2008/11/24 14:47
ガキの頃はあんだけスゴかったのになあの星飛雄馬 その他の雑学本 間違い探し編
『B級学 マンガ編』 P.264
×1960年代の読者は ○1960年代から1970年代にかけての読者は
「それから」とは、雑誌「少年」での関谷ひさし『ストップ! にいちゃん』の連載から、の
意味。
「1960年代の読者は」というのは、『巨人の星』も『あしたのジョー』も、1970 年代まで
連載が続いているのだから、あまり適切ではない。どちらも、1970 年代には読者の
支持を失っていたわけでは全然なくて、最終回の盛り上がりが話題になった漫画でも
あるし。素直に「当時の読者は」とでもしておけば、よかったと思うのだが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/巨人の星
>漫画は1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載された。TVアニメ化も
>され、1968年3月30日~1971年9月18日によみうりテレビ系で、全182話が放映さ
>れた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/あしたのジョー
>講談社の『週刊少年マガジン』に、1968年1月1日号(発売日は1967年12月15日)
>から1973年5月13日号にかけて連載された。
それと、「最初からヒーロー足り得る条件を求め、悩み、努力」ってのも、飛雄馬はとも
かく、ジョーは「最初から」ではなかったのでは。
で、最初にこのネタを2ちゃんねるのスレに書き込んだ人の言う通り (Read More 参照)、
『ストップ! にいちゃん』のスポーツ万能な中学生の主人公、南郷勇一が「ただ仰ぎ見る
だけのキャラクター」で、『巨人の星』の星飛雄馬や『あしたのジョー』の矢吹丈が、そうで
なかったかのように書いているのは変。
読者の等身大の姿に近く親近感を覚えさせるのは、むしろ『ストップ! にいちゃん』の
主人公の方で、大リーグボール養成ギプスをつけて育てられ、7 ~ 8 歳の頃にはすで
に、壁の穴ごしに立ち木にボールをぶつけて一人キャッチボールができるほどの制球力
を身につけていた星飛雄馬や、ドヤ街でも札付きの喧嘩屋で、アル中とはいえ元プロ
ボクサーの丹下に喧嘩で勝ち、少年院送りにもなった矢吹丈の方が、読者の実像から
は、かけ離れている。
まあ、飛雄馬は巨人のスーパースター、ジョーはボクシング世界チャンピオンと目標が
大きいので、「悩み、努力する」必要は当然あるだろう。『ストップ! にいちゃん』のような
作品との違いは、終わりなき日常ではなく右肩上がりにのしあがっていく姿を描いている
ことで、そこが 1960 年代から 1970 年代前半にかけての読者に支持された一因と思わ
れる。
唐沢俊一がほのめかしているような、一般読者と同じようなレベルの主人公が「悩み、
努力する」姿に「共感」させる漫画となると、後の『キャプテン』あたりを待たなければ
いけないのではないかと。
その他参考 URL:
- http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c31e.html
- http://ja.wikipedia.org/wiki/キャプテン_(漫画)
http://www.23ch.info/test/read.cgi/books/1226811954/
919 :無名草子さん:2008/11/22(土) 15:19:44
『B級学 【マンガ編】』 P.138
>だが、それから(註;雑誌「少年」での関谷ひさし『ストップ! にいちゃん』の連載から)
>わずか4年後、1966年に連載がはじまった『巨人の星』、さらにその2年後にはじまる
>『あしたのジョー』の主人公である飛雄馬もジョーも、その最初からヒーロー足り得る条件を
>求め、悩み、努力するのである。その姿勢に1960年代の読者は限りない共感と称賛を送った。
関谷ひさしの『ストップ! にいちゃん』の主人公南郷勇一はスポーツ万能の中学生。唐沢は
「自分たちの本当の姿とはかく離れた存在として、ただ仰ぎ見るだけのキャラクターだった」と
決め付ける。しかし、この主人公像は少年漫画の定番というべきもので、逆に親近感があったと思う。
所詮は中学生だし(プロ野球のエース銀田=金田のパロディーからホームランを打って、自信を喪失
させるというエピソードはあったが)。それに対して、星飛馬は巨人のOB一徹の息子で、幼い頃から
徹底的にしごかれ、魔送球は投げるわ、壁穴から外の立ち木にボールをぶつけてキャッチボールするわ
というけた違いの餓鬼。ジョーはスラム街の札付きの喧嘩屋。なにもないところからのスタートではない。
しかも、彼らが目指すのはプロスポーツ選手としての「巨人の星」「ボクシング世界チャンピオン」なのだ。
「悩み、努力するのである」ってレベルが違うだろうって。読者が熱狂したのは、梶原が描き続けた“異端”が
ナンバーワンを目指す部分であって、こつこつ努力姿ではない。中学生のスポーツエリートに違和感を抱く読者が
世界的なレベルの持ち主に、共感を得ると思うのだろうか。
935 :無名草子さん:2008/11/22(土) 19:28:40
>>919
>その姿勢に1960年代の読者は限りない共感と称賛を送った。
1970年代の読者は? 「あしたのジョー」の方は 1973 年までの連載で、
最初のアニメの放映も 1970 年となっているんだけど……。
だが、それからわずか4年後、1966年に連載がはじまった『巨人の星』、
さらにその2年後にはじまる『あしたのジョー』の主人公である飛雄馬も
ジョーも、その最初からヒーロー足り得る条件を求め、悩み、努力するの
である。その姿勢に1960年代の読者は限りない共感と称賛を送った。
×1960年代の読者は ○1960年代から1970年代にかけての読者は
「それから」とは、雑誌「少年」での関谷ひさし『ストップ! にいちゃん』の連載から、の
意味。
「1960年代の読者は」というのは、『巨人の星』も『あしたのジョー』も、1970 年代まで
連載が続いているのだから、あまり適切ではない。どちらも、1970 年代には読者の
支持を失っていたわけでは全然なくて、最終回の盛り上がりが話題になった漫画でも
あるし。素直に「当時の読者は」とでもしておけば、よかったと思うのだが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/巨人の星
>漫画は1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載された。TVアニメ化も
>され、1968年3月30日~1971年9月18日によみうりテレビ系で、全182話が放映さ
>れた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/あしたのジョー
>講談社の『週刊少年マガジン』に、1968年1月1日号(発売日は1967年12月15日)
>から1973年5月13日号にかけて連載された。
それと、「最初からヒーロー足り得る条件を求め、悩み、努力」ってのも、飛雄馬はとも
かく、ジョーは「最初から」ではなかったのでは。
で、最初にこのネタを2ちゃんねるのスレに書き込んだ人の言う通り (Read More 参照)、
『ストップ! にいちゃん』のスポーツ万能な中学生の主人公、南郷勇一が「ただ仰ぎ見る
だけのキャラクター」で、『巨人の星』の星飛雄馬や『あしたのジョー』の矢吹丈が、そうで
なかったかのように書いているのは変。
読者の等身大の姿に近く親近感を覚えさせるのは、むしろ『ストップ! にいちゃん』の
主人公の方で、大リーグボール養成ギプスをつけて育てられ、7 ~ 8 歳の頃にはすで
に、壁の穴ごしに立ち木にボールをぶつけて一人キャッチボールができるほどの制球力
を身につけていた星飛雄馬や、ドヤ街でも札付きの喧嘩屋で、アル中とはいえ元プロ
ボクサーの丹下に喧嘩で勝ち、少年院送りにもなった矢吹丈の方が、読者の実像から
は、かけ離れている。
まあ、飛雄馬は巨人のスーパースター、ジョーはボクシング世界チャンピオンと目標が
大きいので、「悩み、努力する」必要は当然あるだろう。『ストップ! にいちゃん』のような
作品との違いは、終わりなき日常ではなく右肩上がりにのしあがっていく姿を描いている
ことで、そこが 1960 年代から 1970 年代前半にかけての読者に支持された一因と思わ
れる。
唐沢俊一がほのめかしているような、一般読者と同じようなレベルの主人公が「悩み、
努力する」姿に「共感」させる漫画となると、後の『キャプテン』あたりを待たなければ
いけないのではないかと。
その他参考 URL:
- http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c31e.html
- http://ja.wikipedia.org/wiki/キャプテン_(漫画)
http://www.23ch.info/test/read.cgi/books/1226811954/
919 :無名草子さん:2008/11/22(土) 15:19:44
『B級学 【マンガ編】』 P.138
>だが、それから(註;雑誌「少年」での関谷ひさし『ストップ! にいちゃん』の連載から)
>わずか4年後、1966年に連載がはじまった『巨人の星』、さらにその2年後にはじまる
>『あしたのジョー』の主人公である飛雄馬もジョーも、その最初からヒーロー足り得る条件を
>求め、悩み、努力するのである。その姿勢に1960年代の読者は限りない共感と称賛を送った。
関谷ひさしの『ストップ! にいちゃん』の主人公南郷勇一はスポーツ万能の中学生。唐沢は
「自分たちの本当の姿とはかく離れた存在として、ただ仰ぎ見るだけのキャラクターだった」と
決め付ける。しかし、この主人公像は少年漫画の定番というべきもので、逆に親近感があったと思う。
所詮は中学生だし(プロ野球のエース銀田=金田のパロディーからホームランを打って、自信を喪失
させるというエピソードはあったが)。それに対して、星飛馬は巨人のOB一徹の息子で、幼い頃から
徹底的にしごかれ、魔送球は投げるわ、壁穴から外の立ち木にボールをぶつけてキャッチボールするわ
というけた違いの餓鬼。ジョーはスラム街の札付きの喧嘩屋。なにもないところからのスタートではない。
しかも、彼らが目指すのはプロスポーツ選手としての「巨人の星」「ボクシング世界チャンピオン」なのだ。
「悩み、努力するのである」ってレベルが違うだろうって。読者が熱狂したのは、梶原が描き続けた“異端”が
ナンバーワンを目指す部分であって、こつこつ努力姿ではない。中学生のスポーツエリートに違和感を抱く読者が
世界的なレベルの持ち主に、共感を得ると思うのだろうか。
935 :無名草子さん:2008/11/22(土) 19:28:40
>>919
>その姿勢に1960年代の読者は限りない共感と称賛を送った。
1970年代の読者は? 「あしたのジョー」の方は 1973 年までの連載で、
最初のアニメの放映も 1970 年となっているんだけど……。