トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/10/25  8:09

本当はヤマトのファンでも何でもなかった唐沢俊一  その他の雑学本 間違い探し編

『トンデモ美少年の世界』 P.175 ~

「カルトに走る子供たち」
 さて、先に述べたように、いわゆるカルト・ブームが日本を席巻したのは
一九七七年の映画『宇宙戦艦ヤマト』の爆発的ヒット以来だろう。
〈略〉
 そして、実はこのブームを起こすきっかけとなったのは、その一年ほど
前から、各地方において、この作品の再放送を望む(もはや当時の状況
など忘れてしまっている方が大半だろうから説明しておくと『宇宙戦艦
ヤマト』という番組はその前年にテレビ放映されて、低視聴率のため
打ち切りになった)ファンたちが、草の根的に作り上げていたアニソン
(アニメ番組の主題歌)のファンクラブ・研究会の類であった。このファン
たちの活動に目をつけた制作者によってやがてヤマトの再放送、そして
編集版の映画、さらに新作の上映へとつながっていく。
 当時僕は札幌を中心としたアニメソング研究会のサークルをまとめて
おり、北海道ネットのラジオ局にそういったコーナーを造らせたり、古い
レコードのコレクターたちに連絡をとってその音源を提供させたりしていた。
札幌地区だけのアニメ映画上映会などで、常時百人以上の参加者が
あったろうか。ちょっと驚いたのは、そのほとんどが大学の一年生と予備校
生であったことだ(僕自身予備校生だった)。
 ふつう、こういった子供向けのテレビマンガ──今では古臭い呼び方だが、
当時アニメなんて言葉はめったに使われていなかった──を当然、卒業
する年代と思われていた十九、二十の人間が、かくまで熱意をもってアニメ
とアニメソングのことを語り合えるのかと、火をつけたほうとしてもいささか
呆れる思いだったことを覚えている。
 この、札幌でのブーム(有線放送でのリクエスト回数の集計によるデータ)
に目をつけたレコード会社が、これがすぐ全国へ飛び火することを予見して
動き出したことにより、ささきいさおの歌った『真っ赤なスカーフ』(『宇宙戦艦
ヤマト』の副主題歌)がリバイバルヒットし、そこからあの空前の大ブームへ
とつながっていくのである。札幌という街はよく、東京などでのファッションの
実験市場として設定されるが、それが最もはっきりと効果を発揮したのは
このときだろう。ヤマトブームは札幌が生んだと言われているのはこういう
理由による。僕自身は、アニメソングへの興味はあったがヤマトのファンでも
何でもなく、アレヨアレヨというまにこういう結果になってしまったことに、ただ
呆然と目を見張っているばかりだった。

この文章が2ちゃんねるのスレにアップされたことにより (Read More 参照)、多くの人を
驚かせた衝撃の事実を列挙すると、以下の通り。

・唐沢俊一の主催していたのは、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブではなく、
 「アニメソング研究会のサークル」だった。

・そのアニメソング研究会のサークルのまとめ役として唐沢俊一が活躍していたのは、
 「僕自身予備校生だった」時点とのことだから、1977 (昭和52) 年、18~19歳の頃。
 この年の 8 月に『宇宙戦艦ヤマト』の映画第 1 作の公開。徹夜組もでたほどの人気。

・唐沢俊一は「アニメソングへの興味はあったがヤマトのファンでも何でもな」かった。

どこが衝撃的かは、「宇宙戦艦ヤマトのビッグネームファンになりたかった唐沢俊一?」の
エントリーやそのリンク先も、あわせて参照してもらえればわかりやすいかと。

これまで著作では高校三年生の頃 (1976 年) に「ヤマトのファンクラブ」をはじめたと
書いていたが、それだと 1975 年からすでに立ち上がっていたというヤマト再放送運動
をしていた他のサークルに明らかに遅れをとっていて、ブームをつくりだしたとは到底
いえない。そもそもテレビ版ヤマトの最初の本放送は 1974 年から 1975 年 3 月のこと。
高校三年生でヤマトに出会ったといっていた唐沢俊一の見たのは、再放送と思われる。

それに気がついたせいかどうかは不明だが、最近の『Zipper』のインタビューでは、1 年
ズラして「ヤマトのファンクラブ」を高校二年生の頃 (1975 年) にしていたことにしている
――とスレで話題になっていたのだ。実は 2 年もズラしていたわけだが。

それだけでも結構スゴいが、もっとスゴいのが、「ヤマトのファンクラブ」の会長どころか、
実は「ヤマトのファンでも何でもなく」というところ。かつて自著にはそう書いていたのも
なかったことにして、自分がヤマトのブームをつくったという嘘そして妄想にしがみつく
様子は、鬼気迫るものすらある。


また、文章中にはガセネタも数多く含まれている。

・「当時アニメなんて言葉はめったに使われていなかった」などということはない。
 たとえば徳間書店の「アニメージュ」は 1978 年創刊。
  ( http://ja.wikipedia.org/wiki/アニメ雑誌 )
 
・「ささきいさおの歌った『真っ赤なスカーフ』」のヒットから、ヤマトの「あの空前の大
 ブームへとつながっていく
」わけではない。1977 年にはもうヤマトはブームになって
 いたからこそ、映画が製作され封切られたのだ。

・「札幌という街はよく、東京などでのファッションの実験市場として設定される」という
 こともない。静岡などなら、わかるのだが。

・「ヤマトブームは札幌が生んだと言われて」いない。
 ヤマト再放送運動の最初は兵庫県のサークルという話もあるし、最初の再放送は
 近畿地方からはじまり、それから全国に広まったという。
  ( http://ja.wikipedia.org/wiki/宇宙戦艦ヤマト )






http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1224589375/130-

130 :無名草子さん:2008/10/23(木) 10:09:36
『トンデモ美少年の世界』1997年10月20日初版1刷
P175~「カルトに走る子供たち」
 さて、先に述べたように、いわゆるカルト・ブームが日本を席巻したのは一九七七年の
映画『宇宙戦艦ヤマト』の爆発的ヒット以来だろう。それまでにも多くのファンを集めた
作品はあったけれども、もともと中学生くらいの年代の男性を対象に制作されたアニメ作
品に、大学生を中心にしたファン、それも女性ファンがつめかけ、スクリーンに花束を捧
げたり、全国各地に主なものだけで四百を超すファンクラブが設立された、といった騒ぎ
が巻き起こったのはこの作品をもって嚆矢とする。
 そして、実はこのブームを起こすきっかけとなったのは、その一年ほど前から、各地方
において、この作品の再放送を望む(もはや当時の状況など忘れてしまっている方が大半
だろうから説明しておくと『宇宙戦艦ヤマト』という番組はその前年にテレビ放映されて、
低視聴率のため打ち切りになった)ファンたちが、草の根的に作り上げていたアニソン
(アニメ番組の主題歌)のファンクラブ・研究会の類であった。このファンたちの活動に
目をつけた制作者によってやがてヤマトの再放送、そして編集版の映画、さらに新作の上
映へとつながっていく。
 当時僕は札幌を中心としたアニメソング研究会のサークルをまとめており、北海道ネッ
トのラジオ局にそういったコーナーを造らせたり、古いレコードのコレクターたちに連絡
をとってその音源を提供させたりしていた。札幌地区だけのアニメ映画上映会などで、常
時百人以上の参加者があったろうか。ちょっと驚いたのは、そのほとんどが大学の一年生
と予備校生であったことだ(僕自身予備校生だった)。


131 :無名草子さん:2008/10/23(木) 10:10:26
『トンデモ美少年の世界』1997年10月20日初版1刷
P175~「カルトに走る子供たち」(続き)
 ふつう、こういった子供向けのテレビマンガ──今では古臭い呼び方だが、当時アニメ
なんて言葉はめったに使われていなかった──を当然、卒業する年代と思われていた十九、
二十の人間が、かくまで熱意をもってアニメとアニメソングのことを語り合えるのかと、
火をつけたほうとしてもいささか呆れる思いだったことを覚えている。
 この、札幌でのブーム(有線放送でのリクエスト回数の集計によるデータ)に目をつけ
たレコード会社が、これがすぐ全国へ飛び火することを予見して動き出したことにより、
ささきいさおの歌った『真っ赤なスカーフ』(『宇宙戦艦ヤマト』の副主題歌)がリバイ
バルヒットし、そこからあの空前の大ブームへとつながっていくのである。札幌という街
はよく、東京などでのファッションの実験市場として設定されるが、それが最もはっきり
と効果を発揮したのはこのときだろう。ヤマトブームは札幌が生んだと言われているのは
こういう理由による。僕自身は、アニメソングへの興味はあったがヤマトのファンでも何
でもなく、アレヨアレヨというまにこういう結果になってしまったことに、ただ呆然と目
を見張っているばかりだった。




どこから手をつけていいのか不明なぐらいに、ツボが多い文章ですが....
ここで重要なのは
>僕自身は、アニメソングへの興味はあったがヤマトのファンでも何でもなく
ですかね?

132 :無名草子さん:2008/10/23(木) 10:15:28
この10年ぐらいは盛んに「ヤマトのファンクラブを作って、再放送の嘆願書を」と
自慢しまくっていますが、1997年の段階では
「宇宙戦艦ヤマトのファンクラブ」を作ったという話はなく
ただアニメの曲で盛り上がるサークルをやっていて
その中でヤマトが盛り上がって(相変わらず)札幌から火がついた
という事になっていたみたいですね。

ここに来て「ヤマトファンクラブを運営していた」という話そのものが
ガセ、妄想という事が判明しちゃいました。


133 :無名草子さん:2008/10/23(木) 10:20:03
1977年に編集版ヤマトが上映されているのに
その1年ほど前からファンが盛り上がっていて、
それがブームのきっかけになったハズなのに
(僕自身予備校生だった)って
唐沢が予備校生だったのは1977年のハズなんだが

もう自分史での時間歪みが止まらない……

134 :無名草子さん:2008/10/23(木) 10:27:00
もちろん先日放送されたNHK『BS熱中夜話ヒーローソングナイト』で
ささきいさおが番組に出演して目の前で「真っ赤なスカーフ」を歌った時は
当然「この曲は俺のおかげでヒットしたんだぜ」と自慢したんですよね。

というか、そんな事語らずとも、有名なんですよね、札幌から火がついたって
だから、ささきいさおはまず収録前に唐沢の楽屋を尋ねてきて
「先生のおかげであの曲がヒットしました。今、ここに歌手を続けて居られるのも先生のおかげです」
と感謝でもされたんですよね。

135 :無名草子さん:2008/10/23(木) 10:43:59
>>133
こっちの世界が正史だとすると、
唐沢志演義とでも名付けたくなるね。

エピソードの大半が、創作・誇張・他人の手柄のパクリ、みたいな。

136 :無名草子さん:2008/10/23(木) 11:05:55
唐沢みたいな物書きは、一度「参照用年表」を作っておくべきだよなあ。
何年何月に何があった。この番組は何年何月開始、何年何月に終了、とかね。
箇条書きでいいんだから。
それ作る過程で、単行本の2、3冊は書けると思うよ。



137 :無名草子さん:2008/10/23(木) 11:08:14
公然と偽物で商売っていうのが、見世物小屋感覚なのかね、唐沢的には。

その場の客がそれなりに納得すれば、どんなパクリでも嘘でも誇張でも
構わないと。

>>131が指摘しているように、まさか後になって適当に書いた法螺話が
検証されて、全くの出鱈目であると暴かれる日がこようとは思ってな
かったのかも。

138 :無名草子さん:2008/10/23(木) 11:10:05
ヤマトのファンでもない
というのは衝撃的展開だよなぁ

そう考えると、これまでヤマトについて深く語った事がないのも納得。


139 :無名草子さん:2008/10/23(木) 11:12:21
「ヤマトブームは札幌が生んだと言われているのは」
だから、どこで誰が言ったんだよ。その言葉。
本気で言ったのなら、今すぐWikipediaにその項目を書き足せ!

145 :無名草子さん:2008/10/23(木) 11:41:28
>>136
大日本図書はどうするのかね。

176 :無名草子さん:2008/10/23(木) 17:33:13
本日の収穫は
>>131
>僕自身は、アニメソングへの興味はあったがヤマトのファンでも何でもなく

唐沢の自慢話の土台が壊れちゃったね
「宇宙戦艦ヤマトのファンクラブ」ってどこに行った?

177 :無名草子さん:2008/10/23(木) 18:32:02
唐沢俊一という人は、どうやら「一度書いて公表した文章は、必ず後に残る」という
ことを理解していない。ただ〆切りに追われて書き飛ばしているだけで、何年も経ってから自分の文章が
こうして検証されて、数年越しの矛盾点を追求されるとは夢にも思ってなかったんだろう。

自分の文章の寿命を、本に載った翌週にはみんな忘れてしまう
「しょせん、その程度のもの」だと考えているとしか思えない。
べつにそういういいかげんな仕事は今にはじまったわけでもなく、唐沢一人の
問題でもないわけだが。

しかし、そうであるならもっと「分をわきまえろ」。
少なくとも、人前で先生づら、師匠づらはするものじゃない。恥ずかしいから。



178 :無名草子さん:2008/10/23(木) 18:34:59
「活字は残るから怖い」とこの稼業の基本中の基本を忠告してくれる先達が居なかったノーブランドライターの悲しさ。

179 :無名草子さん:2008/10/23(木) 19:00:20
古本にある、時代を経てトンデモになってしまった記述を散々見てきたハズなのにねえ

180 :無名草子さん:2008/10/23(木) 19:39:57
>>178
唐沢はネットに書いた活字は都合が悪ければ消せることを三流ミステリー作家に教えてももらわないと駄目だな

181 :無名草子さん:2008/10/23(木) 19:42:46
唐沢俊一は、いい師匠に恵まれなかったんだろうなあ。
仮にいい師匠がいなくても、駆け出し時代に何度か痛い目に遭えば、
こういう文章を書くときは、最低限この程度はチェックして出さなければ
いけない」とか、「こういうネタでこういう書き方をしてはいけない」と
いう、TPOをわきまえるはずなんだけども。

どうも、TPOを親切に教えてくれるようないい編集者とか、仲間には
出会えなかったらしい。あるいは、そういう耳に痛い意見を言ってくれる
人を周囲から遠ざけ続けた結果なんだろうか。

182 :無名草子さん:2008/10/23(木) 20:08:49
活字って活版印刷で擦られた字だろ。
ネットに活字書いたり消したりできるのか?
ことほど左様に先達にも標準的な知的レベルの味方にも恵まれない唐沢クンなのでありました。
泣けて~くぅる~とくらあ。

207 :無名草子さん:2008/10/23(木) 22:32:09
>>130-131
やはり時間が前後していて、よく解らない話になっている。
唐沢はどう考えても再放送を見てヤマトにのめり込んだという話だったのに
今回の文章では、のめり込みもしていない。
とすると、それまで散々書かれていた
「スターウォーズ」ファンクラブを断念して「ヤマト」ファンクラブを作った
という話がもともと無く、たまたまアニメソングの同好会をやっていたら
その中でヤマトが盛り上がってしまって...という事?

しかも
>当時アニメなんて言葉はめったに使われていなかった
という、知らないと思ってそこまで適当に書くか?状態。

この唐沢の逸話を信じるのなら
予備校生時代にアニソンのイベントを開催して、それで100人以上を集めて大盛上がり
その札幌でのブームをレコード会社が知り「これは全国へ飛び火するぞ」と動き
それによって、ささきいさおの「真っ赤なスカーフ」がリバイバルヒット
そのヒットから宇宙戦艦ヤマトの空前のブームに繋がっていく

「ヤマトブームは札幌が生んだと言われているのはこういう理由による。」

1977年に予備校生だった唐沢が、1976年末から始まったヤマトブームを仕掛けたと。

224 :無名草子さん:2008/10/23(木) 23:49:11
唐沢についての話より、それを取り巻く人の話題に持っていこうという方向性
今日出た、ヤマトには興味ない、というのは唐沢にとって致命傷だと思うね。

226 :無名草子さん:2008/10/23(木) 23:50:42
>>208
自称ヤマトファンでブームの火付け役が、「アニメになんか興味なかった」とか全然
反対の事をほざいている事にはムカつかないの?

バランスが変ですよ。


254 :無名草子さん:2008/10/24(金) 01:08:12
私、東京と言っても目黒区くんだりに住んでた厨房だったけど
1977年のヤマトのラジオドラマ放送の頃には
既にヤマト&アニメブームが盛り上がっていて
声優やアニソン歌手がアイドルみたいに人気があった。
唐沢の住んでた島では流行の波が違ったんじゃないの?

267 :無名草子さん:2008/10/24(金) 06:23:18
「トンデモ美少年の世界」確か持ってたなぁと思い開いてみたら、

>僕自身は、アニメソングへの興味はあったがヤマトのファンでも何でもなく

うわー、書いてあるよ思いっきり。何でこんな重要なとこ読み飛ばしてしまったかなぁ。
自分の読書への姿勢が揺らぐね。
上記と比べたら小ネタだけど、それに続く文章の書き出しが、

>そのとき、僕も含めて、もう選挙権もある立派なオトナたちが、
>酒を飲みながらああだこうだと

って、お前さっき自分で予備校生だって言ってたじゃないかよ!
ほんの十数行でまた時空の裂け目ですよ。
俺の知ってる北海道とは違うホッカイドー出身なんじゃないか唐沢は。




2008/10/27  23:07

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

>?さん
>新発売になったシリーズが10号20号まで進んだ所で、いきなりテレ
>ビで「新発売」とCMが打たれ

……これって、試験販売の地域になっていた読者的にはどうなのです
か? 10 号か 20 号そろえたかと思ったら、他の地域が追いつくまで
次の号は待たなければいけないという話になるとしたら、ちょっと嫌
なんじゃないかなあと思ったりするのですが。

>個人投資家さん
>私が知る限りその説を唱えていたのは、唐沢氏のみ

ふむ。「唐沢氏のみ」ということは、もしかして、オタクアミーゴス
の他の 2 人、岡田&眠田コンビですら、「ヤマトブームは札幌が生ん
だ」説を積極的に唱えていたわけではないということでよいですか。

「唐沢さんの出身の北海道といえば、ヤマトのブームをつくった土地
として有名ですよねー」とか、「そうそう、ヤマトのブームは札幌が
発信地だと、俺も聞いたことがありますよ」とか。

2008/10/27  6:56

投稿者:個人投資家

>「ヤマトブームは札幌が生んだと言われて」いない。

 思い出しましたが、オタクアミーゴスが盛んに講演していたころ「ヤマトブームは札幌が生んだ」説を唱えていたのが唐沢氏です。
私が知る限りその説を唱えていたのは、唐沢氏のみで、マッチポンプの典型例ではないかと思います。

2008/10/26  23:48

投稿者:?

たとえばディアゴスティーニなどは、試験発売版という、全国発売になるまえにテストケース発売を今でもやっています。
その地区が、宮城・静岡・広島。
この地域に住んでいると、新発売になったシリーズが10号20号まで進んだ所で、いきなりテレビで「新発売」とCMが打たれ、いきなり1号から再度発売されるケースがあります。
あるいは、リニューアルした物が発売されたり……。
実は知泉さんもそれを経験したようで、それをblogに書いています。
http://tisen.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/deagostini_dbc4.html

2008/10/25  22:53

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

他の地方の出身者が集まっているという点では北海道もよさそうです
が、今もそういえるかどうかは疑問ですし、気候が平均的とはとても
いえそうにないのがネックのような気もします。

asahi.com のネタ元になった静岡総合研究機構の資料を見れれば早い
かなと思ったのですが、http://www.sri.or.jp/ にはないみたいです。
ついでにサイト内検索もない……。

2008/10/25  18:09

投稿者:WOO

新製品のテスト販売地域としては静岡県が有名です
が、広島や札幌が選ばれるケースもあるようです。
↓静岡と広島はよく聞くのですが、札幌については
 こちらを読んで初めて知りました。

http://www.tisen.jp/tisenwiki/?
%A5%C6%A5%B9%A5%C8%C8%CE%C7%E4

私は子供の頃静岡県に住んでいたのですが、テレビの
お菓子等のCMで「新発売」と謳っているのを見て「こ
れが新発売?ずっと前から売ってるのに・・・」と
思ったことが何度かあります。
それがテスト販売と関係しているかどうか断言はでき
ませんが。

2008/10/25  10:50

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

静岡説の方は、「お金をかけて細密な分析」とか「調査会社」とかが
からむようなものとしてというより、食品や清涼飲料水などを静岡限
定で発売してみて、評判がよかったら全国展開――という感じでささ
やかれることが多いのではないかと。

http://homepage2.nifty.com/KKS/hall/kks-report/20030217-
macreport.htm
>但し静岡県内のマクドナルドのみでの限定販売という事で、好評で
>あれば全国展開するとらしいのだが、

http://blog.livedoor.jp/tknmst/archives/597668.html
>「試験販売王国」本当でした/静岡総研調査(asahi.com)
> 「静岡総合研究機構」がアンケートをした結果、静岡県内で試験
>販売をしたメーカーは全国トップだったそう。
> さまざまな企業が静岡で試験販売をしていると言われ続けてきた
>と記事にあり、静岡に全く縁のない自分には、初めて知る驚きの事
>実でした。
> 「極端な味覚や嗜好がなく全国の平均」が選べれた主な理由のひ
>とつ。ほめてるんだか、けなしてるんだかわかりませんが。

他の、ファッションや音楽やアニメなどの分野となると、多分静岡が
どうこうという話にはならないでしょう。
まして北海道となると……。

2008/10/25  9:17


>静岡などなら、わかるのだが。

 この話も都市伝説なのではないのかと。わたくし30年以上広告代理店に勤務していますが、テストマーケティングを静岡でやったことは一度もありません。また、今年の3月まで3年間静岡に勤務していましたが、広告のコストを考えたとき、お金をかけて細密な分析を行うような業務は極めて少なく、それに対応できるような調査会社にも心当たりはありません。なにより、静岡の消費動向は東京とは全然違うと思います。

   
 
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