トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/11/8  18:25

『オイッチニーのサン』一冊についても「言い尽く」せないくせに  その他の雑学本 間違い探し編

まあ朝日の書評も、「社会派くん」の Web 連載同様、雑学本の一種 (?) ということで。
http://book.asahi.com/review/TKY200811040187.html
オイッチニーのサン―「日本映画の父」マキノ省三ものがたり [著]高野澄
〈略〉
この9月に公開されたばかりの映画「次郎長三国志」の監督がマキノ雅彦
こと津川雅彦。その父は戦前の映画スター沢村国太郎であり、その妻・智子
の父が日本映画の父、マキノ省三である。日本の映画の歴史はまだ、この
くらいの代で言い尽くされるほど浅い。
〈略〉
登場人物も、やがてマキノ映画の大スターとなる尾上松之助から松竹の
創業者・白井松次郎・大谷竹次郎の兄弟、あのモルガンお雪と豪華であり、
フランスにも筆が飛んで、特殊撮影の元祖、ジョルジュ・メリエスまでが登場
する。

“世界初の職業映画監督”と言われている」ジョルジュ・メリエス (マリー=ジョルジュ=
ジャン・メリエス、Maries-Georges-Jean Méliès) が映画製作をはじめたのが 1895 年
の頃。唐沢俊一自身「特殊撮影の元祖、ジョルジュ・メリエス」と言及しているくらいだから、
彼についてしらないとか存在を失念していたとかいうことは、ないはずなんだけど。

一方、「“日本初の職業映画監督”と呼ばれている」牧野省三による初の時代劇映画が
1908 年の頃で、10 年ちょっとの差しかない。

最初に2ちゃんねるでこのネタについて指摘した人のいう通り「『代』とすれば同じだろう
(Read More 参照) だし、なぜわざわざ「日本の映画の歴史」を、 「このくらいの代で言い
尽くされる
」「浅い」などとネガティブな言い回しで表現しなければいけないのか、わから
ない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョルジュ・メリエス
>マリー=ジョルジュ=ジャン・メリエス(Maries-Georges-Jean Méliès、1861年11月
>8日 - 1938年1月21日)は、フランスの映画製作者で、映画の創生期において様々な
>技術を開発した人物である。パリ出身。“世界初の職業映画監督”と言われている。
>ちなみに“日本初の職業映画監督”と呼ばれているのは牧野省三である。
>SFXの創始者で、多重露光やディゾルブ、ストップモーションの原始的なものも開発した。
>もともとはマジシャンで劇場経営者であったが、1895年、同じくフランスのリュミエール
>兄弟による映画の公開を見て映画製作に乗り出した。
>彼の最も有名な作品は1902年の映画『月世界旅行』である。題名の通り月へ探検に
>行く物語だが、1本の映画の中で複数のシーンがあり物語が存在するという、当時とし
>ては画期的なものであった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/マキノ省三
>牧野 省三(まきの しょうぞう、1878年9月22日 - 1929年7月25日)は、京都府生まれ
>の映画監督、映画プロデューサー、実業家。日本最初の職業的映画監督であり、「日
>本映画の父」と呼ばれた日本映画創成期の巨人。
〈略〉
>1908年(明治41年)、千本座で活動写真の興行をしていた横田永之助から映画製作
>を依頼される。横田よりカメラとフィルムを借り受け、当時千本座の舞台に上がっていた
>中村福之助や嵐璃徳の出演で『本能寺合戦』を監督、これが初の時代劇映画である。


で、2ちゃんねるのスレには、「内容紹介してるだけじゃない」とも書かれていたが、内容
紹介になっているかどうかも微妙じゃないかと個人的には思う。「ずっと簡潔で正確だ」と
いわれた Amazon での『オイッチニーのサン』の内容紹介は、下記の通り。

http://www.amazon.co.jp/dp/4569702740
>オイッチニーのサン (単行本)高野 澄 (著)
〈略〉
>内容紹介
>日本最初の職業的映画監督であり、映画プロデューサー、実業家として活躍したマキノ
>省三。日本映画創業期、尾上松之助、阪東妻三郎(バンツマ)、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎
>(アラカン)、月形龍之介、マキノ雅弘、内田吐夢、衣笠貞之助、直木三十五など、数々
>のスター俳優、監督、脚本家、プロデューサーたちの才能を育て世に出した。明治から
>昭和にかけて庶民の娯楽が歌舞伎、義太夫、演劇から映画へと移っていく過程を丹念
>に辿りつつ、「日本映画の父」の生涯を描いた渾身の大河小説。▼【目次より】第1章
>山国/第2章 義太夫/第3章 メリエス/第4章 千本座/第5章 モルガンお雪/第6章 金
>光大神/第7章 横田永之助/第8章 松竹の兄弟/第9章 演劇改良/第10章 率先者宣
>言/第11章 「月世界旅行」/第12章 「本能寺合戦」/第13章 目玉の松ちゃん/第14章
>日活/第15章 マキノ映画/第16章 きら星/第17章 天授ヶ岡/第18章 「実録忠臣蔵」/
>第19章 「浪人街 美しき獲物」


唐沢俊一の書評では、最初の方で引用した「この9月に〈略〉浅い。」という底の浅い語り、
(引用はしなかったが) 「その破天荒な人生はこれまでにも息子の雅弘の自伝『映画渡世』
などで語られていたが、
」等で、全体の文章の約三分の一を無駄遣いしてしまっている。

一方で、「明治から昭和にかけて庶民の娯楽が歌舞伎、義太夫、演劇から映画へと移っ
ていく過程を丹念に辿りつつ
」や「阪東妻三郎(バンツマ)、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎 (アラ
カン)、月形龍之介
」等については、なぜか全力でスルー。

おまけ (低品質朝日書評欄つながり):
アフリカが国だと思っていたペイリンと朝日新聞
アフリカという国などないっ!

追記 : 2ちゃんねるのスレでのやり取りを、追加収録 (Read More 参照)。




http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1225599380/418-

418 :無名草子さん:2008/11/05(水) 13:16:07
オイッチニーのサン―「日本映画の父」マキノ省三ものがたり [著]高野澄
http://book.asahi.com/review/TKY200811040187.html

>この9月に公開されたばかりの映画「次郎長三国志」の監督がマキノ雅彦こと津川雅彦。
>その父は戦前の映画スター沢村国太郎であり、その妻・智子の父が日本映画の父、
>マキノ省三である。日本の映画の歴史はまだ、このくらいの代で言い尽くされるほど浅い。

牧野省三は日本初の職業映画監督と言われている。1878年9月22日 - 1929年7月25日
一方、世界初の職業映画監督、マリー=ジョルジュ=ジャン・メリエスは1861年11月8日 - 1938年1月21日
「日本の映画の歴史はまだ、このくらいの代で言い尽くされるほど浅い」って
「代」とすれば同じだろう。



421 :無名草子さん:2008/11/05(水) 13:38:52
>>418
ええ?書評っていうの?内容紹介してるだけじゃない。

こっちの地図男のもそんなに褒められたもんじゃないけど、まだ評論って感じがする。
http://book.asahi.com/review/TKY200811040209.html

>登場人物も、やがてマキノ映画の大スターとなる尾上松之助から松竹の創業者・白井松次郎・大谷竹次郎の兄弟、
あのモルガンお雪と豪華であり、フランスにも筆が飛んで、特殊撮影の元祖、ジョルジュ・メリエスまでが登場する。

同時代だから当たり前じゃんw
せめてリュミエール商会の技師が日本に映画伝来した話とか書けばいいじゃん。
日本の映画史は浅いっていう結論を出したいために、また都合のいい部分ばかり引っ張ってくる反日ガセ野郎w

422 :無名草子さん:2008/11/05(水) 13:39:52
>>418
というか、またも殆ど論評を含まない只の新刊紹介だな。
リンク先のAmazonを見た方が、ずっと簡潔で正確だ。

876 :無名草子さん:2008/11/08(土) 20:23:10
>この9月に公開されたばかりの映画「次郎長三国志」の監督がマキノ雅彦
>こと津川雅彦。その父は戦前の映画スター沢村国太郎であり、その妻・智子
>の父が日本映画の父、マキノ省三である。日本の映画の歴史はまだ、この
>くらいの代で言い尽くされるほど浅い。

現在68歳の津川雅彦が監督をやっていて、その爺ちゃんのマキノ省三が日本映画の最初期の監督
だから日本の映画の歴史はこのレベルで浅い
とか言われても....
世界の映画の歴史も同じようなモノなのに何故日本だけ、という話題は沢山出ましたが
津川雅彦は68歳、もうすぐ70歳でしょ。現在20代前半の映画監督もいるんだから
唐沢の中ではその後の50年間は意味がないので無視かよ。

ここで津川雅彦を出して「日本映画の歴史はこの程度」って、
散々日本映画のことを書いておきながらバカにするのかよ?
正解中に、津川雅彦以上の高齢監督がいるんだけど、その人を持ち出して
世界の映画の歴史をバカにする事も可能なんだが、何を書きたいんだ?唐沢。

880 :無名草子さん:2008/11/08(土) 20:30:54
>>876
http://tondemonai2.web.fc2.com/760.html
とかに引用されている話かな。

>唐沢の中ではその後の50年間は意味がないので無視かよ。

とかいう話ですらなく、唐沢の雑学本の中にも度々名前のでてくるマキノ一族。
それについて言及するのに精一杯で、力尽きてしまっただけかもよ。

886 :無名草子さん:2008/11/08(土) 20:40:43
唐沢俊一の雑学本に登場するマキノ一族関連。

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.133
 --------------
 映画監督のマキノ正博氏もこのポン中で、映画を撮影するとき、
「ヨーイ!」
 と言って、さっと腕を横に出す。すると、助監督がサッとその腕にヒロポン
を打つ。そこで、
「スタート!」
 となったとか。袖などまくらないでも打てるよう、マキノ監督のシャツの袖
には、注射用の四角い窓が開けてあったというからイヤハヤである。
 喜劇王エノケンもやはり、これなしではいられなかったということで、舞台
でチャンバラをやって、わざとダーッとおおげさに倒れて舞台奥の幕の下に
腕を差し込む。すると、そこに注射器を持って待っていた弟子がサッと打つ
わけである。で、またハネ起きて芝居を続けたというのだからひどいものだ。
彼は雑誌にも平気で、笑いながらヒロポンを注射している写真などを載せた
というから、スゴい時代だった。
 --------------
↑これは確か『笑うクスリ指』でも使い回していたお気に入りネタ。真偽怪しいけど。


『トンデモ一行知識の世界』 P.146 欄外
-------
・大正時代、マキノ省三監督はチャンバラシーンに迫力を出すため、真剣でやらせたり、
 電気を流して刀に火花を散らせたりした。
-------

894 :無名草子さん:2008/11/08(土) 20:49:52
>>886
マキノ正博のヒロポンの話は、オモシロおかしく語られたホラだった
という事を当時の関係者が語っていたらしいよ。
実際、シャツの袖に窓を開けてあった、という話はマキノ正博だけじゃなく、
戦後直ぐの頃に活躍した色々な人のバージョンが一時期語られていた。
本当にそうだったら、今頃、マキノ正博を語る時の定番ネタになっているハズ。

911 :無名草子さん:2008/11/08(土) 21:30:27
>>894
マキノ雅弘には「映画渡世 地の巻・天の巻」という自伝があるけど、
ヒロポンやポン中だったのことは書いてあったような気がするな。

今手元にないし、読んだのも大昔なんでよく覚えてないけど。

914 :無名草子さん:2008/11/08(土) 21:38:18
>>911
マキノがヒロポン中毒だったのは有名な話。
それを克服して、今回息子の津川が監督した
「次郎長三国志」シリーズなどの名作を作った。

ただ、唐沢が言っている、服の袖にヒロポンを打つための小窓を付けて
よーい!の掛け声と同時にスタッフが注射!という話はデマ。

915 :無名草子さん:2008/11/08(土) 21:39:45
あ、津川は甥だった、すまん



2008/11/9  11:36

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

>実はマキノ三代で言い尽くすことが出来るのだ。
>と言いたかったのでしょうが

雑学本などで使ったことがあったりして、馴染みのあるマキノ一族に
ついての話を、つい多めにいれてしまっただけではないでしょうか。

唐沢俊一自身は、「マキノの偉大さ」がどうこうとかに、あまり関心
があるように見えず、マキノ正博 (雅弘) 氏は、「ヨーイ!」と「ス
タート!」との間に、シャツの袖に空けた窓からヒロポンを注射して
もらうというネタに執着して使い回しているぐらいなものでしかな
く。


唐沢俊一の場合、本の紹介ということ自体は、雑学本などで度々やっ
ているので手慣れたもののはず――というようにはいかないようです
ね。雑学本でやっていた、興味のある部分だけ適当に抜き出し、自分
語りを含むエッセイもどきでつなげていくという方法が、身に染み付
き過ぎているのではないでしょうか。

だから朝日の書評でも、取り上げた本それ自体についての話以外が、
全体の三分の一から二分の一を占めてしまうという珍妙な事態が発生
する、と。

2008/11/8  20:39


 「日本映画」という複雑で深遠な世界を、実はマキノ三代で言い尽くすことが出来るのだ。
 と言いたかったのでしょうが、文才のない悲しさで、マキノの偉大さではなく、日本映画の底の浅さに帰結してしまい、なにが言いたいのよという文章になってしまった。こんな「書評」、突っ返すべきですよ、朝日新聞殿。

   
 
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