トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/4/22  3:04

太陽の表面温度は 6000 ℃なのだし  その他の雑学本 間違い探し編

『キッチュワールド案内』 P.50
 そう言えば、道家思想は儒教のアンチテーゼという性格を強く持っている
ので、孔子の一派のことなど、だいぶ悪く描かれていておもしろい。例えば、
『湯問』の第五には、次のようなエピソードがある(岩波文庫・小林勝人訳)。

×『湯問』の第五 ○『列子』の「湯問第五」

岩波文庫に『湯問』という名前の本はない。湯問篇の収録されてる『列子』ならある。

http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=37843
>列子 全二冊
>『列子』は天瑞、黄帝、周穆王、仲尼、湯問、力命、楊朱、説符の八篇からなります。

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/3/332091+.html#SERIES
>列子  全二冊

そして唐沢俊一が紹介するエピソードとは、二人の子どもが、「僕はお日さまが出始めた
ときが一番近く、真昼どきになると一番遠いと思うんだよ
」 「いや、ぼくはお日さまが出はじ
めたときが一番遠くて、真昼どきになると一番近いと思うんだよ
」 と言い争っているときに、
孔子が通りがかったというもの。

真昼は太陽が小さく見えるのは遠いからだと主張する子どもと、真昼は太陽が近いから
暑いのだという子どもに、どちらが正しいかと訊かれて、どちらとも決めかねた孔子は、
お前さんをたいへんな物知りだなんていったやつは、いったいどこのどいつだね」と、
冷やかされる。

この話で、太陽が一番近いのは真昼と主張する方の子どもの説明は、以下の通り。

『キッチュワールド案内』 P.50 ~ P.51
“いや、ちがう。お日さまが出はじめたときには、冷え冷えとしてごく涼しい
が、真昼どきになると、お湯の中にでも手を入れたように暑くなるよ。これは
お日さまに近けりゃ暑いし、遠けりゃ涼しいからじゃないのかね。”

ところが、唐沢俊一の感想ではなぜか、この子どもは「太陽は冷たい」と主張するトンデモ
さんを「連想させて愉快」なので、「太陽が熱くない」と主張するトンデモさんと「思考力」は
同程度」ということになってしまう。

『キッチュワールド案内』 P.51
教訓もなければ哲学的でもないが、しかし、人が悪くて実におもしろい。
ことに後の子供の
「暑いのはお日さまが近いから」
というのは、トンデモさんがよくおっしゃる、“太陽は冷たい”説を連想させて
愉快である。
「山に登ると太陽に近付くのだから暑くなるはずなのに、実際は寒くなる。
これは太陽が熱くないからである!」
というのはトンデモ説の定番であり、深野一幸、関英夫、三上晃、武田了円
などの各氏も唱えているが、彼らの思考力は、古代中国の子供と同程度な
のである。

「後の子供」は、どう考えても、太陽は熱いという前提で「真昼どきになると一番近い」と
いっていると思うのだが。もう一人の子どもの「遠けりゃ物は小さくみえる」という主張に
対して説も曲げず、まして「太陽は冷たい」とか珍説を捻り出したわけではないのに、
トンデモさんと同程度にしては気の毒である。

だいたい、子どもの素朴な意見とはいえ、当時の科学知識では、物知りの孔子さえも
誤りを指摘しかねることを話していたわけだから、子どもたちの「思考力」にさほど問題
はなかったと考えてよいのではないか。(孔子は自然科学に強くなかったとしても)。

ところで、「太陽は熱くない」と「唱えている」人のリストに「武田了円」を加えるのは微妙
かも。『トンデモ本の逆襲』では、太陽に近づいても暑くならないのはなぜかわからない、
初歩的な質問とは思うけれど教えてください――と、素直に山本弘に教えを請うている
みたいに読めるので。この人はアダムスキーの信者じゃなかったはずだし。

なお、元の2ちゃんねるのスレへの書き込みは、Read More を参照のこと。



http://www.23ch.info/test/read.cgi/books/1206236626/

884 :無名草子さん:2008/03/28(金) 08:05:22
『キッチュワールド案内』P51

 二人の子供が、「お日様は出始めが一番近く、真昼どきが一番遠い(見た目から)」
「お日様は出始めは冷え冷えとして涼しいから遠く、真昼どきはお湯のように熱いから近い」と言い争っていて
孔子にどちらが正しいのかと訊ねる。孔子が答えられずにいると。
>お前さんをたいへんな物知りだなんていったやつは、いったいどこのどいつだね
と冷やかしたという。

唐沢は上のように引用し、
>『湯問』の第五には
と出典を記しているが、これは『列子 湯問篇第五章』が正しい。さらに

>……この話など、どう考えても、孔子をバカに描くためだけに採録したとしか思えない。

って、当たりまえだろそんなこた。小説読んで「どう考えてもフィクションとしか思えない」
と書くくらいバカだと分からんのかな。さらに、

>「暑いのはお日さまが近いから」
>というのは、トンデモさんがよくおっしゃる、“太陽は冷たい”説を連想させて愉快である。
            中略
>深野幸一、関英夫、三上晃、武田円了などの各氏も唱えているが、彼らの思考力は、
>古代中国の子供と同程度なのである。

滅茶苦茶だな『列子 湯問五』に出てくる子供は、太陽の相矛盾する現象を孔子につきつけて
やり込めたという話だし、太陽は冷たいなどとは一言も言っていない。単に太陽のことを話題に
しただけのことで、それがなんで、深野幸一、関英夫、三上晃、武田円了などの各氏と同程度と
言われにゃならんのか。

ここであえて言わせて貰う。
「なんで地上より太陽に近い高山の山頂は地上より気温が低いのか?」
唐沢はアンチョコを見ない限り、絶対に説明できない。



2008/4/22  23:42

投稿者:トンデモない一行知識
http://tondemonai2.web.fc2.com/

「孔子が子供にからかわれた」ようにも思われるし、子どもは(最初
は)孔子への悪意なく言い争っていたようにも思われるし、ですね。
後者の設定の方が、より孔子をバカに見せるというか、エピソードの
書き手の悪意がより強いんじゃないかという気もします。

んで、この中国の子どもらに、当時の知識や手に入る道具とかの範囲
で、誤りを指摘するのは難しそうだなぁと昨日からグルグル思って
いたり。遠くにあるから小さく見えると主張している「前の子ども」
の方が難易度低そうに思いますが、色ガラスやススで黒くしたガラス
を使って、手をいっぱいに伸ばして大きさを測ってみようとか、当時
可能でしたかしら。

太陽や月の見かけの大きさは、手を伸ばした時の五円玉の穴の大きさ
とか書いてあるサイトもあったけど、太陽を直接見るのは目によくな
いでしょうし。

「後の子ども」の方は……角度だの単位面積だので納得してもらえる
んでしょうか。

2008/4/22  22:32

投稿者:金平糖

現在の科学技術と就学率から言えば
太陽が近いほど暑いというのはトンデモだろう

しかし、まだ充分に科学技術の発達していない時代
一定水準以上の教育を受けたとは考えにくい子供が
これだけ自分の意見をしっかりと説明できるのなら
聡明とたたえていいでしょう

唐沢のいちゃもんは、小学生相手に
「お前は因数分解も微積分も出来ないからバカだ」
といってるようなものだ

そしてやはり唐沢は、太陽が近いほど暑くなると考えるのが
なぜトンデモなのかを理解していないのだろう
そうでなければこの子供をトンデモ扱いできるはずがないのだから

2008/4/22  9:25

投稿者:藤岡真

 この寓話は、そもそも、孔子が子供にからかわれたという主旨のものなのではないでしょうか。子供は相矛盾する命題を孔子に突きつけ、孔子はそれに答えられなかったという、悪意のあるお話。つまり、唐沢自身が「孔子の一派のことなど、だいぶ悪く描かれていておもしろい」と書いているような。
 だから、
「……この話など、どう考えても、孔子をバカに描くためだけに採録したとしか思えない」、なんて文章は、自分で冒頭に書いたことを忘れちまったとしか思えません。そして、だからこそ、この子供たちは「孔子」より賢い子供と言う位置にあるわけで、とうていトンデモさんではありません。
 なんか、話の構造が丸で理解できていないくせに、「冷たい太陽」というテーマでむりやりくくったような文章ですね。

   
 
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