2008/7/9 1:29
ヒロポンが文学や芸能における傑作群を大量発生させたんだと? その他の雑学本 間違い探し編
『キッチュワールド案内』 P.111 ~ P.112
×昭和二〇年代半ばから三〇年代はじめにかけての日本 ○昭和二〇年代半ばの日本
「国鉄三大ミステリー事件」とよばれた下山事件、三鷹事件、松川事件は 1949 年 (昭和
24 年) で、湯川秀樹のノーベル賞受賞もこの年。
黒澤明の『羅生門』のベネチア国際映画祭グランプリ受賞は 1951 年 (昭和 26 年) で、
覚せい剤取締法が成立した年でもある。もく星号墜落事故と『鉄腕アトム』の漫画連載
開始は、翌年の1952 年 (昭和 27 年)。
つまり、ここで列挙されているのは、昭和 24 年から 昭和 27 年に起こったことで、これを
「三〇年代はじめにかけて」というのは無理がある。
- http://ja.wikipedia.org/wiki/下山事件
- http://ja.wikipedia.org/wiki/三鷹事件
- http://ja.wikipedia.org/wiki/松川事件
- http://ja.wikipedia.org/wiki/もく星号墜落事故
- http://ja.wikipedia.org/wiki/羅生門_(映画)
- http://ja.wikipedia.org/wiki/湯川秀樹
- http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄腕アトム
- http://ja.wikipedia.org/wiki/メタンフェタミン
もっと無理があるのは、「少なくともヒロポンがなければこの当時の文学や芸能における
傑作群の大部分は生まれていなかったであろうことは間違いない」のくだり。
事件以外にあげているのは 3 つのみで、そのうちのひとつ、湯川秀樹のノーベル物理学
賞受賞は、偉大な業績ではあるものの「文学や芸能における傑作」ではないことだけは
確かだし、『鉄腕アトム』も「文学や芸能」ではないし……そもそも「文学」の例をひとつも
挙げていない。でも、なぜか「文学や芸能における傑作群」でこの段落を結んでいる。
(章全体をみても、唐沢がポン中の文学者として名前を出しているのは坂口安吾のみ)。
そもそも、映画の『羅生門』と、湯川秀樹のノーベル賞と、漫画の『鉄腕アトム』のどれを
とっても狂気・狂乱という感じとは遠いし、黒沢、湯川、手塚らがヒロポンを愛用していた
などという話は、当の唐沢俊一を含め、誰も主張していないようなのだが。
「狂気の幾分かは、当時蔓延していた、ヒロポンの効果がもたらした」と、狂気については
割と控えめに「幾分かは」といっているのに、「文学や芸能における傑作群」については、
「大部分は生まれていなかったであろうことは間違いない」と「大部分は」といってしまう
までに至る思考の筋道も謎。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1214482730/629-
629 :無名草子さん:2008/07/08(火) 17:24:43
>>622
>昭和二〇年代はじめにかけての日本は、物騒騒然という言葉そのままに、下山事件、三鷹事件、松川事件、もく星号事件などの
>“日本の黒い霧”的な怪事件が相次いで起こり、一方で黒澤明の『羅生門』がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞し、
>湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞し、手塚治虫が『鉄腕アトム』の連載を開始し……という、狂乱の時代の中にあった。
昭和二〇年代はじめにかけての日本?
全部、昭和二〇年代半ばから後半にかけての出来事じゃないか。
630 :無名草子さん:2008/07/08(火) 17:30:54
>>622
>物騒騒然という言葉そのままに
「物情騒然」でしょ?
>>622の書き間違えか、それとも...?
622 :無名草子さん:2008/07/08(火) 15:29:59
『キッチュワールド案内』 P111~P112
>酒と共にもうひとつ、戦後の日本人の気力をあぶなっかしげに支えていたのが、ヒロポンと呼ばれる覚醒剤である。
>昭和二〇年代はじめにかけての日本は、物騒騒然という言葉そのままに、下山事件、三鷹事件、松川事件、もく星号事件などの
>“日本の黒い霧”的な怪事件が相次いで起こり、一方で黒澤明の『羅生門』がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞し、
>湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞し、手塚治虫が『鉄腕アトム』の連載を開始し……という、狂乱の時代の中にあった。
>その狂気の幾分かは、当時蔓延していた、ヒロポンの効果がもたらしたものではなかったか。少なくともヒロポンがなければ
>この当時の文学や芸能における傑作群の大部分は生まれていなかったであろうことは間違いない。
ヒロポンがなければ、黒澤のグランプリも、湯川の「中間子理論」も、手塚の「鉄腕アトム」もなかった。
こういうことかよ、禿。
本物の馬鹿だな。
639 :無名草子さん:2008/07/08(火) 21:05:47
一番感動的なのは湯川秀樹だなあ。
これとヒロポンって……そういう発想はなかったわw
678 :無名草子さん:2008/07/09(水) 00:17:55
>>630
本では「物情騒然」となっていました。
>>629、>>638
これも本の方では「昭和二〇年代半ばから三十年代はじめにかけて」。
しかし、そうなると、覚醒剤の非合法化で一応下火になってから――だから、
時代が何かあわないというのは変わらないけど。
酒と共にもうひとつ、戦後の日本人の気力をあぶなっかしげに支えていた
のが、ヒロポンと呼ばれる覚醒剤である。昭和二〇年代半ばから三〇年代
はじめにかけての日本は、物情騒然という言葉そのままに、下山事件、
三鷹事件、松川事件、もく星号事件などの“日本の黒い霧”的な怪事件が
相次いで起こり、一方で黒澤明の『羅生門』がベネチア国際映画祭でグラン
プリを受賞し、湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞し、手塚治虫が『鉄腕
アトム』の連載を開始し……という、狂乱の時代の中にあった。その狂気の
幾分かは、当時蔓延していた、ヒロポンの効果がもたらしたものではなかった
か。少なくともヒロポンがなければこの当時の文学や芸能における傑作群の
大部分は生まれていなかったであろうことは間違いない。
×昭和二〇年代半ばから三〇年代はじめにかけての日本 ○昭和二〇年代半ばの日本
「国鉄三大ミステリー事件」とよばれた下山事件、三鷹事件、松川事件は 1949 年 (昭和
24 年) で、湯川秀樹のノーベル賞受賞もこの年。
黒澤明の『羅生門』のベネチア国際映画祭グランプリ受賞は 1951 年 (昭和 26 年) で、
覚せい剤取締法が成立した年でもある。もく星号墜落事故と『鉄腕アトム』の漫画連載
開始は、翌年の1952 年 (昭和 27 年)。
つまり、ここで列挙されているのは、昭和 24 年から 昭和 27 年に起こったことで、これを
「三〇年代はじめにかけて」というのは無理がある。
- http://ja.wikipedia.org/wiki/下山事件
- http://ja.wikipedia.org/wiki/三鷹事件
- http://ja.wikipedia.org/wiki/松川事件
- http://ja.wikipedia.org/wiki/もく星号墜落事故
- http://ja.wikipedia.org/wiki/羅生門_(映画)
- http://ja.wikipedia.org/wiki/湯川秀樹
- http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄腕アトム
- http://ja.wikipedia.org/wiki/メタンフェタミン
もっと無理があるのは、「少なくともヒロポンがなければこの当時の文学や芸能における
傑作群の大部分は生まれていなかったであろうことは間違いない」のくだり。
事件以外にあげているのは 3 つのみで、そのうちのひとつ、湯川秀樹のノーベル物理学
賞受賞は、偉大な業績ではあるものの「文学や芸能における傑作」ではないことだけは
確かだし、『鉄腕アトム』も「文学や芸能」ではないし……そもそも「文学」の例をひとつも
挙げていない。でも、なぜか「文学や芸能における傑作群」でこの段落を結んでいる。
(章全体をみても、唐沢がポン中の文学者として名前を出しているのは坂口安吾のみ)。
そもそも、映画の『羅生門』と、湯川秀樹のノーベル賞と、漫画の『鉄腕アトム』のどれを
とっても狂気・狂乱という感じとは遠いし、黒沢、湯川、手塚らがヒロポンを愛用していた
などという話は、当の唐沢俊一を含め、誰も主張していないようなのだが。
「狂気の幾分かは、当時蔓延していた、ヒロポンの効果がもたらした」と、狂気については
割と控えめに「幾分かは」といっているのに、「文学や芸能における傑作群」については、
「大部分は生まれていなかったであろうことは間違いない」と「大部分は」といってしまう
までに至る思考の筋道も謎。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1214482730/629-
629 :無名草子さん:2008/07/08(火) 17:24:43
>>622
>昭和二〇年代はじめにかけての日本は、物騒騒然という言葉そのままに、下山事件、三鷹事件、松川事件、もく星号事件などの
>“日本の黒い霧”的な怪事件が相次いで起こり、一方で黒澤明の『羅生門』がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞し、
>湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞し、手塚治虫が『鉄腕アトム』の連載を開始し……という、狂乱の時代の中にあった。
昭和二〇年代はじめにかけての日本?
全部、昭和二〇年代半ばから後半にかけての出来事じゃないか。
630 :無名草子さん:2008/07/08(火) 17:30:54
>>622
>物騒騒然という言葉そのままに
「物情騒然」でしょ?
>>622の書き間違えか、それとも...?
622 :無名草子さん:2008/07/08(火) 15:29:59
『キッチュワールド案内』 P111~P112
>酒と共にもうひとつ、戦後の日本人の気力をあぶなっかしげに支えていたのが、ヒロポンと呼ばれる覚醒剤である。
>昭和二〇年代はじめにかけての日本は、物騒騒然という言葉そのままに、下山事件、三鷹事件、松川事件、もく星号事件などの
>“日本の黒い霧”的な怪事件が相次いで起こり、一方で黒澤明の『羅生門』がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞し、
>湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞し、手塚治虫が『鉄腕アトム』の連載を開始し……という、狂乱の時代の中にあった。
>その狂気の幾分かは、当時蔓延していた、ヒロポンの効果がもたらしたものではなかったか。少なくともヒロポンがなければ
>この当時の文学や芸能における傑作群の大部分は生まれていなかったであろうことは間違いない。
ヒロポンがなければ、黒澤のグランプリも、湯川の「中間子理論」も、手塚の「鉄腕アトム」もなかった。
こういうことかよ、禿。
本物の馬鹿だな。
639 :無名草子さん:2008/07/08(火) 21:05:47
一番感動的なのは湯川秀樹だなあ。
これとヒロポンって……そういう発想はなかったわw
678 :無名草子さん:2008/07/09(水) 00:17:55
>>630
本では「物情騒然」となっていました。
>>629、>>638
これも本の方では「昭和二〇年代半ばから三十年代はじめにかけて」。
しかし、そうなると、覚醒剤の非合法化で一応下火になってから――だから、
時代が何かあわないというのは変わらないけど。