。潮さんはライダーショーや京
>本政樹との対談などと元気満々であり、春菊のマネージャーには大久保さんがちゃん
>とついてきており、私はと言えば企画をこなしながらも、伯父が勝手に引退してしまっ
>た後のオノプロの経営に頭を痛めていた。あ れから八年、私自身は変わったのか相
>変わらずなのか。

http://s03.megalodon.jp/2008-1220-1713-24/www.tobunken.com/diary/diary20000805000000.html

[21] - http://www.tobunken.com/diary/diary20011117000000.html
>それから懐かしや、かつて私が社長をしていた時代のオノプロの社員のナベちゃん
>(潮健児の付き人もやってくれていて、ハマコンでの地獄大使ショーではXライダーを
>演じた)も来ている。

http://s03.megalodon.jp/2008-1220-1520-30/www.tobunken.com/diary/diary20011117000000.html

[22] - http://www.tobunken.com/diary/diary20000930000000.html
>人間にとって、花道を飾るということの大事さは何より大きいと思う。これは、私が潮
>健児の出版記念パーティを開いたとき、痛感したことだ。あのパーティ出席の24時間
>後、潮さんは急逝した。だが、もしこれに出席しないで病院のベッドの中にいて、もう
>数カ月の余命を保つことと、出版記念パーティ出席の24時間後にこの世を去ることの
>どちらが潮さんにとって幸福だったか。あのとき、潮さんの主治医の先生は私に向か
>い、“出席すれば死ぬかもしれません、それでも出ますか? と益戸さん(潮健児の本
>名)に訊いたら、それでも出たいです、と答えました。もうこれ以上は医者の口出しす
>ることではありません”と言ってくれた。名医の言であると思う。

http://s02.megalodon.jp/2008-1220-1352-21/www.tobunken.com/diary/diary20000930000000.html

[23] - http://www.tobunken.com/diary/diary20010526000000.html
>潮健児さんなどもずっと実の弟さん(すぐ下の次男)と、実家の土地のことで裁判を
>続けており、私も身内がわりとしてあちらの弁護士さんの事務所に出かけて事情説明
>などをしたことがある。やっと向こうが折れて、潮さん有利の結果が出る矢先の死で、
>かなり潮さんもくやしかったのではないだろうか。亡くなる前日のパーティの楽屋に、
>向こうの弁護士さんが様子を見に来たが、ちょっと話をして引き取るときのその顔に、
>明らかに満足気な表情が浮かんでいた。あの表情は忘れられない(死後、後始末に
>その弁護士さんの事務所で書類を作成した際、“潮健児所有の土地を”と書いたら、
>彼に“所有じゃないでしょ、貸借物でしょ”とキメられて、ちょっと絶句した)。その後
>『星を喰った男』の文庫化の際、著作権者から潮さんの名を削ったことで、私もいろい
>ろ陰口を叩かれたが、あれは実のところ、出版に対し、この弟さん側から何か言って
>くるのを封じるという目的があったのである。

http://s02.megalodon.jp/2008-1207-1614-32/www.tobunken.com/diary/diary20010526000000.html

[24] - http://ja.wikipedia.org/wiki/潮健児
>潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993年9月19日)は、東京出身の俳優。
>本名は益戸正雄(ますどまさお)。


[25] - 1993.09.20 日刊スポーツ 27頁 (全422字) 
>潮健児さん 肝硬変のため死去 東映映画の名脇役として活躍
> 「網走番外地」「昭和残侠伝」などの東映映画で名脇(わき)役として活躍した俳優の
>潮健児(うしお・けんじ、本名・益戸正雄=ますど・まさお)さんが19日午前0時28分、
>肝硬変のため川崎市の虎の門病院分院で亡くなった。68歳。東京都生まれ。自宅は
>東京都目黒区中根1の3の4、福好ビル304。通夜は23日午後6時、葬儀は24日午
>前11時 から東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で行われる。喪主は
>弟久夫(ひさお)氏。
> 古川緑波一座を皮切りに舞台俳優として活動し、1950年(昭25)、「執行猶予」で
>映画デビュー、東映の脇役として数多くの作品に出演した。テレビでは「七色仮面」の
>さそりの万吉、「仮面ライダー」の地獄大使などを演じた。3年前から肝臓病で入院し
>ており、今月17日に都内のホテルで行われた自著の出版パーティーには「最後の花
>道だからどうしても出たい」と訴え、車イスで出席した。この日の仮通夜には俳優仲間
>の清川虹子、京本政樹らが駆けつけた。


[26] - 1993.09.24 日刊スポーツ 23頁 写有 (全336字) 
>19日に死去した潮健児さん 通夜に300人が参列
> 19日に68歳で死去した俳優・潮健児(うしお・けんじ、本名・益戸正雄=ますど・ま
>さお)さんの通夜が23日、東京・品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で行われ
>た。東映映画、テレビ劇画で活躍した故人をしのび、清川虹子(81)菅原文太(60)
>京本政樹(34)ら俳優仲間を含め、映画界などから約300人が参列した。
> 祭壇には遺影とともに「仮面ライダー」の地獄大使の写真が飾られ、ひつぎには今月
>17日に出版した自叙伝、東映時代に潮さんが“親分”と慕った故鶴田浩二さんの写真
>と、故若山富三郎さんから譲り受けた法被が納められた。
> 東映時代に共演した菅原は「みんないい役者が天国に行ってしまった。向こうの映
>画界の方が活気づいているんじゃないかな」と名脇(わき)役の死を惜しんでいた。


[27] - 1993.09.25 日刊スポーツ 22頁 写有 (全223字) 
>19日に死去した潮健児さん 告別式に200人 ショッカーもお別れ
> 19日に肝硬変のため68歳で死去した俳優の潮健児(うしお・けんじ)さん(本名・益
>戸正雄=ますど・まさお)の葬儀が24日、東京・品川区西五反田の桐ケ谷斎場で行
>われた。俳優の京本政樹(34)ら200人が参列し、故人に最後の別れをした。
> 潮さんは「仮面ライダー」の地獄大使役で人気を得たが、出棺の際に潮さんのファン
>クラブの人たちがショッカーにふんし「世界征服の志半ばで散った地獄大使閣下に最
>敬礼。イーッ(ショッカーの掛け声)」と右手を上げて見送った。


[28] - http://www.tobunken.com/diary/diary20020525000000.html
>潮さんの出版記念パーティでも発起人代表、また葬儀のときも委員長を務めていただ
>いた。天下の清川虹子に“あら、あなたが潮ちゃんの社長さん? いい男だわねえ”と
>感心されたのは自分の容貌に関する、私の数少ない勲章のひとつかも知れない。もっ
>とも伴淳を亭主にしていた人ではあるが。

http://s03.megalodon.jp/2008-1220-1505-37/www.tobunken.com/diary/diary20020525000000.html

[29] - http://www.tobunken.com/diary/diary20010924000000.html
>祭りというと、潮健児さんが亡くなったのが、丁度目黒あたりの秋祭りの最中で、町内
>会に知らせようにも連絡がつかず、駅前の板張りの祭礼本部で町会長さんら一同が
>イッパイ機嫌になっているところへ知らせに行き、イヤな顔をされたのを思い出す。

http://s02.megalodon.jp/2008-1220-1542-40/www.tobunken.com/diary/diary20010924000000.html

[30] - http://www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html
> Fさんは、荒々しくドアを閉め、去っていった。後に残ったのは、潮さんの遺影とお
>骨、そして私と、プロダクションのマネージャー、潮さんのよく行っていた近くのバーの
>ママの三人だけだった。私の頭は急速に回転していた。彼女のミスは、お骨を置いて
>いってしまったことである。これだけは、彼女に渡してはいけない。私はすぐその場で
>骨壷を抱き、タクシーに飛び乗った。当時、参宮橋にあった私のマンションに、一緒に
>持ってきた葬儀社のセットで簡単な祭壇を作り、そこに遺骨と遺影を安置すると、待た
>せていたタクシーにまた乗って、トンボ返りで目黒の潮さん宅まで戻った。この間一時
>間弱。あわただしく、主な関係者にこの件を電話で連絡する。その中の一人に電話で
>詳細を説明しているまさにそのさなかに、Fさんと賀川さんの二人が戻ってきた。
>「ヤッホー」
> と、Fさんはわざとふざけた口調で言った。「おじじの骨をもらいに来たよー」
> 私は立ち上がると、自分でも驚くほどの冷静な口調で、彼女にこう告げた。
>「・・・・・・骨は、もうここにはありません」
>「・・・・・・」
>「私の手で、別の場所に移させていただきました。後日、菩提寺さんへ持っていき、
>ご供養していただきます。その際にご連絡はさせていただきますから」
>「・・・・・・」
> Fさんの顔は土気色だった。押し殺した声で、ほぼうつむいたままで、言った。
>「どこへ、預けたか、教えていただけますか」
>「・・・・・・聞いて、どうなさるんですか」
>「拝みにいきたいんだ」
>「・・・・・・お断りいたします」
>「・・・・・・オジジは、私と一緒にいたいんだよ!」
>「さっきまで、私もそう思っていました。Fさんがそういうおつもりなら、遺骨をお預けして
>もいいと考えていました。・・・・・・でも、Fさん、あなたはさっき、潮さんを置いて、出て
>いってしまわれた。あれほどFさんのことを好きだった潮さんを、ひとりぼっちにしていっ
>てしまわれた。・・・・・・私も潮さんのことが好きです。潮さんを、そういう方に、お預けす
>るわけにはいかないんです」
>「・・・・・・この、冷血漢!」
> 賀川さんが私に怒鳴ったのはそのときだった。
>「Fさんを、かわいそうだと思わないの?」
>「・・・・・・潮さんは、もっとかわいそうだと思います」
> 私は言った。賀川さんは私につめより、
>「あなたのその口調はなによ! 何をすましているのよ! Fさんに先輩(潮さんのこ
>と)を返してやんなさいよ!」

http://s01.megalodon.jp/2008-1215-0224-12/www.tobunken.com/diary/diary20000305000000.html

[31] - http://www.tobunken.com/diary/diary20020505000000.html
> 整理したフロッピー原稿で、94年の日記というのがあったので、ちょっと読んでみた
>が、イヤハヤ。ずーんと暗い気持になる。〈略〉
>前年にオノプロを閉じて、これで記憶ではライターに専念することが出来て、以降右肩
>上がりだと思っていたのだが、その前にこの奈落の年があったのですな。

---------

結局、以下のふたつを、どこにおけばよいかはわからなかった。

A. 『星を喰った男』 (文庫版) 文庫版読者の皆様へ
> 当初はこまかく原稿内容に注文を出していた潮氏だったが、原稿執筆の半ばあたり
>で氏の敬愛していた若山富三郎氏の死という出来事があり、構成を変更して、その模
>様を冒頭と末尾に持ってくることにした。その、プロローグの葬儀のシーン(潮氏の話
>をもとにこちらがまとめた)の原稿に目を通してもらったとき、潮氏は僕の目の前で原
>稿にポトリと目を落とし、「ここまで僕の気持ちをわかって文章にしてくれたのなら、もう
>これからは何も言わず、一切おまかせします。唐沢さんの書く言葉は、間違いなく僕
>の言葉だ」 と言ってくれた。
>心底からうれしく思ったことを覚えている。

( 『星を喰った男』の著者が唐沢俊一というのは文庫版の嘘だとしか 参照)

B. 『唐沢俊一のカルト王』 P.48
> そのうち、僕の事務所にいたタレントを引き抜きにかかり、あげく、そのタレントが
>書いていた本の原稿をだましとり、出版詐欺をやらかそうとたくらんで大騒ぎとなった。

( 『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 2 ページ目 参照)

潮健児の信頼を得たという話の A. が B. の後にくるのは変なような気がするし、唐沢
俊一が代表になっていたときの話らしい B. が、「原稿執筆の半ばあたり」「若山富三郎
氏の死という出来事
」よりも前にくるのも変な気が。『髑髏戦士ザ・スカル・ソルジャー』の
撮影は若山の葬儀 (潮と京本の出会いの場でもある) より後だし、撮影の頃は唐沢俊一
は潮健児のマネージャーであり、芸能プロの代表にはまだなっていないようなのだが。

追記: 2ちゃんねるのスレの指摘で、金子光伸さんと潮健児さんの名前の誤変換を修正
しました。ありがとうございました。# 誤字多過ぎ>自分

追記 2: 2ちゃんねるのスレの情報をもとに、仮通夜、通夜、葬儀の情報を追加。
個々の書き込みについては、別エントリーに収録してまとめようかと。
『星を喰った男』の中の金子光伸氏@なぜか唐沢日記には出てこない、の情報も追加。



2008/12/20  21:54

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

こちらこそお世話になっています (_ _)

>『星を喰った男』については自分も検証作業をしている最中なの
>で、年内には記事にしてみるつもりです。

をを、そうだったんですか。楽しみにしています……というには、
ちょっと微妙な問題もはらんでいますが。何しろ、どうせ、

>これも気が滅入る話なんですが。

ということになる確率があまりに高そうな気がするので。

唐沢俊一の書くものは、どれもこれも、どうしてこんな嫌な話にしあ
がってしまうんだろうと。本文にもリンクさせていただいた、

http://taiga.hp.infoseek.co.jp/anser17.html

や、同じサイトの掲示板の、

http://taiga.hp.infoseek.co.jp/keijibanrog20.html
http://www.geocities.jp/kindanhm/akumakun.html

などと比べる (のも失礼ですが) と、話の選び方といい語り口といい、
どうしてあんなことしか書けないんだとしみじみ思います。

2008/12/20  20:17

投稿者:kensyouhan
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/

いつもお世話になってます。
『星を喰った男』の検証ごくろうさまです。
『星を喰った男』については自分も検証作業をしている最中なので、年内には記事にしてみるつもりです。
それから『星を喰った男』と関係があると思われる問題を見つけたので、それについてもあわせて記事にしてみます。これも気が滅入る話なんですが。

   
 
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