トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/5/31  0:31

世界で初めての生物兵器はもっと遡れそうな気も  その他の雑学本 間違い探し編

『唐沢先生の雑学授業』 P.182
唐●世界で初めて生物兵器が使用された場所がアメリカなんだ。まだ
独立前だったけど一七五四年~六七年のフレンチ=インディアン戦争で、
イギリス軍が天然痘患者が使った毛布をフランス軍と協力しているイン
ディアン側の陣地に贈り物として送り、免疫のなかったインディアン部族
の半分を死亡させた。

×フレンチ=インディアン戦争 ○ポンティアック戦争

フレンチ=インディアン戦争は「一七五四年~六七年」ではなくて、1755 ~ 1763 年。
1754 年に始まったとしている資料もあるが、終わったのはパリ条約の 1763 年で一致。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フレンチ・インディアン戦争
>フレンチ・インディアン戦争(英:French and Indian War, 1755年 - 1763年)は、欧州の
>七年戦争(1756年 - 1763年)に呼応して英仏間で争われた北米大陸での植民地戦争。


天然痘の菌に汚染された毛布を、イギリス軍がインディアンに贈ったとされるのは、その
直後に始まったポンティアック戦争での、ピット砦の包囲戦。この戦争は、1966 年の
酋長ポンティアックとウィリアム・ジョンソンとの条約調印で終結のため、唐沢俊一のいう
~六七年」は引っぱりすぎ。

Wikipedia によると、天然痘は毛布のプレゼントの前に既に流行していたこと、毛布を受け
取った酋長が無事だったことなどから、生物兵器としての毛布の効果は疑問視されてい
るとのこと。また、これに先立つ 1761 年に、インディアンが井戸に毒 (動物の死骸) を
入れたという話があるので、「世界で初めて」の生物兵器は毛布ではないと考えるのが
よさそう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ポンティアック戦争
>ポンティアック戦争(‐せんそう 英:Pontiac's Rebellion)は、フレンチ・インディアン戦争
>/七年戦争 (1754-1763)の終結後、イギリスの五大湖地方支配に不満を抱いたアメリ
>カ・インディアンが1763年に始めた戦争である。
〈略〉
>今日でもたぶん一番良く知られている出来事は、ピット砦のイギリス軍士官が天然痘
>の菌に汚染された毛布で取り囲んでいるインディアンを感染させようとしたことである。
〈略〉
>イギリス軍がインディアンを感染させたかどうかは明らかでない。ポンティアック戦争
>中、多くのアメリカ・インディアンが天然痘で死んでいたので、この試みが成功だったと
>いう歴史家も居るが、多くの学者達は現在のその結論を疑っている。理由の一つは、
>オハイオ・インディアンの中の天然痘の流行が明らかに毛布事件よりも前に始まってい
>たことである。さらに、ピット砦の外に居たインディアン達が毛布を受け取ってから1ヶ月
>以上も包囲を続けたことは、明らかに疫病の流行によって影響を受けて居なかったこと
>を示している。(毛布を受け取ったデラウェア族の酋長2人は1ヶ月後も変わらず健康で
>あった。)最後に、天然痘は既にその地域に蔓延していたので、多くの要因でインディ
>アンの村にたどり着いた可能性があるということである。
〈略〉
>^ Anderson, Crucible of War, 541-2; Jennings, Empire of Fortune, 447n26. これは
>未熟な形態の生物兵器がこの地域で試された最初の機会ではなかった。1761年に
>アメリカ・インディアンはリゴニエ砦の井戸に動物の死骸を使って毒を持ち込もうとし
>た。 Dixon, Never Come to Peace, 153.


なお、それよりずっと前、1347 年にモンゴル軍が生物兵器を使用していたという話も。

http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/region/20080524ddlk12040210000c.html
> 生物兵器の歴史は古い。1347年にはモンゴル軍がペスト患者の遺体を敵陣に
>投げ込み、北米のフレンチ・インディアン戦争(1750年代~60年代)では、天然痘
>患者が使った毛布が武器になったという記述も残る。


その他参考 URL:
- http://qa.moura.jp/qa3524457.html?ans_count_asc=1




http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1211615504/408-

408 :無名草子さん:2008/05/29(木) 09:38:49
『唐沢先生の雑学授業』 P182

>世界で初めて生物兵器が使用された場所がアメリカなんだ。まだ独立前だったけど
>一七五四年~六七年のフレンチ=インディアン戦争で、イギリス軍が天然痘患者が
>使った毛布をフランス軍と協力しているインディアン側の陣地に贈り物として送り、
>免疫のなかったインディアン部族の半分を死亡させた。

フレンチ・インディアン戦争は~六三年。唐沢が触れている天然痘患者の毛布のエピソードは
その後のポンティアック戦争でのこと。

ポンティアック戦争Wikipediaによれば
イギリス軍がインディアンを感染させたかどうかは明らかでない。ポンティアック戦争中、多くのアメリカ・インディアンが天然痘で死んでいたので、この試みが成功だったという歴史家も居るが、多くの学者達は現在のその結論を疑っている。
理由の一つは、オハイオ・インディアンの中の天然痘の流行が明らかに毛布事件よりも前に始まっていたことである。さらに、ピット砦の外に居たインディアン達が毛布を受け取ってから1ヶ月以上も包囲を続けたことは、
明らかに疫病の流行によって影響を受けて居なかったことを示している。(毛布を受け取ったデラウェア族の酋長2人は1ヶ月後も変わらず健康であった。)最後に、天然痘は既にその地域に蔓延していたので、
多くの要因でインディアンの村にたどり着いた可能性があるということである。目撃者の証言によれば、病気が蔓延した白人の開拓村を襲ったインディアンが病人に接触し、自分の居留地に戻る途中に病気をまき散らした可能性があるということである。
これらの理由により、歴史家のデイビッド・ディクソンは、「インディアンは多くの感染ルートを通じて恐ろしい病気をうつされたかもしれないが、ピット砦の感染した毛布はその感染ルートの一つに過ぎない」と結論づけた。

としている。



   
 
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