トンデモない一行知識の世界 OLD - 唐沢俊一の「雑学」とは -

一部で有名な唐沢俊一の一行知識に、ツッコミを入れたり派生トリビアを書いたり。
「愚かで分別のない人と思われたいなら、唐沢俊一のトリビアを引用しなさい。」

 
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2008/1/13  1:57

失われた時を求めての「翻訳」  『トンデモ一行知識の世界』派生トリビア編

『トンデモ一行知識の世界』 P.52
 プルーストの『失われた時を求めて』は、井上究一郎版が完成するまで、
個人全訳を手がけた者は必ず志半ばで過労死するというジンクスがあり、
研究者に恐れられていた。

「1925年に翻訳を始めたヴァルター・ベンヤミンの死因は自殺。過労死ではない。」
というのは、「失われた時を求めて」に書いた通り。

『失われた時を求めて』を井上究一郎が世界で始めて個人完訳する前、同書を
訳していた五来達 (ごらいとおる) という翻訳者がいて、かなりのハイペースで
翻訳を発表していたとか、身体が弱い人だったとかいう話があったので、この人が
過労死説のもとになったのかと思って調べたけど、そういう話は発掘できなかった。

- 井上究一郎は五来達について、『「名」の世界の人、五来達氏 「奇遇」より』
 というエッセイを書いていて、それが『日本の名随筆 別巻45  翻訳』という
 本に収録されている。
 (https://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/zui-bekan/tanpin/865x.htm)

- 井上究一郎の書いたエッセイによると、五来達は編集者の前にも顔を出さず、
 いつも代わりの人が社に訪れる謎の人物だったとのこと。井上究一郎が素性を
 知ったのは 20年も経った後、三笠書房版現代文学全集第六巻『プルースト』の
 月報に文章を依頼されたとき、初めて生の五来達に会うことができた。
 (http://sumus.exblog.jp/6489435/)

- 1931~1934年の最初の邦訳の題は『失ひし時を索めて 第1巻 スワン家の方』
 (井上究一郎も参加)、1934~1935年の五来達訳は『失はれし時を索めて』。
 1953年以降の邦題は『失われた時を求めて』に統一されている。
 (http://ja.wikipedia.org/wiki/失われた時を求めて)

- 『失われた時を求めて』の冒頭部分は、さまざまな訳が試みられている。
 「長いあいだ、私は宵寝になれてきた。」
 「長いあいだ、ぼくは夜早く床に就いてきた。」
 「長いあいだに、私は早くから寝るようになった。」
 フランス語の時制である複合過去が、翻訳を難しくしている一因か。
 (http://www.meijigakuin.ac.jp/%7Efrench/professeurs/doc/kudo7.pdf)



   
 
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