トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/6/12  3:26

風邪のときにコーラを飲むという民間療法もあったっけ  その他の雑学本 間違い探し編

『笑うクスリ指』 P.163
 コカ・コーラも十九世紀末に、アトランタの薬剤師ジョン・ペンパートンが
気付け薬の調剤中に偶然、作り出したものである。ペンパートンは、それ
が後にアメリカ最大の嗜好品となるなどとは露も思わず、製造権をたった
二三〇〇ドルで売り渡した。
 買ったのは薬剤師仲間のキャンドラーという男だったが、彼はコカコーラ
の飲料としての魅力に目をつけ、薬剤師をさっさと廃業すると、その生産・
販売を免許制にし、契約店にだけ原液を卸すフランチャイズ方式で大儲け
した。

× ペンパートン ○ ペンバートン

コカ・コーラを発明したのは、ジョン・S・ペンバートン博士 (Dr. John Stith Pemberton)。

http://www.cocacola.co.jp/study/museum/history.html
>1886 年
>米国ジョージア州アトランタで「コカ・コーラ」誕生
>薬剤師のジョン・S・ペンバートン博士が新しい飲み物を発明、友人のフランク・M
>・ロビンソンが「コカ・コーラ」と名付ける。当時アトランタに4軒あったソーダファ
>ウンテンで、1杯5セントで販売された。


http://www.thecoca-colacompany.com/heritage/chronicle_birth_refreshing_idea.html
> The product that has given the world its best-known taste was born in Atlanta,
> Georgia, on May 8, 1886. Dr. John Stith Pemberton,


ペンパートンは、それが後にアメリカ最大の嗜好品となるなどとは露も思わず、製造権
をたった二三〇〇ドルで売り渡した
」あたりの記述は、The CocaCola Company の
The Chronicle Of Coca-Cola を元にしているのではないかと思われる。

http://www.thecoca-colacompany.com/heritage/chronicle_birth_refreshing_idea.html
> Dr. Pemberton never realized the potential of the beverage he created. He
> gradually sold portions of his business to various partners and, just prior to his
> death in 1888, sold his remaining interest in Coca-Cola to Asa G. Candler.


http://www.thecoca-colacompany.com/heritage/chronicle_the_candler_era.html
> On May 1, 1889, Asa Candler published a full-page advertisement in The Atlanta
> Journal, proclaiming his wholesale and retail drug business as "sole proprietors of
> Coca-Cola ... Delicious. Refreshing. Exhilarating. Invigorating." Sole ownership,
> which Mr. Candler did not actually achieve until 1891, cost a total of $2,300.


しかし、日米どちらのコカ・コーラ社のサイトにも、「気付け薬の調剤中に偶然、作り出した
もの
」とは、書かれていない。『コカ・コーラ帝国の興亡』を参考文献にしているサイトでは
「禁酒用飲料」、Wikipedia では、モルヒネ中毒の治療薬、「精力増強や頭痛の緩和」。

一方、コカ・コーラのサイトでは、コカ・コーラは最初から飲み物としてつくられたものと
扱われていて、最初は薬だったという話にはふれていない。ペンバートンの発明の時点
では、コカは「奇跡の植物」と言われ、コカの入った薬用酒を堂々と販売していても問題
なかったが、20 世紀に入るとコカインは麻薬として非難されるようになる。1903 年には、
コカ・コーラの原料のコカを脱コカイン処理することを余儀なくされた影響があるのかも。

(2ちゃんねるのスレの書き込みの中には、コカイン混入飲料として誕生したというのは、
コカ・コーラ社にとっては「黒歴史」であると表現したものもある)。

http://www.colawp.com/seasonal/199704/history.html
>しかしペンバートンは負けなかった。 リューマチの悪化と戦い、 モルヒネ中毒になり
>ながらも自宅の裏庭で「禁酒用飲料」の研究を続けたのだ。 そして1886年、水と炭酸
>水を間違えるという偶然の助けを借りて非常に美味しい禁酒用飲料、後にコカ・コーラ
>と言われるものを完成させるのである。

(『コカ・コーラ帝国の興亡 / 100年の商魂と生き残り戦略』が参考文献とのこと)

http://ja.wikipedia.org/wiki/コカ・コーラ
>ペンバートンは自身がモルヒネ中毒だったために、その治療薬として、コカインとワイン
>を調合したフレンチ・ワイン・コカを精力増強や頭痛の緩和に効果のある薬用酒として
>売り出した。しかし、コカインによる中毒が問題になったため、ワインに代えて炭酸水
>の風味付けのシロップとして売り出すことにして、


http://www.colawp.com/seasonal/199704/history.html
>悩むペンバートンの目に止まったものは,当時話題になっていた「奇跡の植物」コカで
>あった。その頃既にコカを使った飲み物が存在した。 アンジェロ・マリアーニが薬用酒
>「ビン・マリアーニ」を発明、 ヨーロッパで大ブームになっていたのだ。 これはワインに
>コカの成分を溶かし込んだもので、 エジソンやローマ法王までもが愛飲したという伝説
>の飲料である。 ペンバートンはすぐさまこれを真似たものの制作にかかり、その結果
>生まれたのがコカ・コーラの祖「フレンチ・ワイン・アンド・コカ」であった


http://www.colawp.com/seasonal/199707/history.html
>キャンドラーは 〈略〉 非難の高まりには勝てずついに1903年8月, 原料に使用する
>コカの葉を脱コカイン処理するように処方を変更した。


また、「偶然、作り出したもの」とは、偶然、水と間違えて炭酸水で割って飲んだらおいし
かったため、コーラは炭酸で割られるようになった――という、よく聞くエピソードとの混同
のように思う。

http://blog.livedoor.jp/yousuke_orix/archives/50218994.html
>ソーダファウンテンで飲み物として販売が始まり、通常ならば水で割って出す飲み物
>を、うっかり水と炭酸水をまちがって作ってしまったところ、これが大好評。以来、どの
>店でも「コカ・コーラはさわやかに炭酸割りで」がきまりになったのだとか。


シロップ自体が偶然にできたものと主張するページもないことはないけど。

http://www.vanyamaoka.com/senryaku/index1505.html
> ≪コカ・コーラ≫ 1886(明治19)年、米国アトランタで、薬の製造、販売を
>行っていた薬剤師のジョン・S・ペンバートンが飲み物の研究を行っていたときに偶然
>シロップを作り出し、経理係が「コカ・コーラ」と名づけた。1892(明治25)年、
>実業家、エイサ・G・キャンドラーが製造販売権を買い取り、「コカ・コーラ カン
>パニー」を設立




http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1212823815/52-

52 :無名草子さん:2008/06/09(月) 08:31:22
『笑うクスリ指』P163

>コカ・コーラも十九世紀末に、アトランタの薬剤師ジョン・ペンパートンが気付け薬の調剤中に偶然、作り出したものである。
>ペンパートンは、それが後にアメリカ最大の嗜好品となるなどとは露も思わず、製造権をたった二三〇〇ドルで売り渡した。
>買ったのは薬剤師仲間のキャンドラーという男だったが、彼はコカコーラの飲料としての魅力に目をつけ、薬剤師をさっさと廃業すると、
>その生産・販売を免許制にし、契約店にだけ原液を卸すフランチャイズ方式で大儲けした。

○ ペンバートン(John Pemberton)
× ペンパートン
http://www.cocacola.co.jp/study/museum/history.html

ペンバートンは自身がモルヒネ中毒だったために、その治療薬として、コカインとワインを調合した
フレンチ・ワイン・コカを精力増強や頭痛の緩和に効果のある薬用酒として売り出した。しかし、
コカインによる中毒が問題になったため、ワインに代えて炭酸水の風味付けのシロップとして売り出すことにして、
ペンバートンのビジネスに参加した印刷業者のフランク・ロビンソンによってコカ・コーラと名づけられた。
ペンバートンのコカ・コーラはビジネスとして成功したものの、健康を害したペンバートンは早々とその権利をたった1ドルで売却してしまう。
カ・コーラの権利は1888年にエイサ・キャンドラーの手に落ち、キャンドラーはペンバートンの息子らと共にコカ・コーラ・カンパニーを設立する。

とWikipediaには書いてあるのだが…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9


54 :無名草子さん:2008/06/09(月) 09:21:00
>>52
コカイン混入飲料として誕生したというのは、コカ・コーラにとって黒歴史だからね。
調剤中に偶然誕生というのは建て前というか、創られた伝説。
それを間に受けちゃったんだね。
「コカ・コーラ」という名前はコカの葉とコラの実からきてるんだけど、これも
コカ・コーラ側は特定の意味はなく楽しい言葉遊びだと言い張ってる。
コカ・コーラの誕生前後から最近までの生々しい歴史は『コカ・コーラ帝国の興亡―
100年の商魂と生き残り戦略』(著:マーク・ペンダグラスト 訳:古賀林幸
刊/徳間書店)という本に詳しく描かれている。

↓「建て前」については、こちら
http://blog.livedoor.jp/yousuke_orix/archives/2006-02.html

59 :54:2008/06/09(月) 10:17:58

↓コカ・コーラの歴史については、ここにwikiよりは少し詳しく書かれている。

http://www.colawp.com/seasonal/199703/history.html
http://www.colawp.com/seasonal/199704/history.html

60 :59:2008/06/09(月) 11:02:53
追加。
http://www.colawp.com/seasonal/199707/history.html

>キャンドラーは 「私は、有害だとわかっている毒物を販売したり、 勧めたりはしない」と反論したが,
> 非難の高まりには勝てずついに1903年8月, 原料に使用するコカの葉を脱コカイン処理するように
>処方を変更した。

>このことはコカ・コーラ社の広報活動に大きな影響を与えた。 世論に従ってコカインを除いたのだと
>すれば, コカ・コーラ社はそれまで有害な飲み物を販売していたことになる。 そこでキャンドラーは
>自らコーラの歴史を書き換えることにした。 「コカ・コーラには一度もコカインは含まれていなかった」
> と宣誓したのである。 もちろん現在でも, この「コカイン問題」に関してはコカ・コーラ社は口を濁す。

107 :無名草子さん:2008/06/10(火) 01:33:50
>>52
>アトランタの薬剤師ジョン・ペンパートンが気付け薬の調剤中に偶然、作り出したものである。

「偶然、作り出した」というのは、もしかしたら、これがネタ元 or 共通のネタ元あり?
http://www.vanyamaoka.com/senryaku/index1505.html
> ≪コカ・コーラ≫ 1886(明治19)年、米国アトランタで、薬の製造、販売を
>行っていた薬剤師のジョン・S・ペンバートンが飲み物の研究を行っていたときに偶然
>シロップを作り出し、経理係が「コカ・コーラ」と名づけた。1892(明治25)年、
>実業家、エイサ・G・キャンドラーが製造販売権を買い取り、「コカ・コーラ カン
>パニー」を設立。現在は米国や日本以外にも世界200カ国以上で販売されている。

同じページのペプシの説明
> ≪ペプシ≫ 1898(明治31)年ごろ、米国ノースカロライナの薬剤師、キャレブ・
>ブラッドハムが調合した消化不良の治療薬。原料のコーラナッツと消化酵素のペプシン
>から、「ペプシコーラ」と名づけられ、薬局で販売された。

前スレのこれの、「消化不良」とは何か関係……ないか、やっぱり。
-------
673 :無名草子さん:2008/06/02(月) 08:10:32
『笑うクスリ指』P34

>コカ・コーラは最初に発明されたとき、医薬品の扱いだった。
>コーン・フレークも、最初は神経症患者に与える医療用食品であった。
>(発明当時は、消化不良が神経症を引き起こすと考えられていた)。

108 :無名草子さん:2008/06/10(火) 01:38:54
でも、「偶然、作り出したもの」というのは、炭酸飲料として誕生したのは、
水と炭酸水を間違えたことによる偶然がもと――というエピソードと、混同している
んじゃないかとも思うんだけど……。

http://www.colawp.com/seasonal/199704/history.html
>しかしペンバートンは負けなかった。 リューマチの悪化と戦い、 モルヒネ中毒になり
>ながらも自宅の裏庭で「禁酒用飲料」の研究を続けたのだ。 そして1886年、水と炭酸
>水を間違えるという偶然の助けを借りて非常に美味しい禁酒用飲料、 後にコカ・コーラ
>と言われるものを完成させるのである。

116 :無名草子さん:2008/06/10(火) 09:47:23
>>108
混同というか、>>107はコカ・コーラ社自身によって書き換えられた歴史だね。
(>>60参照)
なにしろ、コカ・コーラがかつてコカインを含んでいたこと自体なかったことになっているのだから、
明確な目的を持って開発されたという事実が既にアウト。

117 :無名草子さん:2008/06/10(火) 10:14:33
コーラのシロッブ自体、偶然の産物とまでは書かれていないような




2008/6/14  20:19

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

ここら辺の話もありますかしら<権利販売にはいろいろ黒いうわさ
これを書いた人同様、頭が痛くなりそうなので、途中で投げてしまい
ましたが。

http://www.colawp.com/seasonal/199704/history.html
>フレンチ・ワイン・アンド・コカ程ではないしろ大ヒットする。
>1887年に特許も下りて順風満帆に思えたこの事業だが、 同年彼は
>コカ・コーラの権利を売却してしまう。 これに関しては「モルヒネ
>を買う金を工面するため」や 「息子のチャーリーが酒に酔って売っ
>てしまった」など様々な説があるが、 真相はよく分っていない。
>その後も2重売却や文書偽造事件などごたごたが続き、結局企業家
>E.G.キャンドラーがこの事業を引き継ぐ事になる。 この辺に関して
>は徳間書店の 「コカ・コーラ帝国の興亡(原題 For God, Country,
>and Coca Cola)」に詳しく書かれているので、 興味のある方は
>どうぞ。 私なんか頭が痛くなるけどね。

>まあ、商売がうまかったんだよね

シロップを発明し、新聞広告を出したり無料クーポンを配布したりの
アイデアはペンバートン、コカ・コーラという名前をつけたり、あの
筆記体のフランク・M・ロビンソン。

キャンドラーの偉かったのは、それらのよさをいかして発展させた
ところかもしれません。誰かのように妙なイジり方をして劣化コピー
しなかった、と。

2008/6/14  17:25

投稿者:金平糖

コカ・コーラの権利販売にはいろいろ黒いうわさがあったりもします

一応それらしい説として
3人の投資家に一部販売権を売り、売り上げの一部を受け取っていた
その後キャンドラーにより多くの権利を販売
ペンバートンの死後、キャンドラーが他の投資家から
それぞれの持っていた権利を買い上げ独占した

で、キャンドラーがペンバートンから権利を買った時点で
すでにペンバートンは病に臥せっている状態で
契約時のサインは偽物だったといううわさもあったりする

息子に権利を与えていたとかいろいろ話はあるが

どれも裏が取れない
普通に調べていくとコカ・コーラ社の捏造歴史に当たるので
詳細は不明

宣伝に関してはペンバートンも力を入れてはいたが
キャンドラーのは桁違い
新聞、雑誌への広告、ポスター、カレンダー、各種グッズの製造販売

まあ、商売がうまかったんだよね

2008/6/14  11:33

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

「ペンパートンは、それが後にアメリカ最大の嗜好品となるなどとは
露も思わず、製造権をたった二三〇〇ドルで売り渡した」については
引っかかりを覚えてツッコミを入れようとしていたんですけど、本文
にも書いた通り、コカ・コーラ本社の大本営発表に沿った内容といえ
ないことはないというのがネックで……。「たった二三〇〇ドル」と
いうのは確かに、当時の貨幣価値を考えると「たった」といえるもの
かというのはありますね。

宣伝については、発明者のペンバートン博士がアイデアマンで、
http://www.cocacola.co.jp/study/museum/history.html によると
コカ・コーラの誕生した 1886 年には、『アトランタ・ジャーナル』
紙に初の新聞広告を掲載しているし、翌年の 1887 年には、「ペン
バートン博士は、無料試飲クーポン券を開発、広く配布して販売促進
に努めた」り。

キャンドラーもこの路線は評価していて、宣伝や販売促進にこれらの
アイデアを積極的に取り入れたという感じではないでしょうか。

2008/6/14  10:52

投稿者:金平糖

販売権の売却についても唐沢の文章はちょっとなんだかなと言う感じ

当時の2300ドルと言えば充分な大金
別に騙されたわけでも損をしたわけでもない
コカ・コーラの大成功の鍵はそれまで類を見ない大々的な新聞雑誌での宣伝広告によるもので
コカ・コーラさえあればどうにかなったというようなものではない
コカ・コーラを過大評価しすぎかG.キャンドラーの経営手腕を過小評価しすぎ

またこの時点でペンバートンは病気で貧困であえいでいたので
2300ドルは彼にとっては充分な収入だったわけで
結局彼はコカ・コーラの大成功を目にすることなく
1年半後に亡くなっている

なにより世界的大成功の権利を2300ドルで売っちゃってもったいない的な文章に見えるが
権利を売らなかったらコカ・コーラはここまでのヒットはしなかったので根本的なとこで考え方が間違ってる

と言うか、発想が貧困なんだよね

2008/6/14  10:42

投稿者:金平糖

古来から天然の炭酸泉は万病に効く万能薬として親しまれ
主に痛風、リュウマチ、関節炎、消化不良、便秘などに効くとされていました
コレを人工的に作りだす手法を編み出すのがジョセフ・プレストリー牧師
1767年に自宅の実験装置で炭酸水の作成に成功し、1772年に文献を出版

コレを元に商業的な炭酸水製造機を製造販売したのがソーダ水の父とも呼ばれるジョン・マシューズ

そして世は炭酸ブームに突入、各地の薬局に併設されたソーダファウンテンで数百種類もの炭酸水が売られることになる

そんな中1885年世界で最初の炭酸ブランドがチャールズ・アルダートンによって生み出される
ウェイコ、後のDr.ペッパーである

肝心のコーラだがこれはコーヒーの代わりの疲労回復の飲み物として作られる
コカの葉とコラナッツから作られるからコカ・コーラ
1906年に純正食品薬品法が登場することでコカインは使われなくなる

2008/6/13  1:10

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

あ、そうみたいですね<当時は炭酸水自体が薬だったわけで
ソーダファウンテンというもの自体、日本でいえばオロナミン C みた
いなものを飲ませて、元気はつらつーという場所ではなかったかと
想像してみたり。(ハズしていたらごめんなさい)。

>コカ・コーラも偶然炭酸で割ったなんてことはなく
>はじめから炭酸ソーダとして造られたもの

これに関しては、本文の記述が、真偽不明な俗説としての扱いが明確
になっていないかも、ですね。修正を検討します。

2008/6/12  21:07

投稿者:金平糖

なんというか
コカ・コーラがもともと薬だった
というよりも、当時は炭酸水自体が薬だったわけで
薬の調合自体薬剤師がかなり自由にやってた
コカ・コーラも偶然炭酸で割ったなんてことはなく
はじめから炭酸ソーダとして造られたもの

   
 
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