2008/10/26 23:22
額縁、行水、全裸、花びら、残酷、金粉、変態、実験ショー その他の雑学本 間違い探し編
『お父さんたちの好色広告』 P.204 ~ P.205
「出張帰りの同僚や、関西出身の先輩に聞かされて」――といわれても、サラリーマン
経験はロクにないわ、「お得意先に行って、まあ一杯とさされたときに」などと平気で
書くわの唐沢俊一だから、あまり説得力はないのだが。
「東京に生まれたことを後悔した」などということが、もしあったとするならば、それは
おそらく昭和 30 年代後半の頃。「大阪のストリップが一斉に全裸ショ-」になったという
のが 1960 年 (昭和 35 年) あたりで、「特出を謳った関西流のストリップが東京で激増」
していたのが 1964 年 (昭和 39 年)。しかし、1966 年 (昭和 41 年) の風営法改正で
特出しはできなくなったとのこと。
この昭和 30 年代の関西ストリップの隆盛を無視して、「第一期黄金時代の昭和四十年
代末」というのは考えにくい。多分、ここで 10 年のズレが発生しているのだろう。
http://www.call-girl.jp/kojien/c226.html
>日劇小劇場が日劇ミュ-ジックホ-ルに生まれ変わり、ヌ-ドダンサ-全盛期に。1953
>年には横浜で、当時はチョイチラと呼ばれた特出し(女性器全開)が始まる。順番待ち
>の客を収容するため、近くの公民館を借りる騒ぎになり、その後100万ドルショーという
>名で全国に広がる。さらに、1954年には蛇を使ったショーとレズビアンをセットにした
>ヘビシロ・ショーが人気となった。1960年ごろから、大阪のストリップが一斉に全裸ショ-
>になり、花びら・オ-プンショ-がスタ-ト。その後、関東で残酷ショ-(のちのSMショ-)
>が人気になり、アソコ丸出しの特出(トクシュツ)さんが初登場。金粉、変態、実験ショ-
>などの過激な出し物が人気になっていく。
http://www.geocities.jp/showahistory/history04/33b.html
>昭和39年には、特別出演こと特出を謳った関西流のストリップが東京で激増してい
>た。パンツを脱ぐのが関西流、と言われ、東京ではストリップでダンサーがパンツだけ
>は脱がないのが常識だったが、大阪や名古屋ではパンツを脱いで全裸になるのが
>主流で、この東西文化の違いは新幹線も存在せず、東京と大阪の往来が泊りがけ
>だった当時にはほとんど認識されていなかった。それだけにこの全裸ストリップは東京
>では大変な話題を呼んだ。
〈略〉
>本場の大阪では、全ストにも種類があり、単に脱ぐだけではなく、性器を客の前で広
>げて本当に特出する場合が最も料金が高かったという。都内ではストリップ専門店が
>13あり、映画と併映のところが60、うち10数ヶ所で特出をしていた。映画館も兼ねてい
>た早稲田の全線座なども、この関西流ヌードで話題を呼んでいた。
〈略〉
>またその一方で、ストリップといえば浅草と言われた肝心の浅草では、関西流に押さ
>れてストリップが下火となっており、転業する小屋が続出していた。なお特出(全裸
>ヌード)については昭和41年7月の風営法改正で取り締まりが強化され、大阪ストリッ
>プ名物だった特出が事実上、不可能となった。
おまけ : 唐沢俊一の「大阪」について
・ボーボーだとどうなるんだろ
・博多四十日という地方品種もあり
・建物は犬小屋だろうが building
・ラムネの瓶って確かにつくるの難しそう
・この場合に限っては、ラブが余計
・季語にもなった『うどんや風一夜薬』だそうな
・コーヒーに入れるスジャータは植物性油脂が主原料
・唐沢俊一氏は大阪のことを書かないほうがいいと思う
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1224589375/125-
125 :無名草子さん:2008/10/23(木) 09:12:02
『お父さんたちの好色広告』P.204
>なにも遠く北欧に行かずとも、東京のお父さンたちにとっては、大阪が夢の土地だった。
>ここのエロ商売のえげつなさといったら、という話を出張帰りの同僚や、関西出身の先輩に
>聞かされて、江戸っ子たちは初めて、東京に生まれたことを後悔したもんであります。
実は大阪のエロ商売は「えげつなくない」。関西ストリップは「特出し」のことで、唐沢みたいな
馬鹿なお父さンを釣るために「関西」と付けただけ。ピンサロ、アルサロ、ノーパン喫茶は関西が
発祥だけど、過激なサービスは東京に伝わってから。大阪という文字に過度な期待を抱いて鼻の下
を伸ばしているのは、唐沢本人だろう。あ、こいつ「ボボ」が大阪弁だと思っていたくらい、大阪
に関しては無知だもんなあw
127 :無名草子さん:2008/10/23(木) 09:34:55
こいつ大阪の電車のドアに「指詰めに注意」と書いてあると雑学を披露してたが
正確には「指詰めご注意」だよ。本当にいいかげんだ。
128 :無名草子さん:2008/10/23(木) 09:36:40
唐沢は酔っぱらって口述筆記でもしているのか?
129 :無名草子さん:2008/10/23(木) 09:40:26
「指詰め注意」なんて今でも雑学ネタになるの?
40年くらい前から関西ネタのド定番なんだけど。
「月極駐車場は”月極グループ”の経営かと思っていた」くらい、古いネタ。
それに最近は使わなくなって来ている表現だし。
143 :無名草子さん:2008/10/23(木) 11:37:53
>>125
計算できない道民に東京のお父さン世代の事情なんかわかるはずもない
なにも遠く北欧に行かずとも、東京のお父さンたちにとっては、大阪が夢の
土地だった。ここのエロ商売のえげつなさといったら、という話を出張帰りの
同僚や、関西出身の先輩に聞かされて、江戸っ子たちは初めて、東京に
生まれたことを後悔したもんであります。 特に東京人のスケベ心を刺激した
のがウワサに聞く関西ストリップのすさまじさ。ことに第一期黄金時代の
昭和四十年代末、その宣伝合戦の迫力は、ものに驚かぬ大阪のお父さン
たちをして、これがこのままエスカレートするといったいどうなるのか、
いささか戦慄を覚えさせた程だったと、伝説にまでなって残っております。
「出張帰りの同僚や、関西出身の先輩に聞かされて」――といわれても、サラリーマン
経験はロクにないわ、「お得意先に行って、まあ一杯とさされたときに」などと平気で
書くわの唐沢俊一だから、あまり説得力はないのだが。
「東京に生まれたことを後悔した」などということが、もしあったとするならば、それは
おそらく昭和 30 年代後半の頃。「大阪のストリップが一斉に全裸ショ-」になったという
のが 1960 年 (昭和 35 年) あたりで、「特出を謳った関西流のストリップが東京で激増」
していたのが 1964 年 (昭和 39 年)。しかし、1966 年 (昭和 41 年) の風営法改正で
特出しはできなくなったとのこと。
この昭和 30 年代の関西ストリップの隆盛を無視して、「第一期黄金時代の昭和四十年
代末」というのは考えにくい。多分、ここで 10 年のズレが発生しているのだろう。
http://www.call-girl.jp/kojien/c226.html
>日劇小劇場が日劇ミュ-ジックホ-ルに生まれ変わり、ヌ-ドダンサ-全盛期に。1953
>年には横浜で、当時はチョイチラと呼ばれた特出し(女性器全開)が始まる。順番待ち
>の客を収容するため、近くの公民館を借りる騒ぎになり、その後100万ドルショーという
>名で全国に広がる。さらに、1954年には蛇を使ったショーとレズビアンをセットにした
>ヘビシロ・ショーが人気となった。1960年ごろから、大阪のストリップが一斉に全裸ショ-
>になり、花びら・オ-プンショ-がスタ-ト。その後、関東で残酷ショ-(のちのSMショ-)
>が人気になり、アソコ丸出しの特出(トクシュツ)さんが初登場。金粉、変態、実験ショ-
>などの過激な出し物が人気になっていく。
http://www.geocities.jp/showahistory/history04/33b.html
>昭和39年には、特別出演こと特出を謳った関西流のストリップが東京で激増してい
>た。パンツを脱ぐのが関西流、と言われ、東京ではストリップでダンサーがパンツだけ
>は脱がないのが常識だったが、大阪や名古屋ではパンツを脱いで全裸になるのが
>主流で、この東西文化の違いは新幹線も存在せず、東京と大阪の往来が泊りがけ
>だった当時にはほとんど認識されていなかった。それだけにこの全裸ストリップは東京
>では大変な話題を呼んだ。
〈略〉
>本場の大阪では、全ストにも種類があり、単に脱ぐだけではなく、性器を客の前で広
>げて本当に特出する場合が最も料金が高かったという。都内ではストリップ専門店が
>13あり、映画と併映のところが60、うち10数ヶ所で特出をしていた。映画館も兼ねてい
>た早稲田の全線座なども、この関西流ヌードで話題を呼んでいた。
〈略〉
>またその一方で、ストリップといえば浅草と言われた肝心の浅草では、関西流に押さ
>れてストリップが下火となっており、転業する小屋が続出していた。なお特出(全裸
>ヌード)については昭和41年7月の風営法改正で取り締まりが強化され、大阪ストリッ
>プ名物だった特出が事実上、不可能となった。
おまけ : 唐沢俊一の「大阪」について
・ボーボーだとどうなるんだろ
・博多四十日という地方品種もあり
・建物は犬小屋だろうが building
・ラムネの瓶って確かにつくるの難しそう
・この場合に限っては、ラブが余計
・季語にもなった『うどんや風一夜薬』だそうな
・コーヒーに入れるスジャータは植物性油脂が主原料
・唐沢俊一氏は大阪のことを書かないほうがいいと思う
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1224589375/125-
125 :無名草子さん:2008/10/23(木) 09:12:02
『お父さんたちの好色広告』P.204
>なにも遠く北欧に行かずとも、東京のお父さンたちにとっては、大阪が夢の土地だった。
>ここのエロ商売のえげつなさといったら、という話を出張帰りの同僚や、関西出身の先輩に
>聞かされて、江戸っ子たちは初めて、東京に生まれたことを後悔したもんであります。
実は大阪のエロ商売は「えげつなくない」。関西ストリップは「特出し」のことで、唐沢みたいな
馬鹿なお父さンを釣るために「関西」と付けただけ。ピンサロ、アルサロ、ノーパン喫茶は関西が
発祥だけど、過激なサービスは東京に伝わってから。大阪という文字に過度な期待を抱いて鼻の下
を伸ばしているのは、唐沢本人だろう。あ、こいつ「ボボ」が大阪弁だと思っていたくらい、大阪
に関しては無知だもんなあw
127 :無名草子さん:2008/10/23(木) 09:34:55
こいつ大阪の電車のドアに「指詰めに注意」と書いてあると雑学を披露してたが
正確には「指詰めご注意」だよ。本当にいいかげんだ。
128 :無名草子さん:2008/10/23(木) 09:36:40
唐沢は酔っぱらって口述筆記でもしているのか?
129 :無名草子さん:2008/10/23(木) 09:40:26
「指詰め注意」なんて今でも雑学ネタになるの?
40年くらい前から関西ネタのド定番なんだけど。
「月極駐車場は”月極グループ”の経営かと思っていた」くらい、古いネタ。
それに最近は使わなくなって来ている表現だし。
143 :無名草子さん:2008/10/23(木) 11:37:53
>>125
計算できない道民に東京のお父さン世代の事情なんかわかるはずもない