2008/8/27 3:10
カラーの表紙に青鉛筆で網かけ処理指定はないでしょう その他の雑学本 間違い探し編
『血で描く』 P.6
まあ、小説『血で描く』も、雑学本の一種ということで。
「普通、青鉛筆描きで網かけ処理や、著者名を入れる位置などが書き込まれている
もの」と書いてあるが、この西島という編集者が見ているのは、その時点ではカラーの
表紙のみである (その後で「原稿を一枚々々、繰りながら読み進んで」いっている)。
昔の漫画入門本には、確かに青鉛筆で薄く網かけ指定を書くとか書かれていたが、
それは白黒の印刷に青が出にくいからという話だったはずで、カラーの表紙に青鉛筆
で網かけの指定が入っていたら、そちらの方が奇妙であると思う。
漫画『血で描く』の表紙がカラーであることは、同書の P.10 ~ P.11 に、「血で描く」
という手書きのタイトルと、右下に「沼波恭一」という作者名の入ったカラーの挿絵で
示されている。また、本を落札した大学生がこの漫画を読む場面でも、表紙はカラー
であると書かれている。
『血で描く』 P.37
この記述は、前述の、P.10 ~ P.11 の挿絵となっている漫画の表紙と一致する。
そもそも、「青鉛筆描きで網かけ処理」指定がない漫画というのは、昭和三十六年の
時点 (作中で漫画『血で描く』が描かれた年とされる) では、珍しくも何ともなかったの
ではないか。
作中漫画のモデルと考えられる徳南晴一郎『怪談人間時計』だけでなく、貸本時代の
水木しげるの作品『亡者の笛』 (1960 年) や『おんぼろ小僧一番槍』 (1961 年)――
どちらも『京極夏彦が選ぶ! 水木しげる未集録短編集』に集録――にも、網かけ処理を
されているらしき箇所は見あたらなかった。貸本ではないが、1963 年に連載開始の桑田
二郎『8マン』も、最初の方には網かけ指定したらしい部分がなかった。
なお、2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) には、貸本時代にトレーシングペーパーは
存在していたのかという書き込みもあったが、昭和三十六年 (1961 年) よりも前、1957
年の時点で、少なくとも製図用には使用されていた。
http://www.khkgears.co.jp/about_khk/history/history_7/history_photos7.html
>最初のカタログ「KHK GEARS」は、1957(昭和32年)年以前に製作された
>もので、トレーシングペーパーに書かれたものでした。
トレーシングペーパーを使用しての指定についても、青鉛筆での網かけ指定同様、
昔のマンガ入門書で見た記憶があるし、カラー原稿以外でも、ベタで多くが塗りつぶ
されているような黒っぽい原稿などの場合、青鉛筆で種々の指定を書き込むのは
無理があり、そのようなときはトレーシングペーパーを使うとかいう話だったはず。
(記憶が間違っている可能性もあるので、そのときは指摘よろしくです)。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1219585277/227-
227 :無名草子さん:2008/08/26(火) 01:45:11
>>225
パクリの方はわからないけど、全体的に内容はウスいとはいえ、
ガセの方はいくつか捜せそう。ガセというより意味不明な箇所が多かったような。
今、気になっているのは、P.6 の
>奇妙なことに、こういった原稿には普通、青鉛筆描きで網かけ処理や、
>著者名を入れる位置などが書き込まれているものだが、そういった指示は
>いっさいない。
P.10 の見開きになっているのが、漫画『血で描く』の表紙という設定ならば、
著者名を入れる場所の指示があるとしたら、トレペを使うんじゃないのかなあ、
カラーなんだし。
青鉛筆で網かけ指示がないというのも、そんな奇妙なものかは……。
本家の徳南晴一郎、比較的最近なら青木雄二とか、網かけやトーンは
あまり使わない漫画家もいるのだし。
247 :無名草子さん:2008/08/26(火) 12:05:03
>>227
当時、スクリーントーンは普及していなかったが、
貸本業界では網かけ処理は多用されていたと思う。
253 :無名草子さん:2008/08/26(火) 12:46:28
>>247
網かけ指定がないと、奇妙なことと
いえるほどではないでしょ。
徳南しかり、貸本時代の水木しかり。
まあ唐沢の場合、小さい頃に読んだマンガ入門本に
載っていたことを入れたかったんだろうけど
その入れ方がヘッタクソなのが哀しいねw
255 :無名草子さん:2008/08/26(火) 12:57:06
>>247 >>227
「指示があるとしたら、トレペを使うんじゃないのかなあ」
というツコッミも、時代考証的にはどうなんでしょう?
貸本屋の時代?にトレーシングペーパーって普及してたのかなあ、
とふと疑問に思いました。
524 :無名草子さん:2008/08/27(水) 02:06:01
>>255
貸本漫画家が使用したかどうかはおいといて、
昭和三十年代にトレーシングペーパーはあったでしょ。
http://www.khkgears.co.jp/about_khk/history/history_7/history_photos7.html
>最初のカタログ「KHK GEARS」は、1957(昭和32年)年以前に製作された
>もので、トレーシングペーパーに書かれたものでした。
表紙には、幻想的な、どこの風景とも知れない画だけが描かれており、
大きく、タイトルが重ね描きされていた。
『血で描く』
奇妙なことに、こういった原稿には普通、青鉛筆描きで網かけ処理や、
著者名を入れる位置などが書き込まれているものだが、そういった指示は
一切ない。
「……」
立ったまま、いや、正確には立ち尽くしたままと言った方がいいだろう、
西島は原稿を一枚々々、繰りながら読み進んでいった。
まあ、小説『血で描く』も、雑学本の一種ということで。
「普通、青鉛筆描きで網かけ処理や、著者名を入れる位置などが書き込まれている
もの」と書いてあるが、この西島という編集者が見ているのは、その時点ではカラーの
表紙のみである (その後で「原稿を一枚々々、繰りながら読み進んで」いっている)。
昔の漫画入門本には、確かに青鉛筆で薄く網かけ指定を書くとか書かれていたが、
それは白黒の印刷に青が出にくいからという話だったはずで、カラーの表紙に青鉛筆
で網かけの指定が入っていたら、そちらの方が奇妙であると思う。
漫画『血で描く』の表紙がカラーであることは、同書の P.10 ~ P.11 に、「血で描く」
という手書きのタイトルと、右下に「沼波恭一」という作者名の入ったカラーの挿絵で
示されている。また、本を落札した大学生がこの漫画を読む場面でも、表紙はカラー
であると書かれている。
『血で描く』 P.37
ゆっくりと、表紙をめくる。質の悪いカラー印刷の、見開きの表紙があった。
“沼波恭一”という名前が、右端に印刷されている。
この記述は、前述の、P.10 ~ P.11 の挿絵となっている漫画の表紙と一致する。
そもそも、「青鉛筆描きで網かけ処理」指定がない漫画というのは、昭和三十六年の
時点 (作中で漫画『血で描く』が描かれた年とされる) では、珍しくも何ともなかったの
ではないか。
作中漫画のモデルと考えられる徳南晴一郎『怪談人間時計』だけでなく、貸本時代の
水木しげるの作品『亡者の笛』 (1960 年) や『おんぼろ小僧一番槍』 (1961 年)――
どちらも『京極夏彦が選ぶ! 水木しげる未集録短編集』に集録――にも、網かけ処理を
されているらしき箇所は見あたらなかった。貸本ではないが、1963 年に連載開始の桑田
二郎『8マン』も、最初の方には網かけ指定したらしい部分がなかった。
なお、2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) には、貸本時代にトレーシングペーパーは
存在していたのかという書き込みもあったが、昭和三十六年 (1961 年) よりも前、1957
年の時点で、少なくとも製図用には使用されていた。
http://www.khkgears.co.jp/about_khk/history/history_7/history_photos7.html
>最初のカタログ「KHK GEARS」は、1957(昭和32年)年以前に製作された
>もので、トレーシングペーパーに書かれたものでした。
トレーシングペーパーを使用しての指定についても、青鉛筆での網かけ指定同様、
昔のマンガ入門書で見た記憶があるし、カラー原稿以外でも、ベタで多くが塗りつぶ
されているような黒っぽい原稿などの場合、青鉛筆で種々の指定を書き込むのは
無理があり、そのようなときはトレーシングペーパーを使うとかいう話だったはず。
(記憶が間違っている可能性もあるので、そのときは指摘よろしくです)。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1219585277/227-
227 :無名草子さん:2008/08/26(火) 01:45:11
>>225
パクリの方はわからないけど、全体的に内容はウスいとはいえ、
ガセの方はいくつか捜せそう。ガセというより意味不明な箇所が多かったような。
今、気になっているのは、P.6 の
>奇妙なことに、こういった原稿には普通、青鉛筆描きで網かけ処理や、
>著者名を入れる位置などが書き込まれているものだが、そういった指示は
>いっさいない。
P.10 の見開きになっているのが、漫画『血で描く』の表紙という設定ならば、
著者名を入れる場所の指示があるとしたら、トレペを使うんじゃないのかなあ、
カラーなんだし。
青鉛筆で網かけ指示がないというのも、そんな奇妙なものかは……。
本家の徳南晴一郎、比較的最近なら青木雄二とか、網かけやトーンは
あまり使わない漫画家もいるのだし。
247 :無名草子さん:2008/08/26(火) 12:05:03
>>227
当時、スクリーントーンは普及していなかったが、
貸本業界では網かけ処理は多用されていたと思う。
253 :無名草子さん:2008/08/26(火) 12:46:28
>>247
網かけ指定がないと、奇妙なことと
いえるほどではないでしょ。
徳南しかり、貸本時代の水木しかり。
まあ唐沢の場合、小さい頃に読んだマンガ入門本に
載っていたことを入れたかったんだろうけど
その入れ方がヘッタクソなのが哀しいねw
255 :無名草子さん:2008/08/26(火) 12:57:06
>>247 >>227
「指示があるとしたら、トレペを使うんじゃないのかなあ」
というツコッミも、時代考証的にはどうなんでしょう?
貸本屋の時代?にトレーシングペーパーって普及してたのかなあ、
とふと疑問に思いました。
524 :無名草子さん:2008/08/27(水) 02:06:01
>>255
貸本漫画家が使用したかどうかはおいといて、
昭和三十年代にトレーシングペーパーはあったでしょ。
http://www.khkgears.co.jp/about_khk/history/history_7/history_photos7.html
>最初のカタログ「KHK GEARS」は、1957(昭和32年)年以前に製作された
>もので、トレーシングペーパーに書かれたものでした。
2008/9/4 2:04
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
http://tondemonai2.web.fc2.com/
2008/9/3 9:38
投稿者:WOO
ああ・・・やはり特色インクのことは御存じでした
か。
失礼しました。
私はアルプス電気のプリンターを現在も使っていま
す。金・銀は一度も使ったことはありませんが。
特色といえば、20年以上前ですが、竹宮恵子が雑誌の
表紙用イラストで蛍光ピンクの特色指定をしたのに、
編集側の伝達ミスで普通のインクで印刷されてしまっ
たことがありました。
か。
失礼しました。
私はアルプス電気のプリンターを現在も使っていま
す。金・銀は一度も使ったことはありませんが。
特色といえば、20年以上前ですが、竹宮恵子が雑誌の
表紙用イラストで蛍光ピンクの特色指定をしたのに、
編集側の伝達ミスで普通のインクで印刷されてしまっ
たことがありました。
2008/9/3 0:36
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
http://tondemonai2.web.fc2.com/
ああ、私は、「黄青赤緑の濃淡」については、特色インクで印刷して
いたのだなと、勝手に脳内補完していました。
以前にいた会社では、ロゴの色のコーポレートカラーは忠実に再現す
べしというので、特色を指定して印刷に出していました。プリンタだ
とアルプス電気が10年前に出したものが、確か金とか銀とかの特色
インクが使えて、感動的だったのを覚えています (いや私自身は所有
していなかったのですけど)。
漫画の方でも、CMYK の他に特色インクを使うことがけっこうあるの
ではないでしょうか。金とか銀とか。
で、「黄青赤緑の濃淡」のうち、黄色と青は通常のイエローやシアン
とあまり変わらないかもしれないけど、赤と緑は特色で、まあ特色
インクだって混ぜるのは可能だけど、仕上がりの予想がつきにくい
ので、インクそのままで濃淡のみ指定していた部分が多いかなと想像
していた次第です。
いたのだなと、勝手に脳内補完していました。
以前にいた会社では、ロゴの色のコーポレートカラーは忠実に再現す
べしというので、特色を指定して印刷に出していました。プリンタだ
とアルプス電気が10年前に出したものが、確か金とか銀とかの特色
インクが使えて、感動的だったのを覚えています (いや私自身は所有
していなかったのですけど)。
漫画の方でも、CMYK の他に特色インクを使うことがけっこうあるの
ではないでしょうか。金とか銀とか。
で、「黄青赤緑の濃淡」のうち、黄色と青は通常のイエローやシアン
とあまり変わらないかもしれないけど、赤と緑は特色で、まあ特色
インクだって混ぜるのは可能だけど、仕上がりの予想がつきにくい
ので、インクそのままで濃淡のみ指定していた部分が多いかなと想像
していた次第です。
2008/9/2 9:39
投稿者:WOO
「黄青赤緑の濃淡」というのが、よくわからないんで
すね。
実は、現代のフルカラー印刷物もCMYKで刷られていま
す。理論的には3原色の組み合わせで、どんな色でも作
れる筈なのですが、実際にCMYの組み合わせで黒を作る
と締まらない黒しかできないので、これにKを加えるわ
けです。
http://www.pamphlet.jpn.org/knowledge/071130.html
『ぼくのそんごくう』の「黄青赤緑の濃淡」というの
は、逆に色の組み合わせが限定されていたのかも
(???)。
「ぼくのそんごくう カラー」でググると、「漫棚通
信」でも、この本を取り上げているようですが。
すね。
実は、現代のフルカラー印刷物もCMYKで刷られていま
す。理論的には3原色の組み合わせで、どんな色でも作
れる筈なのですが、実際にCMYの組み合わせで黒を作る
と締まらない黒しかできないので、これにKを加えるわ
けです。
http://www.pamphlet.jpn.org/knowledge/071130.html
『ぼくのそんごくう』の「黄青赤緑の濃淡」というの
は、逆に色の組み合わせが限定されていたのかも
(???)。
「ぼくのそんごくう カラー」でググると、「漫棚通
信」でも、この本を取り上げているようですが。
2008/9/2 1:58
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
http://tondemonai2.web.fc2.com/
早速、ありがとうございます。(_ _)
>『ぼくのそんごくう オールカラー版』
http://www.amazon.co.jp/review/product/4862351972/
ですか。さすがというか、レビューだけですごい文章量、情報量です
ねー。
「黄青赤緑の濃淡」ということは CMYK ともまた違って、黒を入れて
5 色ということですか。で、
>7年間以上600頁に近いページの殆どがこの4色で、一冊にまとま
>ると荘厳です。
とのことだから、それぞれのインクはあまり混ぜていないと。表紙の
画像から判断すると、青はちょっとシアンっぽい青なのかしら。
ところで、『血で描く』に話を戻すと、どんな方法をとるとしても、
カラーのページに使う原稿と白黒のページの原稿とでは、カラーの方
は先に渡しておかないといけなかったんじゃないかという気もしてき
ました。それと、貸本漫画のカラー原稿って色校正なんてなかったの
かなとか。その手のプロセスをすっ飛ばして漫画の中に失踪というの
は、作品への拘りとして、どうかと思います。
直接関係ないけど、何となく↓
http://d.hatena.ne.jp/syusei-sakagami/20080806/1218040493
ゼロックス (という言い方もレトロ?) はもちろん、青焼きコピーも
そんな普及していなかった時代から考えると隔世の感があったり。
>『ぼくのそんごくう オールカラー版』
http://www.amazon.co.jp/review/product/4862351972/
ですか。さすがというか、レビューだけですごい文章量、情報量です
ねー。
「黄青赤緑の濃淡」ということは CMYK ともまた違って、黒を入れて
5 色ということですか。で、
>7年間以上600頁に近いページの殆どがこの4色で、一冊にまとま
>ると荘厳です。
とのことだから、それぞれのインクはあまり混ぜていないと。表紙の
画像から判断すると、青はちょっとシアンっぽい青なのかしら。
ところで、『血で描く』に話を戻すと、どんな方法をとるとしても、
カラーのページに使う原稿と白黒のページの原稿とでは、カラーの方
は先に渡しておかないといけなかったんじゃないかという気もしてき
ました。それと、貸本漫画のカラー原稿って色校正なんてなかったの
かなとか。その手のプロセスをすっ飛ばして漫画の中に失踪というの
は、作品への拘りとして、どうかと思います。
直接関係ないけど、何となく↓
http://d.hatena.ne.jp/syusei-sakagami/20080806/1218040493
ゼロックス (という言い方もレトロ?) はもちろん、青焼きコピーも
そんな普及していなかった時代から考えると隔世の感があったり。
2008/9/1 14:52
投稿者:WOO
御丁寧な御返事、有り難うございます。
貸本の話ではないのですが参考までに、手塚治虫の
『ぼくのそんごくう オールカラー版』(ジェネオン
エンタテインメント)についてのamazonのレビュー
(By サブちゃんカルちゃん)から少し引用してみま
す。
>当時のカラー作品は4色。(黄青赤緑の濃淡)
白黒の原稿を一度印刷し(コピー機がないので)色鉛筆
で色指定を行ったそうです。
因に、手塚治虫の原画については、『手塚治虫 原画の
秘密』(新潮社・とんぼの本)という本で、一部が紹
介されているようです。
貸本の話ではないのですが参考までに、手塚治虫の
『ぼくのそんごくう オールカラー版』(ジェネオン
エンタテインメント)についてのamazonのレビュー
(By サブちゃんカルちゃん)から少し引用してみま
す。
>当時のカラー作品は4色。(黄青赤緑の濃淡)
白黒の原稿を一度印刷し(コピー機がないので)色鉛筆
で色指定を行ったそうです。
因に、手塚治虫の原画については、『手塚治虫 原画の
秘密』(新潮社・とんぼの本)という本で、一部が紹
介されているようです。
2008/8/29 1:52
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
http://tondemonai2.web.fc2.com/
こんにちは (_ _)
実は色指定の可能性も、本文で言及した水木しげるの貸本劇画のズレ
を見た際に、ちょっと頭をよぎった (←後出しじゃんけんぽ) のです
が、でも、それ、絶対に網かけ指定じゃないから、色指定だから、と
いうことでスルーしちゃいました。^_^;
カラーのはずなのに青鉛筆で色指定がないのが「奇妙なこと」とだと
するにも、作中の沼波の漫画が、「先生、巻頭カラーお願いします」
などと依頼されたものなのかという疑問もわくし、P.10 ~ P.11 の
カラー表紙は、では指定も何もないのに誰かが勝手に色を塗ったの
か、線で囲まれた中を同色で塗りつぶしている塗り絵のような絵なら
ともかく、たくさん描かれている目玉の回りの水玉模様とか、大きく
描かれている黄色い手に飛び散っている血とか、手自体の陰影などと
か、青鉛筆一本で指定できるものか、本当にわけがわからなくなるの
で……。@_@
# 以上、絵の説明がうまくできなくて、何か申し訳ありません……。
でも、ガセがどうとかという話をおいとくならば、貸本時代の漫画の
色指定というのは興味深い話なんですよねー。2ちゃんねるのスレに
書き込まれていた、最初にスクリーントーンを使った人は?とかいう
お話もそうですが、うまく情報を集められたら、派生トリビアででも
やってみたいかなと思っています。何かわかりましたら、いつでも
書き込んでいただければうれしいです。
実は色指定の可能性も、本文で言及した水木しげるの貸本劇画のズレ
を見た際に、ちょっと頭をよぎった (←後出しじゃんけんぽ) のです
が、でも、それ、絶対に網かけ指定じゃないから、色指定だから、と
いうことでスルーしちゃいました。^_^;
カラーのはずなのに青鉛筆で色指定がないのが「奇妙なこと」とだと
するにも、作中の沼波の漫画が、「先生、巻頭カラーお願いします」
などと依頼されたものなのかという疑問もわくし、P.10 ~ P.11 の
カラー表紙は、では指定も何もないのに誰かが勝手に色を塗ったの
か、線で囲まれた中を同色で塗りつぶしている塗り絵のような絵なら
ともかく、たくさん描かれている目玉の回りの水玉模様とか、大きく
描かれている黄色い手に飛び散っている血とか、手自体の陰影などと
か、青鉛筆一本で指定できるものか、本当にわけがわからなくなるの
で……。@_@
# 以上、絵の説明がうまくできなくて、何か申し訳ありません……。
でも、ガセがどうとかという話をおいとくならば、貸本時代の漫画の
色指定というのは興味深い話なんですよねー。2ちゃんねるのスレに
書き込まれていた、最初にスクリーントーンを使った人は?とかいう
お話もそうですが、うまく情報を集められたら、派生トリビアででも
やってみたいかなと思っています。何かわかりましたら、いつでも
書き込んでいただければうれしいです。
2008/8/28 9:43
投稿者:WOO
当時、貸本のカラーページの印刷は通常、彩色原稿で
はなく色指定を採用していたと思います。
DTP普及前の印刷物は、版下にトレペをかけ、そこに
CMYK(シアン・マゼンダ・イエロー・ブラック)各色
のパーセンテージを書き込み、色を指示していまし
た。
その指定を元に、製版で各色の版を作るのです。
当時の貸本を見ると、カラーページで激しく版ズレを
起こしているものがあります。
ただ、当時色指定を直接青鉛筆で原稿に書き込んでい
たかどうかは、今回確認できませんでした。そのへん
を考えると、戦前などはどうしていたかという問題も
出てきますが。
はなく色指定を採用していたと思います。
DTP普及前の印刷物は、版下にトレペをかけ、そこに
CMYK(シアン・マゼンダ・イエロー・ブラック)各色
のパーセンテージを書き込み、色を指示していまし
た。
その指定を元に、製版で各色の版を作るのです。
当時の貸本を見ると、カラーページで激しく版ズレを
起こしているものがあります。
ただ、当時色指定を直接青鉛筆で原稿に書き込んでい
たかどうかは、今回確認できませんでした。そのへん
を考えると、戦前などはどうしていたかという問題も
出てきますが。
が。何だかアルプス電気の人とミーティングまでセッティングされた
ですよ。元同僚いわく、個人ユースを作るのに慣れていないので、え
らく耐久性のあるのができてしまったとか。
竹宮恵子の件はうまくググれなかったのですが、こんなのが……
http://www.mandarake.co.jp/information/weblog/spr/vin/
nicky.cgi?page=18
>2008年04月10日(木)17:06 なかよし 1969年12月号
>表紙が田村セツ子さんです…!!(すいません、だいすきなんです…)
>そして蛍光ピンク系で統一された表紙ほんとうにすてきです。
>雑誌の内容としては…青池保子「コニーとボク」大和和紀「マイ・ピ
>ンキー」望月あきら「歌よ!いつまでも<最終回>」水野英子「シャ
>ルマン・ジュジュ<最終回>」野口太陽「ジャン子旋風<最終回>」
>巴里夫「ドレミファ学園<最終回>」古谷三敏「プリンセス・プリン
>ちゃん<最終回>」牧野和子「ある日とつぜん」楠田有為子「天使の
>スキャット」ししふたみ「ミヨちゃん」松井由美子「恋の花うらな
い」
1969年の時点で既に――というか、あれ古谷三敏がいるというか、
巴里夫って今どうしているだろうというか。