トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/9/27  3:40


『トンデモ一行知識の逆襲』 P.95
 ……しかし、歴史の上には、このオスカルとそっくりの人生を歩んだ人物
がいる、ということをご存知だろうか。オスカルとは逆に、男でありながら
女として、それもとびきりの美女として、世界史を塗り替えるほどの活躍を
した人物がいたことを。時代もフランス革命の時代。

オスカルとそっくりの人生」というと語弊があるような気がするし、唐沢俊一の文章
だけ読むと、そんなにオスカルに似ているように思えないのだが、これについては
後述。


『トンデモ一行知識の逆襲』 P.96
当時、フランスの国王はルイ十五世。〈略〉この王の命により、ロシア宮廷
のエカテリーナ女皇のもとへ派遣されたのが、このエオンだった。それも
女装をして。

×エカテリーナ女皇 ○エリザベータ女帝

同じページには、「エカテリーナ女王にも大変かわいがられ」「女王のプライベートな
おつきあいもした
」と表記不統一。通常は「エカテリーナ女帝」と表記されるようだが。

で、これは「エリザベータ女帝」の間違い。「エカテリーナ女帝」は、エリザベータの
死後、女帝となった。

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.99
 彼は果たして、本当に男性だったのだろうか。それとも、オスカルのような
男装の麗人だったのだろうか。フランスの人名辞典を引くと、彼のみは男性
の部と女性の部の両方に名前が載っているそうである。『ラルース大辞典』
は一応、彼を男性としているが、実のところはわからない。

×実のところはわからない ○死後の解剖で男性とわかった 

唐沢俊一自身、4 ページ前には「男でありながら」、そして 3 ページ前には「それも
女装をして
」と書いているくせに……とは思った。

シュヴァリエ・デオン (Chevalier D'Éon)、唐沢俊一のいう「シュバリエ・ド・エオン」は、
検死解剖の際に男性と判明している。生前は別として、現在でも彼を「男装の麗人
だったと主張している人は、ほとんど見あたらない。

http://www.tees.ne.jp/%7Esamk1120/izinkan.html
> 晩年の女友達であるメアリー・コール夫人とエリゼ神父に見守られつつ、1810年
>5月21日の夜、82歳のデオンは眠るように亡くなりました。
> 彼の死後、エリゼ神父立ち会いのもとに、検査解剖し、「事実」をつきとめました。
>そして紛れもない男性であることを断言しました。


澁澤龍彦『妖人奇人館』 P.35
> 結局、フェンシングの傷がもとで、彼は一八一〇年、ロンドンの裏町の酒屋で
>死んだ。享年八十三歳。遺体は解剖され、立ち会った医者の証明書によって、
>彼が正常な男子であることが明らかになった。しかし別の医者の意見によると、
>彼の肉体は異常に丸味をおび、胸はどう見ても男の胸ではなく、手足にも毛が
>生えていなかったそうである。


窪田般弥『女装の剣士シュヴァリエ・デオンの生涯』 P.171 ~ P.172
> 医者でもあるエリゼ神父はデオンの死亡確認をした。その際にはじめて、
>「マドモアゼル・デオン」が紛れもない男性であることを発見し、びっくり仰天した。
>十五年間、デオンを莫逆の「女友達」としてきたメアリ・コール夫人も同様だった。
> エリゼ神父立ち会いのもとに、外科医コープランド、キング、バートンのほか、
>デオンを知る何人もの人間が改めて検証した。誰もが「事実」を覆すことはでき
>なかった。彼らの確認書は、一八一〇年五月二十五日の『タイムズ』紙上に公表
>されたが、たとえば外科医コープランドは次のように言明した。

> アデール殿、ウィルソン殿、エリゼ神父の面前において、シュバリエ・デオンの
>屍体を検査解剖し、いかなる点においても完全に発達した男性生殖器官を見出し
>たことを、私は本書状によって断言する。

> また、騎士デジェールは、「性のいかなる混じらいもなく、自称マドモアゼル・
>デオンの屍体が、男を特徴づける一切のものを具えていることを証言する」と言い、
>国王補佐官のド・ベアーグ伯爵も、「彼女の一糸まとわぬ屍体を見せられ、男性
>生殖器官を形成する一切を確認した」と断言した。
> 死は有無を言わせずに、シュヴァリエ・デオンの性を公衆の面前にさらけ出した
>のである。


澁澤龍彦は、後半やや含みをもたせる書き方をしているが、それでも「正常な男子で
あることが明らかになった
」と明言している。

最初にちょっと書いたように、「オスカルとそっくり」と書いていた割には、唐沢俊一の
描く「シュバリエ・ド・エオン」は、あまりオスカルっぽくない。唐沢俊一の文章の要約は、
http://homepage3.nifty.com/adeno1/sci/hist2b.htm
にある通りで、「ロシア宮廷にも堂々と女装のまま出入り」だの、「エカテリーナ女王
にも大変かわいがられ、〈略〉寝室へも誘われ
」だの、「同性愛者だった、とする
記録もある。現にフランス王のルイ十五世とは肉体関係もあったらしく
」だの、女装と
色仕掛けに明け暮れていたような書き方なのだ。そんなオスカルは嫌だと思うが。

想像に過ぎないが、これでは何だかオスカルとは違うというのを唐沢俊一自身も
薄々気がついて、「フランスの人名辞典」 (『ラルース大辞典』とは違い書名はない)
を登場させ、検死解剖されている事実をふせ、「男装の麗人」かもしれないと結んだ
のではないだろうか。

そんなことをするより、現在では信憑性のないとされている色仕掛け説やルイ15世
の愛人説はほどほどにして、剣の名手だったことを強調するなどすればよかったのに
と思うのだが。実際、他の人の書いた文章を読むと、なるほどオスカルを連想する人
がいるのもわかると素直に納得できるし、読んでいてはるかに面白い。

http://www.fr-dr.com/paris/archives/2006/09/02152417.php
>「シュヴァリエ」の放映が始まってるわけですがwowow入ってないので残念ながら
>見られません。詳しくは公式サイトへ(制作は先日ミレーヌのエントリーで紹介した
>production I.G.)。
>代わりに、主人公のモデルとなった女装の騎士シュヴァリエ・デオンを紹介しとき
>ます。←アニメではオスカル様みたいですが、実際はこの人↓ルイ15世のスパイ
>として活躍し、半生を女装して暮らした人です。


http://www.tees.ne.jp/%7Esamk1120/izinkan.html
>1785年デオンは負債の返済のため、またイギリスへ渡しました。しかし「機密局」
>も無くなった今、デオンの収入はほとんどありませんでした。そこで彼は、得意の
>フェンシングを見世物としていろいろなサロンを回り、収入を得ていました。そして
>有名なロンドン最強の剣士サン・ジョルジュと決闘。デオンはルイ16世の命令通り
>ドレス姿で試合に臨みました。スカートに苦戦しながらも、見事相手を負かしたの
>です。


追記 : コメント欄の指摘をもとに、打ち間違いの「ラヌース」を「ラルース」に訂正。
「大辞典」「人名辞典」の「辞典」は、原文ママ。

追記 2 : ×エカテリーナ女皇 ○エリザベータ女帝 についてを追加。



2008/9/27  11:19

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

ご指摘ありがとうございます。「ラヌース」は、私の方の恥ずかしい
打ち間違いなので、訂正しました。(_ _); 本文の追記にも書いたように
「事典」ではなく「辞典」なのは原文ママのため、そのまま。

ラルースのどの事典なのかは、よくわかりませんでした。
「ラルース世界音楽人名事典」ではないでしょうし……。
「ラルース 図説 世界史人物百科 」あたりなんでしょうか。

2008/9/27  5:36

投稿者:藤岡真

 そもそも『ラヌース大辞典』というのは、『ラルース(Larousse)大百科事典』の誤りだと思います。

   
 
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