トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/5/9  1:19

産婦人科医の機嫌が悪くなるのはガセだからでは  『トンデモ一行知識の逆襲』間違い探し編

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.217 ~ P.218
 オギノ式のことを別名「バチカン・ルーレット」と言う。カトリックが唯一公認
している避妊法だからである。

 などという一行知識は、聖職者にも産婦人科医にも眉を顰めさせる。産婦人
科医が眉を顰めるのは、オギノ式はもともと、月経と時期的関連性において
排卵期と受胎期の関係を明らかにした不妊治療法だからである。
 ついでに言うと、荻野久作博士が発表したこの説は、産婦人科学で世界の
トップだったドイツ医学界が日本人に先を越されたということで長いこと認め
ようとせず、昭和五年に荻野博士が論文をわざわざドイツ語で発表してから
やっと認められるようになり、しかもヨーロッパでは荻野博士ひとりに名誉を
与えたくないため、同様の研究をしていたクナウスとの連名で(荻野学説は
クナウスのそれよりはるかに正確で新しかったにもかかわらず) オギノ -
クナウス理論と呼ばれている、というような知識を披露することで、さらに
産婦人科医たちの機嫌を悪くすることが可能である。


はるかに正確で新しかったにもかかわらず」では意味が通らないような。「はるかに
正確で先行して発表されたにもかかわらず」とかなら、わかるのだが。

実は、荻野久作が 1924 年に発表した論文を長いこと認めなかったのは、ドイツではなく
日本の医学会。荻野久作本人は、自分が新潟の一開業医だったことと、年齢の若さが
日本の産婦人科医学に取り入れられなかった原因だろうと、インタビューにこたえ分析
している [2]。

日本で発表した 6 年後、1930 年にドイツの婦人科中央雑誌に発表した論文は「大反響
を起こ
」したとのことで [1]、「ドイツ医学界が日本人に先を越されたということで長いこと
認めようとせず
」などという話は、他を探しても見つからなかった。

そして、ググった限りでは、外国では「オギノ - クナウス理論」というより「クナウス - オギノ
方式」 (Knaus-Ogino method, Knaus-Ogino-Verhütungsmethode) と呼ばれていて、
これが指すのは、「排卵日と受胎日」についての理論自体というよりも、その理論を利用
した避妊法の方 (Rhythm Method、Calendar-based methods ともいう)。

避妊法の名前にオーストリア人のヘルマン・クナウス(Hermann Knaus)の名前がついて
いるのは、彼が荻野の理論に追随し、さらに避妊法として利用することを提唱したため。[3]
ただし、荻野久作本人は、自分の理論が避妊法に使われることについては、確実性の
低さを理由に強く反対していた。

[1] - http://www.lib.niigata-u.ac.jp/Bunkan/ogino1.html
>大正13年(1924年)     論文Γ排卵の時期、黄体と子宮粘膜の周期的変化と
>                 の関係、子宮粘膜の周期的変化の周期及び受胎日に
>                 ついて」を日本婦人科学会雑誌に発表
>                 「人類黄体の研究」を学位論文として東京帝国大学
>                 に提出、医学博士の学位を得る。
>昭和5年(1930年)     ドイツの婦人科中央雑誌に、論文「排卵日と受胎日」
>                 を発表、大反響を起こす。


[2] - http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2006_07.html#02
>「ひとはいつ受胎するのか?」その時期が特定できれば、妊娠調整が可能となり女性
>を苦しみから救えるはず。久作は、設備も資金もないなか、患者から地道に聞き取りを
>重ねることで膨大なデータを収集。そして、ついに一つの法則を見つけ出した。それは、
>“排卵の時期は、月経日前12日ないし16日の5日間”という周期だった。これが医学会
>で認められれば、妊娠の計画的な指導が可能となる。しかし、当時日本の医学界は
>権威のない医師の学説として無視。そこで久作は論文を手に、単身で先進地・ドイツに
>乗り込んだ。その結果、“オギノ式懐妊・避妊法”は世界的発見として認められ、婦人
>医学を大きく発展させることになった。
〈略〉
>日本で発表した荻野の論文が評価されなかった理由について
>産婦人科医学に取り入れられるといったことはありませんでした。その日本の医学界の
>評価については、下記本人の言葉が表しています。「新潟あたりの開業医が何を言うの
>かとか、この青二才とばかりに無視された。人間の排卵がいったいいつ起こるのかが
>わからなかった時代ですから、私の説がとっぴにうつったのも無理はなかった。」
>(medicina第23巻第5号別冊 (昭和43年5月10日発行) 「引っ込み思案の沈黙居士~
>荻野久作氏に聞く」より抜粋)


[3] - http://ja.wikipedia.org/wiki/荻野久作
>ところがオーストリア人のヘルマン・クナウス(Hermann Knaus)が荻野の手法の目的
>を逆転させて避妊法として使うことを提唱する。これは当時から避妊法としては他の
>手段と比べて非常に不確実な手法であることがわかっていたので荻野は反対意見を
>表明する。しかし不本意にもこの避妊法は後にオギノ式と呼ばれるようになる。もっと
>確実な避妊法があるにもかかわらず自身の学説を安易な避妊法として使い、結果
>として望まない妊娠をして人工妊娠中絶により失われる命のあることに本人は憤りを
>感じていた。そして、むしろ不妊治療に役立てて欲しいと主張した。


その他参考 URL (最近はオギノ式が「カトリックが唯一公認」でもない?) :
- http://en.wikipedia.org/wiki/Rhythm_Method
- http://de.wikipedia.org/wiki/Hermann_Knaus




http://www.23ch.info/test/read.cgi/books/1208837414/

822 :無名草子さん:2008/05/05(月) 02:57:09
「トンデモ一行知識の逆襲」P.206~207
>オギノ式のことを別名「バチカン・ルーレット」と言う。カトリックが唯一公認している避妊法だからである。
>などという一行知識は、聖職者にも産婦人科医にも眉を顰めさせる。産婦人科医が眉を顰めるのは、オギノ式はもともと、
>月経と時期的関連性において排卵期と受胎期の関係を明らかにした不妊治療法だからである。

>ついでに言うと、荻野久作博士が発表したこの説は、産婦人科学で世界のトップだったドイツ医学界が
>日本人に先を越されたということで長いこと認めようとせず、昭和五年に荻野博士が論文をわざわざドイツ語で発表してから
>やっと認められるようになり、しかもヨーロッパでは荻野博士ひとりに名誉を与えたくないため、
>同様の研究をしていたクナウスとの連名で(荻野学説はクナウスのそれよりはるかに正確で新しかったにもかかわらず)
>オギノークナウス理論と呼ばれている、というような知識を披露することで、さらに産婦人科医たちの機嫌を悪くすることが可能である。

問題は後段。
クナウスは本来不妊治療法として考案されたはずのオギノ式を避妊法へ転用することを提唱した人。
だから、オギノ式がオギノークナウス理論と呼ばれても何もおかしくはない。
>ところがオーストリア人のヘルマン・クナウス(Hermann Knaus)が荻野の手法の目的を逆転させて避妊法として使うことを提唱する。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/荻野久作
ここで問題なのは、せっかく前段で「もともと…不妊治療法だからである」と書いてるのに、
「オギノ式はいつから避妊法になったのか?」という疑問をスルーしてしまっている点。
それから、ドイツ医学界の陰謀みたいな話もガセっぽい。NHK「その時歴史が動いた」によれば、
>しかし、当時日本の医学界は権威のない医師の学説として無視。そこで久作は論文を手に、単身で先進地・ドイツに乗り込んだ。
>その結果、“オギノ式懐妊・避妊法”は世界的発見として認められ、婦人医学を大きく発展させることになった。
ttp://www.nhk.or.jp/sonotoki/2006_07.html#02
むしろドイツの方が日本より先にオギノ式を認めたみたいなんだが。
テレビ番組だから全面的に信用することは難しいけど、唐沢が言うような陰謀論を他に見かけないのも確か。

875 :無名草子さん:2008/05/05(月) 23:16:05
>>822
これ、何だか Wikipedia の記述と、それが外部リンク先にしているところの記述が食い違っている。
Wikipedia ではドイツでの発表の後で「日本婦人科学会雑誌第19巻6号に掲載」されたみたいに
読めるけど、新潟大学医歯学図書館の資料では、「日本婦人科学会雑誌第19巻6号に掲載」が
1924 年で、ドイツでの発表はその 6 年後の 1931 年。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%e8%8d%bb%e9%87%8e%e4%b9%85%e4%bd%9c
>不妊や多産に苦しむ新潟の女性を目にし、当時解明されていなかった排卵時期の
>研究を行う。3年の歳月をかけ論文「排卵ノ時期、黄体ト子宮粘膜ノ周期的変化トノ
>関係、子宮粘膜ノ周期的変化ノ周期及ビ受胎胎日二就テ」を完成させた。しかし
>日本の学界に認められず、ドイツに渡り6年後に現地の学会誌に発表される。その後
>日本婦人科学会雑誌第19巻6号に掲載された。

http://www.lib.niigata-u.ac.jp/Bunkan/ogino1.html
>大正13年(1924年)     論文Γ排卵の時期、黄体と子宮粘膜の周期的変化と
>                 の関係、子宮粘膜の周期的変化の周期及び受胎日に
>                 ついて」を日本婦人科学会雑誌に発表
>                 「人類黄体の研究」を学位論文として東京帝国大学
>                 に提出、医学博士の学位を得る。
> 昭和5年(1930年)     ドイツの婦人科中央雑誌に、論文「排卵日と受胎日」
>                を発表、大反響を起こす。


876 :無名草子さん:2008/05/05(月) 23:21:08
>>875 続き

まあ、ドイツが認めなかったというより、まず日本の学会が認めなかったぞというのは
NHK の番組ページにあるこれ↓があるから一応は確かとみてよいだろうけど、クナウス
とのからみは、これにも新潟大学医歯学図書館のページにも書いていないのが残念。

http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2006_07.html#02
>日本で発表した荻野の論文が評価されなかった理由について産婦人科医学に取り入れら
>れるといったことはありませんでした。その日本の医学界の評価については、下記本人
>の言葉が表しています。「新潟あたりの開業医が何を言うのかとか、この青二才とばかり
>に無視された。人間の排卵がいったいいつ起こるのかがわからなかった時代ですから、
>私の説がとっぴにうつったのも無理はなかった。」
>(medicina第23巻第5号別冊 (昭和43年5月10日発行) 「引っ込み思案の沈黙居士~
>荻野久作氏に聞く」より抜粋)




   
 
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