2008/6/7 10:49
唐沢俊一先生はプロレス関係も苦手 その他の雑学本 間違い探し編
『笑うクスリ指』 P.17
猪木のアメリカ海外修業期間は 2 年間。「海外修行時代が長かった」という程ではない。
「アメリカのプロレス界で」と続くので、「あちら」とはアメリカをさしていると思われるが、
長州はアメリカ修行にいっていないし、前田の修行先はイギリス。
で、2ちゃんねるのスレでの指摘書き込み (Read More 参照) にあったように、アメリカで
大人気、大活躍の日本人レスラーには、ザ・グレート・カブキという人がいる。さらに、その
カブキの息子というギミックで登場したザ・グレート・ムタこと武藤敬司が、唐沢俊一がこの
文章を書いた時点で、既にアメリカでスーパースターになっていた。
まあ「トップエベンターの座を得られたのはジャイアント馬場のみ」といえた時代もあった
かもしれない。相撲は日本人の体格にあってできている、外国人は日本人には適わない
といっていた件 (「曙は相撲は強かったけど K-1 では……」) と同じように、古い知識、
昔の常識を訂正できないまま今日まできてしまっているのでは。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アントニオ猪木
>1964年に、アメリカへ武者修行へ赴く(この時のリングネームは、ロサンゼルスの
>日本人街であるリトル・トーキョーをもじった『リトル・トーキョー・トム』)。地方巡業を
>中心に活躍して2年後に帰国。
http://ja.wikipedia.org/wiki/前田日明
>その後、将来のエース候補として渡英しクイックキック・リー(「サミー・リー」(佐山聡)
>の弟というギミック)として活躍。
http://ja.wikipedia.org/wiki/グレートカブキ
>ヌンチャクを操り、毒霧を吹く東洋系のヒールキャラクターが受けて、アメリカ各地の
>団体で活躍。1983年、ジャイアント馬場から帰国命令が出たため、全日本に凱旋
>帰国。
http://ja.wikipedia.org/wiki/武藤敬司
>アメリカでの輝かしい実績から現在活躍している外国人レスラーの中にもファンは多く、
>彼らからは敬意を込めて「マスター」などとも呼ばれている
〈略〉
>アメリカでは(ギミック上はグレート・カブキの息子)「グレート・ムタ」としてWCWに登場し、
>その人気を不動のものとした。
その他参考 URL :
- http://www.nikkansports.com/battle/kameda/p-bt-tp1-20071015-270014.html
プロレス関係の他のガセビア :
・ルー・ケーズというレスラーも実在していたそうだ
・サイトではジョージ・スティールさんのフィギュアも販売
・この「胸関節」はフィギュアの用語?
・本当に、なんで「パンチ」なんだろう
追記 : コメント欄での指摘を受けて、グレート・ムタの記述を追加。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1211615504/830-
830 :無名草子さん:2008/06/05(木) 08:37:29
『お怪物図鑑』P17
>猪木も前田も長州も、海外修行時代が長かったが、
>ついにあちらではトップの人気を博することはできなかった。
>アメリカのプロレス界で、トップエベンターの座を得られたのは
>ジャイアント馬場のみである。
「あちら」とは次のフレーズから推して「アメリカ」を指していると思うのだが。
猪木のアメリカ修行は2年間、長州はアメリカ修行にはいっていないし、前田がいっていたのはイギリス。
3人ともアメリカ修行が長かったとは言えない。前田はクイックキック・リー(「サミー・リー」として活躍。
ヨーロッパヘビー級王座を獲得している。そして、アメリカで最も活躍した日本人レスラーは、
ザ・グレート・カブキである。
831 :無名草子さん:2008/06/05(木) 08:39:17
↑(「サミー・リー」して活躍
はコピペミスです。orz
猪木も前田も長州も、海外修行時代が長かったが、ついにあちらではトップの
人気を博することはできなかった。アメリカのプロレス界で、トップエベンター
の座を得られたのはジャイアント馬場のみである。
猪木のアメリカ海外修業期間は 2 年間。「海外修行時代が長かった」という程ではない。
「アメリカのプロレス界で」と続くので、「あちら」とはアメリカをさしていると思われるが、
長州はアメリカ修行にいっていないし、前田の修行先はイギリス。
で、2ちゃんねるのスレでの指摘書き込み (Read More 参照) にあったように、アメリカで
大人気、大活躍の日本人レスラーには、ザ・グレート・カブキという人がいる。さらに、その
カブキの息子というギミックで登場したザ・グレート・ムタこと武藤敬司が、唐沢俊一がこの
文章を書いた時点で、既にアメリカでスーパースターになっていた。
まあ「トップエベンターの座を得られたのはジャイアント馬場のみ」といえた時代もあった
かもしれない。相撲は日本人の体格にあってできている、外国人は日本人には適わない
といっていた件 (「曙は相撲は強かったけど K-1 では……」) と同じように、古い知識、
昔の常識を訂正できないまま今日まできてしまっているのでは。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アントニオ猪木
>1964年に、アメリカへ武者修行へ赴く(この時のリングネームは、ロサンゼルスの
>日本人街であるリトル・トーキョーをもじった『リトル・トーキョー・トム』)。地方巡業を
>中心に活躍して2年後に帰国。
http://ja.wikipedia.org/wiki/前田日明
>その後、将来のエース候補として渡英しクイックキック・リー(「サミー・リー」(佐山聡)
>の弟というギミック)として活躍。
http://ja.wikipedia.org/wiki/グレートカブキ
>ヌンチャクを操り、毒霧を吹く東洋系のヒールキャラクターが受けて、アメリカ各地の
>団体で活躍。1983年、ジャイアント馬場から帰国命令が出たため、全日本に凱旋
>帰国。
http://ja.wikipedia.org/wiki/武藤敬司
>アメリカでの輝かしい実績から現在活躍している外国人レスラーの中にもファンは多く、
>彼らからは敬意を込めて「マスター」などとも呼ばれている
〈略〉
>アメリカでは(ギミック上はグレート・カブキの息子)「グレート・ムタ」としてWCWに登場し、
>その人気を不動のものとした。
その他参考 URL :
- http://www.nikkansports.com/battle/kameda/p-bt-tp1-20071015-270014.html
プロレス関係の他のガセビア :
・ルー・ケーズというレスラーも実在していたそうだ
・サイトではジョージ・スティールさんのフィギュアも販売
・この「胸関節」はフィギュアの用語?
・本当に、なんで「パンチ」なんだろう
追記 : コメント欄での指摘を受けて、グレート・ムタの記述を追加。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1211615504/830-
830 :無名草子さん:2008/06/05(木) 08:37:29
『お怪物図鑑』P17
>猪木も前田も長州も、海外修行時代が長かったが、
>ついにあちらではトップの人気を博することはできなかった。
>アメリカのプロレス界で、トップエベンターの座を得られたのは
>ジャイアント馬場のみである。
「あちら」とは次のフレーズから推して「アメリカ」を指していると思うのだが。
猪木のアメリカ修行は2年間、長州はアメリカ修行にはいっていないし、前田がいっていたのはイギリス。
3人ともアメリカ修行が長かったとは言えない。前田はクイックキック・リー(「サミー・リー」として活躍。
ヨーロッパヘビー級王座を獲得している。そして、アメリカで最も活躍した日本人レスラーは、
ザ・グレート・カブキである。
831 :無名草子さん:2008/06/05(木) 08:39:17
↑(「サミー・リー」して活躍
はコピペミスです。orz
2008/6/8 20:20
投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/
http://tondemonai2.web.fc2.com/
ありがとうございます。本文に追記しました。
2008/6/8 9:51
投稿者:藤岡真
まとめwikiに書かれてますが、ザ・グレート・ムタ(武藤敬司)というレスラーもいます。唐沢がこの文章を書いたとき、すでにアメリカマット界のスーパースターでした。