トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/7/17  12:59

今の歌舞伎も、そんな取り澄ましたものではないと思うが  その他の雑学本 間違い探し編

『キッチュワールド案内』 P.136
 現今の百科事典などでこの野郎歌舞伎を引くと、
「歌舞伎が本格的な演劇としての道を歩き始める重要なときにあたり、内容は
飛躍的な進歩を示した。 (中略)多くの演技パターンがつくりだされ、演技術
が著しく進歩した」(小学館『日本大百科全書』)
 などと書かれている。まあ、歌舞伎界というところも“昔はよかった”を徹底
した基本ポリシーとしてやっているところだから、このように書くのは当然の
ことであり、こちらのような素人は、何が何やらわからぬままに、「飛躍的」
「著しく進歩」などという文言のみが意識に残って、なにか野郎歌舞伎という
ものは凄いものだったのだろうと思いがちだが、それが実際にはどんなもの
であったのか、がこの『芸鑑』には記録されている。

続く文章では、『浪人盃』という話のあらすじを紹介して、「今から見るとナニが面白いの
か、と思える単純な話
」「実はこの裏には、当時の侍の間に大流行だった男色の関係が
匂わされている
」とか書いてある。『氏神詣』という話を紹介しては、「歌舞伎というより
コント
」とも。

どうあっても「飛躍的」「著しく進歩」などを、「“昔はよかった”を徹底した基本ポリシーと
してやっている
」せいにしたいようだが、1629 年に禁止された女歌舞伎(遊女歌舞伎)や
1652 年に禁止の若衆歌舞伎の方は踊りが主体だったのに対し、現在の歌舞伎に近い
スタイルの野郎歌舞伎は「舞踊的要素を備えた演劇」。ストーリーが複雑化するのに
ともなって、「役の年齢や性格に基づいた『役柄(やくがら)』が確立しはじめ」たのもこの
頃で、何も「昔はよかった」という懐古趣味で、「本格的な演劇としての道を歩き始める
内容は飛躍的な進歩」「演技術が著しく進歩」といわれているわけではない。

まあ唐沢俊一も、以下のように書いているくらいだから、若衆歌舞伎までは「踊りが主体
とは認識していたとは思う。
女郎買いの客の扮装をした役者が出れば観客はソレ女郎を買う客が出た
出たと大騒ぎし、揚屋の亭主役の役者がいらっしゃいませと出れば、ソレ
亭主が出たわと大笑いし、続いて女郎役の女形が登場すると、もう場内
割れんばかりにどよめいたという。これでは芝居もセリフもあったものでは
なかったろうが、それまで歌舞伎と言えば舞踏劇だとばかり思っていた観客
には、“物まね芝居”と言われたセリフ劇がもの珍しくて仕方がなかったの
だろう。やがて歌舞伎は進歩して、次第に高等演劇に進化していくが、それ
と共に観客も進化したのである。

しかし、現在の歌舞伎にも、唐沢俊一が「ナニが面白いのか、と思える単純な話」「コント
と評した話と同じような感じのものも少なくないのだが。観客も、江戸の昔よりはずっと
上品になっているかもしれないが、場面によっては笑い声やどよめき、場内割れんばかり
の拍手や歓声も珍しくないし、客席から「かけ声」もかかる。何だか全体的に「素人」以前
の話で、歌舞伎をほとんど観ない人の書いたような文章としか思えないのは気のせい……?

http://ja.wikipedia.org/wiki/歌舞伎
>阿国が評判になると多くの模倣者が現れ、遊女が演じる遊女歌舞伎(女歌舞伎)や、
>前髪を剃り落としていない少年俳優たちが演じる若衆歌舞伎がおこなわれていたが、
>風紀を乱すとの理由から前者は1629年に禁止され、後者も売色の目的を兼ねる歌舞
>伎集団が横行したことなどから1652年に禁止され、現代に連なる野郎歌舞伎となった。
>そのため、歌舞伎においては男性役も女性役も、すべて男優が演じる。それは江戸時
>代の文化の爛熟のなかで洗練されて完成し、独特の美の世界を形成するに至っている。
>歌舞伎は成立の過程から歌舞伎踊りと歌舞伎劇に分けられるともいう。前者は若衆
>歌舞伎までを言い、流行の歌に合わせた踊り(若衆歌舞伎はアクロバットなども見せて
>いたとされる)を指す。また、その後に創作された踊り主体の演目も含める場合もある
>(歌舞伎舞踊の項目も参照)。一方、後者は江戸時代の町民に向けて製作されるうち
>に、現代に見られるような、舞踊的要素を備えた演劇となった。若衆歌舞伎が禁止され
>る際に、幕府より「物真似狂言づくし」を義務付けられたことも演劇的発展の一因になった。
>つまり、幕府は舞踊主体の公演は売色などをともない、風紀上望ましくないと考えていた。
>演劇の内容は史実や物語、事件などを題材にして演じる芝居であり、歌舞伎狂言とも
>呼ばれる。


http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/2/2_03.html
>また野郎歌舞伎は、当初、歌や踊りによる短い場面で完結した「離れ狂言(はなれきょ
>うげん)」をいくつか続けて上演していましたが、次第にストーリー性をもつ複数の場面
>からなる「続き狂言(つづききょうげん)」が上演されるようになります。やがて複雑化し
>たストーリーを表現するために、登場人物を類型化して演じるようになり、延宝年間
>[1673年~1681年]には、役の年齢や性格に基づいた「役柄(やくがら)」が確立しはじ
>めます。




http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1215619596/357

357 :無名草子さん:2008/07/14(月) 13:21:58
『キッチュワールド案内』P136

>現今の百科事典などでこの野郎歌舞伎を引くと、
>「歌舞伎が本格的な演劇としての道を歩き始める重要なときにあたり、内容は飛躍的な進歩を示した。
>(中略)多くの演技パターンがつくりだされ、演技術が著しく進歩した」(小学館『日本大百科全書)
>などと書かれている。まあ、歌舞伎界というところも“昔はよかった”を徹底した基本ポリシーとして
>やっているところだから、このように書くのは当然のことであり、こちらのような素人は、何が何やら
>わからぬままに、「飛躍的」「著しく進歩」などという文言のみが意識に残って、なにか野郎歌舞伎
>というものは凄いものだったのだろうと思いがちだが、

そもそも「野郎歌舞伎」とは遊女が演じる遊女歌舞伎や、前髪を剃り落としていない少年俳優たちが演じる
若衆歌舞伎が風紀紊乱を理由に廃止され、その後に出来た歌舞伎で、つまりは今の歌舞伎の前身にあたるもの。
「内容は飛躍的な進歩を示し」「演技術が著しく進歩し」て洗練された歌舞伎が完成されたのだ。なにも「昔は
よかった」と解雇しているわけではない。歌舞伎の歴史という物が根本的に理解できていないようだ。
いかに“素人”とはいえ。



   
 
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