2008/5/18 13:26
個人的には、たい焼きのしっぽに餡はいらない派 その他の雑学本 間違い探し編
『お怪物図鑑』 毎日毎日…… P.102
たい焼きのしっぽにまで餡が入っているのがよいかどうかについては、「たい焼き論争」
もいわれる論争があったと聞く。
唐沢俊一の主張は、下に引用する「たい焼き論争」の意見の中の、「もともとしっぽは、
指でつまんで食べるための持ち手であり、最後に捨ててしまうものだったので、餡は
無いのが正式である。」に近い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/たい焼き
>しっぽ(鯛の尾部)まで餡が入っているかどうか、また入っているべきか否かについて、
>かつて文学者を巻き込んだ「たい焼き論争」とでもいうべき論争があった。これは、
>小説家の安藤鶴夫が「たい焼きはしっぽまで餡が入っているのがおいしい」という趣旨
>の話を読売新聞に書いたところ、反論があったもので、
>「もともとしっぽは、指でつまんで食べるための持ち手であり、最後に捨ててしまうもの
>だったので、餡は無いのが正式である。」
>「甘い餡を食べた最後の口直しとするために、餡を入れるべきではない。」
>「しっぽの先まで餡が入っていないと、損をしたような気がするので、入れるべきだ。」
>「しっぽまで餡が入っていることで、値打ち感のアップなどの差別化が図れる。」
>などが代表的な争点とされる。また、上記に関連して、頭から食べるのが正統かしっぽ
>から食べるのが正統かという議論も繰り広げられた。
最初に読売新聞に書いた安藤鶴夫は、唐沢俊一のいう「それをまた褒める文化人」の
代表となるのであろうが、彼は東京の浅草生まれで、到底「田舎者」とはいえない出自。
http://ja.wikipedia.org/wiki/安藤鶴夫
>東京市浅草区向柳原町(現在の東京都台東区浅草橋)に、義太夫の八代目竹本
>都太夫の長男として生まれる。
そして、安藤鶴夫に、「しっぽのはじっこまで、見事にあんが入っていた」、「人間の誠実さ
を味わった」と、読売新聞誌上で褒められたのが、東京都四ツ谷の「わかば」。これも、
唐沢俊一にいわせると「田舎者」になってしまう。
http://nojee.livedoor.biz/archives/54898065.html
>誠実たい ・・・ わかば(東京都四ツ谷)
>「わかば」といえば「たい焼論争」で名高い。直木賞作家で演劇評論家の安藤鶴夫と、
>監督で食道楽で知られる山本嘉次郎が「わかば」のたい焼で大真面目に論争したの
>だ。ことのはじまりは「あんつるさん」の名で親しまれた作家が、わかばのたい焼を
>「尻尾まで餡が入った誠実さ」と評したのが起こり。
> この一文は昭和28年3月19日の読売新聞に掲載された。そこにはこう書かれている。
>「・・・しっぽから食べたら、しっぽのはじっこまで、見事にあんが入っていた。・・・戦争
>この方、もう永い間、たいやきのしっぽにあんこの入っているのを食べたことがない。・・・
>ぼくはいたく感動して・・・そのことを主人に褒めた。すると主人は・・・実は、それをいって
>頂きたかったのですが、どなたからもいわれたことがなかったという意味のことをいって、
>ぼくに一つ頭を下げ、ほろりとした。たいやきのしっぽに、あんこが入っているのはあた
>りまえのことである。だが、戦争以来、いまだに、あたりまえのことがあたりまえになっ
>ていないようだ。一つ金十円也のたいやきにうまいまずいをいうのではない。ぼくはそ
>のたいやきに、人間の誠実さを味わった」 (途中省略)
> 一方、「尻尾はいうなら箸なおし、餡はしつこい」と反論したのが映画監督の山本嘉次
>郎だった。監督は麻布十番「浪花家総本店」のたい焼をこよなく愛する人だ。この論争
>はマスコミを巻き込んで、大喧嘩に発展。最後は落語家の古今亭志ん生が仲裁に
>入り、両者の言い分を尊重、ドロー試合に終わる。
ちなみに、論争相手の山本嘉次郎も東京人。麻布十番「浪花家総本店」は餡を味わう
こと重視のパリパリの薄皮のたい焼きで、少なくとも現在は、しっぽまで餡がぎっしり
つまっているそうだけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/山本嘉次郎
>東京都銀座采女町に生まれる。実家は飲食店で親子丼を発明し売り出した。
彼の主張は、先に引用した Wikipedia に列挙されている意見の中の、「甘い餡を食べた
最後の口直しとするために、餡を入れるべきではない。」に近い。昔、赤塚不二夫が
『天才バカボン』に同じようなことを書いていた記憶があるけど、由来や歴史がどうとかと
いうより、味わい重視の視点からの反論に思える。
いやまあ、「餡は無いのが正式」というスタンスで熱く主張するのもありだと思うけど、
それにあたって、意見の違う相手を「鯛焼きの歴史を知らない田舎者」などと、的外れ
でもあり野暮でもある罵倒をしては駄目だろう。それも唐沢俊一のような地方 (北海道)
出身の立場で。
その他参考 URL :
- http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3293664.html
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1210096847/438-
438 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:11:39
『お怪物図鑑』 毎日毎日…… P102
>よく、「尻尾までアンがぎっしり」
>などと宣伝する鯛焼き屋があって、それをまた褒める文化人などがいるが、
>鯛焼きの歴史を知らない田舎者もはなはだしい。
「尻尾までアンがぎっしり」を売りにしている鯛焼き屋といったら、四谷の「わかば」のことだろう。
もっとも、唐沢がこの店のことを知っていて書いているとは思えないけどね。この店は―
「鯛焼きのしっぽにはいつもあんこがありますやうに」という安藤鶴夫の言葉を家訓としているのだ。
安藤鶴夫も、唐沢みたいな屯田兵から「田舎者もはなはだしい」と罵られようとは夢にも思っていなかったろう。
445 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:50:29
>>438
安藤鶴夫が読売新聞紙上で、たい焼にしっぽまでアンコが入っていたのを
取り上げて、「人間の誠実を味わった」と書いたことがある。
それに対し、山本嘉次郎が「しっぽまでアンコが入っているのは邪道」とか
反論して、紙上で大論争に。
http://nojee.livedoor.biz/archives/54898065.html
論争は、古今亭志ん生が仲裁に入りドローに終わったはずなのだが・・・
447 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:58:17
唐沢の場合は確固たる信念があって「タイ焼きは」とか語っているワケではなく
落語家とか、その道の人が語っているのを聞いただけでそれについて語っているだけ。
なんか異常に「古来日本では」とか「日本の伝統は」とか語りたがるけど
そんな過去とは関係ないサブカルでオタクの人だったんじゃないの?
いつの間にか唐沢という男は伝統を重んじ、失われている風習を憂うスタンスになったんだ?
448 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:59:13
同じ江戸っ子で、粋人でもある安藤と山本の論争(鯛焼きごときで)だから面白い。
ここに洒落のわからない「田舎者もはなはだしい」唐沢が「鯛焼きの歴史」なんてことを
ほざいて参入してくるのが不愉快だなあ。
449 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:59:41
その返す刀で鬼畜を自称する男だからw
450 :無名草子さん:2008/05/13(火) 10:02:53
鯛焼きの尻尾にはあんこが入っていない方が、口直しになっていいんだぞと、
赤塚不二夫が『天才バカボン』に書いていた。
452 :無名草子さん:2008/05/13(火) 10:03:37
最初にたい焼きを考案した「麻布 浪花屋総本店」では、尻尾まであんこが入っているようだ。
「たい焼き開業日記:たい焼きの歴史」
http://blog.root-s.com/?eid=509649
>さて、たい焼きを語る上で欠かせないのはやはり“麻布 浪花屋総本店”さんの存在です。
>同じたい焼屋さんですからいわゆる同業、ライバルではあるのですが、もうたい焼きの歴史
>そのものである浪花屋さんはそんなこと関係ない格別の存在ですので尊敬と敬意を込めて
>書かせて頂きます。
>浪花家総本店の店名の由来は、初代神戸清次郎が浪花(現在の大阪)出身であったため、
>故郷にちなんで浪花家と命名。創業は明治42年(1909年)。神戸清次郎さんが、すでに
>あった今川焼と人形焼にヒントを得て考案し、その型を「おめでたい魚『鯛』」とした事で
>差別化に成功。明治末期の時勢とも相まって、一躍「浪花家のたいやき」の名が広まった
>そうです。
>「うちのは“あんこを食べる”たいやき。食べやすいように皮で包んであるんです」
>とは神戸さんが話す通り、頭から尻尾の先まで餡子がギッシリと詰まっていて、薄皮の
>パリッとした食感と香ばしさも堪らないたい焼きのルーツはここにあるのです。
454 :無名草子さん:2008/05/13(火) 10:06:46
タイ焼きのシッポにアンコが入っているのがいいかどうかは個人の見解で
それは食に関する趣味の問題だとおもうので
せいぜい「自分はこれが正しいと思う」で論争すればいい。
ただ唐沢は
>鯛焼きの歴史を知らない田舎者もはなはだしい。
と、正しいを主張するのではなく、正しくないと思う側を批判するだけという浅ましさ。
しかも田舎者というキーワードで他者を批判する。
この人、これまでに何度も他人を批判する時に「田舎者」を出してきているよね。
自分が19歳までいた場所がどこかを忘れているんじゃないの?
467 :無名草子さん:2008/05/13(火) 10:47:56
>よく、「尻尾までアンがぎっしり」
>などと宣伝する鯛焼き屋があって、それをまた褒める文化人などがいるが、
>鯛焼きの歴史を知らない田舎者もはなはだしい。
(唐沢『お怪物図鑑』)
>頭から尻尾の先まで餡子がギッシリ
(最初にたい焼きを考案した「浪花屋総本店」の鯛焼き)
よく、
「尻尾までアンがぎっしり」
などと宣伝する鯛焼き屋があって、それをまた褒める文化人などがいるが、
鯛焼きの歴史を知らない田舎者もはなはだしい。
たい焼きのしっぽにまで餡が入っているのがよいかどうかについては、「たい焼き論争」
もいわれる論争があったと聞く。
唐沢俊一の主張は、下に引用する「たい焼き論争」の意見の中の、「もともとしっぽは、
指でつまんで食べるための持ち手であり、最後に捨ててしまうものだったので、餡は
無いのが正式である。」に近い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/たい焼き
>しっぽ(鯛の尾部)まで餡が入っているかどうか、また入っているべきか否かについて、
>かつて文学者を巻き込んだ「たい焼き論争」とでもいうべき論争があった。これは、
>小説家の安藤鶴夫が「たい焼きはしっぽまで餡が入っているのがおいしい」という趣旨
>の話を読売新聞に書いたところ、反論があったもので、
>「もともとしっぽは、指でつまんで食べるための持ち手であり、最後に捨ててしまうもの
>だったので、餡は無いのが正式である。」
>「甘い餡を食べた最後の口直しとするために、餡を入れるべきではない。」
>「しっぽの先まで餡が入っていないと、損をしたような気がするので、入れるべきだ。」
>「しっぽまで餡が入っていることで、値打ち感のアップなどの差別化が図れる。」
>などが代表的な争点とされる。また、上記に関連して、頭から食べるのが正統かしっぽ
>から食べるのが正統かという議論も繰り広げられた。
最初に読売新聞に書いた安藤鶴夫は、唐沢俊一のいう「それをまた褒める文化人」の
代表となるのであろうが、彼は東京の浅草生まれで、到底「田舎者」とはいえない出自。
http://ja.wikipedia.org/wiki/安藤鶴夫
>東京市浅草区向柳原町(現在の東京都台東区浅草橋)に、義太夫の八代目竹本
>都太夫の長男として生まれる。
そして、安藤鶴夫に、「しっぽのはじっこまで、見事にあんが入っていた」、「人間の誠実さ
を味わった」と、読売新聞誌上で褒められたのが、東京都四ツ谷の「わかば」。これも、
唐沢俊一にいわせると「田舎者」になってしまう。
http://nojee.livedoor.biz/archives/54898065.html
>誠実たい ・・・ わかば(東京都四ツ谷)
>「わかば」といえば「たい焼論争」で名高い。直木賞作家で演劇評論家の安藤鶴夫と、
>監督で食道楽で知られる山本嘉次郎が「わかば」のたい焼で大真面目に論争したの
>だ。ことのはじまりは「あんつるさん」の名で親しまれた作家が、わかばのたい焼を
>「尻尾まで餡が入った誠実さ」と評したのが起こり。
> この一文は昭和28年3月19日の読売新聞に掲載された。そこにはこう書かれている。
>「・・・しっぽから食べたら、しっぽのはじっこまで、見事にあんが入っていた。・・・戦争
>この方、もう永い間、たいやきのしっぽにあんこの入っているのを食べたことがない。・・・
>ぼくはいたく感動して・・・そのことを主人に褒めた。すると主人は・・・実は、それをいって
>頂きたかったのですが、どなたからもいわれたことがなかったという意味のことをいって、
>ぼくに一つ頭を下げ、ほろりとした。たいやきのしっぽに、あんこが入っているのはあた
>りまえのことである。だが、戦争以来、いまだに、あたりまえのことがあたりまえになっ
>ていないようだ。一つ金十円也のたいやきにうまいまずいをいうのではない。ぼくはそ
>のたいやきに、人間の誠実さを味わった」 (途中省略)
> 一方、「尻尾はいうなら箸なおし、餡はしつこい」と反論したのが映画監督の山本嘉次
>郎だった。監督は麻布十番「浪花家総本店」のたい焼をこよなく愛する人だ。この論争
>はマスコミを巻き込んで、大喧嘩に発展。最後は落語家の古今亭志ん生が仲裁に
>入り、両者の言い分を尊重、ドロー試合に終わる。
ちなみに、論争相手の山本嘉次郎も東京人。麻布十番「浪花家総本店」は餡を味わう
こと重視のパリパリの薄皮のたい焼きで、少なくとも現在は、しっぽまで餡がぎっしり
つまっているそうだけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/山本嘉次郎
>東京都銀座采女町に生まれる。実家は飲食店で親子丼を発明し売り出した。
彼の主張は、先に引用した Wikipedia に列挙されている意見の中の、「甘い餡を食べた
最後の口直しとするために、餡を入れるべきではない。」に近い。昔、赤塚不二夫が
『天才バカボン』に同じようなことを書いていた記憶があるけど、由来や歴史がどうとかと
いうより、味わい重視の視点からの反論に思える。
いやまあ、「餡は無いのが正式」というスタンスで熱く主張するのもありだと思うけど、
それにあたって、意見の違う相手を「鯛焼きの歴史を知らない田舎者」などと、的外れ
でもあり野暮でもある罵倒をしては駄目だろう。それも唐沢俊一のような地方 (北海道)
出身の立場で。
その他参考 URL :
- http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3293664.html
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1210096847/438-
438 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:11:39
『お怪物図鑑』 毎日毎日…… P102
>よく、「尻尾までアンがぎっしり」
>などと宣伝する鯛焼き屋があって、それをまた褒める文化人などがいるが、
>鯛焼きの歴史を知らない田舎者もはなはだしい。
「尻尾までアンがぎっしり」を売りにしている鯛焼き屋といったら、四谷の「わかば」のことだろう。
もっとも、唐沢がこの店のことを知っていて書いているとは思えないけどね。この店は―
「鯛焼きのしっぽにはいつもあんこがありますやうに」という安藤鶴夫の言葉を家訓としているのだ。
安藤鶴夫も、唐沢みたいな屯田兵から「田舎者もはなはだしい」と罵られようとは夢にも思っていなかったろう。
445 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:50:29
>>438
安藤鶴夫が読売新聞紙上で、たい焼にしっぽまでアンコが入っていたのを
取り上げて、「人間の誠実を味わった」と書いたことがある。
それに対し、山本嘉次郎が「しっぽまでアンコが入っているのは邪道」とか
反論して、紙上で大論争に。
http://nojee.livedoor.biz/archives/54898065.html
論争は、古今亭志ん生が仲裁に入りドローに終わったはずなのだが・・・
447 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:58:17
唐沢の場合は確固たる信念があって「タイ焼きは」とか語っているワケではなく
落語家とか、その道の人が語っているのを聞いただけでそれについて語っているだけ。
なんか異常に「古来日本では」とか「日本の伝統は」とか語りたがるけど
そんな過去とは関係ないサブカルでオタクの人だったんじゃないの?
いつの間にか唐沢という男は伝統を重んじ、失われている風習を憂うスタンスになったんだ?
448 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:59:13
同じ江戸っ子で、粋人でもある安藤と山本の論争(鯛焼きごときで)だから面白い。
ここに洒落のわからない「田舎者もはなはだしい」唐沢が「鯛焼きの歴史」なんてことを
ほざいて参入してくるのが不愉快だなあ。
449 :無名草子さん:2008/05/13(火) 09:59:41
その返す刀で鬼畜を自称する男だからw
450 :無名草子さん:2008/05/13(火) 10:02:53
鯛焼きの尻尾にはあんこが入っていない方が、口直しになっていいんだぞと、
赤塚不二夫が『天才バカボン』に書いていた。
452 :無名草子さん:2008/05/13(火) 10:03:37
最初にたい焼きを考案した「麻布 浪花屋総本店」では、尻尾まであんこが入っているようだ。
「たい焼き開業日記:たい焼きの歴史」
http://blog.root-s.com/?eid=509649
>さて、たい焼きを語る上で欠かせないのはやはり“麻布 浪花屋総本店”さんの存在です。
>同じたい焼屋さんですからいわゆる同業、ライバルではあるのですが、もうたい焼きの歴史
>そのものである浪花屋さんはそんなこと関係ない格別の存在ですので尊敬と敬意を込めて
>書かせて頂きます。
>浪花家総本店の店名の由来は、初代神戸清次郎が浪花(現在の大阪)出身であったため、
>故郷にちなんで浪花家と命名。創業は明治42年(1909年)。神戸清次郎さんが、すでに
>あった今川焼と人形焼にヒントを得て考案し、その型を「おめでたい魚『鯛』」とした事で
>差別化に成功。明治末期の時勢とも相まって、一躍「浪花家のたいやき」の名が広まった
>そうです。
>「うちのは“あんこを食べる”たいやき。食べやすいように皮で包んであるんです」
>とは神戸さんが話す通り、頭から尻尾の先まで餡子がギッシリと詰まっていて、薄皮の
>パリッとした食感と香ばしさも堪らないたい焼きのルーツはここにあるのです。
454 :無名草子さん:2008/05/13(火) 10:06:46
タイ焼きのシッポにアンコが入っているのがいいかどうかは個人の見解で
それは食に関する趣味の問題だとおもうので
せいぜい「自分はこれが正しいと思う」で論争すればいい。
ただ唐沢は
>鯛焼きの歴史を知らない田舎者もはなはだしい。
と、正しいを主張するのではなく、正しくないと思う側を批判するだけという浅ましさ。
しかも田舎者というキーワードで他者を批判する。
この人、これまでに何度も他人を批判する時に「田舎者」を出してきているよね。
自分が19歳までいた場所がどこかを忘れているんじゃないの?
467 :無名草子さん:2008/05/13(火) 10:47:56
>よく、「尻尾までアンがぎっしり」
>などと宣伝する鯛焼き屋があって、それをまた褒める文化人などがいるが、
>鯛焼きの歴史を知らない田舎者もはなはだしい。
(唐沢『お怪物図鑑』)
>頭から尻尾の先まで餡子がギッシリ
(最初にたい焼きを考案した「浪花屋総本店」の鯛焼き)