2008/2/22 23:32
国会でも大受けだったそうだの阿倍定事件 『トンデモ一行知識の世界』間違い探し編
『トンデモ一行知識の世界』 P.138 欄外
「下腹部」は朝日新聞くらいだったとのことだが。読売は「局部」。
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/%7Emaesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
>特にアソコの表現には各社とも神経を使い、『朝日』は「下腹部」、『東京日日』
>は「局所」、『読売』は「急所」「局部」とそれぞれ工夫をこらした。
この文書には、『東京日日』が「局所」という用語をヒネり出すまでにいたる経緯が、
そこそこ詳しく書かれている。
> 当時、『東京日日』の社会部長小坂新夫はその時のいきさつをこう書いている。
>「『阿部定事件』の時は弱った。情人のアソコを切り取り帯にはさんで逃げ回る
>ので、まさか露骨にオチンチンとも書けず、私は夜になってから編集局全体に
>『名案』があったら教えてくれと触れまわった。
>政治部の陸軍省担当記者が『まあ、一概にいえば局部というところじゃが、そこを
>ヒネって局所とやったら』といって来た。で名案としてこれを採用『局所』と書くこと
>に決めた」(1)
> ところが、最初は『局所』ではなく、『生命線の切断』を取ったが、生命線というと
>「満蒙はわが国の生命線」を連想し「軍部から叱られるのでは……」との懸念
>から、『局所』に落着いた、と『文章春秋』 (一九三六年七月号)は書いており、
>「社会記事にまで軍を怖れなければならぬ東日」と皮肉られている。
〈略〉
>(1) 『なぐれ記者』 小坂新夫 印象社(非売品) 一九七八年三月 58-59P
ちなみに Google 検索では「下腹部 阿倍定」が 958 件に対し、「局部 阿倍定」が
その約 3 倍の 3,130 件だった。 「局所 阿倍定」はやや少なく 264 件。
本当に当時の新聞が「下腹部」で統一したのなら、このような結果にはならないだろう。
なお、大辞林にも大辞泉にも、「下腹部」が昭和 11 年の阿倍定事件の際の新語という
記述はない。こちらもガセビアの可能性が高そう。
・「下腹部」という言葉が誕生したのは昭和十一年の阿倍定事件のとき。
各新聞社がアソコを下腹部という新語で統一した。
「下腹部」は朝日新聞くらいだったとのことだが。読売は「局部」。
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/%7Emaesaka/021226_contents/heihakyoukinari31_040728.pdf
>特にアソコの表現には各社とも神経を使い、『朝日』は「下腹部」、『東京日日』
>は「局所」、『読売』は「急所」「局部」とそれぞれ工夫をこらした。
この文書には、『東京日日』が「局所」という用語をヒネり出すまでにいたる経緯が、
そこそこ詳しく書かれている。
> 当時、『東京日日』の社会部長小坂新夫はその時のいきさつをこう書いている。
>「『阿部定事件』の時は弱った。情人のアソコを切り取り帯にはさんで逃げ回る
>ので、まさか露骨にオチンチンとも書けず、私は夜になってから編集局全体に
>『名案』があったら教えてくれと触れまわった。
>政治部の陸軍省担当記者が『まあ、一概にいえば局部というところじゃが、そこを
>ヒネって局所とやったら』といって来た。で名案としてこれを採用『局所』と書くこと
>に決めた」(1)
> ところが、最初は『局所』ではなく、『生命線の切断』を取ったが、生命線というと
>「満蒙はわが国の生命線」を連想し「軍部から叱られるのでは……」との懸念
>から、『局所』に落着いた、と『文章春秋』 (一九三六年七月号)は書いており、
>「社会記事にまで軍を怖れなければならぬ東日」と皮肉られている。
〈略〉
>(1) 『なぐれ記者』 小坂新夫 印象社(非売品) 一九七八年三月 58-59P
ちなみに Google 検索では「下腹部 阿倍定」が 958 件に対し、「局部 阿倍定」が
その約 3 倍の 3,130 件だった。 「局所 阿倍定」はやや少なく 264 件。
本当に当時の新聞が「下腹部」で統一したのなら、このような結果にはならないだろう。
なお、大辞林にも大辞泉にも、「下腹部」が昭和 11 年の阿倍定事件の際の新語という
記述はない。こちらもガセビアの可能性が高そう。