トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
旧 URL は、http://diary.aol.com/yzuc9ww/702.html
文字列の一括置換をかけた都合上、旧ブログのコメント欄および2ちゃんねるのスレからの引用の中の URL も全部新 URL に置き換わっていますことを、あらかじめご了承ください
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/ で続きの Blog をやっています
   
 

2008/10/11  13:21

人肉食いについてもP&G (パクリ&ガセ。ペログリにあらず)  その他の雑学本 間違い探し編

『唐沢俊一のトンデモ事件簿』
アメリカ開拓史中に何度か現れる人肉食事件の嚆矢として知られるのが、
このシエラネバダ山脈での“ドナー峠事件”である。イリノイ州に住むジョージ・
ドナーと、弟のジェイコブ、そして友人ジェイムズ・リードは、当時のカリフォル
ニアでのゴールドラッシュブームに乗ろうと、家族を引き連れてカリフォルニア
への移住を決心し、1846年4月、総勢30名ほどの幌馬車隊を組み、家畜を
伴って西へ向かった(人数は途中で90名近くになった)。
 幌馬車隊は、秋の終わりまでにはカリフォルニアに到着するはずだった。
しかし、豪雨にたたられ、道を誤り、10月の末になって、既に雪があたりを覆う
気候になっても、まだシエラネバダの山の中をさまよっている状態だった。
そして、目的地にあと200mというあたり、山中の峠の1つに差しかかった
あたりで、10mを超える積雪のため、ほとんど生き埋めの状態になってしまう。
食料はあっという間に尽き、飢えた人々は、馬や牛などの家畜から、ペットの
犬や猫、そして、革製のコートや靴など(『黄金狂時代』のあの有名なシーン
の原型)、食べられるものはすべて食べ尽くし、そしてその後に、お決まりの、
人肉の食い合いが行われた。

×ゴールドラッシュブームに乗ろうと、 ○ゴールドラッシュの始まる 2 年ほど前、
×カリフォルニアに到着するはずだった ○サン・フランシスコに到着する筈だった
×目的地にあと200m ○目的地にあと200km
×10mを超える積雪のため、ほとんど生き埋めの状態になってしまう
○10メートルを超える積雪に行方を遮られて、幌馬車隊は身動きが取れなくなった。

唐沢俊一検証blogさんの「『唐沢俊一のトンデモ事件簿』パクリ疑惑・その1。」で、
白人は何故「カニバリズム」にこだわるのか(2)」からの盗用を指摘されている文章。

パクられているブログ私の闇の奥を書いているのは、著者も多数出している藤永茂
アルバータ大名誉教授。コメント欄には、以下のように書いている。

http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2007/05/post_1237.html#comment-8926458
>盗用の件について、お答えします。
>Donner Party 事件に関する英語文献は、私のブログでも申しました通り、大量に
>存在します。私はその中から信憑性の高そうなものをかなりの数通読し、私のブログ
>の記事を書きましたが、ブライアン・マリナーという人の『カニバリズム』という書物は
>参考にしていませんし、使用文献の文章の翻訳をストレートに書き下ろした部分もあり
>ません。
>従って、唐沢さんという方の文章が私の文章によく似ているのは、私の文章が下敷き
>になっているからであると、私は判断いたします。

>投稿 藤永 茂 | 2008/10/05 22:30


盗用」「私の文章が下敷きになっているからであると、私は判断」などの表現も非常に
興味深いが、ここではおくとして。

信憑性の高そうなものをかなりの数通読」して書いたブログの文章を「下敷き」にした
のなら、内容は正確なものになってよいはずなのだが、そこは前エントリーの最後にも
書いた通り、唐沢劣化コピーの法則の唐沢俊一である。2ちゃんねるのスレの名無しさん
の言葉を借りれば、パクリとガセの「P&G唐沢」。やはりマトモな内容には、なっていない
(Read More も参照のこと)。

まあ要するに、パクリ元と思われるブログの文章 (下に引用) に書かれていないことに
ついては、全部疑ってかかるのが、ちょうどよいくらいで……。

http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2007/05/post_1237.html
> 米国史で最も有名なカニバリズム事件は「ドナー・パーティー(Donner Party)」事件
>です。イリノイ州スプリングフィールドのジョージ・ドナー、その弟ジェイコブ、友人ジェイ
>ムズ・リードは、彼らの家族を連れてカリフォルニアへの移住を決心し、1846年4月
>中旬、総勢30人余りで家畜をともなって西へ向かいました。途中で参加者が増えて
>90人近くになったドナー幌馬車隊は、グレート・ソルト・レークの南を通り、シエラ・ネバ
>ダ山脈を越えて、秋の暮れまでにはサン・フランシスコに到着する筈だったのですが、
>豪雨に見舞われたり、近道と聞いて辿ったトレイルが結局はひどい遠道になったりし
>て、10月の末、シエラ・ネバダの山並みの中の一つの峠(あとでドナー・パスと呼ばれ
>るようになる)に差掛かった時、10メートルを超える積雪に行方を遮られて、幌馬車隊
>は身動きが取れなくなってしまいました。目的の地 Sutter’s Fort (今のサクラメント)
>から200キロほどの地点でした。連れて来た牛馬や犬は勿論、獣皮や樹皮などおよそ
>食べれる物はなんでも食べるようになり(チャップリンの映画「黄金狂時代」に靴を煮て
>食べるシーンがあります)、餓死の恐怖がキャンプにみなぎり始めます。12月中旬、
>15人の隊員が救助を求めてサッターズ・フォートに向かいましたが、約20日間の修羅
>の旅を生き抜いてフォートに辿りついたのは、たったの7人だけでした。1847年2月
>初旬、第一次の救助隊がフォートから派遣されましたが、打ち続く悪天候と難路の
>ために救助作業は難行し、生存者の全てをフォートに運ぶまでに4回の救助隊派遣と
>2ヶ月の月日が必要でした。その間に90人弱の当初の人員の約半数が死に果てました。
> カニバリズムは、救助を求めてフォートに向かった人々の間で行われ、また4回に
>わたって救助隊が訪れたキャンプでも行われました。それは動かぬ事実と思われます。
>しかし、その具体的状況を描いた「真相もの」の大多数は猟奇をねらった扇情的な
>フィクションのようです。



唐沢俊一は、ジョージ・ドナーらが「ゴールドラッシュブームに乗ろうと」してカリフォルニア
への移住を決めたかのように書いている。彼らがイリノイ州を出発したのは 1846 年で、
ゴールドラッシュの始まり、1848 年のアメリカン川での砂金発見より 2 年近く前である
にもかかわらず。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ゴールドラッシュ
>カリフォルニアのゴールドラッシュカリフォルニアのゴールドラッシュを伝える張り紙
>(英文)そもそもの発端は、1848年1月24日に農場主ジョン・サッターの使用人ジェー
>ムズ・マーシャルがアメリカン川で砂金を発見したことである。


また、「目的の地 Sutter’s Fort (今のサクラメント)から200キロほどの地点」ならば、
連れて来た牛馬や犬は勿論、獣皮や樹皮などおよそ食べれる物はなんでも食べる
はめになったというのも納得できるが、唐沢俊一のいう「目的地にあと200mというあたり
で、「馬や牛などの家畜から、ペットの犬や猫」までを食べるとなると、もう猟奇的だ何だ
といえるレベルの話ではなくなるし、複数回にわけて派遣されたという救助隊は何だった
のかということにもなる。ついでに、唐沢俊一は、「目的の地 Sutter’s Fort (今のサクラ
メント)
」を「カリフォルニア」と書き換えてしまっている。

さらに、「ほとんど生き埋めの状態」で、よく牛や馬を殺して食べることができたなという
疑問もわいてくる。「生き埋め」というのは、「白人は何故『カニバリズム』にこだわるのか
(2)
」にも、他のブログ――唐沢順一が参考文献としてあげた『カニバリズム』ブライアン・
マリナー著を参考文献にしているもの――にも書かれていない。

http://www5b.biglobe.ne.jp/%7Emadison/mondo/m_05/m_05_1.html
> 10月30日、案の定、ドナー隊は遭難する。場所は標高2000メートルのトラッキー
>湖畔。吹雪が凄まじく、馬車は雪に埋まり、もうこれ以上先に進むことは出来なくなっ
>たのである。詮方なく、隊はここで冬を越す羽目となる。
> 住居の心配はない。丸太小屋の材料はまわりにいくらでもある。問題は食料だ。
>果たして吹雪が止むまで、貧弱な牛の肉だけで間に合うだろうか?。
> 間に合う筈はなかった。食料の消耗は思いのほか早く、このままでは隊の全滅は必
>至だ。捨て身の救援隊が組織され吹雪の中を旅立つ。しかし、二度に渡る救援隊は、
>遂に帰ってこなかった。
〈略〉
> 1月11日、フォスターたちはなんとか山を越え、よろめきながらサクラメントのジョンソン
>牧場に辿り着く。彼らは半裸の上に顔は血まみれ、人を喰って生き存えていたことは
>誰の眼からも明らかだった。


最後に、「『カニバリズム』ブライアン・マリナー著(青弓社)」と、「『カニバリズム論』
中野美代子著(福武書店)
」を参考文献にあげている上記ブログのエントリーが、
悲惨な世界~彼らは靴を食べなかった」という題であることにも着目すべきではない
かと思う。

唐沢俊一は「革製のコートや靴など(『黄金狂時代』のあの有名なシーンの原型)、
食べられるものはすべて食べ尽くし
」と書いているが、ドナー幌馬車隊の人々が実際に、
革製のコートや靴など」を食べたか非常に疑わしいし、それらが荷物の中に含まれて
いたかどうかもわからない。

……牛肉の干し肉が残っていたのに人肉を食べた――という話だったらあったのだが。

http://www5b.biglobe.ne.jp/%7Emadison/mondo/m_05/m_05_1.html
> 3月13日、第3救助隊が到着した。生存者の半分が食べられていた。ドナー夫人は
>重体の夫を残していくことを拒んだ。結局、雪解けまでこの地に留まることとなった。
>夫人一人では心配だからと、ケスバーグも残ることとなった。彼を残すことが一番心配
>だったが、今回は食料を十分に残しておくことができたので、よもやそんなことはある
>まいと高を括っていた。
> 4月17日、最後の救助隊がこの呪われた地を訪れた。生存者はケスバーグ一人
>だった。
>「ドナー夫人は何処だ?」。
>「そこにある」。
> 見ると、そこには大きな鍋二つに波々と血が満たされ、切り取ったばかりの肝臓が
>フライパンの上で調理されていた。「残りは喰っちまった。これまで喰った中で、彼女が
>一番旨かった」。
> ケスバーグの小屋を捜索すると、なんと、牛の肉も見つかった。前回の救助隊が置
>いていった干し肉だ。ケスバーグは極限状態で夫人を喰ったわけではなかったのだ。
>「どうもこの干し肉はパサパサで、俺の口には合わないんだ。人の肝臓の方がよっぽ
>ど旨い。それに脳味噌ときたら、そりゃあもう、スープにすると最高だぜ」。
> 呆れた救助隊はケスバーグを拷問にかける。しかし、彼はとうとう夫人の殺害を認め
>なかった。

> それからの彼は、あのドナー隊の最も血塗られた生き残りとして、カリフォルニアの
>名物男となった。彼は酔うと決まってドナー夫人のノロケ話を始めた。
>「柔らかい、いい女だったあ。俺はあの女から4ポンドもの脂肪を煮出したものさあ」。

> 1850年代初め、ケスバーグはステーキハウスを開店した。宣伝文句に曰く、
>「最上の柔らかい肉しか扱いません」。





http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1223130750/581-

580 :無名草子さん:2008/10/08(水) 14:45:37
「ゴールドラッシュとカニバル(人肉食い)」
の本文はパクリだったが、原文の中にはゴールドラッシュとの絡みはない。
唐沢の文章ではゴールドラッシュブームに乗ろうと移住を決意したとなっている。

『唐沢』
>イリノイ州に住むジョージ・ドナーと、弟のジェイコブ、そして友人ジェイムズ・
>リードは、当時のカリフォルニアでのゴールドラッシュブームに乗ろうと、家族を
>引き連れてカリフォルニアへの移住を決心し、1846年4月、総勢30名ほどの幌馬
>車隊を組み、家畜を伴って西へ向かった(人数は途中で90名近くになった)。

>イリノイ州スプリングフィールドのジョージ・ドナー、その弟ジェイコブ、友人ジ
>ェイムズ・リードは、彼らの家族を連れてカリフォルニアへの移住を決心し、18
>46年4月中旬、総勢30人余りで家畜をともなって西へ向かいました。途中で参
>加者が増えて90人近くになった

唐沢の文では「ゴールドラッシュ」の記述がオリジナル。
しかし、ゴールドラッシュは1848年に始まる。
ドナー隊が出発したのは1846年で、ラッシュが始まるのより2年前。

Wikipedia:ゴールドラッシュ
>そもそもの発端は、1848年1月24日に農場主ジョン・サッターの使用人
>ジェームズ・マーシャルがアメリカン川で砂金を発見したことである。

唐沢の文章はP&G(パクリ&ガセ)で構成されている良い例。
パクリじゃない所はガセ・・・・

656 :無名草子さん:2008/10/08(水) 23:05:30
単行本『トンデモ事件簿』にある豪快パクリ
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081008
[元文章]
>シエラ・ネバダの山並みの中の一つの峠(あとでドナー・パスと呼ばれるようになる)に
>差掛かった時、10メートルを超える積雪に行方を遮られて、幌馬車隊は身動きが取れな
>くなってしまいました。
[唐沢文章]
>山中の峠の1つに差しかかったあたりで、10mを超える積雪のため、ほとんど生き埋めの
>状態になってしまう。

えっと・・・・積雪が10mを超えた状態で身動きが取れなくなった
というのを。ニュアンスを買えて隠蔽したかったのかも知れませんが
>10mを超える積雪のため、ほとんど生き埋めの状態になってしまう。
ほとんど生き埋めってw あんた普通その段階で死ぬってw
いくらドカ雪が降ってきて身動き取れなかったとしても「生き埋め」にはならない。
どういう感覚なんだろうか
しかし、殆ど生き埋めになった状態で、馬牛犬猫を喰らい、さらに人肉を喰ったんだよねw

検証blogでもその後は指摘しているが、
目的の街まで「200km」を「200m」に間違えるってのも凄い。
唐沢の頭の中に行程の距離感覚や地図が無かったんだとは思うけど、
目的は小さな点とか小屋ではなく「街」なんだよ。
200mほど先に街があるって段階で、いくら積雪が酷くても、
そこでキャンプを張って、連れてきた馬牛犬猫、そして人肉まで食うか? 
200m先の街に気が付かず。

アホだこいつ。



2008/10/11  23:50

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

>WOO さん
ありがとうございます。引用していただいた部分をとばしてはいけな
かったですね、すみません。(_ _);

読み返してみたら、
http://www.gutenberg.org/dirs/etext04/hisdp10.txt
にも、最後の方などに、サッターの話が挿入されていました。
救援隊、物資の提供、仕事の世話など、ドナー隊の生存者の人たちに
とっては恩人の慈善家だったようですね。

2008/10/11  19:37

投稿者:WOO

「カリフォルニアのサッター砦」の項目、その後に

>サッターはカナカスのようなさまざまな先住民、
>ヨーロッパ人をその「砦」に雇用した。そこを
>彼は「フォート・サッター(サッター砦)」と
>呼んだ。彼はそこに農業の楽園を造ろうと考え、
>実際に当時の居留地はきわめて広大となり繁栄
>した。そこは、サッターも救助に努めたドナー
>隊を含む、たくさんのカリフォルニア定住移民が
>目的地としていたのである。

とあり、ドナー隊の名が実際に出てきます。

「ドナー隊を含む、たくさんのカリフォルニア
定住移民」が、サッター砦を「目的地としていた」
ということですね。

2008/10/11  19:14

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

>WOO さん

ここいらの話ですかしら↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%
b3%e3%83%bb%e3%82%b5%e3%83%83%e3%82%bf%e3%83%bc

>サッターが到来した頃のカリフォルニアでは、領域には5000人ほど
>のヨーロッパ出身の人々が居住し、対照的に3万人のネイティヴ・ア
>メリカンがいた。
>そこはメキシコの一部であり、知事のホアン・バチスタ・アルバ
>ラードは彼に居留を認可した。すなわち、開拓のための土地の権利
>である。サッターは1840年8月29日にメキシコ市民となった。

>1847年、米墨戦争の結果メキシコの領土がアメリカ合衆国の手中に
>収まった。サッターはまず、独立した「カリフォルニア共和国」の
>樹立の支援をしたが、連邦軍が手短に彼の砦のコントロールを奪う
>と、サッターは、多勢に無勢だったため抵抗しなかった。1848年に
>アメリカン川沿いのコロマの粉ひき小屋で、使用人のジェームズ・
>マーシャルが金を発見した。


>安岡孝一さん
http://www.gutenberg.org/dirs/etext04/hisdp10.txt
にもステーキハウスの話はなし。
"They scream so loudly while going into the spasms that he can
not dwell near other people. He therefore lives isolated, in a
plain little house back of his brewery. Here he lives, the saddest,
loneliest, most pitiable creature on the face of the earth."
とか書いてあって、「当時の納税記録の上では、Louis Kesebergは
カリフォルニアで醸造業を営んでいて」という情報ともつじつまが
あいますね。

# しかし、ここまでコメントがつくとわかっていたら、タイトルに
# ペログリとつけるのは、やめ……なかったかもやっぱり。

おまけ: http://www.donnerpartydiary.com/maps.htm

2008/10/11  17:59


Hubert Howe Bancroftの『History of California』(1884-1890)のVol.4, p.710に、Louis Kesebergのその後がざっと年表風に書かれてるんですが、「Keseberg worked for Sutter as supercargo of his launch in '47, and later for Vallejo at Sonoma; went to the mines in 48-9; kept a boarding-house and hotel at Sac.; and was later a brewer at Calistoga and Sac.」となっていて、steakhouseなんて話はないのです。っていうか、いくらなんでもsteakhouseなんか開いたら、客が入らないような…。

2008/10/11  17:03

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

ネット上の資料では、これが詳しいかなと思ったのですが、
http://www.donnerpartydiary.com/apr47.htm
http://www.donnerpartydiary.com/after.htm
には、ステーキハウスの話は書かれていないですね。

しかし脳みそスープの話はしっかり書かれているような。うげ。

この事件の参考文献はとしては、
http://www.donnerpartydiary.com/SOURCES.HTM
とか? しかしステーキハウスの話はないかも。

2008/10/11  16:34

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

>このステーキハウスの話、さて、どっから出てきたんでしょ?

Louis Keseberg steakhouse で上位にくるのが

http://blog.myspace.com/index.cfm?
fuseaction=blog.view&friendID=62906228&blogID=420817693
&Mytoken=CDAA6B59-14F5-4142-9555717EF39C49BB394625
06

で、それが参考資料にしているのが Moira Martingale の Cannibal
Killers http://www.amazon.com/dp/0312956045 で 1995 年。
ブライアン・マリナーの 1992 年の方が先ですね。で、どちらの本も
ペーパーバック。
http://www.amazon.com/dp/0756773628/

何だか単なるブラックジョークが元ネタかという疑いがフツフツと。

2008/10/11  15:09

投稿者:WOO

この事件当時のカリフォルニアはまだメキシコ領なん
ですね。
ジェームズ・マーシャルがアメリカン川で砂金を発見
するのは、米墨戦争の結果カリフォルニアがアメリカ
合衆国に併合された直後のことです。
ドナー達がカリフォルニア移住を決意した理由につい
ては、Wikipedia『ジョン・サッター』(ゴールドラッ
シュのきっかけをつくったジェームズ・マーシャルの
雇用主)の頁中、「カリフォルニアのサッター砦」の
項目に書かれています。

2008/10/11  15:04

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

私も地理に弱いので、シエラネバダ山脈がカリフォルニア州というの
は、本文を書いていて頭をよぎりませんでした、あはは……ヨセミテ
国立公園とかいってもらえればわかったのですけれど (^_^;

それはともかく、この文脈で、何で目的地を「カリフォルニア」と
いう広範囲で通したのかは、何を考えていたのか想像がつきません。
元の文章のサンフランシスコとかサクラメントとかをわざわざ書き換
えてまで……。省略するだけとかだったら、まだ理解可能なんです
が。

2008/10/11  15:02


えっと、このLouis Kesebergのステーキハウスの話なんですけど、これ、どうしても裏が取れないのです。少なくとも当時の納税記録の上では、Louis Kesebergはカリフォルニアで醸造業を営んでいて、1860年のFederal Censusでも職業欄はBrewerになってるのです。このステーキハウスの話、さて、どっから出てきたんでしょ?

2008/10/11  14:12


 唐沢が無知であることはもはや公然の事実なので、わざわざあげつらうのもナニなんですが。

>秋の終わりまでにはカリフォルニアに到着するはずだった。
>しかし、豪雨にたたられ、道を誤り、10月の末になって、既に雪があたりを覆う気候になっても、
>まだシエラネバダの山の中をさまよっている状態だった。

 シエラネバダ山脈ってカリフォルニア州にあるんですけど。書いてて気がつかないってことは知らなかったんでしょうね。

   
 
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