トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/12/20  9:27

『星を喰った男』でも時空を歪ませた唐沢俊一であった  その他の雑学本 間違い探し編

『星を喰った男』 (文庫版) P. 341
 この本の出版を企画してから四年の間、潮さんとは実際の家族以上の
深いおつきあいをさせていただいた。

×四年 ○二年

潮さんとは実際の家族以上の深いおつきあいをさせていただいた」自体がガセでは
ないかというのは、おいといて。

単行本では、出版を企画してから「丸二年」だったのが、文庫本では「四年の間」と、
倍に延長されている。

『星を喰った男』 「編集・構成を終えて」 (単行本) P.344
 潮健児さんの本を出す出すと宣言してから、早くも丸二年が過ぎてしまった。

潮健児の「東映全盛期の撮影所のウラ話バカ話」が面白いので、「聞き書きで本にしよ
うと思う
」「ガロの読者で出版関係のひと この企画買って頂戴」などと書かれている
『脳天気教養図鑑』によると、以下の通り。

『脳天気教養図鑑』 P.140
俊一「……で、その!「ブラウン管の怪人」と 私はあろうことか先日お仕事
をごいっしょしてしまったのだあああっ」
なをき「……なんだ今回はただの自慢か」
……ある人形劇で、人形にまじって出演するキザな紳士の役でご出演を
願ったのである。
私が演出しているのだ (書き文字)
俊一「脚本を手に梶ヶ谷の病院まで出演を依頼しに行ったのよ(その頃、
お体を悪くして入院されていたのである)
めぐりあわせというのか丁度元東映の大プロデューサー 平山亨氏と潮氏の
スタイリストの方が来ていて
潮健児「看護婦さんにはナイショね」
潮氏はさしいれのアンミツ食べておられた
地獄大使が栄太楼のアンミツ喰っている (大きめの書き文字)

『脳天気教養図鑑』 P.142
俊一「……このショッカー怪人の鳴き声に由来するハナシを始めとする潮氏の、
東映全盛期の撮影所のウラ話バカ話のおもしれーのなんのって 私ゃそのうち
聞き書きで本にしようと思うぞ」
俊一「地獄大使大いに語る」てえタイトルはどうだ」 (書き文字)
俊一「ガロの読者で出版関係のひと この企画買って頂戴」

同じページの欄外に、「月刊ガロ1991年4月号」の文字と、
※潮健児氏は1993年9月、逝去。その自伝は『星を喰った男』という
タイトルで他界直前にバンダイ出版部から唐沢俊一編で上梓され、
各マスコミで絶賛された。関係者のみなさんに心からお礼申しあげます。

という注釈あり。

この『脳天気教養図鑑』には、潮健児に出演依頼をしに病院に行ったのが、唐沢俊一と潮
健児との初対面であるかのように書かれている。 「潮さんとは実際の家族以上の深いおつき
あい
」には到底見えないことは確か。

これが「月刊ガロ1991年4月号」の時点での「先日」の話で、1993 年の『星を喰った男』
出版の 2 年前。これで「出版を企画してから四年の間、潮さんとは実際の家族以上の深い
おつきあい
」というのは、いくら何でもないだろう。

……あちらのコメント欄にも書いたけど、まず唐沢俊一の言い分だけを元に話を構成して
みようなどと考えたのは、そもそも無謀だったような気がしてきた。



   
 
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