トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/9/27  14:12

世紀末はロンドンだったシュバリエ  『トンデモ一行知識の逆襲』間違い探し編

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.95
時代もフランス革命の時代。ひょっとして『ベルばら』の作者、池田理代子は、
彼女(彼?)の話をどこかで知って、そしてオスカルというキャラクターのヒント
を得たのかもしれない、そういう人物である。

 その名は、シュバリエ・ド・エオン。十八世紀末のフランス宮廷を舞台に、
実際のオスカル以上に数奇な運命をたどった人物である。

色仕掛けのオスカル」同様、シュヴァリエ・デオンのネタ。『ベルサイユのばら』が
『ベルばら』と略称表記になっているのはどうかと思うが、おいといて。

時代もフランス革命の時代」はまあよいとして、またフランス革命自体は「十八世紀末
ではある (1789 年~ 1799 年) のだが、「シュバリエ・ド・エオン」が「十八世紀末のフラ
ンス宮廷を舞台に
」というのは間違い。

唐沢俊一自身も書いているが、彼が活躍したのは主にルイ十五世 (在位 1715 年~
1774 年) の時代である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ15世_(フランス王)
>ルイ15世(Louis XV de France, 1710年2月15日 - 1774年5月10日、在位:1715年 -
>1774年)はブルボン朝第4代のフランス王。


『トンデモ一行知識の逆襲』 P.95
 しかし、恋人であった(?)ルイ十五世の死後、エオンの出番はなくなっていった。

シュヴァリエ・デオンが女装して宮廷に現れたのは 1778 年あたりが最後で、1779 年
にはルイ十六世の命令で「トンネールに退去」することになった。また、1785 年には
ロンドンに戻ってしまっている。

窪田般弥『女装の剣士シュヴァリエ・デオンの生涯』 P.180
>一七七九年 「トンネールに退去せよ」という国王命令(三月)
>一七八五年 「ラ・シュヴァリエール・デオン」ロンドンに戻る(十一月十七日)。
>一七九三年 ルイ十六世処刑(一月)。
>      デオン、帰仏の準備を取りやめ、ロンドンに留まる。


つまり、1789 年のバスチーユ襲撃のとき、シュヴァリエ・デオンはフランス宮廷にいな
かったのだ。『ベルサイユのばら』のオスカルの方は、ちゃんとベルサイユにいたのだが。



2008/9/30  1:37

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

こんにちは。(_ _)
うーん、シュバリエ単独で書くと、シュバリエを人名扱いしているか
のように見えてしまいますか……まあ、そうですねえ。

何かアニメにもなっていた (これはシュヴァリエ表記だけど) ので、
馴染みがあってわかりやすいかなと思ったのですが、失敗だったか
も。

「シュバリエ」だと、Google に「もしかして: シュヴァリエ」とか
いわれてしまうという問題もあるので、表記については再度考えて、
後で修正しようかと思います。「シュヴァリエ・デオン」か、澁澤の
真似して「騎士デオン」とか。

2008/9/29  18:19

投稿者:粗忽亭主人
http://sokotsutei.txt-nifty.com/

「シュバリエ」ってのは「騎士」という意味ですから、「シュバリエが」というふうに名前のようにあつかうのは不適当だと思いますが。

   
 
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