トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/8/15  21:21

一の谷の勾配を倍近くに水増し  『トンデモ一行知識の逆襲』間違い探し編

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.42 欄外
・義経が駆け降りた「一の谷」の傾斜角度は60度。

上段の崖が 28 度、もっとも勾配の急な蟻ノ戸という岩場が 35 度くらい。

まあ確かに、絵や写真によっては、「傾斜角度は60度」といいたくなるのもわかるものも
あるけれど……しかし、本当に 60 度だったら、馬で降りるのは物理的に不可能だろう。
30 度でも、なかなか難しいとのこと。

しかし、義経らによる鵯越の逆落しは、実現不可能な嘘や伝説の類いとは解釈されては
いない。

http://www2.ocn.ne.jp/%7Eumeno87/
> さて平家は、先に記した「難波一の谷に布陣した平家の陣容」の通りの城を築き
>万全の構えを見せたが、この情報を都で得た義経は、城内に忍び込める唯一の鹿道
>を教えられ、その鹿道を利用する戦略を編み出した。ただその戦略を遂行するのには
>大きな問題があった。それは鹿道と平家が布陣する馬の背とは僅か2~300mの距離
>であり、鹿道となる崖は落差45m、勾配の急なところは35度である。


http://d.hatena.ne.jp/hyogorekiken/20050805/p1
>義経の実像 一の谷合戦における鵯越の逆落し
〈略〉
> 先ず上段の小石交じりの砂の崖は勾配28度ほどであり、足場がないため人馬共に
>滑り降りなければならない。
〈略〉
> 上段の崖から壇の上に降り立った佐原十郎義連が、崖の上から見下ろした蟻ノ戸と
>呼ばれる岩場は、苔生した勾配34~35度の急坂、底まで45mほどもある。


http://209.85.175.104/search?q=cache:5-aDL3WL5oQJ:www.geocities.jp/myenglishwords/179.doc+22&hl=ja&ct=clnk
> ところが『延慶本』では、「底をみたれば、猶五丈計(約15メートル)ぞ有ける、御方
>へ向て申けるは、是より下へはいかに思とも叶まじ、思止給へと申す」とあり、他の
>表現よりかなり数値が少ない。
>その理由は、私どもの計測したところによると、特に危険な15メートル程が蟻の戸と
>呼ばれる岩場で、勾配が34度前後もあり、常識的には馬は下りられないと判断しても
>間違いはない勾配である。
>ところが、日本の在来種で、とくに木曾馬・北海道和種・馬の中型馬などは、古来より
>山地傾斜の生活を強いられたことにより、意外に斜面は平気だったものと考えられて
>いる。今日残っている御崎馬は、傾斜角度30度以上の斜面にも放牧されているし、
>馬(対馬の馬)は、体高125センチメートルほどの小型馬であるが、にくらべてが低く、
>30度を超える山坂を楽々上り下りする。
> (『合戦絵巻』末崎真澄氏の文を引用)





   
 
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