トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
旧 URL は、http://diary.aol.com/yzuc9ww/289.html
文字列の一括置換をかけた都合上、旧ブログのコメント欄および2ちゃんねるのスレからの引用の中の URL も全部新 URL に置き換わっていますことを、あらかじめご了承ください
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/ で続きの Blog をやっています
   
 

2008/3/17  16:14

ジンジンジンギスカーン♪  その他の雑学本 間違い探し編

『キッチュワールド案内』 P.44
そういえばチンギス・ハーンも、当時知られていた世界地図の五分の四を
征服しながら墓も残さず、 今彼の業績を伝えるのはジンギスカン鍋ばかり、
という寂しさである。

ジンギスカン鍋はチンギス・ハーンの業績ではないというのは、「モンゴルの人は
焼肉を愛好してません
」の方で。

たとえジンギスカンが戦場で兜で羊肉を焼いたのがジンギスカン鍋の起源という
俗説を採用とするとしても、それが唯一の業績 (とは普通いわない気も)、寂しい
ものだとする理由は不明。それも墓の有無を理由にして。唐沢俊一も書いている
ように世界征服で今も名を残しているし、同じ俗説でもジンギスカン鍋より義経と
同一人物説の方が有名なくらいなのに。

また、遺骸の埋葬場所については忘れられてしまった事柄かもしれないが、八白室
と呼ばれたチンギス・ハーン廟、現在のモンゴル自治区に残る成吉思汗陵といった
ものは存在する。埋葬場所としての墓についても、日本をはじめ各国の調査隊が
多くの興味をよせているものの、彼を神聖視するモンゴルの人々の感情に配慮して
捜索や発掘に乗り出しにくい状況。「ジンギスカン鍋ばかり」どころの話ではない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/チンギス・ハーン
>オルドスの人々によって保たれたチンギス・ハーン廟はいつしか8帳のゲルから
>なるようになり、八白室(ナイマン・チャガン・ゲル)と呼ばれた。
>一方、チンギス・ハーンの遺骸が埋葬された本来の陵墓は八白室の南遷と
>ともに完全に忘れ去られてしまい、その位置は長らく世界史上の謎とされてきた。
>現在中華人民共和国の内モンゴル自治区には「成吉思汗陵」と称する施設がある
>が、これは近年に八白室を固定施設に変更して建設されたもので、この場所や
>その近辺にチンギスが葬られているわけではない。
>冷戦が終結してモンゴルへの行き来が容易になった1990年代以降、各国の
>調査隊はチンギス・ハーンの墓探しを行い、様々な比定地を提示してきた。
>しかしモンゴルでは、民族の英雄であるチンギス・ハーンの神聖視される墓が、
>外国人に発掘されることに不満を持つ人が多いという。
>2004年、日本の調査隊は、モンゴルの首都ウランバートルから東へ250キロの
>ヘルレン川(ケルレン川)沿いの草原地帯にあるチンギス・ハーンのオルド跡と
>みられるアウラガ遺跡の調査を行い、この地が13世紀にチンギス・ハーンの霊廟と
>して用いられていたことを明らかにした。調査隊はチンギス・ハーンの墳墓もこの
>近くにある可能性が高いと報告したが、モンゴル人の感情に配慮し、墓の捜索や
>発掘は行なうつもりはないという。



http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1205573097/133n-

133 :無名草子さん:2008/03/16(日) 10:10:58
『キッチュワールド案内』P44

>そういえばチンギス・ハーンも、当時知られていた世界地図の五分の四を征服しながら墓も残さず、
>今彼の業績を伝えるのはジンギスカン鍋ばかり、という寂しさである。

唐沢は「業績」とか「名を残す」という言葉の意味が分かっているのだろうか。
そもそも、チンギス・ハーンの業績がジンギスカン鍋ばかりと言うなら、
唐沢はなんでチンギス・ハーンが「当時知られていた世界地図の五分の四を征服」
したことを知っているのか。馬鹿じゃなかろかという文章だ。

ジンギスカン鍋だって、チンギス・ハーンの業績じゃないし。

Wikipedia ジンギスカン料理
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E9%8D%8B#.E3.82.B8.E3.83.B3.E3.82.AE.E3.82.B9.E3.82.AB.E3.83.B3.E9.8D.8B
>その名称から、「ジンギスカンが遠征の陣営で好んで食べた」「ジンギスカン率いるモンゴル軍兵士が自分の兜で羊肉を焼いたのが起源」
>とするなどの俗説があるが、モンゴルには肉を焼いて食する習慣は無く、羊肉を常食するモンゴルにいかにもありそうな料理として
>拡大解釈されたものであると見られる。

137 :無名草子さん:2008/03/16(日) 10:58:32
チンギスハンの墓は遺言で、内モンゴルのオルドスに埋葬されている。
ただ、その後ふるさとの外モンゴルに再埋葬された
という事が解っているが、その場所が現在不明になっているだけ。
近年の研究では「おそらくあの辺り」という数キロ内と特定されつつある。
モンゴルの古い墓は、草原の中にポツンと小さな墓跡で埋葬するので
行方不明になっている物が多いらしい。

ただ、最初に埋められた内モンゴルの墓は観光地になっている。


つまり唐沢が書いている「墓も残さず」というのはまったくのウソ。
遺言で最初の墓は作っているのだから。

139 :無名草子さん:2008/03/16(日) 11:05:18
http://www.sousai.com/hp/institut/chomei/foreign/genghis.htm
>1990年4月25日、元の太祖チンギス・ハーン(成吉思汗)の陵墓を探索する
>「ゴルバ ン・ゴル探検隊」プロジェクトの、日本・モンゴル合同学術調査
>探検隊の出発式が行われた。しかし調査の途上、91年4月に、モンゴル市民
>から「私の墓を触るなというチン ギス・ハーンの遺言に背いて墓探しを
>すべきでない」という声明文が寄せられ、調査は 中断したままになっている。



   
 
HOME

 

 

inserted by FC2 system