トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/10/5  1:10

で、どの時代のヨーロッパ人にとって「革命的」だったって?  その他の雑学本 間違い探し編

『笑うクスリ指』 P.149
 それにひかれ、レビィ・ストロースはじめ、多くの民俗学者が人類とセックス
の歴史を調べるために南方へわたった。セックスの歴史を調べることは、
人類の歴史を調べることとほとんど同義なのである。
 このうち、白人たちを驚かせた最大の文化の違いは、彼らが、いわゆる
ベッド・トークを行うことである。キリスト教的禁欲思想のもとでは、男女が
闇で会話を交わすなど、もってのほかだった。
 たとえば南アフリカのグイ族のセックスの際の会話は、こういうものだ
そうだ。
女「アェッ、アェッ、オッ、いまあんたがした行為はあたしをとてもよく感じ
させてくれたわ」
男「アェー、それは結構である。おまえは感じてよかったのか」
女「あんたはよくなかったろうか。あたしはすごく感じたことだ。あんたは
大きくて素敵である」
 これだけでも、当時のヨーロッパ社会にとっては革命的だったろう。

×アェッ、アェッ、 ○アエッ、
×いまあんたがした行為はあたしをとてもよく感じさせてくれたわ
○いまあんたはわたしにとてもよくしてくれたわ
×アェー、それは結構である。 ○アエー、そりゃステキだ。
×あんたはよくなかったろうか。 ○あんたはよくなかったの?
×あたしはすごく感じたことだ。 ○わたし、ものすごくよかった。
×あんたは大きくて素敵である ○あんたのチンポはひどくステキね

民俗学者が「南方へわたった」理由は、必ずしも「人類とセックスの歴史を調べるため
だけではないのではないかと思うが、おいといて。

前のエントリー「月刊『現代』の座談会は『性の人類学シンポジウム』だった!」にも書いた
ように、唐沢俊一がパクっている (改竄のうえ引用元を示していないのだから引用とは
到底いえない) 「南アフリカのグイ族のセックスの際の会話」は、1994 年の月刊『現代』
の座談会で菅原和孝によって語られ、1996 年の『性と出会う―人類学者の見る、聞く、
語る』に収録されたものが元ネタである。

引用部分が、前エントリーと重複してしまうが:

『ブッシュマンとして生きる』 P.138
>一九九四年に、グイの「性」への私の探求は大きな転換をむかえた。〈略〉
> 一二月初旬に帰国してすぐに、私は、月刊誌『現代』の特集記事として企画された
>「性の人類学」という座談会に参加した。席上で私は、フィールドで集めてきたホヤ
>ホヤの語りの資料に基づいて、グイの婚外の性(ザーク)について赤裸々に語った。


『性と出会う―人類学者の見る、聞く、語る』 P.38 ~ P.39
>菅原 〈略〉ある男の人にいわせると「(女が)うつぶせに尻を突き出したりはしない」。
>私が「使うのはペニスだけか」と聞くと、「金玉は入れないよォ」(笑)。その彼が、行為
>中の愛の会話を教えてくれました。
> 女「アエッ、オッ、いまあんたはわたしにとてもよくしてくれたわ」
> 男「アエー、そりゃステキだ。おまえは感じてよかったのか」
> 女「あんたはよくなかったの? わたし、ものすごくよかった。あんたのチンポはひどく
>   ステキね」


で、「これだけでも、当時のヨーロッパ社会にとっては革命的だったろう。」って、まさか
1990 年代のヨーロッパで、「キリスト教的禁欲思想のもと」「男女が闇で会話を交わす
など、もってのほか
」だったとでも、唐沢俊一は信じているのだろうか。

菅原和孝は、上記引用部分で、「フィールドで集めてきたホヤホヤの語りの資料」である
と述べている。また同書『ブッシュマンとして生きる』によると、昔のヨーロッパ人は、グイ
の人たちが何を話しているか理解できていなかった。

『ブッシュマンとして生きる』 P.21
> 西欧からの植民者たちが残した文書には「ブッシュマンのことばは動物の鳴き声に
>近く、人間の言語とは認められない」といった見解が示されている。ブッシュマンを
>人間以下の野獣」とみなすこうした偏見が、数世紀にわたる迫害と虐殺を正当化した
>のである。


ちなみに、同書に登場する「音韻学者、中川裕」がグイ語の複雑な音韻体系を把握し、
言語の理解を大きく前進させる様子は、『バベル17』のリドラを思い起こさせるもので
感動的だった。



2008/10/5  1:39

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

>「とにかく、笑えるものを探す」

>「背伸びした真面目な調子」で

これについては、唐沢俊一検証blogさんの方のこれ↓
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20080925/1222294158
を読んで思ったのですが、編集者の責任も大きいのではないかと。

>ぼくはこの指摘に感動した。なるほど、それでなくては書物という
>ものは重みが出ない。さすがはプロの言葉だと思い、いくつか真面
>目なデータも入れて、ちょっと重みのあるものにした。見違えるよ
>うなものになったと思う。本の書き方というものについて開眼した
>気分だった。

その真面目なデータというのが、真面目に収集され検証されたものか
どうか、編集者に見る目がなかったからこそ、原稿もボツにされず、
ガセビア多数のまま本が刊行されていったわけですから。いやまあ
多分その編集者にとって重要なのは、真面目そうなデータが並んで
いることであり、本当に真面目なデータかどうかは、正直どうでも
よかったんじゃないかとすら思ったりもしますが。

それと唐沢俊一にとって「とにかく、笑えるものを探す」とは、一般
読者に笑ってもらうことをひたすら追求するというよりも、目の前の
編集者に笑ってもらうこと褒めてもらうことが重要ではないのかなあ
と想像しています。笑えないことも多数書いては発表していることに
ついても、編集者の責任は大きいのではないかと。

2008/10/5  0:49

投稿者:岡田K一

前エントリの『裏モノの神様』での引用でわかるとおり、唐沢的には「とにかく、笑えるものを探す」という姿勢で、あらゆるものごとを、見てかかっているのですね。

その姿勢で一貫していればいいんでしょうが・・。

その「色眼鏡」をつけたまま、「背伸びした真面目な調子」で語らせると、その不調和でガセの塊になってしまうという・・。

   
 
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