2008/10/19 11:48
「会議は踊る、されど進まず」にするには「甘いものが必要」? その他の雑学本 パクリ探し編
『pronto pronto?』 Vol.12 「唐沢俊一のビジネス課外授業。」 P.17
文章に含まれる間違い・疑問点については、「デメルのザッハトルテとは商標をめぐって
7 年間の裁判沙汰」の方に書いたが:
・ザッハトルテを発明したのはフランツ・ザッハーである
エドワルド・ザッハーはフランツの息子で、ホテル・ザッハの創設者。
・ザッハトルテはウィーン会議 (1814~1815年) のときに発明されたとの説もあるが、
ザッハトルテの発明は 1832 年だという説が有力で、オリジナルのザッハトルテの
Web サイトにも 1832 年と書かれている。
そして、2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) で、パクリ元と目されているのは、これ↓
http://ange-seiko.com/column/fukae11.htm
>ザッハトルテといえば、ウィーンのホテルザッハが本家。
>もともとは19世紀の政治家メッテルニヒのお抱え料理人、エドワルド・ザッハーのオリ
>ジナルでした。1832年のウィーン会議の際、メッテルニヒはヨーロッパ列強の特使たち
>をもてなす食事の締めくくりに、このトルテ(お菓子)を作らせたといいます。戦争後の
>領土問題という丁々発止の外交の場で、食後の語らいをなごやかに盛り上げ、テーブ
>ルに長く引きとめてしまうおいしいお菓子は、ひとつの「秘密兵器」だったのでしょうね。
「フランツ・ザッハー」が「エドワルド・ザッハー」になった理由、どちらかというと少数派の
ウィーン会議のときに作られた説が採用されている理由は、なるほど綺麗に説明がつく
ような。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1223714076/664
664 :無名草子さん:2008/10/19(日) 00:14:01
『pronto pronto?』Vol.12「唐沢俊一のビジネス課外授業。」p.17
>最近流行なのが、会議中にブドウ糖の錠剤や小さなスナック菓子などの甘味をとること。
>疲れた脳にとって、甘味はエネルギーになり、タバコよりも好ましい。
>そういえば“会議は踊る”という言葉で有名なウィーン会議を仕切ったオーストリアの宰相メッテルニヒは大の甘党で、
>あのザッハトルテをお抱え料理人のエドワルド・ザッハーに命じて発明させたことでも有名。
>やはり会議には甘いものが必要だと知っていたのだろうか。
唐沢のパクリ元、ココ↓
http://ange-seiko.com/column/fukae11.htm
>ザッハトルテといえば、ウィーンのホテルザッハが本家。
>もともとは19世紀の政治家メッテルニヒのお抱え料理人、エドワルド・ザッハーのオリジナルでした。
>1832年のウィーン会議の際、メッテルニヒはヨーロッパ列強の特使たちをもてなす食事の締めくくりに、
>このトルテ(お菓子)を作らせたといいます。
>戦争後の領土問題という丁々発止の外交の場で、食後の語らいをなごやかに盛り上げ、
>テーブルに長く引きとめてしまうおいしいお菓子は、ひとつの「秘密兵器」だったのでしょうね。
「トンデモない一行知識の世界」のガセ指摘↓
http://tondemonai2.web.fc2.com/554.html
最近流行なのが、会議中にブドウ糖の錠剤や小さなスナック菓子などの
甘味をとること。疲れた脳にとって、甘味はエネルギーになり、タバコよりも
好ましい。
そういえば“会議は踊る”という言葉で有名なウィーン会議を仕切ったオース
トリアの宰相メッテルニヒは大の甘党で、あのザッハトルテをお抱え料理人
のエドワルド・ザッハーに命じて発明させたことでも有名。
やはり会議には甘いものが必要だと知っていたのだろうか。
文章に含まれる間違い・疑問点については、「デメルのザッハトルテとは商標をめぐって
7 年間の裁判沙汰」の方に書いたが:
・ザッハトルテを発明したのはフランツ・ザッハーである
エドワルド・ザッハーはフランツの息子で、ホテル・ザッハの創設者。
・ザッハトルテはウィーン会議 (1814~1815年) のときに発明されたとの説もあるが、
ザッハトルテの発明は 1832 年だという説が有力で、オリジナルのザッハトルテの
Web サイトにも 1832 年と書かれている。
そして、2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) で、パクリ元と目されているのは、これ↓
http://ange-seiko.com/column/fukae11.htm
>ザッハトルテといえば、ウィーンのホテルザッハが本家。
>もともとは19世紀の政治家メッテルニヒのお抱え料理人、エドワルド・ザッハーのオリ
>ジナルでした。1832年のウィーン会議の際、メッテルニヒはヨーロッパ列強の特使たち
>をもてなす食事の締めくくりに、このトルテ(お菓子)を作らせたといいます。戦争後の
>領土問題という丁々発止の外交の場で、食後の語らいをなごやかに盛り上げ、テーブ
>ルに長く引きとめてしまうおいしいお菓子は、ひとつの「秘密兵器」だったのでしょうね。
「フランツ・ザッハー」が「エドワルド・ザッハー」になった理由、どちらかというと少数派の
ウィーン会議のときに作られた説が採用されている理由は、なるほど綺麗に説明がつく
ような。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1223714076/664
664 :無名草子さん:2008/10/19(日) 00:14:01
『pronto pronto?』Vol.12「唐沢俊一のビジネス課外授業。」p.17
>最近流行なのが、会議中にブドウ糖の錠剤や小さなスナック菓子などの甘味をとること。
>疲れた脳にとって、甘味はエネルギーになり、タバコよりも好ましい。
>そういえば“会議は踊る”という言葉で有名なウィーン会議を仕切ったオーストリアの宰相メッテルニヒは大の甘党で、
>あのザッハトルテをお抱え料理人のエドワルド・ザッハーに命じて発明させたことでも有名。
>やはり会議には甘いものが必要だと知っていたのだろうか。
唐沢のパクリ元、ココ↓
http://ange-seiko.com/column/fukae11.htm
>ザッハトルテといえば、ウィーンのホテルザッハが本家。
>もともとは19世紀の政治家メッテルニヒのお抱え料理人、エドワルド・ザッハーのオリジナルでした。
>1832年のウィーン会議の際、メッテルニヒはヨーロッパ列強の特使たちをもてなす食事の締めくくりに、
>このトルテ(お菓子)を作らせたといいます。
>戦争後の領土問題という丁々発止の外交の場で、食後の語らいをなごやかに盛り上げ、
>テーブルに長く引きとめてしまうおいしいお菓子は、ひとつの「秘密兵器」だったのでしょうね。
「トンデモない一行知識の世界」のガセ指摘↓
http://tondemonai2.web.fc2.com/554.html
2008/10/21 22:31
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
http://tondemonai2.web.fc2.com/
2008/10/21 21:16
そもそもEduard Sacherは1843年生まれだし、Klemens Wenzel Lothar von Metternichは1848年にオーストリアを脱出してるから、どう考えても話が合わないんですけどね。どうしてこんなアヤシイ話に、簡単にひっかかってしまうのか…。
のようなキーワードでググったときに、発案者はエドワルド・ザッ
ハーだと書いたページが上位にきていたのではないでしょうか。
たとえば、いまやってみたら、トップはこれ↓
http://blog.cake-cake.net/fruits_saison/archive/216
「エドワード・ザッハが考案」と書いています。
ホテル・ザッハの創設者というので、ザッハトルテの考案者と混同
されがちなのかも。