2008/5/25 3:33
漱石の最後の言葉は「ありがとう」という説も その他の雑学本 間違い探し編
『笑うクスリ指』 P.156
これが本当だとして、「最後の言葉」は「なにか食いたい」ではなく、「うまい」では。
上に引用した文章は嵐山光三郎の『文人悪食』を紹介するコラムの一部で、『文人悪食』
の中では、漱石の息子の夏目伸六が書いた文章が引用されている。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
>臨終の十二月九日の様子を夏目伸六はつぎのように記している。
>
> ふと眼を開けた父の最期の言葉は、
>「何か喰いたい」
> という、この期に及んで未だ
>に満し得ぬ食欲への切実 な願望だったのである。で、早速、医者の計いで一匙の
>葡萄酒が与えられることになったが、
>「うまい」
> 父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒のなかに味わって、 又静かに眼を閉じたので
>ある。
唐沢俊一の書いている「うわごとのようなものだったろう」というのは元の文にはないし、
「早速、医者の計らいで一匙の葡萄酒が与えられることになった」という流れからすると、
不自然な気がする。「もちろん、固形物をとらせるわけにはいかないので」も勝手な追加。
さらに、漱石の臨終の言葉として定説となっているのは、「死ぬと困るから」の方だと
いう問題もある。(胸をはだけて「早くここへ水をかけてくれ。死ぬと困るから」といった
という説の他に、「注射をしてくれ、死ぬと困るから」だったという説などもあるようだ)。
http://www.amazon.co.jp/dp/4490104634
>「死ぬと困るから」とか、何とか言ったと思ふと、そのまま目を白くしてしまって、全く
>意識を失ってしまひました…(夏目漱石、夏目鏡子『漱石の思ひ出』、豊島区雑司ヶ谷
>霊園に墓碑)
これは夏目伸六の責任で、嵐山光三郎や唐沢俊一には責任はないと擁護した人もいた
が (Read More 参照)、「夏目伸六はつぎのように記している」と明記している嵐山の方は
まだしも、夏目伸六が記したということについては削除 (省略) して、定説となっている
異説の存在に触れもしない一方で、元の文章にはない妙な記述だけはしっかり加える
唐沢俊一に責任がないとは到底言えない。
『文人悪食』を選んだのも、本の中のどこをどう紹介するかを決めたのも、唐沢俊一自身
であるし、当該コラムは『文人悪食』の内容を正確に要約・紹介しているものですらない
のだから、嵐山光三郎のせいにはできない。唐沢俊一が自分の意志で、その名前を
出さないことにした夏目伸六のせいにできるはずもない。
その他参考 URL :
- http://burari2161.fc2web.com/natumesouseki.htm
- http://blog.emachi.co.jp/syokatu/diary_detail/00000154811/
- http://meigen.ivory.ne.jp/meiku/natsume.htm
- http://after-carnival.seesaa.net/archives/20070929-1.html
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1211202322/953-
953 :無名草子さん:2008/05/24(土) 16:29:53
『笑うクスリ指』漱石と南京豆 P156
>そして、漱石の最後の言葉は、うわごとのようなものだったろうが、「なにか食いたい」だった。
>もちろん、固形物をとらせるわけにはいかないので、家族が葡萄酒をひとさじ飲ませると、
>「うまい」と満足して目を閉じたそうだ。舌を満足させて逝ったのは、案外、人間としては
>幸福な最期なのではないか。
この文章にガセがないとしても、だったら、漱石の最後の言葉は「うまい」。
漱石の弟子内田百聞(門構えの中は耳ではなくて月)の『漱石先生臨終記』によれば、
苦しみながら胸を開いて「早くここへ水をぶっかけてくれ。死ぬと困るから・・・」と訴え、
看護師に水をかけてもらうと、「ありがとう」の言葉を発して意識を失い絶命したという。
>舌を満足させて逝ったのは、案外、人間としては幸福な最期なのではないか。
なんという陳腐で浅薄な言葉、しかもガセとは。
963 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:09:15
>>953
>漱石の弟子内田百聞(門構えの中は耳ではなくて月)の『漱石先生臨終記』によれば、
>苦しみながら胸を開いて「早くここへ水をぶっかけてくれ。死ぬと困るから・・・」と訴え
これは最近買った、コンビニ廉価本タイプの雑学本にも載っていた。
そういうのでさえ間違えるんだから、さすが平均レベルへの到達すら困難な唐沢俊一先生は
違いますね、としか。
964 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:11:46
>最近買った、コンビニ廉価本タイプの雑学本
それって唐沢の本では?
966 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:14:48
>>964
違うよん。
このスレには、一年前の唐沢雑学本(初版w)をなぜかコンビニで目撃したという人もいたけど、
その人とは別人だし。
今年に入ってからは、雑学本なんて出せていない唐沢俊一先生ですから。
969 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:20:34
ああそっか、コンビニ廉価本では漱石の正しい最後の言葉が載っていた、という意味か。
最初読んだ時、唐沢と同じ間違いをしているのかとw
唐沢の本をネタ本に使っていてガセネタ連鎖が生じているのかと思ったw
970 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:28:17
>>953
>そして、漱石の最後の言葉は、うわごとのようなものだったろうが、「なにか食いたい」だった。
>もちろん、固形物をとらせるわけにはいかないので、家族が葡萄酒をひとさじ飲ませると、
>「うまい」と満足して目を閉じたそうだ。
これって、息子の夏目伸六が
>ふと眼を開けた父の最期の言葉は、
>「何か喰いたい」
>という、この期に及んで未だに満し得ぬ食欲への切実な願望だったのである。で、早速、医者の計らいで一匙の葡萄酒が
>与えられることになったが、
>「うまい」
>父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒の中に味わって、又静かに眼を閉じたのである。
と、書いているんだが。
971 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:32:27
たぶん、大元の実話からいくつにも分岐して伝言ゲームのように変容した
逸話のバリエーションがあって、
唐沢の元ネタも大方その分岐の一つなんだろうねえ。
973 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:33:26
看護士が胸に水をぶっかけた、ってのが唐沢オリジナルの捏造とも思えないので。
974 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:35:56
>>970
漱石が死んだとき、伸六は8歳。だから、その文章は大人になってから、かなり作りこんだとも考えられる。
975 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:36:29
ごめん、胸に水を云々は内田百閒先生の「臨終記」のほうだったね、混同したw
977 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:40:39
>>970
それにしても「なにか食いたい」の後に「うまい」と漱石は言っているんだから
どっちにしろガセになってしまっている。
夏目漱石の最期の言葉は「うまい」
の方が、雑学としては綺麗にまとまっているような気もする。
978 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:41:41
>>970
嵐山光三郎の『文人悪食』でも臨終の際の「うまい」が書かれているね。
979 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:43:57
>>978
ただ、それは夏目伸六の文章の引用。
980 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:55:08
混乱してきたので整理すると。
>>953の『笑うクスリ指』は、唐沢が「嵐山光三郎の『文人悪食』のなかの“夏目漱石 ビスケット先生”の
内容を紹介した文章。そして、その“夏目漱石 ビスケット先生”の最後の部分で、>>970の夏目伸六の文章が
引用されている。したがって、漱石の臨終が>>953の描写と異なっていたとしても、それは息子伸六の問題で
嵐山光三郎や唐沢のせいではない。
981 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:20:19
>>980
いや、唐沢の責任だよ。
通説とは異なる臨終の描写をエクスキューズなしに採用しちゃっているんだから。
この人は諸説ある中のひとつの説にすぎないものを「これが正しい」と断定的に書く癖があって、
ガセビアを生む原因になっているから厳しく見た方がいい。
嵐山光三郎の方は、
>臨終の十二月九日の様子を夏目伸六はつぎのように記している。
と前置きしたうえで、夏目伸六の記述として紹介しているからセーフなのでは。
ttp://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
982 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:23:53
>今現在唐沢の取り巻きやってるものです。
唐沢のファンをやっているとか、唐沢と親しくさせてもらっているとかじゃなく
「取り巻きをやっている」って、なんか素敵な関係だなぁ
なんか、チヤホヤさせるための要員を周囲に侍らせているような印象。
しかし現在、唐沢は「こんなメールを送った奴は誰だ?」と戦々恐々では?
983 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:32:10
>>981
>諸説ある中のひとつの説にすぎないものを「これが正しい」と断定的に書く
というのとはちょっと違うんだよ。この「漱石と南京豆」という章は、嵐山の
「夏目漱石 ビスケット先生」の紹介なんだ。そこで、胃潰瘍なのに南京豆を
食べ続けて具合が悪くなったという挿話(これが事実なのかは不明)を示し、
漱石の臨終を書いている。つまり「嵐山光三郎の『文人悪食』にはこんなことが
書いてある」というだけの文章だから、嘘は書いていないのね。
初めてまともな擁護のレスだなw
984 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:39:54
>>980
いやどうだろ、唐沢俊一のことだからなあ。
誰々の書いている何々という本にはこう書いてあるという紹介なのはいいんだけど、
正確な紹介になっていなくてガセビア状態という例は以前にも見つかっているし。
http://tondemonai2.web.fc2.com/322.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/427.html
今回もまあ、少なくとも「うまい」じゃなくて「何か喰いたい」を「最後の言葉」に選んだのは、
唐沢俊一のオリジナリティあるれるガセ混入であるのは確かなんでしょ?
985 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:55:53
嵐山光三郎の本の方ではきちんと引用元明記の形で引用されていたのなら、
そうとわからなくして、特に異説もない文学史上の確定事項のような
書き方にしている唐沢の文章ってのは、いつもの劣化コピーに分類できるかも。
しかし、連載コラムまるごと、劣化コピー分は多少混じっているものの、
特に何も足すわけでもない他人の本の要約・紹介って、素人のブログでも
巡回して読んでいる方がはるかにマシでは。
986 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:58:24
これも、この人はそんなこと言っていないのでは?のパターン。
http://tondemonai2.web.fc2.com/445.html
987 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:58:25
>>983
いや、それでもやっぱりガセだから。
「漱石が胃潰瘍なのに南京豆を食べ続けていた」のはおそらく事実だが。
>漱石に関する食の嗜好は、このご自身の講話と、鏡子夫人の『漱石の思い出』(角川文庫)に出ているが、
>この文豪が砂糖のついた南京豆のお菓子が好きだったという挿話だけが、強く印象に残る。
ttp://www.yurindo.co.jp/yurin/back/432_4.html
そもそも、嵐山光三郎が夏目伸六の文章をそのまま引用しているのが問題なのでRが、
嵐山の文章から夏目伸六の文章を孫引きして、
>そして、漱石の最後の言葉は、うわごとのようなものだったろうが、「なにか食いたい」だった。
と事実であるかのように書いているのが問題。
『文人悪食』の紹介だとしても、書かれている内容が事実と異なることは一言付け加えるべきだろう。
988 :無名草子さん:2008/05/24(土) 19:03:48
夏目伸六の文章というのが、>>970 の通りだったとすると、
>そして、漱石の最後の言葉は、うわごとのようなものだったろうが、「なにか食いたい」だった。
の「うわごとのようなものだったろうが」に、かなり違和感を覚えるのだが。
意識は比較的はっきりしていたという設定で、じゃあと葡萄酒を与えることにしたという
話なんじゃないの、本来は。
989 :無名草子さん:2008/05/24(土) 19:21:13
>>987
>『文人悪食』の紹介だとしても、書かれている内容が事実と異なることは一言付け加えるべきだろう。
まあ書かなくてもよいんだけど、その場合は、このガセビア野郎とか嘘書きやがってとかいう非難も
甘んじて受けるべしってことですな。自分で引用元不明確な方向に改悪して紹介した場合はなおさら。
そして、漱石の最後の言葉は、うわごとのようなものだったろうが、「なにか
食いたい」だった。もちろん、固形物をとらせるわけにはいかないので、家族
が葡萄酒をひとさじ飲ませると、「うまい」と満足して目を閉じたそうだ。舌を
満足させて逝ったのは、案外、人間としては幸福な最期なのではないか。
これが本当だとして、「最後の言葉」は「なにか食いたい」ではなく、「うまい」では。
上に引用した文章は嵐山光三郎の『文人悪食』を紹介するコラムの一部で、『文人悪食』
の中では、漱石の息子の夏目伸六が書いた文章が引用されている。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
>臨終の十二月九日の様子を夏目伸六はつぎのように記している。
>
> ふと眼を開けた父の最期の言葉は、
>「何か喰いたい」
> という、この期に及んで未だ
>に満し得ぬ食欲への切実 な願望だったのである。で、早速、医者の計いで一匙の
>葡萄酒が与えられることになったが、
>「うまい」
> 父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒のなかに味わって、 又静かに眼を閉じたので
>ある。
唐沢俊一の書いている「うわごとのようなものだったろう」というのは元の文にはないし、
「早速、医者の計らいで一匙の葡萄酒が与えられることになった」という流れからすると、
不自然な気がする。「もちろん、固形物をとらせるわけにはいかないので」も勝手な追加。
さらに、漱石の臨終の言葉として定説となっているのは、「死ぬと困るから」の方だと
いう問題もある。(胸をはだけて「早くここへ水をかけてくれ。死ぬと困るから」といった
という説の他に、「注射をしてくれ、死ぬと困るから」だったという説などもあるようだ)。
http://www.amazon.co.jp/dp/4490104634
>「死ぬと困るから」とか、何とか言ったと思ふと、そのまま目を白くしてしまって、全く
>意識を失ってしまひました…(夏目漱石、夏目鏡子『漱石の思ひ出』、豊島区雑司ヶ谷
>霊園に墓碑)
これは夏目伸六の責任で、嵐山光三郎や唐沢俊一には責任はないと擁護した人もいた
が (Read More 参照)、「夏目伸六はつぎのように記している」と明記している嵐山の方は
まだしも、夏目伸六が記したということについては削除 (省略) して、定説となっている
異説の存在に触れもしない一方で、元の文章にはない妙な記述だけはしっかり加える
唐沢俊一に責任がないとは到底言えない。
『文人悪食』を選んだのも、本の中のどこをどう紹介するかを決めたのも、唐沢俊一自身
であるし、当該コラムは『文人悪食』の内容を正確に要約・紹介しているものですらない
のだから、嵐山光三郎のせいにはできない。唐沢俊一が自分の意志で、その名前を
出さないことにした夏目伸六のせいにできるはずもない。
その他参考 URL :
- http://burari2161.fc2web.com/natumesouseki.htm
- http://blog.emachi.co.jp/syokatu/diary_detail/00000154811/
- http://meigen.ivory.ne.jp/meiku/natsume.htm
- http://after-carnival.seesaa.net/archives/20070929-1.html
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1211202322/953-
953 :無名草子さん:2008/05/24(土) 16:29:53
『笑うクスリ指』漱石と南京豆 P156
>そして、漱石の最後の言葉は、うわごとのようなものだったろうが、「なにか食いたい」だった。
>もちろん、固形物をとらせるわけにはいかないので、家族が葡萄酒をひとさじ飲ませると、
>「うまい」と満足して目を閉じたそうだ。舌を満足させて逝ったのは、案外、人間としては
>幸福な最期なのではないか。
この文章にガセがないとしても、だったら、漱石の最後の言葉は「うまい」。
漱石の弟子内田百聞(門構えの中は耳ではなくて月)の『漱石先生臨終記』によれば、
苦しみながら胸を開いて「早くここへ水をぶっかけてくれ。死ぬと困るから・・・」と訴え、
看護師に水をかけてもらうと、「ありがとう」の言葉を発して意識を失い絶命したという。
>舌を満足させて逝ったのは、案外、人間としては幸福な最期なのではないか。
なんという陳腐で浅薄な言葉、しかもガセとは。
963 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:09:15
>>953
>漱石の弟子内田百聞(門構えの中は耳ではなくて月)の『漱石先生臨終記』によれば、
>苦しみながら胸を開いて「早くここへ水をぶっかけてくれ。死ぬと困るから・・・」と訴え
これは最近買った、コンビニ廉価本タイプの雑学本にも載っていた。
そういうのでさえ間違えるんだから、さすが平均レベルへの到達すら困難な唐沢俊一先生は
違いますね、としか。
964 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:11:46
>最近買った、コンビニ廉価本タイプの雑学本
それって唐沢の本では?
966 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:14:48
>>964
違うよん。
このスレには、一年前の唐沢雑学本(初版w)をなぜかコンビニで目撃したという人もいたけど、
その人とは別人だし。
今年に入ってからは、雑学本なんて出せていない唐沢俊一先生ですから。
969 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:20:34
ああそっか、コンビニ廉価本では漱石の正しい最後の言葉が載っていた、という意味か。
最初読んだ時、唐沢と同じ間違いをしているのかとw
唐沢の本をネタ本に使っていてガセネタ連鎖が生じているのかと思ったw
970 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:28:17
>>953
>そして、漱石の最後の言葉は、うわごとのようなものだったろうが、「なにか食いたい」だった。
>もちろん、固形物をとらせるわけにはいかないので、家族が葡萄酒をひとさじ飲ませると、
>「うまい」と満足して目を閉じたそうだ。
これって、息子の夏目伸六が
>ふと眼を開けた父の最期の言葉は、
>「何か喰いたい」
>という、この期に及んで未だに満し得ぬ食欲への切実な願望だったのである。で、早速、医者の計らいで一匙の葡萄酒が
>与えられることになったが、
>「うまい」
>父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒の中に味わって、又静かに眼を閉じたのである。
と、書いているんだが。
971 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:32:27
たぶん、大元の実話からいくつにも分岐して伝言ゲームのように変容した
逸話のバリエーションがあって、
唐沢の元ネタも大方その分岐の一つなんだろうねえ。
973 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:33:26
看護士が胸に水をぶっかけた、ってのが唐沢オリジナルの捏造とも思えないので。
974 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:35:56
>>970
漱石が死んだとき、伸六は8歳。だから、その文章は大人になってから、かなり作りこんだとも考えられる。
975 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:36:29
ごめん、胸に水を云々は内田百閒先生の「臨終記」のほうだったね、混同したw
977 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:40:39
>>970
それにしても「なにか食いたい」の後に「うまい」と漱石は言っているんだから
どっちにしろガセになってしまっている。
夏目漱石の最期の言葉は「うまい」
の方が、雑学としては綺麗にまとまっているような気もする。
978 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:41:41
>>970
嵐山光三郎の『文人悪食』でも臨終の際の「うまい」が書かれているね。
979 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:43:57
>>978
ただ、それは夏目伸六の文章の引用。
980 :無名草子さん:2008/05/24(土) 17:55:08
混乱してきたので整理すると。
>>953の『笑うクスリ指』は、唐沢が「嵐山光三郎の『文人悪食』のなかの“夏目漱石 ビスケット先生”の
内容を紹介した文章。そして、その“夏目漱石 ビスケット先生”の最後の部分で、>>970の夏目伸六の文章が
引用されている。したがって、漱石の臨終が>>953の描写と異なっていたとしても、それは息子伸六の問題で
嵐山光三郎や唐沢のせいではない。
981 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:20:19
>>980
いや、唐沢の責任だよ。
通説とは異なる臨終の描写をエクスキューズなしに採用しちゃっているんだから。
この人は諸説ある中のひとつの説にすぎないものを「これが正しい」と断定的に書く癖があって、
ガセビアを生む原因になっているから厳しく見た方がいい。
嵐山光三郎の方は、
>臨終の十二月九日の様子を夏目伸六はつぎのように記している。
と前置きしたうえで、夏目伸六の記述として紹介しているからセーフなのでは。
ttp://www.shinchosha.co.jp/books/html/141905.html
982 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:23:53
>今現在唐沢の取り巻きやってるものです。
唐沢のファンをやっているとか、唐沢と親しくさせてもらっているとかじゃなく
「取り巻きをやっている」って、なんか素敵な関係だなぁ
なんか、チヤホヤさせるための要員を周囲に侍らせているような印象。
しかし現在、唐沢は「こんなメールを送った奴は誰だ?」と戦々恐々では?
983 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:32:10
>>981
>諸説ある中のひとつの説にすぎないものを「これが正しい」と断定的に書く
というのとはちょっと違うんだよ。この「漱石と南京豆」という章は、嵐山の
「夏目漱石 ビスケット先生」の紹介なんだ。そこで、胃潰瘍なのに南京豆を
食べ続けて具合が悪くなったという挿話(これが事実なのかは不明)を示し、
漱石の臨終を書いている。つまり「嵐山光三郎の『文人悪食』にはこんなことが
書いてある」というだけの文章だから、嘘は書いていないのね。
初めてまともな擁護のレスだなw
984 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:39:54
>>980
いやどうだろ、唐沢俊一のことだからなあ。
誰々の書いている何々という本にはこう書いてあるという紹介なのはいいんだけど、
正確な紹介になっていなくてガセビア状態という例は以前にも見つかっているし。
http://tondemonai2.web.fc2.com/322.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/427.html
今回もまあ、少なくとも「うまい」じゃなくて「何か喰いたい」を「最後の言葉」に選んだのは、
唐沢俊一のオリジナリティあるれるガセ混入であるのは確かなんでしょ?
985 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:55:53
嵐山光三郎の本の方ではきちんと引用元明記の形で引用されていたのなら、
そうとわからなくして、特に異説もない文学史上の確定事項のような
書き方にしている唐沢の文章ってのは、いつもの劣化コピーに分類できるかも。
しかし、連載コラムまるごと、劣化コピー分は多少混じっているものの、
特に何も足すわけでもない他人の本の要約・紹介って、素人のブログでも
巡回して読んでいる方がはるかにマシでは。
986 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:58:24
これも、この人はそんなこと言っていないのでは?のパターン。
http://tondemonai2.web.fc2.com/445.html
987 :無名草子さん:2008/05/24(土) 18:58:25
>>983
いや、それでもやっぱりガセだから。
「漱石が胃潰瘍なのに南京豆を食べ続けていた」のはおそらく事実だが。
>漱石に関する食の嗜好は、このご自身の講話と、鏡子夫人の『漱石の思い出』(角川文庫)に出ているが、
>この文豪が砂糖のついた南京豆のお菓子が好きだったという挿話だけが、強く印象に残る。
ttp://www.yurindo.co.jp/yurin/back/432_4.html
そもそも、嵐山光三郎が夏目伸六の文章をそのまま引用しているのが問題なのでRが、
嵐山の文章から夏目伸六の文章を孫引きして、
>そして、漱石の最後の言葉は、うわごとのようなものだったろうが、「なにか食いたい」だった。
と事実であるかのように書いているのが問題。
『文人悪食』の紹介だとしても、書かれている内容が事実と異なることは一言付け加えるべきだろう。
988 :無名草子さん:2008/05/24(土) 19:03:48
夏目伸六の文章というのが、>>970 の通りだったとすると、
>そして、漱石の最後の言葉は、うわごとのようなものだったろうが、「なにか食いたい」だった。
の「うわごとのようなものだったろうが」に、かなり違和感を覚えるのだが。
意識は比較的はっきりしていたという設定で、じゃあと葡萄酒を与えることにしたという
話なんじゃないの、本来は。
989 :無名草子さん:2008/05/24(土) 19:21:13
>>987
>『文人悪食』の紹介だとしても、書かれている内容が事実と異なることは一言付け加えるべきだろう。
まあ書かなくてもよいんだけど、その場合は、このガセビア野郎とか嘘書きやがってとかいう非難も
甘んじて受けるべしってことですな。自分で引用元不明確な方向に改悪して紹介した場合はなおさら。