トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/11/29  11:05

はかない命?――いいえ七つの墓をもつ男  『トンデモ一行知識の逆襲』派生トリビア編

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.45
 果たして寺坂吉衛門は本当に討入に加わったのか加わらなかったのか。
本人は何も語らぬまま、東京・麻布の曹渓寺に眠っている。

名墓録というサイトで探すと、宮城県仙台市の実相寺というのが最初に出てきた。

http://www.hugyou.jp/meibo/index.cgi?acto=find2&cond=and&word=%90%D4%95%E4
>名墓録 (全項目)
><「赤穂」を「and」で検索した結果:91件>
〈略〉
>309 寺坂吉衛門 武士・赤穂義士・理海慈宝 宮城県仙台市泉区市名坂字実相寺


http://www.nihonkai.com/jh7bia/miya/sub901.htm
>墓の前に、仙台市教育委員会が建てた看板があります。
>「理海茲寶主」と刻まれている石が吉衛門の墓石と伝えなれている。赤穂浪士の中で
>身分の低かった寺坂吉衛門は、泉岳寺へ引揚の途中大石内蔵助より瑤泉院(長矩夫
>人)や芸州浅野本懐の報告の命をうけ、一人同士と別れた。1年後自首したが、許され
>て仏門に入り、理海坊と名乗った。亡君や同志の音提を弔うべく諸国を巡り、晩年この
>地に錫を止め、手習師匠として余生を送ったと伝えられる。討入後40年の寛保2年
>(1742)死亡した。
>遺品を整理してはじめて寺坂吉衛門であったことを知り、かっての寺子百八十人の手
>により、ねんごろに葬られたという。側の碑は仙台藩の学者保田光則の撰文で、天保
>十四年(1843)に建てられたものである。


上記に引用した看板に書かれている内容が正しいとすれば、「眠っている」という表現に
ふさわしいのは、仙台市の実相寺の墓のような気がする。

まあ「東京・麻布の曹渓寺」にも寺坂吉衛門の墓はあるからガセビアにはカウントしないし、
寺坂吉衛門の墓は他にも各地にあって、合計 7 箇所。

http://www.hugyou.jp/meibo/index.cgi?acto=find2&cond=and&word=%90%D4%95%E4
>  972 東京都港区南麻布二丁目 曹渓寺
> 7546 静岡県賀茂郡西伊豆町一色字堀坂 一相西円上座 慈眼寺(鈴木家墓地地蔵尊)
> 9282 大阪府大阪市住吉区住吉二丁目 一運寺
>10129 島根県益田市遠田町 信行庵
>10144 島根県江津市黒松町 信行庵
>11368 福岡県八女市豊福 一念寺


http://www.city.sendai.jp/izumi/soumu/konjaku/11itinazaka.html
>【寺坂吉右衛門の墓】
> 寺坂吉右衛門は、「忠臣蔵」の中に出てくる赤穂浪士47士の一員で、ただ一人生き
>残ったとされている人物です。
> 寺坂のお墓は、東京・南麻布、五島、出水、八女、益田、伊豆、そして仙台の7カ所
>にあるとされます。延享4年(西暦1747年)10月6日にその生涯を閉じたと伝えられて
>いますが、どれが本当の墓かは分かっていません。


墓が複数存在するのは寺坂吉衛門 (寺坂吉右衛門) に限った話ではなくて、大石良雄
(大石内蔵助) は遺髪塚や遺髪塔を入れて 5 箇所。

> 884 大石良雄 他赤穂義士 東京都港区高輪二丁目 忠誠院刃空浄剣居士 泉岳寺
> 7686 大石良雄 他一族 武士・赤穂浅野家家老 滋賀県大津市大石町沢野 大石
>家屋敷跡
> 8932 大石良雄(遺髪塚) 武士・赤穂浪士 京都府京都市山科区西野山桜ノ馬場町
>岩屋寺
> 9280 大石内藏助良雄 武士・赤穂浪士 大阪府大阪市住吉区住吉二丁目 忠誠院
>刃空浄剣居士 一運寺
>11840 大石良雄 他17名 細川家お預け赤穂義士遺髪塔 熊本県山鹿市大字杉
>日輪寺




   
 
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