トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/11/21  1:52

涙香の他者排撃癖とハゲ頭を継ぐもの=外骨 (by 唐沢俊一)  その他の雑学本 間違い探し編

『キッチュワールド案内』 P.193 ~ P.194
 また例えば、日本のジャーナリストの草分けとも言うべき黒岩涙香。〈略〉
彼はその経営する新聞『萬朝報』に、『弊風一斑・畜妾の実例』と題し、当時
の官界・財界から芸術界まで、朝野のありとあらゆる名士が、どこに何という
名のメカケを、いつからどのような次第で囲っているか、という記事を連載し、
明治の上流社会をパニックに陥れた。〈略〉社会を改良し、弊風を一掃する
のだという大義名分のもと、他者排撃の快感によいしれて、人のプライバシー
をあばいている。まさに、現今の2ちゃんねらーの元祖と言えるだろう。その
彼の頭は、写真で見るに見事なハゲ頭である。
 その涙香の後継者の一人に、宮武外骨がいる。 彼については昨今の外骨
ブームで、もはや説明の必要もないだろうが、彼もまた上流ダンガイには命
をかけた男で、大正十二年『不二新聞』で、
「桂太郎(前総理)は暗殺せざるべからず」
 と大見出しを使って書き、テロリズム使嗾の容疑で検事局に呼び出された。

涙香の後継者の一人に、宮武外骨がいる」って、黒岩涙香は 1862 年生まれ、宮武
外骨は 1867 年生まれで 5 歳しか離れていないし、2ちゃんねるのスレでの指摘書き
込み (下の方に引用) にあるように、外骨が『頓智協会雑誌』を創刊したのは 1887 年
で、涙香が『萬朝報』を創刊した 1892 年よりも前。

まあ 1882 年に『絵入自由新聞』に入社した涙香を、1886 年に『屁茶無苦新聞』を創刊
した外骨の先輩とみなすこともできないことではないかもしれない。

しかし、1886 年にすでに「風俗壊乱と認められ発売禁止の措置を受け」、1889 年には
骸骨姿の明治天皇の挿絵を掲載したことで不敬罪に問われ」ている外骨を、1889 年
に『弊風一斑・畜妾の実例』を連載した涙香と比べて、「彼もまた上流ダンガイには命を
かけた男
」だから「後継者」だとするのは前後が間違っているというか、普通は同時代に
活躍した二人というのではないかというか。いや、外骨の没年は涙香より 35 年も後の
1955 年というのも、また事実のようだけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/黒岩涙香
>黒岩 涙香(くろいわ るいこう、文久2年9月29日(1862年11月20日) - 大正9年(1920
>年)10月6日)は、明治時代の知識人、作家、翻訳家、探偵小説家、ジャーナリスト。
〈略〉
>明治15年(1882年)に創刊された『絵入自由新聞』に入社。
〈略〉
>明治25年(1892年)には『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊。


http://www.shibunkaku.co.jp/artm/gaikotu/gaikotu3.htm
>宮武外骨略年譜
>1867(慶応3)年 讃岐国(現香川県)の庄屋家の四男として誕生
〈略〉
>1885(明治18)年  18歳 〈略〉個人出版社「浮木堂」を立ち上げ、亀にちなんだ
>六角形の小型本『孰姉乎妹(いずれがあねかいもうとか)』を出版。
>1886(明治19)年  19歳 「屁茶無苦新聞社」を創設、「屁茶無苦新聞」を創刊す
>るも、風俗壊乱と認められ発売禁止の措置を受ける(外骨人生初の筆禍)。
>1887(明治20)年  20歳 「頓智協会」を設立し、会員誌「頓智協会雑誌」を創刊

http://ja.wikipedia.org/wiki/宮武外骨
>当初は比較的穏健だったが、明治22年(1889年)、『頓智協会雑誌』で大日本帝国憲
>法発布をパロディ化して不敬罪に問われ、禁錮3年の実刑判決を受けた。


http://www.ochra.or.jp/hp/hp16/06.html
>しかし同誌二十八号に大日本帝国憲法をパロディにした「大日本頓智研けん法ぽう」
>の条文と、骸骨姿の明治天皇の挿絵を掲載したことで不敬罪に問われ、


http://www.netpro.ne.jp/%7Etakumi-m/book/312-chikushou_jitsurei.htm
>弊風一斑 畜妾の実例 お奨度:☆
>著者: 黒岩涙香(くろいわ るいこう) 社会思想社、1992年   ¥466-
〈略〉
> 巻末に掲載された伊藤秀雄氏の解説によると、本書の成立は次のようである。
> 本書は、明治の異色の日刊紙「萬朝報」(よろずちょうほう)に、明治31(1898)年
>7月7日から9月27日まで連載された「弊風一班蓄妾の実例」510例を収録したもの
>である。当時、男子の玩弄であった妾に対して、同情を披瀝し、妾を持つ男子に反省
>を促したものであった。現在なら名誉毀損で問題になるこの記事の発表者は、「萬朝
>報」を主宰する黒岩涙香であった。P187

それと気になるのは、唐沢俊一によると涙香は「2ちゃんねらーの元祖」で、涙香と外骨
の他者排撃癖 (あくまで唐沢説) を、彼らのハゲ頭のせいみたいに書いているんだけど、
『キッチュワールド案内』を出版した 2002 年当時、唐沢俊一の頭髪はどのような具合
だったのだろうか。
(涙香はジャーナリストでもあるし、2ちゃんねらーというより今はなき『噂の眞相』の方
を連想したが、おいといて)。

その他参考 URL (2000 年の唐沢日記):
- http://www.tobunken.com/diary/diary20000602000000.html

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1226811954/425-
>442 :無名草子さん:2008/11/18(火) 23:39:27
>『キッチュワールド案内』P.194

>>その涙香(註;黒岩涙香)の後継者の一人に、宮武外骨がいる。

>後継者というからには文字通り「後を継ぐ者」というつもりなんだろうな。
>涙香が「萬朝報」を創刊したのは1892年、外骨が「頓智協会雑誌」を出したのは
>1887年だから、ジャーナリストとしたら、外骨のほうが5年先輩だ。
>さらに、「萬朝報」と外骨「滑稽新聞」は、当時の読者の人気を二分したが、
>2人の考え方の相違は、やがて、泥沼の争いを生むようになるのだ。
>涙香の後継者呼ばわりしたら外骨に殴られるぞ。




   
 
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