トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/10/25  17:52

似ているようで違う――ハガクレとハガレン  その他の雑学本 間違い探し編

『トンデモ美少年の世界』 P.64 ~ P.65
元々、ドイツはその前身であるプロシアのころから、妙に身体の動きを束縛
するような、暑苦しい軍服が好きだった。野戦などでは絶対に開襟の、ラフ
なスタイルの軍服のほうが有利であるはずなのだが、誇り高いドイツ軍人は、
そういう実用よりも、束縛性の大きい軍服を着用することによって生まれる
精神の緊張と規律感が好きな国民だったのだ。大義の前に個を滅するという
ような崇高な使命感、これも一種の精神的ボンデージと呼べるものだと思うが、
これが大好きなのもまたドイツ人だった。日本がドイツと同盟を結んだのは、
こういうドイツの国民性が日本の武士道と似通ったところがある、と考えたの
も大きな理由のひとつだったろう。だが、日本の場合、葉隠に代表される
武士道精神はいくぶんの理想をまじえた机上のものという趣きが強かった
ことに対し、ドイツの国民性はそれを地でいくものだったのである。


2ちゃんねるのスレでは、「ドイツでも野戦服は開襟型じゃないの?」と突っ込みを入れ
られていたけど (Read More 参照)、たとえば以下のサイト↓
http://www.mash-japan.co.jp/military/germany/bdu/index.html
とかを見ても、「妙に身体の動きを束縛するような、暑苦しい軍服」とは、とても思えない。
たとえば同サイトのアメリカの野戦服と比べて、「束縛性の大きい軍服」にも見えないし。
http://www.mash-japan.co.jp/military/usa/bdu/index.html

そして、「実用よりも、束縛性の大きい軍服を着用することによって生まれる精神の緊張
と規律感が好きな国民
」である「ドイツ軍人」 (ここは「ドイツ人」とした方がよかったので
は) と日本人の類似性をいうなら、詰襟の学生服をきっちり着る真面目な学生や、高温
多湿の気候にも負けずネクタイ着用のサラリーマンに話をつなげることが多いのでは
ないかと思うが、唐沢俊一の場合は、なぜか「葉隠」。

束縛性の大きい軍服を着用することによって生まれる精神の緊張と規律感」と武士道
は、あまり結びつかないんじゃないかと。そもそも和服というものが「妙に身体の動きを
束縛するような、暑苦しい軍服
」になりにくそうだし、襟だって開いているし。

いや、だから、「大義の前に個を滅するというような崇高な使命感、これも一種の精神的
ボンデージ
」というのが間に入っているじゃないかといわれるかもしれないけど、そもそも
大義の前に個を滅する」から「精神的ボンデージ」という主張自体、膝をポンとうてる
ようなものではなく、どちらかというと頭がクラクラする類いのものという問題があって。

さらに、これも2ちゃんねるのスレへの指摘書き込みがあったが (Read More 参照)、
『葉隠』には日常生活のハウツーなども書かれていて『理想をまじえた机上のもの』
ではない
」し、よく引き合いに出される「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」をもっぱら
さすものと解釈するにしても、「ドイツの国民性はそれを地でいくものだった」というのは、
ただ意味不明なだけである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/葉隠
>「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」葉隠の記述の中で特に有名な一節であるが、
>葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と曲解されあるいは解
>釈されている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決を美化・正当化する
>のにこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をする者が認められる。
>しかし山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きであ
>る)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにする
>ことは出来ない。葉隠の中には嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下
>の失敗を上手くフォローする方法、あくびをしないようにする方法等、現代のビジネス
>書や礼法マニュアルに近い内容の記述が殆どである。また衆道(男色)の行い方を
>説明した記述等、近代人が勝手に想像している『武士道』とはかけ離れた内容もある。


追記 : 元の唐沢俊一の文章は「葉隠れ」でなく「葉隠」だったのでお詫びのうえ訂正。


http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1224589375/287-

287 :無名草子さん:2008/10/24(金) 09:01:08
『トンデモ美少年の世界』P64-65
>元々、ドイツはその前身であるプロシアのころから、妙に身体の動きを束縛するような、
>暑苦しい軍服が好きだった。野戦などでは絶対に開襟の、ラフなスタイルの軍服のほうが
>有利であるはずなのだが、誇り高いドイツ軍人は、そういう実用よりも、束縛性の大きい
>軍服を着用することによって生まれる精神の緊張と規律感が好きな国民だったのだ。大義
>の前に個を滅するというような崇高な使命感、これも一種の精神的ボンデージと呼べるも
>のだと思うが、これが大好きなのもまたドイツ人だった。日本がドイツと同盟を結んだの
>は、こういうドイツの国民性が日本の武士道と似通ったところがある、と考えたのも大き
>な理由のひとつだったろう。だが、日本の場合、葉隠れに代表される武士道精神はいくぶ
>んの理想をまじえた机上のものという趣きが強かったことに対し、ドイツの国民性はそれ
>を地でいくものだったのである。


290 :無名草子さん:2008/10/24(金) 09:28:16
>>287
>野戦などでは絶対に開襟の、ラフなスタイルの軍服のほうが有利であるはずなのだが、
>誇り高いドイツ軍人は、そういう実用よりも、束縛性の大きい軍服を着用することによって
>生まれる精神の緊張と規律感が好きな国民だったのだ。

ドイツでも野戦服は開襟型じゃないの?
正装は他の国でも堅苦しい詰め襟が多いし。
それに、迷彩服の発祥はドイツ軍なんだが。

291 :無名草子さん:2008/10/24(金) 09:52:59
>日本の場合、葉隠れに代表される武士道精神はいくぶんの理想をまじえた机上のものという趣きが強かったことに対し、
>ドイツの国民性はそれを地でいくものだったのである。

「葉隠」(「葉隠れ」ではない)と言えばあまりに有名な「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という言葉があるが
常に死と向き合い死を日常のものと考え恐れなくするといった考えが根底をなしている。それは安易に死を選べ
ということではなく、正しい道を貫くためなら死をも厭わないという考えなのだ。それをドイツでは「地でいって」いた
とはどういう意味なのか。また「葉隠」には日常生活のハウツーなども書かれていて「理想をまじえた机上のもの」ではない。

292 :無名草子さん:2008/10/24(金) 10:03:00
イタリアと同盟したトンデモな理由も考えて欲しいな。

293 :無名草子さん:2008/10/24(金) 10:13:13
同盟を結んだのは世界のみんなと友達になれなかったスネ夫君だったという事なのに

294 :無名草子さん:2008/10/24(金) 10:27:49
唐沢に軍事ネタは無理でしょ。
かと言ってなんかあるわけでもないけど。



2008/10/26  0:14

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

>首元ぴっちり系

これで思いつくのは、バッキンガム宮殿の衛兵とか。
襟元までチェックしやすい絵は、以外と少なかったですけど。
http://namcotravel.jp/user/maico/w1855/
http://www.royalcollection.org.uk/default.asp?
action=article&ID=487

それか、ベルバラでモデルにされたというナポレオン時代の軍服か。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%e7%94%bb%e5%83%8f:Montfort_-
_Adieux_de_Napoleon_a_la_Garde_imperiale.jpg



>もしくは、ドイツの軍服だけしか知らなくて他の国の軍服は知らな
いのかも

実はこれが一番ありそうかなと思っています。何かコミケとかのコス
プレで圧倒的に多いのは、ナチ時代の軍服かなというイメージがある
ので……。(偏見かしら。違っていたらすみません>特にコスプレ関係
の人)

もちろん、より後の時代の軍服を好む人も少なくないでしょうが、
こちらはドイツがメインじゃなくて、アメリカとか他の国が強そう。

2008/10/25  22:30

投稿者:金平糖

一応、プロシア、旧ドイツ帝国時代の軍服なら
詰衿やプロシアカラーなど首元ぴっちり系の軍服が一般的で
機能性よりも見栄え重視のかたっくるしい物ですので
そこだけ見れば唐沢の言ってることは間違いではないです

ただ、その時代はイギリスもフランスもオーストリアも
どこもみんなぴっちりした見栄え重視の軍服なので
ドイツだけ特別と言うことは全然ないです

世界的に開襟に移っていく中ドイツも開襟に移ってますので
ドイツ人が特別どうこうという話はないです

おそらく唐沢は古いドイツ軍服と新しい他国の軍服を比べたんじゃないかと
というか時代の移り変わりで軍服が変化してることに気づいてないのかも
もしくは、ドイツの軍服だけしか知らなくて他の国の軍服は知らないのかも

   
 
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