2008/7/19 16:51
そもそも美幼女じゃなくて美少女もロリコンの対象? その他の雑学本 間違い探し編
『キッチュワールド案内』 P.30
以下、昭和末期にロリコンブームが起こった理由を、「ロリコンという文化形態を受け入れ
る下地となる一定数の集団が存在していたから」だとして、その集団とは「アニメマニアの
団体」だと書いている。で、「そのアニメ愛好者の団体の、そのまた原型になったのがSFの
ファングループ」であると。
むしろ、これをもって「ロリコンは文化なのだから」とされる方が困ると思うが、おいといて。
また、「半裸のグラマーのねえちゃん」が好きなのは、アメリカのSFファンに限定される
ものではないという気がしてたまらない [1][2] が、これもおいといて。
「唐沢俊一 まとめ wiki 間違い3」に収録の文章 (Read More の後半にサルベージ) にも
書いてあったように、いくら若いといっても「ホステス」だった「ボッコちゃん」を「ロリコン」
の原点ということにされても……。
唐沢俊一の言い分は、以下のようなものである。
……唐沢俊一が引用している原作の文章では、ボッコちゃんは「美人」と書いてあって、
「美少女」ではないようだが。1961 年に新潮社から出版されたときの題名も『人造美人』
だった [3]。
そうでなくとも、読めば読むほど、「それ、どこがロリコン?」という気になってくる。「デレ」を
抜いたツンデレ美少女の元祖がボッコちゃんとでもいうのなら、まあわからないでもない
が、だとしても今のライトノベルのような萌え絵 (?) のイラストがついていたわけでもない
のに、たくましい想像力だと感心するしか。
なお、ササキバラゴウは「星新一研究家」かどうかは微妙 [4]。本当に上で唐沢俊一が
紹介しているようなことをいったかどうかは裏が取れなかった。「美少女に酒をおごり続け
る酒場の客の行為が何のメタファーか」も不明。
[1] - http://home.ibuki-fan.com/talk/2001/talk1052.htm
>(ちなみに、その昔「スターログ」に高橋留美子が書いていた「SFは半裸のねーちゃん
>だ」というのは真理だと思ってます。全裸じゃないところがポイント。だから古いスペオペ
>に出てくる半裸同然の宇宙服姿のおねーちゃんとか、ヒロイック・ファンタジーに出てく
>る半裸の女戦士というのはOKです。もちろん、それがすべてではありませんが)
[2] - http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/8689/nikki08-02.html
>パラドックス 『PARADOX-EX SEXY CREATURES』
>加藤洋之&後藤啓介 山本貴嗣 藤川純一 青木邦夫 安部ひろみ さいとうともこ
>「SFは半裸のねーちゃんだ」という高橋留美子の言葉をコンセプトにしたイラスト集。
>スバラし。
[3] - http://ja.wikipedia.org/wiki/ボッコちゃん
>この作品を含む短篇集は本来『ボッコちゃん』の題で出版される予定だったが、1960年
>にダッコちゃんブームが到来したため、流行に便乗した安っぽい本と思われることを危
>惧した作者自身の配慮によって、『人造美人』の題名で刊行された(1961年2月、新潮
>社)。その後ダッコちゃんブームが終焉したため、この短篇集は新潮文庫に入った際に
>本来の題へ戻された(1971年)。
>この間の経緯について星新一が吉行淳之介との対談で語ったところによると、ダッコ
>ちゃんというネーミングはそもそもボッコちゃんから盗んだものに違いないという。
[4] - http://homepage3.nifty.com/sasakibara/
>ちなみに私が構想していた星新一の本は、ありがたいことにその話を聞いた唐沢俊一
>氏が出版社を紹介してくれ、90年代末に企画が進みかけていたのですが、さまざまな
>問題が生じて中断し、そのままとなりました。最大の問題点は、私自身の構想がどんど
>ん変わっていったことにありました。「星新一とその時代」を考えようとすると、結局のと
>ころ「戦後日本においてSFという価値観の果たした役割の検証」が必要になり、一挙に
>問題設定が広がってしまったのです。
http://www.23ch.info/test/read.cgi/books/1208355813/
21 :無名草子さん:2008/04/17(木) 04:16:59
『キッチュワールド案内』P30
>もともと欧米におけるペドフィリア(幼児性愛)と、日本におけるロリコンとは、
>まったくその意味が違っている。欧米でのぺドフェリア取締りの理屈をそのまま
>日本に持ってきても、定着しっこない。ペドフィリアは病であるが、ロリコンは
>文化なのだから。
ロリコンの中の特に幼女を対象にしたものをペドフィリアとするのが、一般的な考えじゃないのか。
勝手な解釈で唐沢は「ロリコンは文化だ」と豪語しているが、先日(4月11日)の日記では、
http://www.tobunken.com/diary/diary20080411111906.html
>表現の自由は守られるべきである。
>これは何があっても守らねばならない。
>しかし、それがロリ趣味というものを正当化はしない。
>その趣味のない人間にとり、それが二次元であれ三次元であれ、
>忌避される表現であることは認識しておかねばならない。
とトーンダウンしているのは、取締りを恐れてのヘタレぶりなのだろう。
さらに、この項は日本のロリの原点を星新一のボッコちゃんであるとしている。
あの……。ボッコちゃんは美少女ロボットとはいえ、「ホステス」なんでありますよ。
これが本邦のロリの原点なら、ぺドフェリアなんかとは全然関係ないものだと思うんだが。
32 :無名草子さん:2008/04/17(木) 09:30:29
>>21
ペドフィリアには、幼女だけでなく、幼い男の子を好む変態も含まれると思います。
2ちゃんなんかのペドの用法でも。
http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/66.html
日本独自の文化
『キッチュワールド案内』P30
まさに大上段に振りかぶりと言う奴ですな。「ロリコンは文化だ」と豪語したのだから、
この後どんなにユニークな理論が開陳されるのかと楽しみになる。先に説明しておくけど
ロリコンの中の特に幼女を対象にしたものをペドフィリアとするのが、一般的な考えじゃな
いのか。
で、昭和末期のロリコンブームの原点はSFにあると話は進み、唐沢は唐突にこう結論
する。
あの……。ボッコちゃんは美少女ロボットとはいえ、「ホステス」なんでありますよ。名前
こそ餓鬼っぽいけど、ロリコンなんて何の関係もないだろうって。いわんや、欧米のそれが
「パルプマガジンの表紙に舞う半裸のグラマーのねえちゃん」なら、ぺドフェリアとも全然
関係ない。「半裸のグラマーねえちゃん」と「ホステスロボット」を並べるのはいいけど、片
や「病」片や「文化」という話はどこにいったのだ。結局、この項は、ウディ・アレン、チャッ
プリン、ヒトラーといった人物の少女性愛を語り、デカルトが「フランシーヌ」という人形を溺
愛していたという逸話で終わる。
「ボッコちゃん」と「フランシーヌ」じゃあ、ロリコンじゃなくて、ピグコン(ピグマリオンコンプ
レックス)じゃん。
ところでP32に
ってなんのことか意味分かりますか。
児童ポルノ規制法などでロリコン趣味の人間には生きにくい時代が到来
しているが、もともと欧米におけるペドフィリア(幼児性愛)と、日本における
ロリコンとは、 まったくその意味が違っている。欧米でのぺドフェリア取締り
の理屈をそのまま日本に持ってきても、定着しっこない。ペドフィリアは病で
あるが、ロリコンは文化なのだから。
以下、昭和末期にロリコンブームが起こった理由を、「ロリコンという文化形態を受け入れ
る下地となる一定数の集団が存在していたから」だとして、その集団とは「アニメマニアの
団体」だと書いている。で、「そのアニメ愛好者の団体の、そのまた原型になったのがSFの
ファングループ」であると。
SFと美少女は、アニメを仲立ちにして、切っても切れないものとなったのだが、
その嗜好の原型は、すでに小説の中に存在していた。
アメリカのSFがパルプマガジンの表紙に舞う半裸のグラマーのねえちゃん
だとする(だとされても困ると思うが)と、 日本のそれはボッコちゃんである。
むしろ、これをもって「ロリコンは文化なのだから」とされる方が困ると思うが、おいといて。
また、「半裸のグラマーのねえちゃん」が好きなのは、アメリカのSFファンに限定される
ものではないという気がしてたまらない [1][2] が、これもおいといて。
「唐沢俊一 まとめ wiki 間違い3」に収録の文章 (Read More の後半にサルベージ) にも
書いてあったように、いくら若いといっても「ホステス」だった「ボッコちゃん」を「ロリコン」
の原点ということにされても……。
唐沢俊一の言い分は、以下のようなものである。
もちろん、この人造美人の設定は小学生や中学生ではないだろう。その
証拠に彼女はバーに来ていて、お客がおごってくれれば酒も飲む。
しかし、このロボットを作ったバーのマスターは、いや、作者の星新一は、
彼女を妖艶な美人という設定にはしなかった。あくまでまだ若く、こういう
場所には不似合いな、ちょっと冷たい美少女。なにせ、自分をちゃん付けで
呼ぶのである。
「美人で若くて、つんとしていて、答えがそっけない」
と原作にあるが、まさにこういう美少女に翻弄され、破滅させられること
こそが大人のオトコの夢だろう。これは星新一研究家ササキバラゴウ氏の
説だが、日本現代SF最初の美少女ヒロインであるこのボッコちゃんの呪縛
は、その後のSFファンたちの心に通奏低音として流れ続けた。飲んでも
酔わない美少女に酒をおごり続ける酒場の客の行為が何のメタファーか、
ここでは触れないでおくが。
……唐沢俊一が引用している原作の文章では、ボッコちゃんは「美人」と書いてあって、
「美少女」ではないようだが。1961 年に新潮社から出版されたときの題名も『人造美人』
だった [3]。
そうでなくとも、読めば読むほど、「それ、どこがロリコン?」という気になってくる。「デレ」を
抜いたツンデレ美少女の元祖がボッコちゃんとでもいうのなら、まあわからないでもない
が、だとしても今のライトノベルのような萌え絵 (?) のイラストがついていたわけでもない
のに、たくましい想像力だと感心するしか。
なお、ササキバラゴウは「星新一研究家」かどうかは微妙 [4]。本当に上で唐沢俊一が
紹介しているようなことをいったかどうかは裏が取れなかった。「美少女に酒をおごり続け
る酒場の客の行為が何のメタファーか」も不明。
[1] - http://home.ibuki-fan.com/talk/2001/talk1052.htm
>(ちなみに、その昔「スターログ」に高橋留美子が書いていた「SFは半裸のねーちゃん
>だ」というのは真理だと思ってます。全裸じゃないところがポイント。だから古いスペオペ
>に出てくる半裸同然の宇宙服姿のおねーちゃんとか、ヒロイック・ファンタジーに出てく
>る半裸の女戦士というのはOKです。もちろん、それがすべてではありませんが)
[2] - http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/8689/nikki08-02.html
>パラドックス 『PARADOX-EX SEXY CREATURES』
>加藤洋之&後藤啓介 山本貴嗣 藤川純一 青木邦夫 安部ひろみ さいとうともこ
>「SFは半裸のねーちゃんだ」という高橋留美子の言葉をコンセプトにしたイラスト集。
>スバラし。
[3] - http://ja.wikipedia.org/wiki/ボッコちゃん
>この作品を含む短篇集は本来『ボッコちゃん』の題で出版される予定だったが、1960年
>にダッコちゃんブームが到来したため、流行に便乗した安っぽい本と思われることを危
>惧した作者自身の配慮によって、『人造美人』の題名で刊行された(1961年2月、新潮
>社)。その後ダッコちゃんブームが終焉したため、この短篇集は新潮文庫に入った際に
>本来の題へ戻された(1971年)。
>この間の経緯について星新一が吉行淳之介との対談で語ったところによると、ダッコ
>ちゃんというネーミングはそもそもボッコちゃんから盗んだものに違いないという。
[4] - http://homepage3.nifty.com/sasakibara/
>ちなみに私が構想していた星新一の本は、ありがたいことにその話を聞いた唐沢俊一
>氏が出版社を紹介してくれ、90年代末に企画が進みかけていたのですが、さまざまな
>問題が生じて中断し、そのままとなりました。最大の問題点は、私自身の構想がどんど
>ん変わっていったことにありました。「星新一とその時代」を考えようとすると、結局のと
>ころ「戦後日本においてSFという価値観の果たした役割の検証」が必要になり、一挙に
>問題設定が広がってしまったのです。
http://www.23ch.info/test/read.cgi/books/1208355813/
21 :無名草子さん:2008/04/17(木) 04:16:59
『キッチュワールド案内』P30
>もともと欧米におけるペドフィリア(幼児性愛)と、日本におけるロリコンとは、
>まったくその意味が違っている。欧米でのぺドフェリア取締りの理屈をそのまま
>日本に持ってきても、定着しっこない。ペドフィリアは病であるが、ロリコンは
>文化なのだから。
ロリコンの中の特に幼女を対象にしたものをペドフィリアとするのが、一般的な考えじゃないのか。
勝手な解釈で唐沢は「ロリコンは文化だ」と豪語しているが、先日(4月11日)の日記では、
http://www.tobunken.com/diary/diary20080411111906.html
>表現の自由は守られるべきである。
>これは何があっても守らねばならない。
>しかし、それがロリ趣味というものを正当化はしない。
>その趣味のない人間にとり、それが二次元であれ三次元であれ、
>忌避される表現であることは認識しておかねばならない。
とトーンダウンしているのは、取締りを恐れてのヘタレぶりなのだろう。
さらに、この項は日本のロリの原点を星新一のボッコちゃんであるとしている。
あの……。ボッコちゃんは美少女ロボットとはいえ、「ホステス」なんでありますよ。
これが本邦のロリの原点なら、ぺドフェリアなんかとは全然関係ないものだと思うんだが。
32 :無名草子さん:2008/04/17(木) 09:30:29
>>21
ペドフィリアには、幼女だけでなく、幼い男の子を好む変態も含まれると思います。
2ちゃんなんかのペドの用法でも。
http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/66.html
日本独自の文化
『キッチュワールド案内』P30
もともと欧米におけるペドフィリア(幼児性愛)と、日本におけるロリコンとは、まったくその意味が違っている。 欧米でのぺドフェリア取締りの理屈をそのまま日本に持ってきても、定着しっこない。ペドフィリアは病であるが、ロリコンは文化なのだから。
まさに大上段に振りかぶりと言う奴ですな。「ロリコンは文化だ」と豪語したのだから、
この後どんなにユニークな理論が開陳されるのかと楽しみになる。先に説明しておくけど
ロリコンの中の特に幼女を対象にしたものをペドフィリアとするのが、一般的な考えじゃな
いのか。
で、昭和末期のロリコンブームの原点はSFにあると話は進み、唐沢は唐突にこう結論
する。
アメリカのSFがパルプマガジンの表紙に舞う半裸のグラマーのねえちゃんだとする(だとされても困ると思うが)と、 日本のそれはボッコちゃんである。
あの……。ボッコちゃんは美少女ロボットとはいえ、「ホステス」なんでありますよ。名前
こそ餓鬼っぽいけど、ロリコンなんて何の関係もないだろうって。いわんや、欧米のそれが
「パルプマガジンの表紙に舞う半裸のグラマーのねえちゃん」なら、ぺドフェリアとも全然
関係ない。「半裸のグラマーねえちゃん」と「ホステスロボット」を並べるのはいいけど、片
や「病」片や「文化」という話はどこにいったのだ。結局、この項は、ウディ・アレン、チャッ
プリン、ヒトラーといった人物の少女性愛を語り、デカルトが「フランシーヌ」という人形を溺
愛していたという逸話で終わる。
「ボッコちゃん」と「フランシーヌ」じゃあ、ロリコンじゃなくて、ピグコン(ピグマリオンコンプ
レックス)じゃん。
ところでP32に
飲んでも酔わない美少女に酒をおごり続ける酒場の客の行為が何のメタファーか、ここでは触れないでおく。
ってなんのことか意味分かりますか。