トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
旧 URL は、http://diary.aol.com/yzuc9ww/797.html
文字列の一括置換をかけた都合上、旧ブログのコメント欄および2ちゃんねるのスレからの引用の中の URL も全部新 URL に置き換わっていますことを、あらかじめご了承ください
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/ で続きの Blog をやっています
   
 

2008/12/7  12:02

黒ミサに夢をもちすぎていませんか唐沢俊一先生  『トンデモ一行知識の世界』間違い探し編

『トンデモ一行知識の世界』 P.152
 現実の歴史の上では、このマクベス婦人も顔負けの残忍さを発揮した
女性が何人もいる。ことに、悪女と言えばフランスが本場のようで、歴史
に残る大悪女が何人も出ているのである。
 たとえば、ルイ十四世の愛人で、ライバルの愛人たちを片っ端から毒殺
したり、黒魔術で呪い殺していったモンテスパン公爵夫人。

×黒魔術で呪い殺していった ○黒魔術で呪い殺そうとした

ええと、「黒魔術で呪い殺していった」って……。これではモンテスパン侯爵夫人自ら
実践した黒魔術が本当に効果があって、それによりライバルたちはバタバタ死んで
いったということになってしまう。「黒魔術で呪い殺そうとした」とか、他に書きようは
あったと思うのだが。

まあ、同じ章で「かの大予言者、ノストラダムス」と注釈抜きで持ち上げ、アンリ二世の
死は「カトリーヌ配下の妖術使いたちの力」かもしれないと書いている唐沢俊一なので
(「ノストラダムスも妖術師もビリーバー唐沢俊一にとっては本物?」を参照)、黒魔術の効
果を本気で信じて書いているのかもしれないが……『ムー』でもあまりやらないと思うぞ、
こんなさらりとした断定。

実際、モンテスパン侯爵夫人は赤ん坊を生け贄にした黒ミサをおこなったそうだけど、
効果はなかった模様。黒ミサや毒殺依頼は当時の貴族の流行りで、似たようなことを
していた貴族は多く、彼女だけが突出した悪女ともいえないようなのが怖い話でもある。

また、「ライバルの愛人たちを片っ端から毒殺」と唐沢俊一は書いているが、かろうじて
該当しそうなのはアンジェリクくらいで、ルイーズやマントノン侯爵夫人といった他の有力
ライバルは死ななかったし、毒をもられたことがあるという話すらない (ルイーズは修道院
にいき、マントノン侯爵夫人は王妃の死後もルイ十四世に連れ添う)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス
>王の寵愛を再び取り戻そうとフランソワーズは、当時魔女と呼ばれ、黒魔術の他に
>堕胎や毒薬による毒殺を請け負っていた、ラ・ヴォワザンという女性の許を訪れた。
>フランソワーズは、ラ・ヴォワザンと共に黒ミサの儀式を行なう事にした。黒ミサの儀
>式で、フランソワーズは祭壇に裸で横たわり、その体に生贄になった胎児の血が注が
>れた。しかし、この黒ミサの効果はなく、ルイ14世の寵愛は戻らなかった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/マリー・アンジェリク・ド・フォンタンジュ
>王弟オルレアン公の妃エリザベート・シャルロットの侍女として、宮廷に出入りしてい
>たところを、1679年にルイに見初められた。アンジェリクは、当時の絵画のモデルに
>すぐなってしまうほどの美女だったが、頭が良いとはいえなかった。ルイが彼女に公
>爵夫人の称号を与えた時には、既にアンジェリクは妊娠中だった。彼女はその後急病
>で子供を死産した。のち、彼女は宮廷を出て修道院へ入った。多くの宮廷の人々は、
>アンジェリクはモンテスパン侯爵夫人に毒を盛られたのだと噂した。アンジェリクは、
>1681年6月にポール・ロワイヤルで死んだ。


その他参考 URL:
- http://yoshua.egoism.jp/h%5Eonnna.html



   
 
HOME

 

 

inserted by FC2 system