トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
旧 URL は、http://diary.aol.com/yzuc9ww/727.html
文字列の一括置換をかけた都合上、旧ブログのコメント欄および2ちゃんねるのスレからの引用の中の URL も全部新 URL に置き換わっていますことを、あらかじめご了承ください
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/ で続きの Blog をやっています
   
 

2008/10/23  2:23

学術本『お父さんたちの好色広告』における謎の「お父さン」  その他の雑学本 間違い探し編

『お父さんたちの好色広告』 P.3
われわれのお父さンは悲しい存在でありました。
昭和の高度経済成長時代、世間が三種の神器
(洗濯機、冷蔵庫、掃除機)だの3C(カー、
クーラー、カラーテレビ)だのなんだのと
アオリ立てるのに尻をたたかれ、妻のため
家族のため子供のため、身を粉にして働いて


『お父さんたちの好色広告』 P.28
新宿西口と言えばかつてフォークゲリラたちの
聖地として、警官隊と衝突をくり返したところ。
その地にある店だけに店名も「性解放特売店」
と、イセイがよいことであります。七〇年代
デモにあけくれた若き日のお父さンたちも、
こういう店の商品で革命に燃える心をナグサメ
たことでありましょう。

× 七〇年代 ○ 六〇年代

2ちゃんねるのスレへの指摘書き込み (Read More 参照) には、「唐沢の十八番、
『時空の歪み』
」と書かれているが、まったくその通りである。

新宿駅西口地下広場が「フォークゲリラたちの聖地」だったのは 1969 年までのこと。
また、「デモにあけくれた若き日のお父さンたち」が多数いたのも 1960 年代のこと。
1970 年以降は、学生運動が世間の支持を失い下火になっていった。デモの参加者も、
一般の学生という感じではなくなってくる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/新宿駅西口地下広場
>1969年…反戦フォークゲリラ事件 (ルポルタージュ)
>フォークゲリラ集会が機動隊と激突し、道交法が適用されて排除された。それまでは
>車路から噴水まで一帯を埋め尽くすほどの人であったが、以降集会は禁止され、名称
>も一夜にして西口広場から西口通路へと変更された。


http://ja.wikipedia.org/wiki/学生運動
>日本で最も高揚した学生運動は、1960年の安保闘争と、1960年代末から1970年に
>かけての全共闘運動・大学闘争である。
〈略〉
>1970年頃までは、このような学生運動に共感を持つ一般市民も存在していた。
〈略〉
>しかし内ゲバや武装のエスカレートなどで市民の支持は徐々に失われていく。1960年
>代の新左翼党派の再編過程、路線対立の過程で暴力的衝突は日常と化していた。
>また、日本の経済が発展し日本人の生活水準が高くなったことや、1972年の沖縄返
>還や日中国交正常化により学生運動の動機が乏しくなると、急速に学生運動は下火
>になっていった。一方、学生側には分派が生まれ、党派闘争が発生し、1970年以降は
>殺し合いに発展していく。



で、これもスレへの指摘書き込み (Read More 参照) の中にあるが、1950 年代後半の
三種の神器、1960 年代半ばの新三種の神器の頃、「妻のため家族のため子供のため
働いていたはずの「われわれのお父さン」が、同じ本の少し後では「七〇年代デモにあけ
くれた若き日のお父さンたち
」となってしまっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/三種の神器_(電化製品)
>1950年代後半、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が『三種の神器』として
>喧伝された。
〈略〉
>1960年代半ばのいざなぎ景気時代には、カラーテレビ(Color television) ・クーラー
>(Cooler) ・自動車(Car) の3種類の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝された。



まあ、この『お父さんたちの好色広告』は、「昭和20年代から50年代にかけての好色広告
を多数紹介
」する本だそうだから、「お父さン」の年代に幅があっても仕方がないのかも
しれないけど……それにしたって、「高度経済成長を支えた昭和のお父さん」が「七〇年
代デモにあけくれ
」るのは、よほど時空を歪ませない限り、無理。

ただでさえ、唐沢俊一の文章の中で目にするとひたすら気持ちの悪い「お父さン」という
表記だが、このぼやけた定義により、気持ち悪さに拍車がかかっていると思う。

http://www.amazon.co.jp/dp/4480037799
>内容(「BOOK」データベースより)
>高度経済成長を支えた昭和のお父さんが、妻や娘に内緒でこっそり楽しんだ“オトナの
>雑誌”。その片隅にひっそりと掲載されていた「エロ広告」には、あやしくも胸ときめく性
>商品が並んでいた。溢れる期待に心躍らせ、商品を購入するとがっかり。けれどまた、
>うっかりとお金を払い込んで…。股間を奮わす傑作エロ広告を味わい、昭和の欲情史
>をたどる、酔狂極まる学術本。

>内容(「MARC」データベースより)
>扇情的で思わせ振りな文章と、ぼやけた写真が特徴の好色広告。昭和20年代から50
>年代にかけての好色広告を多数紹介する。〈ソフトカバー〉 --このテキストは、絶版本
>またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。


なお、上記引用の「BOOK」データベースが唐沢俊一のチェックなしで勝手に書かれた
可能性も考えてみたが、「酔狂極まる学術本」なんてのは、本人以外からは出てこない
フレーズじゃないかなあ。

その他参考 URL:
- http://ameblo.jp/nyarome007/theme-10005819956.html


http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1224589375/35-

35 :無名草子さん:2008/10/22(水) 08:30:34
唐沢の十八番、「時空の歪み」。
『お父さんたちの好色広告』P.3

>われわれのお父さンは悲しい存在でありました。
>昭和の高度経済成長時代、世間が三種の神器
>(洗濯機、冷蔵庫、掃除機)だの3C(カー、
>クーラー、カラーテレビ)だのなんだのと
>アオリ立てるのに尻をたたかれ、妻のため
>家族のため子供のため、身を粉にして働いて

家電の「三種の神器」は白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫で1950年代後半のこと。
3Cは「新・三種の神器」で60年代半ばのこと。ところが、P.28には

>新宿西口と言えばかつてフォークゲリラたちの
>聖地として、警官隊と衝突をくり返したところ。
>その地にある店だけに店名も「性解放特売店」
>と、イセイがよいことであります。七〇年代
>デモにあけくれた若き日のお父さンたちも、
>こういう店の商品で革命に燃える心をナグサメ
>たことでありましょう。

1950年代後半に家族に尻を叩かれて働いていたお父さんが、70年代(前半だよね)に
若かかり日を送っていたとは。


36 :無名草子さん:2008/10/22(水) 08:54:34
>七〇年代
>デモにあけくれた若き日のお父さンたちも、

新宿西口のフォークゲリラは1969年代末ですが....

2月頃に始まり、毎週末西口でゲリラコンサートが開催されたが
5月に警視庁が西口での集会を全面的に禁止し
6月にフォーク集会を行った若者に機動隊が催涙ガスを打ち込む事件が発生
その後、散発的に集会を行おうとした動きもあったが
それ以降は目立った集会は行われなくなった。

つまり「西口フォークゲリラ」は1969年2~6月ぐらいの出来事。

39 :無名草子さん:2008/10/22(水) 09:12:33
>七〇年代
>デモにあけくれた若き日のお父さンたちも、

極左でもない一般(?)の学生がデモに参加していたのは1970年頃までだと思うが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%81%8B%E5%8B%95
>一方、学生側には分派が生まれ、党派闘争が発生し、1970年以降は殺し合いに
>発展していく。1971年、法政大学での中核派による海老原殺人事件と、それに
>たいする革マル派の報復から、両派は凄惨な内ゲバを繰り広げ、ここに革労協と
>革マル派の間での内ゲバも加わり、1970年代は全国の大学で暴力の恐怖が蔓延した。
>これら内ゲバや、赤軍派に代表される爆弾や銃による武装のエスカレート、
>連合赤軍でのリンチ事件などが発覚し、更に日本社会が豊かになるに連れ
>学生たちは潮をひくように学生運動から遠のいていった。

56 :無名草子さん:2008/10/22(水) 10:31:28
>>39
当時は大学への進学率が低かったし。みんながみんな大学に行ってた訳でも
無かったそうだし。

その大学内ですら、表立って公言するのは憚られるような空気があったとも
言うが、当時ですら、やっぱり一番の多数派はノンポリだったそうだしね。

唐沢だって、その時代の事をまったく知らない訳じゃ無かろうに、どうして、
こういう表面的なステレオタイプを書いちゃうんだろうね。

63 :無名草子さん:2008/10/22(水) 10:49:40
>>34、35、43
「お父さんたちの好色広告」自体、天野祐吉の「嘘八百!」シリーズ(文春文庫)のパクリなんだけどね。

64 :無名草子さん:2008/10/22(水) 11:13:30
そう、天野祐吉の「嘘八百!」は90年代初期に大量にこの手のネタをまとめた名著だよね。
80年代に「宝島」辺りでも、昔の広告をネタにしていたけれど、
天野祐吉の「嘘八百!」でトドメを刺したって感じ。
あそこでやり尽くした感があったので、
みんな「もうあそこの資源を使い果たした」って感じで、
手を出しづらくなってしまった。

それがちょっと過去の話になった1998年に
唐沢がそれから大量にネタを引っ張って
「お父さんたちの好色広告」を出した。


1990年10月『 嘘八百―広告ノ神髄トハ何ゾヤ? 』天野祐吉
1992年09月『また、嘘八百!!―広告ノ神髄トハ何ゾヤ?』天野祐吉
1993年07月『またまた、嘘八百!!!―広告ノ神髄トハ何ゾヤ?』天野祐吉

1998年10月『お父さんたちの好色広告博覧会』唐沢俊一
2002年12月『お父さんたちの好色広告博覧会』唐沢俊一:文庫

65 :無名草子さん:2008/10/22(水) 11:15:00
これが抜けていた

1994年03月『 嘘八百これでもか!!!!〈昭和戦前篇)』天野祐吉

66 :無名草子さん:2008/10/22(水) 11:20:06
>>56
その時代の東京の空気を知らない田舎者だし
1958年生まれの唐沢は1969年には11歳。

たしか16歳だかで「ぞうのババール」を読んだ時にまだ幼心だった唐沢なので、
11歳の時にはまだ物心ついていなかったんだから、
しょうがないと言えばしょうがないか・・・

78 :無名草子さん:2008/10/22(水) 12:01:57
今日はキチガイが元気だね、

こういうキチガイAAが多く貼られているスレッドというのは
そこで批判されている側が荒らして、スレッドをダメにしたいという
もくろみが見え見えになっているという事で
逆にスレッド自体が目立ったりします。

そしてそのAAの間に書き込まれる通常の文章の中に
AA連貼りさんの隠したい物があるという事がよく解ります。


79 :無名草子さん:2008/10/22(水) 12:07:49
今回は「天野祐吉」が荒しのキーワードみたいだね。
では『嘘八百』シリーズを検証してみるか。

87 :無名草子さん:2008/10/22(水) 15:52:39
>>35
「小沢昭一みたいな感じでレトロな風俗をネタにテキトーにやっつけりゃいいんでしょ?」
という唐沢の声が聞こえるような雑な文章。

88 :無名草子さん:2008/10/22(水) 15:56:16
小沢昭一的こころか。
そういや一行知識も子供の頃聞いてたラジオでハマったんだっけ。
三つ子の魂百までとはよく言ったもんだ。

89 :無名草子さん:2008/10/22(水) 16:14:53
それにしても雑な文章だよなぁ
ライター歴20年、その中でもこの時代なんかは
一番ネタとして多く書いているんじゃないの?
それなのに、個々の風俗を時系列別に把握出来ていないって
どんなトンチンカンな脳みそだよ。


90 :無名草子さん:2008/10/22(水) 16:44:58
唐沢先生。年表をつくろう! o(≧∀≦)o

91 :無名草子さん:2008/10/22(水) 16:56:15
『お父さんたちの好色広告』というタイトルがそもそも馬鹿にしてるよな。高度成長時代
女房に尻叩かれながら、悶々とした想いをこんなチンケなエロ広告で癒してたんでしょう?
哀れですねえ、情けないですねえ、馬鹿ですねえ。そんなせせら笑いが聞こえてきそう。

92 :無名草子さん:2008/10/22(水) 17:36:26
1998年の本で、それ以前の雑誌に掲載した物なのかも知れないが
この時点で唐沢はジャスト40歳

高度経済成長期のお父さん相手だったら、その時点で60歳から50歳
そんな人を、バカにしたような内容で、しかも時代認識が全然出来ていない。
なにを期待して読めばいいのだ?

93 :無名草子さん:2008/10/22(水) 18:15:56
小沢昭一のあのしゃべりは同年代の相手に「お互い大変ですナ」と向けられてるから共感されてるんであって
若造の上に人生体験もまともな人間と共有出来ていない唐沢が使うとまさに>>91の意味しか発生しない。



2008/10/25  10:28

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

>「論理的におかしい」箇所を何度も何度も指摘して

これはやらないけれど、「まじめなところがあって」はしっかり要求
したということは、もう本当に「緩急が必要」ということだけが理由
のアドバイスでしかなくて。こういう編集者の指導のもとに生み出さ
れた本を読みながら、「退屈だけど、大事なところらしいから読み通
そう”と背筋を正」した読者こそ、いい面の皮だったといえるんじゃな
いでしょうか。

2008/10/25  0:11

投稿者:岡田K一

この徳間書店の編集の人も、こんな高邁なことをいわず・・。

薬の知識がなくとも「論理的におかしい」箇所を何度も何度も指摘して、書き直させればよかったんでしょうねえ。
そういう性格の編集者さんじゃなかったんでしょう。


2008/10/24  6:33

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

本文を書いた時点では、「酔狂極まる」の方はまだしも、「学術本」
というのはアカデミーワナビーの唐沢俊一ならだろう、「学術本」と
紹介文に書いたからって、売り上げに貢献するどころか逆に敬遠され
かねないだろうし――と思って、あのように書きました。

だがしかし、

>こういう本を流通させてしまう、唐沢本の担当編集者からなら、

といわれると……何か反論できないような。

唐沢俊一がああいうふうなのは、担当編集者や植木不等式の影響も
大きいんじゃないかという気もしてきている今日この頃です。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20080925/1222294158
> 彼は、最初のぼくの原稿を見て、こう言った。「唐沢さん、あな
>た、この本を頭からシッポまでおもしろいものにしようと思ってい
>るでしょう。それじゃダメです。本というものには緩急が必要で
>す。おもしろいところがあって、まじめなところがあって、読者
>に“ここはちょっと退屈だけど、大事なところらしいから読み通そ
>う”と背筋を正させるところがあって、はじめて本というのはしっか
>りしたものになるんです」
> ぼくはこの指摘に感動した。なるほど、それでなくては書物とい
>うものは重みが出ない。さすがはプロの言葉だと思い、いくつか真
>面目なデータも入れて、ちょっと重みのあるものにした。見違える
>ようなものになったと思う。本の書き方というものについて開眼し
>た気分だった。

結果: パクリとガセの大量発生マシーンの誕生

2008/10/23  11:19

投稿者:岡田K一

>「酔狂極まる学術本」なんてのは、本人以外からは出てこないフレーズじゃないかなあ。

さすがに、このへんの「紹介文」は担当編集者の仕事ではないかと思います。
こういう本を流通させてしまう、唐沢本の担当編集者からなら、こういうフレーズは普通に出てくると思います。

   
 
HOME

 

 

inserted by FC2 system