トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/9/2  23:59

昭和三十年代だって写真館以外でも撮影されていた無数の写真  その他の雑学本 間違い探し編

『血で描く』 P.101
 昭和三十年代は、まだ誰もがカメラを持っているという時代ではなかった。
人々は、何か記念するようなことがあると、写真館に行き、そこのスタジオで
写真を撮ってもらうのだった。
 この写真も、そんな、街の写真館で写したと思しき、女性の上半身のポート
レートだった。記念写真にしては、お化粧気のほとんどない、質素なワンピ-ス
姿の地味なものだったが、女性の顔の美しさが、全てを補ってあまりあった。
惜しむらくは、その笑顔に一抹の寂しげな陰があることだが。
〈略〉
 芦名はもう一度、そのモノクロの写真に目を凝らした。下の方に、ボールペン
の走り書きで、“沼波初枝入籍記念 昭和参十五年十月六日”とあった。

昭和三十年代は、まだ誰もがカメラを持っているという時代ではなかった」から写真館
で写真を――というのは首をひねる説明である。昭和三十年代後半生まれともなると、
アルバムには赤ん坊の頃からのスナップ写真が何枚何十枚とあるものだというのは、
自分以外にも複数の2ちゃんねらの証言があったし (Read More 参照)、既に多くの機種
のコンパクトカメラが発売済みでもあった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/オリンパス
>オリンパス35S(1955年) - レバー式フィルム巻き上げ、セルフコッキング、連動距離
>計搭載。当初はF3.5だったが後にF2.8モデル、F1.9モデルも追加された。
>オリンパスオート(1958年) - 絞り優先、シャッター速度優先AEが可能。さらにパララッ
>クス自動補正式ファインダー、連動距離計、大口径F1.8レンズ。


http://navi.kitamura.jp/year/index.jsp?period=1950
>1958(昭和33年)
>この年に発売されたカメラの台数です。〈略〉 コンパクトフィルムカメラ 11台


まあ子どもができたのを機会に何枚も写真を撮るようになった若い親と、妻が病気がちで
子どももいない男女とはいっしょにできないかもしれない。ただ、カメラの普及率と、ここぞ
というときにプロに撮影してもらうというのは微妙に別の話で、結婚の記念撮影となると
プロに頼むのが今でも多いとは思うけど……。

お化粧気のほとんどない」についても、モノクロ写真だと判別しにくいという気がして
ちょっと引っかかった。厚化粧をしているかいないかは、まあわかるとして。

それにしても、せっかく写真館で撮ってもらった入籍記念の写真――当然、ポラロイドとい
うことはありえない――の、裏側ではなく「下の方」に「ボールペンの走り書き」とは……。

「沼波初枝」と呼び捨てにしているのだから、書いたのは漫画家の沼波恭一であろう。
貧乏なら筆記具など商売道具のつけペンか筆で済ませてもよさそうなのに、昭和 35 年
(1960 年) 当時、まだ「みえるみえる」や「まっくのけのけ」の CM でブレークする前の、
そうは普及していなかったと思われるボールペンを使い、わざわざ写真の下側のごく狭い
余白に「走り書き」、である。

つつましく暮らす男女のせめてもの記念の写真に対する扱いとも思えない。裕福であっ
たとしても、写真館で撮影の結婚記念写真を、そんなふうに扱うのは心理的抵抗がある
と思うんだけど……人として。

いやいや、これは、昭和三十年代についての蘊蓄を披露するのが目的ではなく、沼波
恭一の奇人ぶりや非常識、狂気を表現しているのかもしれないと一応は考えてはみた
が、それにしては写真を見ている芦名は何のツッコミも入れていない。まあ芦名の方も、
やや非常識のきらいがある変人との設定のようだが。

http://www.emitefil.com/column/color/black_01_mitsubish.html
>三菱・純黒(まっくろけ)ボールペン 1969年
>みえる みえる
>ゼブラの透明軸ボールペン『クリスタル』が発売されたのは1967年。ボールペンと
>いうものを知ったのはこのCMだった。
>軽く書いてもまっくろけのけ~ これでも30円 まっくろけ♪
>三菱鉛筆の純黒(まっくろけ)ボールペンが発売されたのは1969年。黄色い軸に青
>インクのBICを知ったのは、その後だった。
>日本でボールペンが普及したのは1960年代で、小学生だった私は普及の過程を
>知らない。気が付いた時には透明軸の黒、青、赤、緑の事務用ボールペンが、文具店
>のショーケースの上に並んで立っていた。


その他参考 URL:
- http://navi.kitamura.jp/year/year.do?cmd=year&targetYear=1961
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ボールペン




http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1220072705/31-

31 :無名草子さん:2008/08/30(土) 15:50:34
昭和37年生まれですが、
産まれた時から山のように写真がありますよ。
っていうか昭和10年生まれの私の親でさえ
若い頃のスナップ写真が何枚も残ってる。
あと、私の世代なら映像が残ってる家も多いと思う。
8ミリカメラの時代です。

もしや北海道にはカメラが伝来してなかったの?

33 :無名草子さん:2008/08/30(土) 15:59:55
>>31 はこれのレス?

988 :無名草子さん:2008/08/30(土) 08:14:41
埋めがてら。

『血で描く』 P.101
-------
 昭和三十年代は、まだ誰もがカメラを持っているという時代ではなかった。
人々は、何か記念するようなことがあると、写真館に行き、そこのスタジオで
写真を撮ってもらうのだった。
-------
「まだ誰もがカメラを持っているという時代ではなかった」は間違いではないの
だろうが……何か違和感があるんだよなあ。昭和三十年代後半生まれの者で、
自分が赤ん坊の頃のスナップ写真がアルバムには何枚もあるって、
ごく普通のことだと思うんだが……ビデオに撮ってありましたかいうなら、
かなり珍しいけど。

昭和三十五年の時点では、インスタントカメラ、コンパクトカメラに分類される
製品が、既にいくつも発売されていたようだし。
http://navi.kitamura.jp/year/index.jsp?period=1950
http://navi.kitamura.jp/year/year.do?cmd=year&targetYear=1961

「何か記念するようなことがあると、写真館に行き、そこのスタジオで写真を
撮ってもらうのだった」といっても、この本で出てくる初枝の写真のように、
結婚記念の撮影なら、昭和三十年代に限らず今でも全然珍しいことじゃないし。

いやまあ、昭和三十年代はまだ、何かあったときに写真館で撮ってもらう以外の
写真は、今程ありふれたものではなかったのはそうなんだろうけどね。
素人にも簡単に、失敗なく撮れるカメラをメーカーが試行錯誤していた時代?

34 :無名草子さん:2008/08/30(土) 16:02:28
>>31
同じく、昭和37年生まれ
自分も赤ちゃんの頃からの写真は山ほどある。
兄が昭和34年生まれですが、自分ほどではないけど
それなりに写真は多く残っています。
カラー写真となると幼稚園ぐらいからですが(色が赤茶けて粒子が粗い)

扇千景が宣伝していた8mmフィルム「フジカシングル8」が昭和40年ですので
http://jp.youtube.com/watch?v=3Saqw0a5Og8
さすがに映像は残っていませんが、写真は普通にありますよ。
なんか唐沢さんの幼少期の話を読む限りでは
北海道は時間がちょっと違う風に流れている感じです。

もしかしたら昭和30年代と書いているのは、昭和30年頃という感じなのかな?
以前1980年代と書いて、明らかに1980年前後だけを特定したような文章を
書いていたので。

37 :無名草子さん:2008/08/30(土) 16:13:06
>>34
>もしかしたら昭和30年代と書いているのは、昭和30年頃という感じなのかな?

『血で描く』でその写真が撮られたのは、昭和35年という設定なんだけど
唐沢俊一のやることだから、昭和30年代=昭和30年頃になってしまうというのも
ありかも。

40 :無名草子さん:2008/08/30(土) 16:20:26
>>34
>以前1980年代と書いて、明らかに1980年前後だけを特定したような文章を
>書いていたので。

これかな。主に1977~1979年のことを語っちゃいましたーって、やつ。
http://tondemonai2.web.fc2.com/320.html

171 :無名草子さん:2008/08/31(日) 01:20:29
>>31 >>34
しかし、>>33 の

> 昭和三十年代は、まだ誰もがカメラを持っているという時代ではなかった。
>人々は、何か記念するようなことがあると、写真館に行き、そこのスタジオで
>写真を撮ってもらうのだった。

という記述を見るに、もしかして唐沢俊一はもちろん、弟の赤ん坊の頃の
スナップ写真すらほとんどなかったのではという恐ろしい疑問が。
あったのに、こういうことを小説に書くほど、頭が足りなくないという
前提だけど。

234 :無名草子さん:2008/09/01(月) 02:11:13
>>33 の続きなんだけど……

『血で描く』 P.101
-------
 この写真も、そんな、街の写真館で写したと思しき、女性の上半身のポート
レートだった。記念写真にしては、お化粧気のほとんどない、質素なワンピ-ス
姿の地味なものだったが、女性の顔の美しさが、全てを補ってあまりあった。
惜しむらくは、その笑顔に一抹の寂しげな陰があることだが。
〈略〉
 芦名はもう一度、そのモノクロの写真に目を凝らした。下の方に、ボールペン
の走り書きで、“沼波初枝入籍記念 昭和参十五年十月六日”とあった。
-------
モノクロ写真だと「お化粧気のほとんどない」かどうかは、わかりにくいと
思うんだけどなあ。厚化粧をしている・いないはまあ判別できるけど。

で、昭和三十五年時点でのボールペンの普及率とか値段とかはどうなんだろう
とも思ったり。1970年代以降は主流になったとのことだけど、その前は?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%9a%e3%83%b3

貧乏な漫画家なら、商売道具のつけペンで書き込みすればよさそうなものなのに……
とかも思ったけど、一番引っかかったのは、写真館で撮った写真の「下の方に」
書き込みなんかするか?ってこと。写真を裏返した描写はないし、文脈からいっても、
写っている女性の顔を見て、そのまま視線を下に移動させて書き込みを見てるらしくて。

236 :無名草子さん:2008/09/01(月) 04:38:00
>>234>>235
全文読まずにいうのもなんだが、唐沢氏ってあまり文章上手くないのか?
なんかあちこちで引っかかる感じ
書き飛ばしたままで推敲してないようなノ

勘違い系女王様の時代錯誤で滑稽なさまを描く意図なら
女流漫画家の描写はおkだと思う
まぁこの人に限らず、年配の男性作家には現代女性服の描写を
あまり期待しないほうがいいかもノ

282 :無名草子さん:2008/09/01(月) 15:21:10
>>234
>昭和三十五年時点でのボールペンの普及率
まっくろけのけ♪が1969年、ミエルミエルが1967年。
ttp://www.emitefil.com/column/color/black_01_mitsubish.html



2008/9/4  1:36

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

あ、2眼レフのカメラですか。家も同じでした。他の子の親御さんは
皆レンズが一つのカメラでしたけど……多分一眼レフからコンパクト
までいろいろだったと思うのですよ。カメラって大きさも種類も様々
なものなのだなあと思った記憶があるので (←情けないことにこれし
か覚えていない)。

それと、ものごころついた頃にはもう、日本人といえばメガネかけて
カメラを首にぶらさげているという紋切り型のイメージができていた
ような気もして、それも気になっているところです。まあ観光で海外
に旅行 (当時はお金持ち限定?) するなら、カメラはもっていくよなと
も思いますが。

未読だけど、面白そうな↓
http://www.amazon.co.jp/dp/434101885X
『日本人はなぜ黒ブチ丸メガネなのか』

2008/9/3  7:12

投稿者:藤岡真

昭和32年から38年までリアルタイムで小学生だったわたしの経験。我が家には2眼レフのカメラがあり、隣に住む伯父は蛇腹付きのカメラを持っていた。遠足で子供たちの何人かは、必ずフジペットという初心者向きカメラを持ってきていた。
http://www.flatearth.jp/old/Fujipet.htm
さらに安価なスタートカメラ、コニカ製のコニレットというカメラもあった。因みにわたしはコニレットを持っていた。既に露出計が内蔵されていた。
街の写場で撮るのはあくまでも記念写真だから、運動会、遠足、文化祭用にカメラを持っている親は多かった。
これらは総て子供の目から見た話で、写真が趣味でカメラを持っていた大人も沢山いたと思う。昭和24年には「アサヒカメラ」も復刊(昭和元年創刊だが、昭和17年、戦争の為休刊していた)されているし。

   
 
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