トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/9/28  17:50

どうしてそこでもっと凝ろうとしないのか<『血で描く』  分類なし

「SFマガジン」11月号
唐沢俊一の初長編『血で描く』(一三八〇円/メディアファクトリー)は、ある
意味プロレタリア恐怖小説。世を呪う貸本漫画家が、己の血で描いた漫画が
引き起こす恐怖譚である。『怪談人間時計』の徳南晴一郎をモデルにしたと
思しい貸本テイストだが、作中の仕掛けも含めて今ひとつ徹し切れておらず
残念。

プロレタリア恐怖小説」というのが適切かどうかについては、唐沢俊一検証blog
『SFマガジン』11月号に『血で描く』の書評が載っていた。」のコメント欄を参照。

この評者が、どのような意味で「作中の仕掛けも含めて今ひとつ徹し切れておらず残念
と書いたのかは、わからない。しかし、「仕掛けも含めて今ひとつ徹し切れておらず」と
いうのは、自分の感想でもあるので、以下それについて思うところを。

(注意 : ネタバレや主観による勝手な罵倒が、いつもより多めに含まれています)


『怪談人間時計』の徳南晴一郎をモデルに」しているらしいのに、作中の漫画が、全然
『怪談人間時計』に似ていない。絵柄が違うというだけの話ではない。徳南晴一郎の絵を
忠実に模写したとしたら、それはそれで読者を選び過ぎる本になっていただろう。それに
しても、小綺麗な描線なせいもあるのか、全然貸本漫画らしくなく、雰囲気がまったく違う
のだ。

これがもし、漫画を唐沢なをきが担当していたら、いかにも昔の漫画にありそうな古風な
雰囲気をもたせつつ、現代の読者にも読みやすい形にして提供できていただろう。唐沢
俊一と組んで出した本の中に、とり・みきはもちろん、つげや水木等の漫画を上手く模写
したパロディをはさみ込んでいる彼のことだから。仕掛けに徹するのならば、彼本人または
それと同等の能力をもつ人材を、何としてでも確保するべきだったのだ。


そして、唐沢俊一の日記には「DTPの人が悲鳴を上げていた」というのだが……。

http://www.tobunken.com/diary/diary20080722121444.htm
>『血で描く』最終チェック。
>河井克夫さんのマンガの部分と文章の齟齬を手直しする。
>マンガと合わせたものを初めて読んで、やっと完成が実感
>出来てきた。……しかしデザインの井上くんも凝ってくれた。
>こっちは思いつきをポンポン言うだけだが、実際に作る方は大変。
>DTPの人が悲鳴を上げていたという。


悲鳴を上げたというのが「DTPの人」ということは、作中の漫画に炎を飛ばしたり、女性の
写真をはめ込み合成したり、くしゃくしゃになったページの写真を挿入したりしたのは、
漫画家ではなく主に「DTPの人」だったということだろう。

2ちゃんねるのスレでは、「DTPの人」の腕をうんぬんする書き込みもあったようだが
(うまく発掘できなかったので、うろ覚え)、自分としては、そんなもの「DTPの人」に
やらせるなんて派。

写真撮影時に女性を美しく写すための気合いが足りなかったというのもあるし (修正は
画像ソフトで可能とはいえ、元がよいのに越したことはない。また、もともと綺麗な子で
あっても、それをさらに綺麗に写すよう努力するのがデフォだろう)、炎やくしゃくしゃの
ページ等については、これは数ページ分だけでもよい、フルカラーにしないと、だまし絵
のような効果を出すのは難しいだろうと思った。


まあ他にも、ガセが多いというのももちろんあるが、たとえ本当であったとしても大して
面白くも何ともないトリビアの中途半端な披露の仕方とか、漫画を血で描いた沼波恭一
が編集者の求めに応じて必死に原稿を書き直し、かつてバカにしていた者に頭を下げて
借金を申し込むといったまっとうな努力をしていて、かつ報われない様子、病弱の妻に
対しての冷たい周囲の援助不足 (編集者の中には彼女の実の兄もいたのに) とか、
そもそも漫画を血で描くというのはそんなスゴいことなのかとか、いろいろと徹し切れて
いないせいで、読後感はよくない。しかも、その読後感の悪さというのが、ホラーとして
プラスに評価することが可能な方向の読後感の悪さではない。

要するに、普通に読んでも面白くないし、トンデモ本としての面白さもあまりないという
感じ。次にどうなるんだろうと興味をもって読み進むことも難しいし、いわゆるキャラ萌え
の対象にできそうなキャラもいない。

で、この本の平坦さや退屈さには何か覚えがある……と思ったら、知る人ぞ知る (?)
三鷹うい先生の小説を読んでいたときの感じに似ていることに思い至った。彼女の小説
の方ができはよかったし、文章もずっとまともだったが。「立てロール」レベルの間違い
なかったし。


おまけ: 『血で描く』についてのリンク :
・サイト内
  ・ 血で描くと貧血になりそうだとは思うんですよ
  ・ 血で描く、毛で描く、恥をかく
  ・ カラーの表紙に青鉛筆で網かけ処理指定はないでしょう
  ・ メタ・フィクションといってもメタメタなものばかりではない
  ・ 出来立てロールパンや出来立てカールじゃないんでしょ?
  ・ 昭和三十年代だって写真館以外でも撮影されていた無数の写真

・外部リンク
  ・ 唐沢俊一『血で描く』を読んでみた。
  ・ 『血で描く』感想
  ・ 彼女は尾行されtail。
  ・ 「SFマガジン」11月号に『血で描く』の書評が載っていた。





2008/10/1  4:42

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

>徳南晴一郎には「孤客」という

この本については、知りませんでした。
http://www.amazon.co.jp/dp/487233387X

よく見たら、Wikipedia にも書いてありましたのに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e5%be%b3%e5%8d%97%e6%99%
b4%e4%b8%80%e9%83%8e

1998 年刊ということは、太田出版が復刻版『人間時計』を出した
1996 年の 2 年後……『人間時計』の出版にあたって徳南晴一郎は、
出すなら勝手に出せ、印税は受け取らないと言ったそうですが (巻末の
竹熊氏の文章より)、その後再び太田出版がくどき落としたのでしょう
か。

『血で描く』の沼波恭一の方は……良くも悪くも凡人ですね。強烈な
個性というものがまるで感じられない。

>「孤独なオタク少年(青年)だった自分」を描いた小説を書けば、
>それなりの作品になったでしょうに・・。

ああ、それは難しいのではないかと……。
『奇人怪人偏愛記』の中には、けっこう自分語りが多く含まれている
のですが (例: http://tondemonai2.web.fc2.com/483.html )、
すでにこの本などに書かれていることの、セルフ劣化コピーにしか
ならないのではないかと予想します。使い回し王の実績からだけで
なく、『血で描く』でも感じられるような、唐沢俊一の気力、体力、
精神力の衰えを考えると……。

あるいは、輝かしい過去が語られるフィクション自分史とか。ヤマト
のブームに貢献した主要人物の一人である僕が主人公。
http://tondemonai2.web.fc2.com/666.html

2008/9/30  17:47

投稿者:岡田K一

徳南晴一郎には「孤客」という、ものすごいテンションの高い「孤独な魂の叫び」系の読者を圧倒する「自伝」があるのですが・・。
唐沢は読んでいるのでしょうか・・。

あの本を読んでいれば、この人をモデルに、しゃらくさい「仕掛けの小説」なんて、書こうとは普通は思わないもんですが・・。

それこそ、徳南ばりに、「孤独なオタク少年(青年)だった自分」を描いた小説を書けば、それなりの作品になったでしょうに・・。

   
 
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